【No:1286】→【No:1288】→【No:1291】→【No:1297】→【No:1298】の続き
昼休み、薔薇の館に来ると、祐巳さまが一人で椅子に座っていた。
「祐巳さま、お一人ですか?珍しいですね」
いつも瞳子が傍にいるのに。
それに、なんだか元気が無い。
「お茶、淹れて貰える?」
自分で動く気力も無いようだ。
いつもの黒さが影を潜めている。
そのせいでこちらの調子まで狂ってしまう。
いや、待て、それっていい事なのでは?
ずいぶんと毒されてきたような気がする。
「いいですよ」
「お願い」
頼まれてお茶を淹れていると、
「お腹空いた……」
祐巳さまがぽつりと呟く。
「あの、お弁当は?」
見てみると、確かに祐巳さまの前にお弁当は無い。
「朝、鞄に入れて持ってきたんだけど」
「けど?」
まさか本当は忘れてたとか?
「授業中に食べた」
「それなら無いのは当たり前です」
まさか、リリアンでも早弁する生徒がいるとは思わなかった。
さすが祐巳さま。
「……分けましょうか?」
「ううん、いい。今、パンを買いに行ってるから」
「祐巳さまがここにいるのにですか?」
「瞳子が」
パシリかよっ!
「ちゃんと代価は払ったから」
普通に心を読むのは止めて下さい。
それと、黒さは健在のようですね。
「考えてることが顔に出てるわよ」
そうですか……。
「ところで、代価って?」
「熱い口付け」
それなら瞳子は喜んで買いに行ったでしょうね。
「お腹減ったー」
ぐてーっと、上半身を前に倒して机にもたれている祐巳さまを尻目に、私はお弁当の蓋を開ける。
やはり普通のお弁当はいい。
この間食べさせられた、祐巳さま特製『砂糖漬け弁当』は凄かった。
見た目の美しさとは裏腹に、凶悪なまでの甘ったるさ。
確実に死への階段を二段飛ばしくらいで駆け上がったと思う。
途中から何を食べているのか分からなくなって、最後の辺りは意識が飛んでたし。
志摩子さんは微笑んでるだけだし。
瞳子は止めてくれないし。
由乃さまは笑ってるし。
菜々さんは知らん顔してたし。
そんな事を思っていると、こちらを見ずに祐巳さまが尋ねてきた。
「今日、志摩子さんは?」
「同じ学年の祐巳さまが何故知らないのか気になりますが、風邪でお休みです」
というか、その事を朝の会議の時にみんなの前で伝えましたよ。
祐巳さまもその場にいたじゃないですか。
「あー、朝は弱いのよ」
そうでした?
「紅薔薇の伝統なの」
嘘だ。絶対、嘘だ。
「ところで乃梨子ちゃん、さっきから何してるの?」
なんでこっちを全く見てないのに分かるんだろう?
「どうぞ」
お弁当の蓋の裏に置いた幾つかのおかずを蓋ごと差し出した。
「いいの?」
「祐巳さまの為にわざわざ取り分けたんですから、どうぞ」
「ありがとう」
こういう時の祐巳さまって素直でかわいいと思う。
見ていると祐巳さまが可愛らしく小さく口を開いた。
「あーん」
小さくて桜色の唇、可愛いなぁ……って、待て。
「何をしているんですか?」
どういう事か分かるけど尋ねてみる。
「食べさせてくれないの?」
「この間、瞳子と仲直りしたのに、また誤解されてあんな事になったらどうしてくれるんですか?」
道端に落ちているガムでも見るかのような目で私を見る瞳子に、私は涙を流しましたよ?
「でも仲直りできたでしょ?」
確かにそうですけど。
「それに私とイイ事できたでしょ?」
「ここで言うな」
『仲直り大作戦(略)』を祐巳さまと一緒に実行している時に色々とありましたからね。
瞳子と仲直りするために、あの恐怖のお弁当を食べたんだし。
何故、瞳子と仲直りするのに、祐巳さまがその場を仕切っていたのか気になりますが。
まぁ、瞳子は祐巳さまの為ならなんでもするし。
普通に仲直りさせてくれれば良かったのに、と思ったけど、祐巳さまだし。
それにしても、祐巳さまの唇、柔らかかったなぁ……。
瞳子は今日、して貰ってるんだよね?
う、羨ましい。
って、これでは変態さんじゃないか。
だいたい、誰かに聞かれたらどうするんですか?
「近くに人はいないから大丈夫」
だから、人の心を読まないで。
「それよりも、あーん」
「……」
溜息をついてから箸に手を伸ばす。
「卵焼きでいいですか?」
「うん」
「はい、あーん」
ぱくっと祐巳さまが卵焼きを食べる。
本当に可愛いなぁ。
でも、それと同時に罪悪感が……。
志摩子さん、ごめんなさい。
あと、
「箸を舐めるのは止めて下さい」
「大丈夫、私は気にしないから」
私が気にします。
「それと、志摩子さんなら問題ないから」
「?」
「志摩子さんは、とても美味しかったわ」
手を合わせる祐巳さま。
思わず立ち上がる。
「た、食べちゃった、ですか!?」
なんか変な喋り方になったけど気にしない。
それよりも、しょ、衝撃の新事実!
