「くっくっくっくっく…」
新聞部部長築山三奈子は今、部長になって初めて自分だけで取材・校正・編集したリリアンかわら版を見ながら、一人ほくそえんでいた。
そのかわら版には、山百合会幹部の一人黄薔薇さまこと鳥居江利子による『黄巾の乱』に関する記事が載っていた。
去年の夏前に勃発した『黄巾の乱』は、平穏だったリリアン女学園高等部に未曾有の大混乱をもたらした。
同山百合会幹部の一人紅薔薇さまこと水野蓉子が召集した、各運動・文化クラブの部長や実力者によって、事態はなんとか収拾したのだが、何を勘違いしたのか三奈子は、自分が呼ばれたのは、蓉子と肩を並べ、江利子に匹敵する人物として名指しされたと思い込んでしまったのだ。
確かに三奈子は、良い意味でも悪い意味でも、リリアンで屈指の有名人ではあったが、当然、その行動には賛否が分かれていた。
特にかわら版がらみでは、むしろマイナス評価が多いのだが、それでも彼女の持つ異常なまでの行動力とゴシップの収拾能力は、そのマイナスをあっさりと覆すだけのエネルギーを秘めていた。
「私も三年生になれば、部長の座は真美に譲らなければいけないわ。でもその前に、大きな業績…、芳名でも悪名でもどっちでもいいから、とにかくリリアン史に残るようなことをやっておかないといけないわね…。それには、口ウルサイ妹抜きで、強力な助っ人が必要だわ」
考えに考え抜いた結果、一つの案が浮かんだ。
「彼女さえ味方に付けることができれば…」
三奈子は、早速行動に移った。
「で、私に何の用?」
白薔薇さま佐藤聖が、三奈子の前に立っていた。
以前に比べればかなり角が取れた様子の聖は、一見ぶっきらぼうな口調ながらも、笑みを浮かべていた。
「単刀直入に言います。私に協力していただけません?」
「…協力と言うと?」
「ご存知のように、我が新聞部が発行している『リリアンかわら版』は、園内に多大な影響を与えています。それはすなわち、かわら版愛読者のほとんどが、取り上げる、そして今後も取り上げるであろう生徒たちのことを知りたがっている証拠。見たい聞きたい騒ぎたい。でも、そうそう人目を引くような事件は起きません」
「でしょうね。それで?」
腕を組みながら、次を促す。
「ご協力していただけるなら、たとえ白薔薇さまお一人であっても、山百合会の意見として前面に押し出すことができます。そうすれば、言いにくいことも言わせやすいし、聞きにくいことでも聞くことが可能になります。その結果、小さい出来事でも大きく膨らませることができる…」
「捏造ってこと?」
呆れを含んだ口調で問い掛ける聖。
「いいえ、捏造まがいの記事ですら、イエローローズで懲りてますから、そんなことは行いません。ただ、三年生になるまでに、出来るだけ多くの記事を書きたい。それだけです。まぁいずれにせよ、その気になれば好き放題できることには変わりありませんが」
「私にはなんのメリットもないわね」
「そうでもありませんよ」
「?」
「新聞部の情報を侮ってはいけませんよ。例えば白薔薇さまの、身長体重スリーサイズ、それぞれ…」
それを聞いた聖は、思わず息を飲んだ。
言うまでも無く、生徒の身体測定・健康診断の結果は、学園内でも高度の機密に属する。
養護教諭の資料を見るしか知る手段はないのだが、その資料は、学園長でも勝手に見ることはできない。
「…と言う事は、蓉子や志摩子や祐巳ちゃんの資料も揃っているってこと?」
「もちろん、山百合会関係者や学園内の有名人は、全て網羅済みです。口が堅い山百合会幹部のお一人になら、全部は無理でも一部を教えて差し上げるのは吝かではありませんよ?」
「築山三奈子さん」
「はい?」
薔薇さまの貫禄を発揮し、凛とした声で三奈子の名を呼んだ聖。
「見損なっては困るけど、見損なっても構いません」
と、割とあっさり陥落した白薔薇さまだった。
「困ったことになったわ…」
薔薇の館にて、深刻な顔で呟く紅薔薇さまこと水野蓉子。
「ほっときなさいよ、どうせすぐに飽きるわ」
自分のことは棚に上げ、常軌を逸した速度で資料を処理する黄薔薇さまこと鳥居江利子。
蓉子の妹、紅薔薇のつぼみ小笠原祥子にも妹ができ、人数が一人増えたのはいいのだが、薔薇さまが一人抜けたような状態にあるので、山百合会全体の処理能力は若干低下の様相を呈している。
それでも仕事に遅れがないのは、蓉子や江利子たちの能力が突出しているからに他ならない。
そんな実力者の蓉子が不安になるのだから、事態はやはり深刻なのだろう。
実際のところ、聖の後ろ盾で行動する三奈子はかなり図に乗っており、山百合会への被害の報告は、引きも切らないほどだった。
その様は、まさに飛将軍を従えた董仲頴といったところ。
「それでお姉さま、どうなさるおつもりですか?」
「一番困るのは、三奈子さんと聖…白薔薇さまが手を結んでいるってこと。あの二人の関係をなんとかして断ち切らないとね」
「ほっときなさいよ。どうせすぐに離れるわ」
相変らず、全く他人事の江利子だったが、全ての元凶が自分であることには気付いていないようだった。
「私たちの言葉なんて、聞き入れてくれないのは目に見えているわ。むしろ逆効果になりかねないわね。こうなったら、外部の生徒に頼るしか…」
「当てはあるんですか?」
黄薔薇のつぼみ支倉令が、ヤル気のない姉に代わり、蓉子に問うた。
「ええ、たった一人。山百合会関係者以外で、唯一聖に影響を与えることが出来るであろう人物。それは…」
蓉子が挙げた人物の名に、一同は感嘆の声をあげたのだった。
こうして蓉子の計略、すなわち『リリアンの歌姫』蟹名静による『連環の計』は図に当たり、三奈子と聖の関係は決裂した。
あまりにも調子に乗りすぎた三奈子の専横による被害の責任を免除するという条件で、静に説得された聖は、いい加減やり過ぎていた三奈子に辟易していたので、これ以上被害が拡大しないうちに、手打ちにすることにしたのだ。
その結果、三奈子は早々に部長の座を妹に譲り、半ば隠居状態に陥ることになったのだった…。