【1544】 もっと戦え  (sarasa 2006-05-27 14:50:17)


【No:1529】→【No:1537】の続き



(コンコン)

「はい?」

部屋の扉を誰かがノックした。由乃のお母さんはノックなんかしないし、お父
さんはそもそも由乃の部屋には来ない。考えられるのはただ一人。息を呑んで
扉が開くのを見つめる。

「由乃、ちょっといい? 話があるんだけど」
「うん。入って」

思ったとおりの人物。緊張しているのか少し居心地が悪そうだ。

「久しぶりだね」
「うん。あ、お茶入れようか令ちゃん?」
「いやいい。直ぐ済む話だから」
「そうなの」

令ちゃんはジーンズのポケットをごそごそやってキラリと光る物を取り出した。

「…それ」
「うん。今日祐巳ちゃんから預かってきた」

それは祐巳さんの首にかかっていた筈のあのロザリオ。緑石がスタンドライト
を反射して星の様に輝く。

「由乃の首にかけて下さいと言われて返された」
「それで?」

由乃の声は冷たい。怯えたような声で反応する令ちゃん。

「それでって、由乃」
「それどうするつもり? 言われるまま私の首にかけるつもり?」
「由乃」
「何で、何で受け取ったりしたのよっ。私は確かに今でも、ううん、ずっと変
わらなく令ちゃんのこと好き。そのロザリオ、喉から手が出るくらい欲しい。
でも、でも祐巳さんの気持ちはどうなるの?」
「待って、今すぐ由乃にかけるなんて言ってない」
「令ちゃん」
「祐巳ちゃんに聞かれたんだ。『勝つ』って何ですかって。勝つことの意味、
それが分かればどうするべきか分かるでしょうって。だから今までの試合を色々
と振り返ってみたの。由乃の手紙も何度も読み直した」
「勝つことの意味…。答えは?」
「分からない。分からないんだまだ」
「どうして?」
「それなのにどうして由乃に言いに来たかって?」
「うん」
「考える為にどうしても由乃の顔を見て確かめたいことがあったの。ねえ由乃、
ただ好きなだけじゃ駄目なの?」
「それじゃ駄目なんだよ令ちゃん。祐巳さんの問いかけと私が手紙で令ちゃん
に伝えたかった気持ち、それはたぶん同じ物だと思うの」
「同じ」
「令ちゃんには令ちゃんの考えがあるのだし、強制はしないわ。つぼみが必要
なことは変わりないんだし、令ちゃんがどちらを選んでも私達は令ちゃんに付
いて行くわ。でも、これだけは分かって。私達の願いは令ちゃんに勝つことの
意味を見つけて欲しい。ただそれだけ」
「由乃と祐巳ちゃんの願い…」
「よく考えて」
「分かった」

部屋を出て行きかけた令ちゃんは「あ、そうだ」と言いながら廊下に隠してお
いたらしい紙袋を由乃に放ってよこした。

「きゃっ、何?」
「クッキー。考え事をしながら焼いたからちょっと失敗作だけどね。じゃあ」
「馬鹿。もう歯を磨いちゃったのに」
「ごめん」

手をひらひらと振って今度こそ令ちゃんは帰って行った。

(磨きなおせばいいか)

一つ摘んで口に放り込む。確かに少し焦げ臭い苦味がある。でも久しぶりに味
わう令ちゃんのお菓子は悔しいことにとても美味しかった。



「「ごきげんよう」」

リリアンの学生寮の前で祐巳さんを迎える。挨拶はほぼ同時。

「由乃さん、傘持ってきた?」
「いいえ。でもロッカーに置き傘ならあるけれど」
「そう、なら大丈夫だね。今日は雨降りそうよ」

言われて見上げる空は黒ずんだ雲が覆っている。考えることがたくさん有り過
ぎて天気のことなんか気にする余裕がなかった。

「祐巳さん、令ちゃんにロザリオ返したんだ」
「うん」
「それって私への同情?」
「違うわ」
「ならどうして?」
「今の令様は本当の令様じゃないから。私は本当の令様を知らない。だから本
当の令様を知りたいの」
「分かった。でもこんな急いだやり方しなくてもいいのに」
「私にはもうあまり時間がないから」
「嫌だって言ったじゃないっ。ずっとリリアンに居てよ」
「由乃さん」
「祐巳さんがどうしても山梨に戻るって言うのなら、私も付いていくからね」
「へ?」

