【1315】 甘くておいしいの  (林 茉莉 2006-04-07 20:07:30)


 祥子さまのお屋敷での新年お泊まり会はとっても楽しかった。そして何より、瞳子ちゃんとの事で落ち込んだ自分をそれとなく励ましてくれようとするみんなの気持ちがうれしかった。
 でも家に帰るまでの道すがら、祐巳には一つだけ、のどに刺さった小骨のようにもやもやとして気分の晴れないことがあった。
 こんな気持ちを抱えたままでは、きっと家族の顔をまともに見ることもできない。それでなくても何でも顔に出てしまうのだ。自分一人の胸の内にしまっておこうとすれば、きっとかえって家族に余計な心配をかけてしまう。だからその日の夕飯時、家族4人が集まった席で祐巳は思い切ってみんなに謝ってしまおうと心に決めたのだった。

 全員が席に着いた後、食べ始める前に祐巳は思い切って言った。
「あの……。お父さん、お母さん、祐麒、ごめんなさい!」
「藪から棒にどうしたんだい」
「何かあったの?」
 お父さんはいただきますをする為に合わせた手もそのままに、祐巳に訊いてきた。お母さんも怪訝な顔をして尋ねてくる。
「……お前、もしかして祥子さんちで何か粗相でもしたんじゃないだろうな」
 祐麒め、我が弟ながらなかなか鋭いじゃないか。賢くて、その上意外にモテる弟でお姉ちゃんはちょっぴり鼻が高いけど、こんな時は痛し痒しだ。
「ごめんなさい!」
 祐麒に図星を指された祐巳が再度謝ると、今度はお父さんがあわて始める。
「ま、まさか祐巳ちゃん、小笠原さんのお宅でとんでもなく高価な壺でも割っちゃったとか」
「国宝級の掛け軸をうっかり破っちゃったりしたの?」
「家宝の日本刀を振り回してたら柱に刺さって折っちゃったり」
 お父さんに続けてお母さんと祐麒も言いたい放題言ってくれる。あなた方は自分の娘や姉をそんなに粗忽者だと思っていたのですか。
「ちょっと待ってよ。そんなことする訳ないじゃない」
「じゃあ何なんだよ」
 きっぱり否定する祐巳に、祐麒が先を促してくる。お父さんたちも急かすように無言で頷いている。
 案の定、みんな夕飯どころではなくなってしまったようだ。だからあまり乗らない気持ちを鼓舞して、祐巳は話し始めた。
「うん。実はね、今朝、朝ご飯に目玉焼きが出たんだけど、何をかけるって訊かれたから麺つゆって答えたの」
「うんうん、それで?」
「そしたらね、みんなすごく驚くの」
「何で?」
「普通そんなモノかけないって」
「そうかなぁ、別に普通だと思うけどなぁ」
「うちでは昔からずっと麺つゆだよな」
 その場で直接否定された当事者ではないお父さんと祐麒の呑気な言葉にちょっとムッとしていると、お母さんから、麺つゆ派を肯定する耳寄りな情報がもたらされた。
「近頃は卵かけご飯用のたれっていうのも売ってて、おだしが入ってるから麺つゆと似たようなものなのよ。だから別に目玉焼きに麺つゆでもおかしくないと思うわ」
「あ、お母さん、今度それ買ってきて」
「はいはい」
「で、それでどうなったんだよ」
 いつもの癖で、つい話がわき道に逸れてしまう祐巳を、祐麒は元の道に誘導する。やっぱりあんたは出来た弟だよ。
「どうなったって訳じゃないけど、なんかみんなにすっごい白い目で見られちゃって。それでもしかしたら我が家の恥をさらけ出しちゃったのかなって思って」
「なんだ、そんなことかよ。脅かすなよ」
 申し訳なさそうな祐巳に、フゥーッと大きく息を吐いて祐麒が言う。
「ほんとよ、祐巳ちゃんったら大袈裟なんだから。お母さん、もしかしたらこの家を売ってでも弁償しなきゃならないようなことでもしちゃったのかと思って、寿命が縮んだわ」
「もう、お母さんったら。そんな訳ないじゃない。少しは娘を信用してよ」
「ウフフ、それもそうね」
「アハハ」
「アハハハ」
 そうか、そうだよね。やっぱり変じゃないよね、麺つゆ。少なくともうちでは。

