【1469】 今夜は眠れない腕枕をしてほしい腕がありえない方向に  (若杉奈留美 2006-05-13 23:03:29)


次世代山百合会シリーズ。


このところ雨が降り続いている。
昨日も雨。今日も雨。
そして天気予報では明日も雨。
そのせいか、薔薇の館はなんとなく重い雰囲気に包まれていた。

「ああもう、どうしてこんなに雨ばっかりなのよ〜!」

智子がついにぶち切れた。

「お姉さま、もう何とかしてくださいよ〜」

傍らにいた姉に、智子は力任せに抱きついている。
ちあきはやれやれという表情で、そんな智子を抱いてあやしている。

「また始まった」

他のメンバーも慣れたもので、そんな2人にはおかまいなしにそれぞれの世界にいる。
それもそのはず、智子は雨の日が大嫌い。
雨が降るたびにこうして機嫌をそこねて、近くにいる人に甘えまくるのだ。
その相手は美咲だったり真里菜だったり、あるいは菜々やさゆみのときもある。

「ちあきさま、もしかして今日もお泊り決定ですか?」

黄薔薇のつぼみの妹にたずねられ、面倒くさそうにうなずくちあき。

「理沙ちゃんもつきあう?智子の意外な一面が見えるかもよ」
「遠慮しときます」

あっさり一言で切り捨てられてしまった。

「あれ?美咲ちゃんは?」
「今日は用事があるからお先に、だそうです」

(…逃げたのか…)

どうやら今日は、一晩中つきあうことになりそうだ。
他のメンバーは、ちあきと目を合わせようともしない。
ちあきはこれから始まる幼児退行を思って、深々とため息をついた。

その夜。
佐伯家にやってきた智子は、ちあきの両親にそつのないあいさつ。

「本日は突然お邪魔して、申し訳ございません。
お口に合うかどうかわかりませんが、よろしければ…」

そう言って差し出した箱の中には、お取り寄せでしか味わえない高級なケーキ。
両親は舞い上がっている。
そしてもうひとつ。

「ごきげんよう、はるかちゃん。はいこれ、おみやげだよ」

なんと生後9か月になるちあきの妹、はるかにも赤ちゃん用のおもちゃをプレゼント。

「あらいいの?ありがとう」
「どういたしまして。はるかちゃん、どうかしら?」

はるかは早速、中に小さな鈴の入った輪っか型のおもちゃを口にくわえていた。

「どうやら気に入ったみたいね…」

さすがはお嬢様、プレゼントのセンスのよさと目上への礼儀正しさはかなりのもの。
そこだけ見ていると、むしろ年齢以上に大人な感じなのだ。
本当はベタベタに甘えたがるのだが、それを両親に言ったところで信じてはもらえないだろう。

(外面がいいって、このことよね…)

内心複雑な思いで、ちあきは妹を見つめていた。


「お姉さま〜」

夕食を食べ終わってちあきの部屋に着くと、智子はいきなりちあきの膝の上に寝転んだ。

「はいはい」

智子に膝枕をしてやり、髪や背中を撫でてやる。

「もしかして、耳かきもしてほしかったり…?」
「はいvv」
「仕方ない子ね…」

そんなこともあろうかと、ちあきは耳かきを常備していたのだ。
苦笑しつつ、丁寧に耳かきをしてやる。

「気持ちいい〜…!」

このうっとりした表情。
ここまで喜んでもらえるなら、やってあげたかいもある。
耳かきを終えると、
智子はちあきの手を自分の脇腹のあたりに持ってきた。

「ここさすってvv」
「…よしよし」

その後あちこち体を撫でて、ときおり胸に抱いてやって。

(赤ちゃん帰りしすぎだ…)

確かにちあきは智子の姉である。
しかし、その関係が血縁に保証されているわけではない。
智子の胸にかかる金属質のロザリオ1本で支えられている絆なのだ。
リリアンの姉妹制度は夫婦の関係にも例えられるが、いつかの令と由乃みたいなことだって、絶対ないとは言い切れない。
それを承知で、ここまで何のためらいもなく甘えられるとは…。
ちあきはわが妹ながら、うらやましくさえなってきた。

(もしも立場が逆なら…私が妹で智子が姉なら…私はこんなに本心をさらけ出せただろうか?)

