【1354】 夢止まらない  (MK 2006-04-19 18:12:09)


「無理じゃないもんっ、令ちゃんのバカッ!」
そう言って、由乃は勢い良く部屋を飛び出して行った。

…どうしてこうなったんだろう。飛び出して行ったドアを焦点の合わない目で見つめながら思い出していた。
さっきまでは仲良くTVを見ていたのに。仲良くアップルパイを食べていたのに。



日曜のお昼過ぎに母と叔母さんが揃って買い物に出かけた後、従妹でありプティスールであり世界で一番好きな人、由乃が遊びに来た。
「令ちゃん、こないだのリンゴでお菓子作るって言ってたよね?」
「うん、もうそろそろ出来るから座って待ってて。」
「はーい。」

オーブンの中を確認していると、待ちきれなくなったお姫様が聞いてくる。
「何作ったの?タルト?ケーキ?」
「パイ。こないだ由乃が駅前の喫茶店で美味しそうに食べてたから。」
「うん。あそこの新しく出来た喫茶店、良かったよね。紅茶もパイに合ってて美味しかった。」
「私も一口だけだけど食べてみたから分かるよ。あの味が出せるといいんだけど。」
「令ちゃんの作ったパイなら大丈夫だって。美味しいに決まってる。」
そう由乃は満面の笑みで返してきた。ああ、幸せだなー……っといけない、いけない。危うくご機嫌の元を焦がすところだった。

「はい、お待たせ。食べてみて。」
アップルティーを添えて由乃の前に出すと、目をきらきらと輝かせて眺めてからスプーンでパイを崩しにかかる。このきらきらが曇らなければいいのだけど…と、固唾を飲んで見守る。

パリパリ、ぱくっ、もぐもぐもぐ、ごくん。

「ん〜〜〜〜〜っ!」
一口目を食べるといきなり由乃が唸った。どきどきどきと心臓が高鳴る。
「ど、どう?」
次の一声までがとても長く感じられた。

「んもう、最高っ!令ちゃん大好きっ!」
さっきの何倍も輝いた笑顔でそう答えた。

くらっ。
思いがけない不意打ちによろめきそうになる。危ない、危ない、ここで倒れたら持ってるアップルティーをぶちまけてしまう。
なんとか席に着いて自分の分にスプーンをつける。うん、美味しい。パイ生地のパリパリ感を残したまま、表面の飴がうまくコーティング出来た。由乃の笑顔も見られたし、苦心した甲斐があったと言うものだ。

「あ、こんな時間なんだ。ねえ、令ちゃん。」
何度もパイの工夫をしていた思い出から、由乃の喜ぶ様子、この後の予定という名の妄想まで移り変わった頃、由乃の声が現実に引き戻した。
「…ああ、ダメだよ由乃ぉ………えっ、何、何?どうしたの、由乃。」
「…何考えてたかは置いとくとして。ちょっと見たいスポーツがあるからTVつけるね。」
「日曜の今の時間って何かあったっけ。ゴルフとか?」
「まあまあ、いいから。令ちゃんも一緒に見よう。」
でも、ゴルフって由乃が好きそうなスポーツじゃないよなと思いながら承諾した。



…それが喧嘩の元になるなんて。ううん、スポーツじゃなくてその後の会話が問題だったのよ。私が思わず口に出しちゃったから。



「すごい勝負だったよね。ドキドキしちゃった。」
TVを見終わった由乃が目をきらきらと輝かせながら言った。さっきのパイの時の笑顔に似ていたのが気にかかったけど、姫のご機嫌は良いに限る。

「あの子、凄かったよねえ。」
「うん、後半のあの場面での勝負に勝つなんて。」
由乃の機嫌がいいと、私の顔も自然とほころぶ。だからだろうか、信号が赤から青に変わったのに気づかなかったのは。

「決めた。私、あの子に会えるように頑張る。」

もしもし、由乃さん。今何とおっしゃられたのですか。…あの子に会えるように頑張る…イコールあの職業に就くと言う事で…。
「えええええ!そんな無茶な。」
「無茶じゃないもん、体力だってついてきたし、それに令ちゃんよりは向いてると思うんだよね。」
「それはそうだと思うけど。由乃だと無謀なことだとも思うんだよね。」
「”由乃だと”って何よ。細やかな気配りが出来ないとでも言うのっ。」
そうなんだよ、とはとても言えず次の説得の言葉を探していると、由乃は続けざまに”なりたい”を連発する。
やれやれと飛んでくる座布団やらクッションやらをあしらいながら口を開く。その時は全く気づきもしなかった。いつもだったら由乃を爆発させるスイッチだって分かるはずなのに。
無茶、無謀と来ればあれだ。

「…無理だと思うんだけどな。その職業に就くのに、今からだと。」


「無理じゃないもん、令ちゃんのバカっ!」


…そして今に至る。もっとも、回想している間に自分でも無意識に片付け、歯磨き、入浴を終わらせたらしく、自室のベッドに伏せているのだが。
きっちり寝着に着替えているのが我ながら律儀だなと頭の片隅で思う。

