【1467】 ようやく実力を発揮  (翠 2006-05-13 01:24:29)


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それは、突然のことだった。
いつものように、みんなで仕事をしていた時のこと。
隣の志摩子さんに消しゴムを貸して貰いつつ、その横顔にぽ〜っと私が見惚れていると、
突然、祐巳さまが椅子を蹴ってバク転を開始。
呆気に取られる私たちの前で、そのまま四回転ほどして、
壁にぴったりと張り付いたままこちらを向いて動かなくなった。
遂におかしくなってしまわれた……。
悲しく思っていると、いきなり私の隣の志摩子さんが椅子を蹴って飛んだ。
机を飛び越して向こう側に着地、そこから再び跳躍。
たった二歩で壁際まで飛び、祐巳さまと同じように壁に張り付いたままこちらを向いて動きを止める。
し、志摩子さんまでおかしくなった……。
私が大ダメージを受けていると、二人の奇怪な行動を見た由乃さまが額から汗を流しながら尋ねる。
「え、ええっと……、どうしたの二人とも?」
志摩子さん達は答えない。
ただ、首を振るばかりでいつまで経っても答えなかった。
そんな二人に腹を立てた由乃さまが椅子から立ち上がり、怒鳴ろうとした瞬間、
今度は瞳子と可南子が椅子を蹴って同時に飛んだ。
二人して見事な後方宙返り二回ひねりを決めると、志摩子さんたちと同じように壁にくっついて、
こちらを凄い目で見てくる。
二人はそれら一連の行動を全て同時に行った。
ある意味凄かったけど、ある意味で怖くもあった。
隣を見ると、由乃さまが険しい表情と目で四人を見ている。
「なんなのよ、もう!」
と、怒鳴り散らす由乃さまの隣で、菜々さんが椅子から立ち上がった。
強張った表情で志摩子さんたちの方へと向かい始める。
「ちょ、ちょっと菜々?」
流石に由乃さまが慌てた。
まさか菜々さんまでおかしくなった?
菜々さんはそのまま壁際まで歩いていくと、先の四人と同じようにこちらを向いて動きを止めた。
ん?
「いったいなんなのよ?」
「由乃さま……」
腕を組んで志摩子さん達を睨んでいる由乃さまに話し掛ける。
「どうしたの、乃梨子ちゃん?」
「いえ、みなさんの目が気になって……」
「目?」
由乃さまが五人のいる方に目を向ける。
みんなは一様にこちらを見ている。
どこを見ている?
「……」
「……」
由乃さまも気付いたらしい。
「あの、なんだか非常に嫌な予感がします」
「奇遇ね。私もよ」
みんなが見ているのは……。
恐る恐る、私と由乃さまは後ろへと振り向いた。
そこに、ヤツがいた。
壁にくっついていた。
黒くて早くて凄いヤツ。
ごくり、と唾を飲んだ。
隣の由乃さまは完全に固まってしまっている。
慎重に動こう。
刺激を与えてヤツに逃げられてはダメだ。
対策を練って、できるだけ速やかに跡形もなくヤツを消去しなければならない。
そっと隣の由乃さまに呼びかける。
「由乃さま、ここは静かに行動し「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」」
叫び、その場から反転して、机の角で腰を強かに打ち付けて逃げていく由乃さま。
ものすごく痛そうだったけど、一人で逃げ出したのだから、いい気味だと思った。
!!
カサカサ……。
ヤツが動いた。
思わず全身に力が入る。
ダメだ!動くな!
今、私まで動いてしまったらヤツを見失ってしまう。
それだけは避けたい。
本能のままに逃げようとする体を無理やり精神力で抑え付けた。
そのままヤツの一挙一動を注視する。
僅かなスキさえ逃しはしない。
大丈夫、ヤツが飛ぶにはこの時期、湿度が足りない。
奇襲はない!
私の後方でみんなの声がする。
「乃梨子、頑張って!」
志摩子さん声だ。
それだけで勇気が沸いてきた。
私の勇姿を見ていてください!
