【1461】 由乃と傷だらけの天使達  (C.TOE 2006-05-11 01:26:51)


冬休みに入ってすぐ、朝早くに由乃がやって来た。

「とにかくいいから来て」

用件も言わずに由乃が強引に家から連れ出す。
こういう時はたいていろくでもない用件なのだが、なぜかほいほい付いて行ってしまう。
家から出て・・・家からは出たが、敷地からは出なかった。連れて行かれた先は・・・家の自転車小屋。

「えーと、なに?」
「なにって、見ればわかるでしょ。これよ、これ」

そう言いながら令の自転車をバンバン叩く。

「自転車に乗りたいの?」
「令ちゃん、わかってて言ってる?」

由乃は自転車に乗れない。
学校は歩いて十分のところにある。
元々病弱という事もあって、ほとんど出歩かない。
病院に行く時は車。
自転車に乗る必要が無いまま、今に至ってしまった。
それが突然自転車に乗りたいというのはどういう風の吹き回しだろう。
・・・単に、出歩けるようになったからその移動手段が欲しくなっただけ、と気付くのにそれほど時間はかからなかったが。



「令ちゃん、しっかり支えててよ」
「大丈夫だって」

令は後ろの荷台部分を押さえながら言う。
由乃が脚に力を入れて漕ぎ出す。が、すぐにふらふら、どうにも危なっかしい。バランスが全くとれていない。

高校生になってから自転車の練習というのは、どうなのだろうか。
初等部三年の時、それまで自転車に乗れなかったので乗る練習をした友人を知っているが、かなり苦労したようだ。こういうものは体で覚えるものなので、大きくなると難しくなってしまうという話を聞いた事がある。

「うわっ、うわっ、うわっ」
「バランスをとって」

さすがに自転車+由乃を手だけで支えるのはかなり厳しい。それも後ろの荷台部分で。
令は方法を変えてみる事にしたが、

「由乃、私に頼っちゃ駄目だよ」
「そんなこと言ったって」

令は後ろから横に移動し、ハンドルの左側を支える事にした。しかし由乃が令側に重心を傾け、一人でバランスを支えようとしないのだ。

後ろも駄目、横も駄目、前は邪魔なので論外、令は苦戦しながらも支えていると、由乃の乗った自転車はふらふらしながらも前に進むようになった。まだかなり危なっかしいが。

「令ちゃん、このまま学校まで行きましょ」
「え!?駄目だよ!まともに曲がれもしないのに!」
「大丈夫よ!こういうのは乗りながら覚えていくものよ!」

由乃の言ってる事は正しいが、それは公園とか安全な場所での話。まあ、この辺りはそんなに交通量が多くないから安全だと思うけど。
学校まで歩いて約八分、自転車なら・・・今の由乃でも五分もあれば充分に着く。
由乃にとって学校は第一目標だったようだ。よく知ってる道だし、距離も手頃だし。
などと考えながら、由乃の自転車の隣を走って付いて行く。

「もう着くわね」
「由乃、横見てると危ないよ」

そう言って視線を正面に戻した時だった。

「猫!?どきなさい!ああっー!!」
「由乃ー!?」





令と由乃が互いを見た時に電柱の陰から猫が出て来た。
とっさに由乃はハンドルをきり、猫を避けたが自転車は見事に電柱と衝突。
由乃はとっさに飛び降りた、というよりは遠心力と慣性で放り出された。
それを令がとっさに受け止めた。
令はお尻を打ち手に擦り傷数カ所。軽装の夏だったらこの程度では済まなかっただろう。
猫は少し離れた場所で前足を舐めている。接触したようには見えなかったが、令には単に毛繕いをしているのか傷を舐めているのかの区別はつかない。
そして由乃は無傷。

由乃が無傷だったのは受け止めたのが令だったから。
令がかすり傷で済んだのは受け止められたのが由乃だったから。

心臓が悪かったのは由乃だが、令は何度も心臓に悪い思いをしている。
由乃が良くなった今でも、あまり状況は変わっていない。

「えーと、令ちゃん―」

由乃がもじもじしている。いつもイケイケ青信号の由乃にしては珍しい。

「いまのランチじゃなかった?」

令に受け止められたままの由乃が話しかけてきた。
昔に比べれば丈夫になったとはいえ、華奢というのは変わらない。

「ランチ?・・・ああ、メリーさんのこと。・・・そうだったかな?」

たしかに黒っぽい猫だったが、メリーさんかどうかわからない。そんなに注意深く観察したわけで無いし、既に立ち去って確認できないから。

「そう・・・あの・・・」

いつになく神妙な由乃。令が気付かなかっただけで、ひょっとして脚でも捻挫したのだろうか?