「無理って言ったのはまずかったなー…。」
由乃だってTVを見た流れで、軽く言ったつもりだったのだろうけど、こっちが強く反対したものだからサイドブレーキを外してアクセルを踏み込んだのだろう。
昔の名残で、由乃が突拍子も無いことを言ったり挑戦したりしようとすると、反射的に反対の気持ちが出て来る。今回は気が緩んでいたために、口を衝いて出てしまった。
「まあ、一晩経てば考え直すだろうし…。」
強く反対してしまったのはこちらが悪かった。もう少し変化球でいけば良かったのかも知れない。
「例えばどうやってなるつもりなの…とか。」
そういえば、どうやったらあの職業に就けるのだろうか。野球やサッカーみたいに学生時代から実力を示せる場所みたいなものがあるのだろうか。
そんな事を考えていると、少しは気が楽になってきた。
「明日、謝ろう…。」
最初は軽い気持ちで言ったのに、お互い熱くなってしまった。なんでかな…と思っている内に意識は闇に溶け込んでいった。



「令ちゃんのバカ…。別に本気でなろうなんて思ってないのに。」
TVでの興奮そのままに言ってしまっただけのこと。それなのに令ちゃんと来たら…。
「無茶、無謀、無理だなんて続けざまに言ってくれちゃってさ。バカなんだから。」
昔から令ちゃんは、由乃が突然の思いつきで行動しようとすると護るように反対してたっけ。令ちゃんが由乃のことを大切に思ってくれていることは分かるんだけど…。
「前に進みたいって体だって言ってるのよ。それを頭ごなしに反対しちゃって、あの職業になりたいって言っただけなのに。」
そういえば、どうやったらあの職業になれるのだろう。どこか専門の学校みたいなのがあるのだろうか…。
そんな事を考えていると、未知な職業に反対する令ちゃんの気持ちが少しだけ分かったような気がした。
「明日、謝ろうかな。」
最初は軽い気持ちで言ったのに、お互い熱くなってしまった。なんでかな…と思っている内に意識は闇に溶け込んでいった。

翌朝、靴を履いて外に出ると門の前で令ちゃんが待っていた。いつものことではあるけど。
挨拶だけ交わして、後は無言で並んで歩き出す。お互い喧嘩してたってことは他の家族には知られたくないものだ。
家から少し離れて、もういいかなって頃に声をかける。
「令ちゃん。」
「由乃。」
「ごめんね。」
「ごめん。」

…まあ、予想はしていたことだけど。ここまで被るなんて。お互い顔をしばらく見つめあった後、堪え切れず吹き出した。ひとしきり笑った後、令ちゃんを軽く睨む。もちろん、照れ隠しに。
「…令ちゃんが強く反対しなきゃ、楽しいお茶会で終わったのに。」
「ごめんってば。でも由乃もいきなりあんなこと言うから…。」
「憧れる位いいじゃないっ。スポーツ選手にだってなれるかも知れないのに。」
「でも結構見た目よりキツそうだよ。そりゃ、由乃の方が合ってるかも知れないけどさ。」
合ってると言われて、少し良い気分になる。でも、それが令ちゃんに知られるのも癪だから、少し難題を吹っかけてみる。
「令ちゃんに反対されて、由乃の未来への道が一つ閉ざされました。よって令ちゃんに次の日曜日にやってもらいたいことがありますっ。」
びっと人差し指を真っ直ぐに伸ばして令ちゃんに宣言する。いや、宣告かも知れない。難題なのだから。
「な、なに?由乃。」
予想通り、目に見えてうろたえている令ちゃん。…でも、考えてみたら令ちゃんにとっては難題でもなんでもないかな。多分、余裕でこなしちゃう。私の知ってる令ちゃんなら、「いいよ」ってあっさり言っちゃう。でも、取り下げたりはしないからね。

「次の日曜日、リンゴのフルコースを所望します。アップルパイはもちろん、タルトやケーキも用意するようにっ。」
宣言終わり。
よっぽど無茶なことを言われると思ったらしく、令ちゃんは少し戸惑っているようだ。ひょっとしたら、脳が理解するまで時間がかかっているのかも知れない。
そんな令ちゃんが無謀なことをするように仕向けるなんて無理、無理。だって…。

「…いいよ、それ位なら。あ、でもリンゴ足りるかな。」
やっと脳が理解出来たらしく、にっこりと笑って返事が返ってきた。
ほらね。私の知ってる令ちゃんならあっさりとOKすると思ってた。まあ、難題を吹っかけるなんて、この状況で出来る訳ないじゃない。だって大好きな人と仲直りしたばっかりなんだから。

「足りなきゃ、ウチのも使ってよ。結構余ってたから。」
そう言いながら、仲直りの印に令ちゃんの手をきゅっと握る。従姉でありグランスールであり世界で一番大好きな人の手を。

朝日が眩しかった。




「そういえばさ、令ちゃん。」
「何?」
「ジョッキーってどうやってなるのかな?」
「…さあ。」
「あの子に会いたいなー…。」
「牧場とかなら会えるんじゃない?ヨシノイチバンボシ。」


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