【1281】 薔薇の夢の見方  (柊雅史 2006-03-24 00:33:48)



 藤堂志摩子は悩んでいた。


 三学期を迎え、学園内には来るべき一大イベントの噂を、最近になってよく耳にするようになった。
 つい先日、祐巳さんが無事に妹を迎えたことも大きいのだろう、と志摩子は思う。由乃さんがどうやら来年まで妹を持たないらしい、という噂も定着していたから、これでひとまず次期山百合会のメンバーは一揃い、というわけだ。
 薔薇さまの妹問題ともなれば、他人事だけれども他人事ではない気持ちになるのがリリアン女学園というところ。ようやく懸念材料が消えたところで、自然と口に上るようになるのが、未来の山百合会の話題だった。
「来年の薔薇さまは、志摩子さまに祐巳さまに、由乃さま。今年は他に立候補はいないでしょうし、すんなり決まりそうね」
「先代の薔薇さまや、今年の紅薔薇さまと黄薔薇さまに比べると、少し迫力はないかもしれないけど、とても親しみ易い方たちだし、応援いたしましょう」
 そんな風に来年の山百合会を語る声が、時々志摩子の耳にも届く。噂の内容は十中八九志摩子と祐巳さん、由乃さんの三人がそのまま薔薇さまになるだろうと予想していて、概ね好意的に語られている様子だった。
 昨年はまだ志摩子が一年生だったから、多少「二年生の薔薇さま」に対する不安の声も混ざっていた。それに比べれば、今年は遥かに好意的で期待に満ちた噂になっている。
 けれど――志摩子が抱えている悩みとは、正にその、来年の山百合会に関することだった。


「もうすぐ選挙だけど、志摩子さんはどうするの?」
 何気ない会話の合間に突然乃梨子にそう聞かれ、志摩子は一瞬ドキッと鼓動が跳ね上がるのを感じた。
「どうするって?」
「もちろん、立候補するのかどうかってこと。瞳子に聞いたけど、別に今のつぼみがそのまま薔薇さまになるわけじゃないんだって? まぁ志摩子さんはつぼみじゃないけど、選挙はすることになるんでしょ? ってことは、別に立候補しなくても良いってことじゃない」
 軽い口調でそう言って、紅茶の入ったカップに口をつける乃梨子の様子に、志摩子の鼓動は少しずつ早くなる。
 どうして急に、そんな話をするのだろう。
 この話を持ち出したのが、薔薇の館に誰もいない『今』なのは、ただの偶然なのだろうか。
 ゆっくりと紅茶を口にして、それからチラッと志摩子の様子を窺ってくる乃梨子の視線に、志摩子は小さく喉を鳴らした。
 乃梨子は時々、怖いくらいに鋭い。
 特に志摩子が迷っていたり、悩んでいたりすると、めったに口は出さないけれど、気遣うような視線を向けてくる。
 もしかしたら誰にも言っていない志摩子の悩みも、乃梨子はとっくに気付いているのだろうか。
「――確かに、そうね。私も選挙を受けるのだし、立候補しないことも出来るのよね」
 志摩子は少し笑みを浮かべて頷いた。
「さすがに、それは考えなかったけど」
「ふーん」
 志摩子の答えに、乃梨子は意図の読めない相槌を返してきた。納得しているような、志摩子の答えを疑っているような。
 そんな風に思ってしまうのは、志摩子に負い目があるからだろうか。
 乃梨子に対して、嘘を言ってしまったという、負い目。
「そっか。それじゃあやっぱり私、来年も白薔薇のつぼみになるってことか」
「そうね。もちろん、私が選挙に受かれば、だけど……」
「志摩子さんなら、大丈夫でしょ」
 乃梨子が笑って応じる。
「志摩子さんなら、立候補すれば確実に受かるってば」
 断言する乃梨子に曖昧に笑って、志摩子は上手く笑えない口元を、紅茶のカップで隠すことにした。


