【1479】 薔薇は気高く咲いて燃え尽きた日本一の着ぐるみ師  (六月 2006-05-16 23:15:06)


「ごきげんよう」
「ごきげんよう」
 さわやかな朝の挨拶が、澄み切った青空にこだまする。
 マリア様のお庭に集う乙女たちが、今日も天使のような無垢な笑顔で背の高い門をくぐり抜けて行く。

 無事に選挙も終わり、4月からは祐巳が紅薔薇さまと呼ばれるようになる。いいえ、無事にとは言えなかったかしら。
 祐巳にとっては薔薇さまになることよりも大切なことがあった。だから危うく立候補の期限を過ぎてしまうところだったのだ。
 瞳子ちゃんを妹にすること。薔薇さまになることよりも、そして他の誰よりも瞳子ちゃんが大事なんだと、分かってもらうまで大変だった。だからロザリオを受け取らせ、選挙の届けを出したのは締め切りの1時間前だったなんて・・・今だから笑って話せることだ。

 さて、今日はバレンタインデー。昨年から恒例になりつつある新聞部主催のイベントで瞳子ちゃんや乃梨子ちゃん、令が走り回る。去年よりもなぜか参加者(特に3年生)が多いのは気になったけど、無事に終わった。
 白いカードは乃梨子ちゃんが、黄色のカードは去年と同じ田沼ちさとちゃんが、紅のカードは・・・それはもう大変な争奪戦だったようだけれど、最後には可南子ちゃんと瞳子ちゃんがじゃんけんをして瞳子ちゃんが手に入れていた。
 祐巳は「お姉さまが探してくれなかったのは寂しい」と言うけれど、「いつでもデートに付き合ってくれるのでしょう?たまにはおばあちゃんらしくしてみたいのよ」と言って瞳子ちゃんに譲ることにしたのだ。ちょっと妬けるけど。

 イベントも終わり薔薇の館で一息入れようとつぼみ達がサロンの扉を開ける。そしてテーブルの上の大量のチョコレートと4つの包みを見て目を白黒させている。
「おかえりなさい。疲れているところを悪いのだけれど、もう一仕事よ」
「紅薔薇さま、そのチョコレートの山はなんですか?」
 乃梨子ちゃんが興味津々に訊ねてきた。イベントが終わるまでこっそりと隠しておいたのだから、ビックリしているのだろう。
 小さなハート形のチョコレートを4、5個づつ、可愛いくラッピングした小さな包みがたくさん出来上がっている。
「清子小母さまが作ったんだよ。幼稚舎への慰問用にね」
 私と令で説明する。今年もバレンタインの日に高等部がイベントをやるという話を聞き付け、幼稚舎でも何かをやろうということになったらしいこと。
 しかし、幼稚舎の子供たちにとっては、チョコレートに想いを託すなんてまだまだ早く、ただ「チョコレートが貰える日」の認識しかないそうだということ。
 そこで、公然と校内にチョコレートを持ち込む高等部・・・薔薇さまが・・・子供たちにチョコレートをプレゼントして欲しいということを。
「なるほど、高等部のお姉様方から幼稚舎の子供たちへのプレゼント、というわけですね?」
「そう、志摩子は理解が早くて良いわ」
 柔らかく微笑む志摩子に乃梨子ちゃんが見惚れている。
「でも、それならそうとおっしゃって頂ければお手伝いしましたのに」
「それがさぁ、話をしたら清子小母さまが乗り気でね。全部とられちゃったよ」
「とられちゃったって、何?これ全部清子小母さまがお一人で作られたんですか!?」
 由乃ちゃんがチョコレートの包みを手に取って驚いている。
「そうなのよ。それで、幼稚舎の子供たちが喜ぶ顔が見たいって、ビデオカメラなんて渡されたわ。私は使ったことが無いのに」
 誰か使える?とそれぞれ顔を見回すと、皆気まずそうな表情を浮かべる。乃梨子ちゃんだけがおずおずと手を挙げて。
「あの、多分使えると思います。プロ用とかでなければ」
「そう、無理なら構わないから、出来るところまでやってくれるかしら?」
「はい」
 ふと、祐巳がチョコレートの横の包みを指さして。
「お姉さま、それでそちらの包みは何なのでしょう?」
「幼稚舎で普通にチョコレートを渡して終わり、では寂しいでしょう?そこで一芸を披露するのはいかがかしらとお話したら是非にと言われたのよ。その準備ね」
 私の言葉に志摩子と由乃ちゃんは何かを感じ取ったらしく、眉を寄せて互いの顔を見合わせている。まったく、祐巳ももう少しこの勘の良さは見習って欲しいところだ。
「祥子さま、もすごーく嫌な予感がするのですが・・・」
「どうしたの?由乃さん」
「祐巳さん、気が付かないの?山百合会で一芸を披露するって、誰が何をやるの?」
「誰が?えーっと、お姉さま・・・ってことはないですよね?」
「そうね、私と令は挨拶やチョコレートのプレゼントという役があるわね」
「瞳子や乃梨子ちゃんは・・・」
「私達の手伝いをやってもらうわ。1年生にいきなり芸をやれと言っても無理でしょうし」
「ということは・・・えぇぇぇぇ!?私達のがやるんですか?でも準備も無しに・・・ま、まさか!?」
「・・・祐巳さん、気が付くのが遅いわ」
 私はにっこりと微笑むと一つずつ包みを開けていく。
「これは令が持ってきたのね、手品の道具」
 由乃ちゃんが令を睨みつけるが、令は窓の外を向いて「言い天気だねぇ」なんて言っている。
「こっちは着物。志摩子、私の着物でも着れるでしょう?扇子も用意しておいたわ。曲はナ・イ・ショ」
 額に手を当てふらつく志摩子を乃梨子ちゃんが後ろから支えている。
「それからこっちはパンダの着ぐるみ。もう一つが・・・ほら、ザルとCD。優さんから借りて来たのよ」
「ひょえぇぇぇぇ!?」