(ふふ。祐巳さんの驚いた顔、何かの動物に似ている)

「言ったでしょ。祐巳さんのストーカーになったんだって。一生付きまとって
あげる。絶対に離れてあげないんだから」
「よ、由乃さん」



由乃は祐巳さんを十分驚かせたと思ったけれど、驚かすことにかけては祐巳さ
んの方が上手だった。

放課後の武道館。防具を着けた令ちゃんと祐巳さんが対峙している。明らかに
無謀。有段者の令ちゃんに生まれて始めて竹刀を持つ祐巳さんが敵うわけない。
それどころか試合にすらならない筈。何処から噂を聞きつけたのか出入り口に
も窓にも鈴生りのギャラリー。由乃はなんだかお腹が痛くなるような気がした。

「大丈夫?」
「ちさとさん」

体操着姿の田沼ちさとさんが由乃の肩に手をかけた。よく見ると祐巳さんの着
ている防具の前垂れには田沼の文字。

「久しぶりね」
「ええ久しぶり。ちさとさん剣道部に入ったんだ。何時から?」
「一年の終わり頃よ」
「それって」
「そう」

ちさとさんは去年のバレンタインデーのゲームの勝者で令ちゃんとデートをし
た。でも令ちゃんの無神経さに傷ついて。

「祐巳さんは何を考えているのかしら」
「分からない。ねえ、ちさとさん」
「何?」
「もし令様が妹を選びなおすとしたら、貴女も参戦する?」
「いいえ。そんなこと考えたこともなかったわ。もしそんなチャンスがあった
としても私は辞退すると思う」
「どうして? 令様が好きなんでしょう?」
「ええ好きよ。由乃さんが好きな令様がね」
「ちさとさん」
「令様には由乃さんでないと駄目だとずっと思っていた。でも分からなくなっ
ちゃった。祐巳さんて見た目は普通で分かりやすそうなのに。でも全然分から
ない。あんな不思議な子、始めて見た」
「ええ、そうね。祐巳さんの魅力は話して見なければ分からない」

(ダンッ)

床を強く踏む音がして乙女達の気合が交錯する。



(祐巳さん、もう止めて)

それはやはり試合なんてものじゃなくて一方的なシゴキの様に見えた。祐巳さ
んの身体には相当な数の打身が出来ている筈。もう立っているのがやっとと言
うくらいフラフラだというのに何度も立ち上がって向かって行く。

「うそ」

さすがに見かねたのか令ちゃんの動きが止まった一瞬、祐巳さんの竹刀が令ちゃ
んの竹刀を叩き落とした。どよめきが広がる。

(あれは確か巻き落とし。偶然だとは思うけれど)

動揺したのか令ちゃんの動きがおかしくなり、剣先が出鱈目に揺れる。そして
快音が響いて祐巳さんの竹刀が令ちゃんの胴を捉えた。一拍遅れて令ちゃんの
竹刀が祐巳さんの脳天を叩く。

「祐巳さんっ」

気絶してしまったのだろう、床に倒れたまま祐巳さんは動かない。

「令ちゃん?」

突っ立ったままの令ちゃんは何処か遠くを見つめていて。でもその表情は何か
を悟った様にすっきりとしていた。





===
祐巳さんを救護した方が良いんじゃ?とちさとは思った。
それにしても令様はどうするんだろう?
 1.由乃を選ぶ
 2.祐巳を選ぶ
 3.両方妹にする。
 4.どちらも選ばない
 5.???


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