 次期薔薇さまを決める選挙に、立候補するべきかどうか――
 志摩子の悩みは、正にそれだった。
 一年間、志摩子は確かに白薔薇さまとして過ごしてきた。
「志摩子は白薔薇さまとして一年間しっかりやって来たし、来年も大丈夫でしょう」
 そんな風に祥子さまや令さまは言ってくれるけれど。クラスメートや友人たちも同じようなことを言ってくれるけれど。
 けれど、志摩子はこうも思う。
 私はただ一年間、白薔薇さまでいただけなんじゃないか、って。
 祥子さまのリーダーシップと、阿吽の呼吸でその補佐をする令さまに甘えて、志摩子はただそこにいただけなんじゃないかって、そんな気がしてならない。大きなミスはしなかったけれど、何をしたかと聞かれると、志摩子は答えに窮してしまう自分を発見してしまう。
 祐巳さんは山百合会を、一般の生徒たちにとって身近な存在にしてくれた。
 由乃さんも茶話会を開いたり、積極的に行動し続けていた。
 二人とも、まだつぼみなのにこうなのだ。なのに自分は――薔薇さまだった自分は、今年一年何をして来たのだろう。
 そう思うと、このまま来年も白薔薇さまを続けて良いのかどうか、どうしても志摩子は迷ってしまう。こんな白薔薇さまで良いのだろうかと、疑問に思ってしまう。
「……私がこのまま白薔薇さまを続けても、良いの……?」
 去年、最後に背中を押してくれたお姉さまはもういない。
 それだけでこんなにも心迷ってしまう自分に、志摩子は情けない気分に陥るのだった。


 山百合会選挙の立候補受付が開始するや、真っ先に届けを提出したのはやっぱり由乃さんだった。
「私以外の誰が私以上にリリアンを面白く出来るのよ!」
 そう言って胸を張る由乃さんは自信満々だ。そんな由乃さんに、令さまは苦笑を浮かべながらもどこか嬉しそうだった。


 立候補受付から3日目に、祐巳さんも立候補の届けを提出した。
「全く……届け出くらいお一人で行ってくださいませ!」
「そうは言うけど、緊張するんだってば。それについてきて欲しいなんて一言も言ってないよ。勝手について来たんじゃない」
「言葉には出さずとも、思い切りお姉さまの表情が物語っていましたわ!」
 どこか弾んだ様子でいつも通りのコミュニケーションを繰り広げる祐巳さんたちに、祥子さまが軽くため息を漏らす。
「祐巳も成長しないんだから……」
 けれどそう言う祥子さまの横顔も、志摩子には嬉しそうに見えた。


 選挙の立候補受付は一週間。タイムリミットは二日になった。
 志摩子の鞄の中には、既に記入を終えた立候補届けがしまってある。
 後はただ、これを選挙管理委員会に提出するだけ。それだけなのに、志摩子の足はどうしてもそちらに向いてくれなかった。
 自分は何をしているのだろう、と思う。去年も届けを出したのは締切りの直前だった。全然成長していない自分に嫌でも気付いてしまう。
 だから余計に「こんな自分がまた薔薇さまで良いのか」という疑問が大きくなる。
 自分なんかよりもずっと立派に薔薇さまを勤められる人なんて、きっといくらでもいるだろう。蔦子さんや真美さんのように、能力だけでなく人望もある同級生がいくらでもいる。その人たちを押しのけて、ただ「一年間薔薇さまを勤めただけ」の自分が、当たり前のように薔薇さまを続けて良いのだろうか――
「――ごきげんよう、志摩子さん」
 重い足取りで薔薇の館に向かっていた志摩子に、声が掛けられる。
 いつものように反射的に「ごきげんよう」と返そうと顔を上げて――志摩子の表情が驚きに彩られた。
「そんな……どうして……?」
「イヤだわ、せっかく久しぶりに顔を会わせたのに、お化けを見たみたいな顔して。学園長よりも先に志摩子さんに会いに来たのに、甲斐がないったら」
 わざとらしくため息を吐いて、驚きに固まっている志摩子に悪戯っぽい笑みを向ける。
「でも、志摩子さんのそんな表情を見られたんですもの、黙って帰国してきて正解だったかしらね?」
 くすくすと楽しそうに笑いながら。
 蟹名静さまが、そう言った。





 >すいません、多分続きます orz
 >一本で終えたかったんですが、一度上げないとクッキーの制限時間に引っかかってタイトル消えそうだったので。
 >なるたけ早めに続きを書きたいと思ってます。思ってるだけで確約はアレですけど((ぉ


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