まえがき。
恋せよ女の子始めの一歩【No:1336】の続編ですのでそちらを先にお読み下さい。同性愛を含んでいますので苦手な方はスルーを。
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「いってきます」
祐巳はいつもより早く家を出た。ふと玄関の鏡を覗いてみると目が少し赤い。昨夜は眠れなかったから…
がらがらのバスに乗って、これまた閑散としたリリアン女学園前のバス停に降り立つ。校門を潜って誰もいない銀杏並木を祐巳は一人歩いていく。マリア像に手を合わせてから校舎には見向きもしないで薔薇の館へと向かった。
ビスケット扉を開けると、やはりそこには祐巳が今一番会いたかった人がいた。
「ごきげんよう」
「ごきげんよう」
朝陽の中、振り返ったマリア様――志摩子さんだ。
「こんな早くにどうしたの?」
「…ここに来れば何となく志摩子さんに会えるような気がしたから」
「私も。なぜかはわからないけれど…祐巳さんに会えるような気がしてたわ」
志摩子さんが入れてくれた紅茶を一口、口に含んで祐巳は本題を切り出す。
「あのね。今日……聖さまに告白する」
「…そう」
「どうなるかなんてわかんない。ううん…可能性なんて殆ど0だよ。でも、伝えたいって思った。昨日までは気持ちを伝える気なんてなかったの。許されない想いなら何も言わずに、求めずに私の中に閉まっておくべきだって思ってた」
志摩子さんは何も言わない。ただ真っ直ぐに祐巳を見ている。それに応えるように祐巳も視線を切り結んで続けた。
「でも…本当は聖さまが欲しいって思ってたの。聖さまの心が」
「祐巳さん…」
祐巳の名前だけを呟いた志摩子さんは、もしかすると何を言っていいのかわからなかったのかもしれない。
「志摩子さんの言葉で自分の気持ちに気が付いたんだ。志摩子さんのおかげだよ」
「私…は何もしてないわ。祐巳さんがご自分の力で辿り着いた答えよ」
志摩子さんは淋しそうな微笑みを浮かべて首を横に振る。
「そんなことない!私は本当の気持ちから目を背けて、見ないようにしてずっと逃げてたの。でも志摩子さんが前を向けって言ってくれたんだよ。背中を押してくれたんだよ」
白雪のように綺麗な志摩子さんの手を握り締めた。その手がぎゅっと祐巳の手を握り返してくれる。
「…上手く、いくといいわね」
「ありがとう」
予鈴が鳴るほんの少し前まで、二人は小鳥の囀りと遠くから聞こえる天使たちの笑い声の中、静かに朝の時間を過ごしていた。
◆◆◆
一日なんてあっという間だ。祐巳は心底そう思った。
(さっきの数学…全然集中できなかったよ)
そして山百合会の仕事の真っ最中である今も集中できていない。この後に控えてる『事』の為に頭がお留守になっていた。そんな祐巳を察してか、志摩子さんが頻りにフォローに入ってくれるのだ。
「…み。祐巳!」
「は、はいっ」
「何ぼさっとしているの。帰るわよ」
周りを見ると皆、帰り支度をしている。黄薔薇姉妹は帰ったようで瞳子と乃梨子ちゃん、お姉さまと志摩子さんがこっちを見ていた。
しかし、祐巳は帰ることはできない。どうしようかと考えあぐねていると志摩子さんが助けてくれた。
「乃梨子。申し訳ないのだけれど先に帰っていて…祥子さま、瞳子ちゃん。祐巳さんとお話がありますので私たちはもう少し残ります」
「そう…わかったわ。でもどういったお話?差し支えなければ教えてほしいのだけど」
「法事のお話です。以前に祐巳さんのご両親からお聞きしたいことがあると。その返答です」
志摩子さんは涼しい顔で話しているけど…嘘も大嘘だ。祐巳はバレやしないかと気が気でない。だけどお姉さまたちはすんなり納得して帰っていった。
「志摩子さん…私、かなり冷や冷やしたよ」
「ふふ…ごめんなさいね。それよりもうすぐ時間なのでしょう?」
「うん――5時半に」
志摩子さんの柔らかい笑顔が真剣なものになる。
「もう行った方がいいんじゃない?あ…もしかしてここでお会いするのかしら?」
「はは…ここしか思いつかなくて」
「そう。なら私はお暇するわね。ゆっくり歩けばバス一本は見送らせることができるから」
そう言ってまた柔らかい笑みを見せてくれる。祐巳はその心遣いが嬉しくて申し訳なくて…何だか居たたまれなくなって思わず志摩子さんの制服の裾を掴んで謝っていた。
「ごめんね」
「祐巳さん…謝らないで。頑張ってね」
志摩子さんは驚いたようだけど、裾を掴んでいた祐巳の手を両手で包んで励ますように頷いた。
「志摩子さん…うん!私、頑張るねっ」
「ええ。それじゃあ、ごきげんよう」
「ごきげんよう。気を付けてね」
ビスケット扉を出る間際、志摩子さんは振り返って言った。胸の前で拳を作って「Fight!」と。
◆◆◆
(恐い…)
志摩子さんが行って5分程しか経っていないのに…祐巳の心臓は鼓動を早めている。拒絶されることへの恐怖が、祐巳を覆いつくさんばかりに心へ広がってきていた。
(どうしよう…もう聖さまが来ちゃう!どうし―)
「ごっきげんよぉ♪」
「ゃんっ!!」
考えていたら突然後ろから耳に息を吹き掛けられた。
「おや〜色っぽい声」
「せ、聖さまっ!」
「あったりー」
迂闊だった…余りの緊張に聖さまが部屋にこそっと入ってきたのに気付きもしなかった。
(そんな登場普通しないよ…ってか近い近い!)
