【1365】 あなたに捧げたい本当は  (MK 2006-04-21 18:52:08)


「令ちゃーん。待ってよー。」
 それはまだ由乃が体が弱かった頃、令ちゃんが連れて来てくれた秘密の場所。由乃にとっては遠い遠い昔のことのように思える思い出。



 正月が明けて新学期が始まってからの日曜日、本当は令ちゃんと出かけようかと思っていたけど、受験勉強を頑張っていると伯母さまから聞いていたので、久しぶりに菜々に会いたいなと電話で呼び出してみた。
 別に代わりと言う訳ではなくて、意識的に会ってないと離れてしまう気がして。それに実際、冬休み以来会ってない訳だし。

「いいですよ。それでどこに待ち合わせましょうか。」
 やった。と、電話口でガッツポーズをしたらお母さんに白い目で見られた。
 いけない、いけない。この程度で喜んでいては。菜々はまだ由乃にそれほど興味を抱
いている訳ではないのだ。そう、自分に言い聞かせたら少し哀しくなった。
「それじゃ、M駅前に11時に。あ、自転車持ってるよね?」
「はい、勿論持ってますけど?」
「それじゃ、自転車で。少し行ってみたい所があるから。あ、場所は会ってからね。」
「はい、では後ほど。」

 受話器を置いてから、ふうっとため息を吐く。
「なあに?そんな大きなため息して。」
 そうお母さんは笑いながら指摘した。なんでもない、と言う様に手をひらひらさせると部屋に向かった。
 なんでもない訳はないんだけどね。ただ、悪い意味で緊張していた訳じゃなくて緊張が心地いい感じなんだ、と由乃は思った。祐巳さんや志摩子さんみたいな気の置けない関係も好きだけど、こうやって緊張するのも相手に嫌われたくないからであって悪いことではないんだ、と。

 さて、どうしよう。部屋に行ってから少し途方に暮れた。令ちゃんと一緒に出かける服の用意はしていた。でも、菜々に会うのに、同じ服でいいのかな。少し考えて、動きやすいジーンズに足を通した。令ちゃん用はクローゼットに仕舞っておく。
「まあ、自転車だしね。」
 相手によって、服を変えるのは態度を変えるのと同じかなと、ふと考えてみる。由乃らしくないと言えばらしくないんだけど、これもやっぱり相手に嫌われたくないから。ううん、好かれたいからに他ならない。

「行ってきます。」
 そう告げると自転車に足をかける。年末に令ちゃんのと一緒に自転車が壊れちゃったので、お父さんが二人に買ってくれたものだ。うん、「壊れちゃった」で合ってると思う。…多分。



 腕時計を見ながら自転車を走らせる。10時半。もうすぐ着くから20分位は待つことになりそうだけど、早すぎるってことはないよね。
 ちらっとだけ、菜々が早めに来て待ってる図を想像してみる。菜々は由乃にそんなに興味ないとは言っても、真面目なんだし待ってそうではあるんだけど。でも、緊張はしてないんだろうな、とクリスマスの時を思い出して少しだけ落ち込んだ。

「ごきげんよう、由乃さま。お早いんですね。」
 いや、期待してたけど。でも30分前から待つ程、早くは来ないとも思っていた訳で。
実際、菜々を見たら先ほどの暗い気持ちは吹き飛んで、ちょっとだけ涙ぐんだりしたりして。挨拶を忘れるくらい、ほんのちょっとだけフリーズした。ほんのちょっとだけ。

「由乃さま?」
 そんな由乃の様子を不思議に思ったのか、菜々が顔を覗き込んできた。いけない、いけない。解凍しかかってた所を、またフリーズするところだった。多分、顔赤くなってるんじゃないかな。何か、一月の割には顔が熱いし。