どうにも結論の出なさそうな質問を、ちあきは胸の中で繰り返していた。
先ほどまで止んでいた雨が、また降り出してしばらくしたとき、
智子はちあきの膝から起き上がった。

さすがにお風呂は1人で入れたようだが、その後さらなる赤ちゃん帰りが、
ちあきを待ち受けていた。


隣の部屋に、布団が2人分敷かれている。
しかし智子は、自分の布団をなぜか隙間なくくっつけている。

「お姉さま…腕枕してください」
「智子…あなたねえ」
「…だめ?今夜はせっかくお姉さまがそばにいるのに…
暗闇で1人で寝なくてもいいのに」

少し潤んだ瞳で、上目遣い。
これではまるで捨てられた子猫みたいではないか。
無理もない。
智子の両親は仕事の都合で、日本とドイツをひんぱんに往復している。
たとえ日本に帰ってきたときでも、あまり家族で過ごす時間はない。
もしも自分が智子の立場だったなら…
そう考えると、とてつもない寂しさが胸に広がる。

(まあいいや…もう、とうの昔に覚悟はできてる)

ちあきは智子の枕の上に、自分の腕を乗せた。

「ほら、おいで」

頭を乗せてきた智子を、ちあきはもう一度抱き寄せて、眠るまで背中をポンポンと
叩いてやっていた。

「いい子ね、智子。さあ、もう寝なさいね」

やがて聞こえてきたのは、とても静かな寝息…

「ぐぉ〜、ががががが」

…もとい。

「ぐぉ〜、ががががが」

とても盛大なイビキだった。

(だから嫌だったのよ…智子に添い寝するといつもこうなんだもん)

その夜、ちあきはろくに眠れなかった。



翌朝。
ちあきの目を覚まさせたのは、目覚ましでも朝の光でもなかった。

(何これ…)

智子の頭が乗っていないほうの腕が、どう考えても不自然な方向に曲げられている。
しかも、その腕は智子の両腕にがっちりと締め付けられ、抜こうにも抜けない。
どうやらちあきの腕は、抱き枕にされてしまったようなのだ。

(うっ…動かせない…)

無理やり引っ張るとかえって自分が痛い目にあう。
ちあきは智子を起こさないよう、そっとその腕をはずした。

「う…う〜ん…」

智子が抱きついてこようとするのを、ちあきは辛うじてよけた。
腕枕していたほうの腕は、すでに感覚を失って、動かすことさえままならない。
どうにか痛みをこらえて準備をしたのだが…
結局その日にリリアンの生徒たちが見たものは、いつもより5割増しの笑顔を振りまく
紅薔薇のつぼみと、目の下にクマを作ってどんよりしたオーラを漂わせながら歩く、紅薔薇さまの姿だった。

〜おまけ〜

それからさらに数日後のある日。
ちあきはセーラーカラーとスカートのすそをこれでもかというほど翻して、
学校中を逃げ惑っていた。

「ちあきさま〜!私にも腕枕してくださ〜い!!」

いったいどこから伝わったのか、学校中の生徒たちがちあきを追い回している。

(これは夢よね?そうよ、きっと夢よ)

必死に自分に言い聞かせるが、迫ってくる生徒たちの異様な形相と地響きのような足音が、それがまぎれもない現実であることを物語っていた。

「お、お願いみんな、落ち着いて!話を聞いてちょうだい!」

必死の叫びもむなしく、生徒たちはちあきをじりじり追い詰めてくる。
そしてちあきの体にかかる、ありえないほどの重み。

(ああ…マリア様はどこで何しているのかしら)

はらはらと涙をこぼした次の瞬間、ちあきは意識を失った。



一つ戻る   一つ進む