ただ今の祐巳は聖さまに抱き締められた状態。触れ合ったところから聖さまの体温が伝わって、それを意識したことで体が熱くなる。
「待った?」
「い、いえっ。さっき終わったとこですから」
とりあえず祐巳が紅茶を入れて聖さまには座って待っててもらうことにした。
「どうぞ」
「ありがとーね」
「「……」」
居心地の悪い静けさが二人の間に下りる。
(き、気まずいよぉ…何か話さなくっちゃ!)
「ぷっ」
「ふぇ?」
急に聖さまが沈黙を破って吹き出した。そのまま『あはは』と笑い続けている。
「聖さ…ま?」
「――ふぅ。祐巳ちゃん百面相。相変わらずなんだねぇ」
一頻り笑って落ち着いたのか目に浮かんだ涙を拭いながらそう指摘した。まだ半笑いだけど。
恥ずかしくて、つい仏頂面でぷいっと横を向いてしまった。
「ごめんごめん。もう笑わないから。だからこっち向いて?祐巳ちゃん」
聖さまの優しい声が聞こえる。心地よい深みを湛えた声色。
(こういう所が…好き…)
どれだけ祐巳のことをからかって遊んでいても、すごく優しくて暖かい声で名前を呼んでくれる。振り返ると包み込むような穏やかな瞳で見つめてくれる――そんな聖さまに祐巳は惹かれた。
「…今日はお呼び立てしてすみませんでした」
「んーん。気にしなくていいよ。それより話って?」
優しい声のまま祐巳のツインテールを弄ってくる。聖さまは何とも思わないんだろうけど、たったそれだけで祐巳はどうしようもないくらいドキドキするのだ。
「顔、赤いよ?…もしかして告白でもしてくれるとか?」
聖さまは『なーんてね』とか言ってからから笑っている。それが悔しかった。だから言ってやった。
「そうですよ」
「え?」
口を開けたまま聖さまは固まってしまった。また恐怖が沸き上がってくる。それを必死に押さえ付けて聖さまを真っ直ぐに見据えた。
「好きです」
(…言っちゃった)
もう心臓が煩すぎる。体を突き破ってしまいそうだ。
「…本当に?」
擦れ気味の声で聖さまが呟いた。長かった。沈黙が永遠に続くんじゃないかってくらいに。実際はほんの1、2分なんだろうけど。
「はい」
「本…当に、そういう意味で?…私を?」
途切れ途切れに話す聖さまに祐巳は絶望を感じた。すぐに視界が歪んでくる。堪えきれなくなった涙が頬を伝う。
(もともと可能性なんてなかったのに。わかってたのに!何で…涙が…)
「祐巳ちゃ―「いいんです!何も言わないで下さいっ」」
聖さまの言葉を遮り椅子を蹴倒してそのまま部屋を出ていこうとして――出来なかった。聖さまがそうさせてくれなかったから。
祐巳は聖さまに後ろから抱き締められていた。
「嫌っ!離して下さい!」
「祐巳ちゃん!聞いて…違うんだっ」
逃ようと必死になって身を捩るけど聖さまの腕からは抜けれない。
「何が違うんですかっ!」
「私も…私も好きなのっ」
「……え?」
聖さまの言葉に動きが止まる。今、聖さまは何て…
「好きなんだ…祐巳ちゃん。だから君に好きだって言ってもらえて嬉しかった。でも一瞬訳が分からなくて…」
「聖さま…本当に?」
今度は祐巳がそう聞いていた。聖さまは祐巳を抱く手により一層力を込める。
「本当だよ。祐巳ちゃんが好きだ」
さっきとは別の涙が込み上げてくる。
「愛してるよ…祐巳ちゃん」
「聖さまっ…愛してます!私もあなたのことっ」
聖さまに抱き締められて、祐巳も聖さまを抱き締めて…とても幸せな一時。
その幸せに浸っていたら顔を上げさせられた。頬に流れた涙を拭ってくれる。そっと触れる聖さまの指が何だかくすぐったい。祐巳はその感触に目を細めながら呟いた。
「…罪人【つみびと】の未来には何が待っているんでしょうね」
初め不思議そうにしていた聖さまだけど、やがてゆっくりと微笑んだ。
「…例え罪人だったとしても。絶対に未来には幸せが待ってるよ」
「せ――」
名前を呼ぼうとすると何か柔らかいもので塞がれた。それが聖さまの唇だと気付いたのは離れた後。
「……っ!」
何が起こったのか理解して頬が一気に熱くなる。
「カット、なんてもう言わせないよ?」
くすっと笑う聖さま。祐巳の大好きなあの優しい笑顔で。
「…はい」
小さく返事をして祐巳は目を閉じた。もう一度唇が触れる。
二度目のキスはさっきよりもずっと長かった…