「ごきげんよう、菜々。」
 努めてお姉さまらしく笑ってみる。お手本は祥子さま。志摩子さんスマイルもいいんだけど、その、何と言うか何となく照れくさかったから。令ちゃんは問題外。きっと自分にもフィルターかかってるんじゃないかな、と何となく思ったから。その「何となく」に今日は従ってみることにした。
「ごきげんよう、由乃さま。今日はどちらに連れて行って頂けるのですか?」
 きらきらと輝く瞳で見つめてくる菜々。「何となく」は正解だったらしい。
 それにしても、多分「冒険」を求めている好奇心からの「きらきら」なんだろうけど、その「きらきら」が自分に向いているのかな、と内心期待している自分がいるのが…。

「そうね、とりあえずお昼ご飯をコンビニで買ってから自転車で出かけましょう。」
 誘ったのはこっちなのだから、主導権を戻さないと。そっちも本音ではあるけれど、少しだけ時間が欲しかった。
 菜々を前にするだけで、いつもの調子じゃいられないなんて。これじゃ、令ちゃんのことをとやかく言えやしない。由乃がそんな調子なのに、菜々は至って普通なのだ。妹(候補)ってずるい、と由乃は自分のことを棚に上げて思った。



 今回のお出かけは、今朝思いついたこととは言え、目的地は既に決めてあった。もっとも、待ち合わせに来る途中に決心を固めたことなので今朝思いついたのと変わりはないかも知れない。
「ここから自転車で20分くらいの神社なんだけどいい?」
「神社…ですか?はい、いいですよ。」
 菜々はちょっとだけ小首をかしげた後頷いた。まあ、カトリックの学校に通ってる高校と中学の女の子が行くところじゃないよね。でも菜々を連れて行きたかったのは本当。菜々がそこに行って喜んでくれるとは限らないけれど、どういう反応をしてくれるのか見てみたい。いつの間にか緊張よりも菜々に対する好奇心が勝っていた。


「ちょっと肌寒いねー。」
「…う……し………し……よ……ですー。」
 菜々が呻いている訳ではない。風が吹いているのと、由乃しか道を知らないが為に縦列で走らなければならないので、後ろを走る菜々の声が聞き取り辛いのである。
(これじゃつまんないじゃない。誤算だったわ。)
 由乃は菜々と並んでおしゃべりしながら向かいたかった。それなのに、こういうことになるなんて。と、そこまで後悔して菜々もつまらないと思ってるんじゃないかな、と思い至った。
(まずい、まずい、まずい、まずい。)
 焦るといい考えは浮かばないものである。後で考えてみれば、方向を口で指示しながら並んで走れば良かったのだけど。その為に、一度は回復した気持ちが沈んでいくのが分かった。


 そのまま目的地に着いたものだから、由乃はかなり焦っていた。神社に着くなり、菜々に話しかける。
「ごめんね、風吹いてたから聞こえなくて。」
 目頭がツンと痛いのは寒いからだけではないだろう。多分、顔が真っ赤で涙ぐんでて、みっともないに違いない。なのに、菜々ときたら。
「はい、そうじゃないかなと思ってました。でも、由乃さまがどんな所に連れて行って下さるのか考えるのは楽しかったですよ。」
 そうにっこり笑って言うのだから、由乃の目頭の痛みは増してしまった。でも、菜々が折角フォローしてくれている(様に感じた)ので涙は流さないようにした。

「ありがと。きっと気に入る場所だと思うよ。」
 そう由乃は精一杯の笑顔と共に菜々に返したのだった。



「菜々。こっち、こっち。」
 気を取り直した由乃は、菜々を神社の一角に案内した。そこは以前、令ちゃんが由乃を連れて来てくれた、言わば二人だけの秘密の場所だった。そこを菜々に見せたかった。そして、令ちゃんと過ごした景色を、空気を、菜々に感じて貰いたかった。

「この裏なんだよね。」
 そう言いながら、知らず知らず歩みが速くなっていた。菜々に見せたい。由乃も元気になってからは初めてだ。菜々と一緒にその空気を肌で感じたい。そう、体も叫んでいるようであった。
 最後の社の横の藪が険しくて、通るのが大変だったけど。待っている景色を思い浮かべて先へと進んでいく。

 令ちゃんが教えてくれた秘密の場所。そこには早咲きの梅の木がある。鮮やかな黄色の花をつけた梅の花が。



「…あれ?」
 果たして、そこには梅の花はなかった。


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