「と、とう……こ」
「な、なん……、です?」
祐巳さまと瞳子の震える声。
祐巳さまって、アレが苦手だったんですね。
まぁ、私も得意じゃないですが……。
「あ、アレをやっつけて」
「な、何を言って……」
「い、一日……、わ、私を好きにしても……、いいから」
「そ、そんな……。いえ、ですが……。ああっ、私は、私はどうすればっ!?」
瞳子が本気で悩んでる。
でもさ、私がやっつけるから瞳子は来なくてもいいよ。
というか、来ても邪魔にしかならないだろうから。
ところで、ヤツを始末したら祐巳さまを一日私の好きにさせてくれるんですよね?
「い、いいわよ」
「お、お姉さまっ!?ちょっと乃梨子さんっ、どういうつもりですか!?」
祐巳さまの位置からは私の顔は見えないはずなのに、なんで考えてる事が分かるんだろう?
瞳子も分かってるようだし……。
多分、可南子も分かってると思う。
「来たわー、ヤツが来たわー。テカってるー、あはははは」
……それどころではないみたいだけど。
ええっと、とにかく紅薔薇姉妹は本当に謎だと思う。
まぁ今はそれは置いといて、折角祐巳さまが約束してくれたんだし、精一杯頑張るとしよう。
でも、何か叩くものがないと。
チラリと辺りに視線を走らせると、由乃さまの竹刀が視界に入った。
どうしようか?
「乃梨子ちゃんっ!それは許さないわよ!」
竹刀を見つめながら悩んでいると、そう釘をさしてくる。
でも、由乃さまが一人だけ先に逃げた事を私は忘れてはいない。
やっちゃおうか?
と、本気で考えていると菜々さんが言ってきた。
「ちょうどいい物が私の鞄の中にあるので使ってください」
菜々さんは大分落ち着いているようだけど、こちらには近付こうとしない。
やはり苦手なのだろう。
それよりも、今は……。
視線はヤツに固定したまま、そっと体を移動させる。
ピクッ!
私の動く気配を察したのか、ヤツが動きを止めた。
上体を少し上げて、何かを探るように触覚をピコピコ動かしている。
思わず息を呑んだ。
そのまま数秒の時が過ぎる。
ヤツが上げていた上体を元に戻した。
ふぅぅぅぅぅぅぅ。
心の中で安堵の溜息をつく。
なんていうか、ちょっと自分でもバカなんじゃないかと思い始めている。
たかがヤツ如きの為に、なんでこんなに苦労しないといけないんだろう?
さっさと終わらせよう。
そして、志摩子さんに褒めて貰って、祐巳さまを一日私の好きにするんだ。
みんなの期待の眼差しが、私の背中に集まっているのを感じる。
やるぞ!!
私は行動を再開した。
ゆっくりと菜々さんの鞄に近寄り、そっと手を伸ばす。
よし、掴んだ。
ヤツの方を見ながら鞄を開ける。
よし、開いた。
ヤツの方をチラチラ見ながら、瞬間的に鞄を覗き込んだ。
「……」
い、今、妙なモノが見えたような?
視線をヤツに戻して、自分の行動を振り返る。
菜々さんの鞄を持った。
開いた。
うん、ここまでは良し。
覗き込んだ。
……。
いや、菜々さんと言えばアレだ。
現在の、碌でもない山百合会に残った唯一まともな常識人、言うなれば山百合会最後の砦。
きっと私の見間違いに違いない。
私は確認の為にもう一度、手に持っている鞄を覗き込んだ。
中には、お祭りの屋台で売っているようなセルロイドのお面が数個と、
割り箸に輪ゴムをくっ付けて、自作したと思われる輪ゴム銃が三つに、
何に使うのか用途不明の五寸釘が数本。
『らくがきちょう』と書かれたノート一冊に、ルービックキューブが一つと知恵の輪が四つ。
それと、由乃さまと瞳子の写真が数枚あった。
……ああ、山百合会も終わったなぁ、と思っていると、菜々ちゃんが言ってきた。
「武器になりそうな物がないですか?」
「輪ゴム銃?」
「違います。そんな物ではなくて、乃梨子さまに相応しいものがあるじゃないですか」
私に相応しいもの?
……うーん、分からない。
仕方ないから一つ一つ鞄から取り出して、菜々さんに見せる事にした。
取り出すごとに、由乃さまが、
「あんた、なんであんなモノを持ってきてるのよ?」
と菜々さんに尋ねられていたが、菜々さんが気にしていないようなので私も気にしない事にした。
「あ、それです」
「こ、これ?」
手元に視線を落とす。
いくらなんでもムリだって。
それよりも、これが私に相応しいってどういう意味ですか?