 お母さん、祐麒と三人で笑い合い、気にするほどのことじゃないって分かってホッとした祐巳だったが、しばらく黙って聞いていたお父さんがぽつりと呟き、新たな火種を投下した。
「でもなぁ……」
「どうしたの、お父さん」
「言われてみれば、確かに麺つゆは普通じゃないかもしれないって思ってね」
「そうかしら」
 お父さんはお母さんの疑問に応える。
「例えば出張でホテルに泊まったりする時、朝食に目玉焼きが出てきたりすることもあるわけだけど、テーブルに麺つゆがあった例しがないからね」
 まあ確かにファミレスとかに行っても、麺つゆって用意されてないよね。
 祐巳はうんうんと頷いて、お父さんに尋ねる。
「お父さんはそんな時どうするの?」
「大抵は醤油で代用しておくなぁ」
 そんなお父さんの話を聞いた祐麒がボソッと呟いた。
「……やっぱり余所で食べる時は気を付けた方がいいのかな」
「そうね、さり気なく周りの様子を見てから決めた方がいいかもしれないわね」
 お母さんも祐麒に同調する。
 そんな二人の様子を見たお父さんは、にわかに居住まいを正して言った。
「よし。では福沢家の方針としては、今後は外で目玉焼きを食べる時は、他人(ひと)が何をかけるか確認した上で、同じモノをかけるようにする事。何か意見のある人は?」
「異議なし」
「異議なし」
「賛成多数につき、本案は可決されました。以上を持ちまして2007年第1回家族会議を終了します」
 パチパチパチパチッ。
 突発的に始まった家族会議は、お父さんの閉会宣言で万雷の拍手(4人)と共に終了したのだった。

 改めて全員でいただきますをした後、戻って来たいつもの夕餉を楽しんでいると、祐麒が言った。
「でも祐巳、何で麺つゆだったんだ。お前麺つゆかけるのは大体2回に1回だろ」
「たまたま今朝は麺つゆの気分だったの」
 別に深い意味があったわけでもなく、ただなんとなくだったからその通りに答えたのだが、祐麒は少し違うことを考えていたようだった。
「よかったな。もしアレだったらきっと白い目どころじゃなかったぞ」
「へ? 何で?」
「何でじゃないよ、アレこそ普通じゃないだろ。目玉焼きにあんなモノかけるって知られたら、下手すると祥子さんに姉妹の縁、切られかねないぜ」
「ひどーい。祥子さまはそんな人じゃないもん。祐麒のいじわる」
 祐巳は隣に座る祐麒の腕をポカポカと叩いて言った。
 何よ、祐麒ったら。お姉さまと私の絆はそんなモノで簡単に切れるようなものじゃないんだから。

 じゃれ合う祐巳と祐麒の間に、お母さんたちが苦笑しながら割って入ってくる。
「そうね。でもお母さんもアレはやめておいた方がいいと思うの」
「お父さんもお母さんに賛成だな」
「えぇー、何で? 結構美味しいよ。みんなも一度試してみてよ」
「絶対やらねぇ」
「お母さんも遠慮しておくわ」
「かわいい娘の頼みでも、こればっかりはなぁ」
「なによ、みんなして。そういうの、食わず嫌いっていうのよ。とっても美味しいんだから」

 そんな家族の集中砲火に一人抗う祐巳にとどめを刺すべく、きっぱりと祐麒が言った。
「美味しいなんて思うの、祐巳だけだよ。だってあり得ないだろ、







  目 玉 焼 き に 砂 糖 な ん て ! 」


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