Ave Maria, gratia plena, Dominus tecum, benedicta tu in mulieribus et benedictus fructus ventris tui Jesus♪
 グノーのアヴェ・マリアが流れる幼稚舎の教室で・・・。
 振り袖姿の志摩子が「日本一」と書いてある扇子を手に踊っている。
 ぽかーんと口を開けて見てる子やくすくすと小さく笑っている子。その子供たちよりも大きな口を開けて乃梨子ちゃんと瞳子ちゃんが呆然としている姿に、私と令も笑いが止まらない。
 曲が終わるとぱちぱちぱちと小さな手で拍手する可愛らしい音が響く。
 真っ赤な顔をした志摩子がお辞儀をして慌てるように衝立の陰に姿を隠す。恥ずかしそうにしているのは子供たちに見られているからではない、どこから聞き付けて来たのか「山百合会が幼稚舎を慰問する」という噂に集まった、高等部や中等部の子達が覗いているからだ。
 続いて由乃ちゃんの手品が始まった。CDを取り替えて「オリーブの首飾り」が流れる。
「はいっ!ウサギさんだよ!」
 空の箱からぽんっとヌイグルミのウサギが出てくる。去年見た鳩らしきヌイグルミとは違い、ごくごくまともなヌイグルミ。おそらく令が作って取り替えておいたのだろう。
「ほーら、こんなところからコインが出て来た」
 最前列の子に近づきポケットを触ると2枚3枚とコインが増える。突然のことなのに去年よりも上手くなっているとは、もしかしてこっそりと練習していたのかしら?
「お姉さま、なぜこのような話しをお受けになったのですか?」
 パンダの着ぐるみを着た祐巳が隣に並び訊ねてくる。本当にこの子は一番大事なことには鋭いのね。
「結局、この一年の間にお姉さま、いえ、薔薇さま代々の夢。開かれた山百合会には手が届かなかったわ」
「でも、こうやって頼られる存在にはなれているでは無いですか?」
「そうね、でもそれはあなた達つぼみのおかげよ。茶話会もそう。祐巳が由乃ちゃんや志摩子の心を開かせ、沢山の生徒たちに親しみやすいから。私の力ではないわ」
 祐巳の頬にそっと手を添える。柔らかくて温かな存在が私の心を静かに溶かす。
「だからといって私が祐巳と同じことをやろうとしても、必ずしも良い結果になるとは言えないわ。だったら、もっとあなた達を活躍させる舞台を用意すること、それが私の務めだと思うのよ」
 頬を触られてくすぐったそうにする祐巳、憮然とした表情の瞳子ちゃんが睨みつけてくるが、今はまだあなたの出番ではないのよ。
「頑張ってちょうだい。私は卒業までの日々を笑って過ごしたいわ」
「はい!不肖福沢祐巳、笑いの神を降臨させてみせます!」
 由乃ちゃんの手品が終わり、令がCDを取り替える。
 ザルを手に持ったパンダが舞台の中央に飛び出しクルリと回る。
「パンダさんだー!!」
 登場しただけで子供たちは大喜びだ。外から覗いている高等部の子たちは最初は誰か気づかなかったようだが、勘の良い子が「紅薔薇のつぼみではないのかしら?」と気づいたようだ。
「瞳子ちゃんと乃梨子ちゃんの芸も楽しみだわ」
「は?私達は無理ですよー」
「それが山百合会の伝統よ。祐巳や志摩子から聞いて無いの?卒業式前の「薔薇さまを送る会」で1年生は一芸、それも笑えるものを披露するのよ」
「無理!絶対、無理!!」
「まだ時間はあるわ、考えておきなさい。さ、祐巳の踊りが始まるわよ」
安来〜千〜軒名の〜出〜た所♪
安来節の意味は分からなくても、着ぐるみパンダの軽妙な踊りに幼稚舎の子供たちも大声で笑っている。
ありがとう、祐巳・・・あなたと一緒に笑って過ごせる日々は本当に幸せだったわ・・・。
「あらえっさっさ〜♪」


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