「よ、由乃?」
「次はランチが避けられるようになるから」
「う、うん?」



「ごめん、令ちゃん」

由乃は令に受け止められたまま謝った。
令はそっと由乃を抱きしめた。
華奢な由乃万歳。



壊れた自転車を引っ張って、家に帰る。
二人とも口を利かない。
こういう事は初めてではないが、今日はおまけがあった。今までは“壊れた自転車”のような物質的なものは無かった。これも由乃が元気になった証拠、と令はあきらめる事にした。

自転車を小屋に置くと、島津家に行き報告。由乃は令の傷の事は触れずに自転車の事だけを報告した。令も黙っていた。わざわざ言うほどの怪我ではないから。

叔父さんは二つ返事で新調を了承してくれた。
「由乃が自転車に乗れた」と言いながら叔父さんは泣いて喜んでいたが・・・叔父さん、泣くところが少し違います。というか、まだ安全に乗れるようになっていません。
叔母さんは、嬉しいような困ったような複雑な表情をしながらも、令と由乃の分の自転車を新調してくれた。叔母さんの「財政緊急出動につき、あなたのおこずかいカット」の台詞に叔父さんは本当に泣いていたが。



自転車店でそれぞれ気に入った自転車を見繕うと、店の小父さんが由乃の特訓をしてくれる事になった。この小父さんは令が自転車の修理をしてもらいに行くといつでも嫌な顔一つせずに修理してくれる親切な人だ。
小父さんは「自転車に乗れない人間に自転車を売って事故られでもしたら自転車が可哀想だ」と言っていたが、令にとっては正直ありがたかった。

特訓といってもこの小父さん、由乃の自転車のペダルを外してしばらく乗りまわすように言っただけ。由乃は何か言いたそうな顔をしていたが、黙って言われたとおりペダルの無い自転車に乗っていた。ちなみに推力は自分の脚。足で地面を蹴って前に進むという、何の特訓だかよくわからない方法。令もわけもわからず付き添っていた。
15分ほどして小父さんが自転車にペダルを付けた。令も由乃も半信半疑だったが、事故前と比べると信じられないほど上達していた。小父さんによると、初心者はペダルを漕いで進む事を優先して気をとられてしまい、バランスをとる努力を知らないうちに後回しにしてしまっているという。だからペダルを外して漕げないようにしておいて、自転車の重さを体に覚えさせる。それだけで自転車を含めたバランスのとり方を覚えるというのだ。
令はこれは将来役に立つと思い、更に質問する。小父さんも快く答えてくれる。その間に由乃はかなり上手になったようだ。



そして二日後。
買物から帰って来て、何気なく郵便受けを見ると、令宛に封書が来ていた。差出人を見ると、祥子の名前。
こんな時期に祥子が令宛に封書とはどういう事だろうか。何か用事があるなら、電話か直接会って話すと思うのだが。そう思いながら家に入ると。

「令ちゃん、これ見た?」

由乃がまた来ていた。なにやらカードを持って。
帰って来て早々「これ見た?」と言われるのもちょっとなぁと思いながら、由乃のカードを受け取る。

見ると、祥子からの招待状だった。新年会のお誘い。由乃に来てるという事は、この封筒には令宛の分が入っているのだろう。
玄関で立ち話を続けるわけにもいかないので、とりあえず自分の部屋に向かい、中を確認した。

「やっぱり同じか」

封書を開けて中身を確認した由乃がつぶやく。
由乃は既に祐巳ちゃんに電話をかけていろいろ聞いていた。山百合会のメンバーが誘われているらしい。
清子小母さまの事だから、特に用意するものは無いと思うけど、後で祥子に確認しておいたほうが良いだろう。とはいえ、手ぶらでお邪魔するわけにもいかないから何か持って行った方が良いのはたしか。

「ところで、駅伝はいいの?」

令は気になっていた事を由乃に聞いた。去年、あれほど直に見て応援したいと騒いでいた箱根駅伝。今年は、いや来年か、見に行かないのだろうか。

「もういい。ていうか、小笠原家の新年会のほうが良い」

由乃の答えはあっさりしたものだった。
令は、相変わらず由乃に振りまわされたまま年を越すのだなーと思いながら二、三打ち合わせした。
祥子の家には自転車で行く事になった。
由乃、自転車で行く気なんだ。まあ、それが一番安上がりで早いんだけど。本当に安上がりかどうかは別として。いや、安上がりにするためにもう少し練習させたほうが良いのかな。今度は自転車だけで済まない可能性があるんだし。



そして一月二日。
無事、由乃と二人、何事も無く祥子の家の駐車スペースに二台の自転車を停める事が出来た。


そこで思い出した叔母さんの台詞

「遠足は、家に帰るまでが遠足」

帰りも無事故でありますように。


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