私の手には、五寸釘数本。
これでヤツを?
困ったように視線を向けると、
「乃梨子さまならやれます」
と菜々さんが返してきた。
ムリ。
絶対ムリだって。
思いながら釘を見つめていると、
「乃梨子ならやれるわ」
と、志摩子さんの声。
続けて、
「乃梨子ちゃん頑張って」
と、祐巳さまの声。
「やります」
お二人の声援を受けた私に不可能な事などありません。
指と指の間に五寸釘を挟んだ。
……これでヤツを仕留める。
投げやすいように構えて、ヤツの隙を探る。
ヤツはそんな私に気付いたのか、再び上体を上げてその場でじっとしながら触覚だけを動かしている。
緊張の一瞬。
私の頬を額から流れた汗が伝う。
ヤツが、触覚の動きを止めた。
私が狙うのは、ヤツが上体を戻す瞬間。
その時は、すぐに訪れた。
ピクリ、とヤツが動いた。
今――――っ!
手首のスナップだけで五寸釘を投げる。
「歴代でも最強と謳われる事になる白薔薇さま、『飛び道具の乃梨子』。
 この一投が、まさにその『飛び道具の乃梨子』誕生の瞬間であった」
祐巳さまが何やら言っているが無視。
それどころではない。
投げた五寸釘の行方を目で追う。
まるで弾丸のように一直線にヤツに向かって飛んでいく。
固唾を飲んで見守る中、ヤツは……、ヤツはあっさりとそれをかわした。
サッでもヒョイっでもなくて、カサカサっと。
投げた五寸釘が壁に突き刺さる。
その瞬間、ヤツが笑ったような気がした。
『ケケッ、その程度かYO?まぁオイラは、三億年前から存在する生きる知恵と本能の塊、
 小娘如きにやられはしないZE!(乃梨子脳内でのヤツのセリフ)』
私もニヤリと笑みを返した。
『ふっ、甘い』
ヤツが勝ち誇ったように上体を上げようとした時、
『ひでBUっ(乃梨子脳内でのヤツのセリフ)』
二本目の五寸釘がヤツに突き刺さった。
それは影矢と呼ばれる技。
本来は、相手の死角になるように矢を放つ。
私は一本目の五寸釘の影になるように、重ねて二本目を同時に投げていた。
ヤツはそれに気付かなかった。
見事に餌食になった。
南無……。
心の中で呟いて、額の汗を拭う。
確かにアンタは強敵だった。
けど、私の方が強かった。
ただ、それだけのこと。
……………………って、これじゃ本当に私もバカだ……。
一人で落ち込んでいると、
「やったわ、流石は乃梨子!」
「すごいっ、乃梨子ちゃんっ!」
志摩子さんと祐巳さまが私に抱きついてくる。
そうですか?
すごいですか?
私に抱きつきながら、二人ともすごく喜んでいる。
だから、こんなにも喜んでくれるのなら、それなら私は喜んでバカになろうと思った。
「でも、後始末はちゃんとしてね」
「当然よね?乃梨子」
「え゛?」
二人の言葉に、額から汗が伝って頬を経由して床に落ちた。
そりゃないよ……。



ようやく、自分の空けた穴とヤツの処理が終わった。
一人壁際で黙々と割り箸やら何やらを使って作業するのは、苦痛と屈辱以外なにものでもなかった。
まぁそれも終わった事だし、とりあえず早くこれを捨てに行こう。
ヤツ入りの袋を持って扉に向かっていた時に、ガタッと椅子の音がした。
見ると、みんなが椅子から立ち上がって何かに注目していた。
ひょっとして……。
部屋の扉を開けながら、横目で確認。
やっぱり。
みんなが仕事を続けていた机の上にいるソイツ。
黒くて早くて凄いヤツ。
二匹目。
『HEY、オイラと勝負してみないかYO?(乃梨子脳内でのヤツ二匹目のセリフ)』



「乃梨子ちゃん出番っ!」
「乃梨子ぉぉぉぉぉぉぉ!」
「自分でやれ」
言い残して扉を閉じる。
同時に、みんなの悲鳴が部屋の中から響く。
私は鼻歌を歌いながらゴミ捨て場へと歩き始めた。


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