まさか、二人の仲が悪いのは痴情の縺れ!?
「大丈夫。少し齧った程度。乃梨子ちゃんの分は残してあるから」
「いや、大丈夫?大丈夫って、え?本当に大丈夫なの?」
「落ち着け、変態」
「変態ゆーな!それよりも志摩子さんを……って、本当ですか?」
色々とあったのよ、と祐巳さまは言った。
その顔が寂しそうだったのは、祐巳さま得意の百面相だったのだろうか?
それとも……。
「お腹空いた」
「さっき食べたじゃないですか」
全部、私が『あーん』って食べさせてあげましたよ?
確かに量は少なかったですが。
どうせなら、祐巳さまからも『あーん』って食べさせて欲しかったです。
祐巳さま、今は本当に動く気力(むしろ体力?)が無いんですね。
「それにしても、瞳子ってば遅い」
「そういえばそうですね」
あれから二十分も経ってます。
いくらなんでも遅すぎると思う。
「あー。もしかしてやられたかな?」
机の上に胸から上をうつ伏せて顔を横に向けたまま、だるそうに祐巳さまが言う。
「何をですか?」
「志摩子さんに」
「え?」
志摩子さん?
何故にここで志摩子さん?
「風邪なんて嘘だったかも」
「まさか、志摩子さんに限って……」
呟くように言うと、祐巳さまは不敵な微笑を浮かべた。
……のだろう、多分。
ここからは見えないし。
「甘い。私の特製弁当よりも甘いわ乃梨子ちゃん。志摩子さんならやるわ」
アレより甘いとか言われた私って……。
「いや、ですが志摩子さんですよ?」
桜の妖精。
私のマリア様。
まるで天使のような「悪魔め」。
「心の中で志摩子さんを美しく称えている時に、変なところでセリフを被せないで下さい」
わざとだとは思いますが。
まぁ、確かに多少黒いのは認めます。
でも、志摩子さんは祐巳さまよりも黒くないです。
「きっと、どこかに隠れていたのね。そして瞳子が一人になる所を待っていた。やるわね志摩子さん」
「それよりも、志摩子さんが絡んでいると分かったのなら、瞳子を助けに行ったらどうなんですか」
それが合ってるかどうかは知りませんが。
「動くの面倒」
この人はすごい大物だっ!
「って、そんな事を思うはずがないでしょうが!」
「乃梨子ちゃん、大丈夫?」
なんでこういう時だけ、心を読んでくれないんですか?
「時間中に瞳子が戻って来るのはムリかな」
「志摩子さんが絡んでいるのが事実ならムリでしょうね」
「じゃあ、こっちはこっちでイチャイチャする?」
どこかで志摩子さんも瞳子に手を出してるだろうし、と祐巳さまが続けた。
それよりも、お腹は大丈夫なんですか?
「乃梨子ちゃんを食べるから大丈夫」
「私を食べようとしないで下さい」
それでも食べたい、と言うのなら、やさしくお願いします。
「だって、瞳子に頼んだチョココロネが来ないし」
マテ。
今、なんて言った?
瞳子にチョココロネ?
「祐巳さま、瞳子は……」
「私の払った代価のお陰で、夢うつつでミルクホールまで行って、そこで我に返って、
頼まれた物が何だったかに気付いてショックを受けてるかもね」
「瞳子が可哀相です」
「私は面白い」
「さっきの志摩子さん云々は?」
「嘘に決まってるでしょ?」
こ、この…………。
視線で話し掛ける。
『ぶっ飛ばしてもいいですか?』
視線が返ってきた。
『死にたければどうぞ』
ぐっと拳を握って席を立つ。
これまでで一番の笑顔で一言。
「お茶、飲みます?」
「お願いするわ」
我が身が一番大事です。
「今日はいい天気ですね」
「うぅ、お腹空いた……。瞳子が帰ってきたら、あの縦ロールを食べてやろうかしら?」
確かに似てますけど、それやると瞳子、本気で泣きますよ?
まぁ、兎にも角にも、
リリアンは今日も概ね平和です。
――その頃――
「マズイですわ」
夢うつつでミルクホールまで来たのはいいのですが、
我に返った時に何を頼まれていたのかを思い出して、更にショックを受けていました。
まさかチョココロネを頼まれていたとは……。
あまりのショックに、その場所に固まって立ち尽くしていたので、
なんとかこちらの世界に帰ってきた時には既に売り切れていました……。
でも、アレです。
お姉さまがチョココロネ。
これは遠回しに、私を食べたいと言っているに違いないんです。
ですから、私はお姉さまの想いに応えなければなりません。
自分の髪の先端を引っ張ってみる。
ビョン。
ビョーン。
ビュイーン。
なんだか、周りにいる皆さんが私に注目しているようですが、それどころではありません。
相変わらず、素晴らしい手触りと弾力と回転(?)です。
これならきっと、お姉さまに満足して頂けるに違いありません。
決めました。
私は売店の方に話し掛けます。
「すみません、ハサミを下さい」
ミルクホールにいた皆さんに全力で止められましたわ。