【1565】 体験しようお姉さまと一緒に  (朝生行幸 2006-06-01 01:15:34)


「これから実験を始めるわ」
 恐らくクラブ活動中だったであろう、体操服姿の数人の生徒たちが運びこんだ120cm四方の大きな箱。
 それを前にして唐突にのたまったのは、黄薔薇さまこと鳥居江利子だった。
「それではこれで」
「ええ、ご苦労様」
 労いの言葉をかけて、笑顔で彼女達を送り出す。
「で、実験って何かしら」
 箱の上を拳で軽く小突きながら、問い掛けるのは紅薔薇さま水野蓉子。
「乱暴に扱ってはダメよ。ちょっと危険な装置が入っているから」
 江利子の言葉に、さり気なく後ずさる一同。
 蓉子の顔が、若干引き攣っている。
「で、実験って?」
 改めて問い掛けるのは、白薔薇さま佐藤聖。
「その前に、全員集まっているのかしら?」
「お姉さま、由乃がまだ来てません」
「あ、由乃ちゃんはいいのよ。じゃ、揃っているわけね」
 黄薔薇のつぼみの妹島津由乃の不在を、黄薔薇のつぼみ支倉令が伝えれば、あっさりと流される。
 皆の顔を見渡せば、紅薔薇さまも白薔薇さまも、黄薔薇のつぼみも、紅薔薇のつぼみ小笠原祥子とその妹福沢祐巳も、白薔薇のつぼみ藤堂志摩子も、山百合会関係者は、由乃以外勢揃いしていた。
「では説明するわ。この箱は、化学部にお願いして作って貰った、いわゆる『シュレディンガーの猫』よ」
 その言葉に、一様に驚きの表情を浮かべた一同だったが、一人だけ、頭に疑問符を浮かべていた。
「一人だけ、なんのこっちゃって顔してるから、解説も含めて復習するけど………」
 この箱の中には、猫が一匹に、半減期が一時間の放射性元素一個、致死性ガスが入った容器を割る機械、スイッチとなる放射線センサーが入っている。
 半減期が一時間ということは、一時間以内に原子が崩壊し、放射線が放出されるわけだが、装置の作動により、猫が死ぬ確率は50%となる。
 不確定性原理によれば、この箱の中の猫の生死は観察することによって決定され、観察されなければ、確率とは無関係に生死は不確定であるという。
「この箱が完成してから、およそ一時間。と言うことは、この中の猫は、生きているのか死んでいるのか、中身を確認してようやく、どちらなのかが確定するの」
「祐巳さん、分かってる?」
 小声で尋ねる志摩子だが、微妙な表情で、小首を傾げていた。
「そんなワケで、祐巳ちゃん」
「へ?」
 さっぱり理解できていないのに呼ばれたため、思わず変な声をあげた祐巳。
「祐巳、変な声出さないでちょうだい」
「あ、すみません祥………お姉さま」
「ほら、謝ってる場合じゃないでしょ」
 祥子に背を押されて、箱の前まで移動する。
「箱を開けて、中を確認してちょうだい」
「………はい」
 恐る恐る蓋を開けて、中を覗き込めば。
「由乃さん!?」
『え!?』
「………が、死んでます」
『なぬー!?』
 中の猫が由乃で、そしてすでに死んでいる。
 シャレにならない状況で、一同ビックリ。
「由乃ー!!」
 青ざめて絶叫しながら、令が改めて蓋を開ければ。
「どうしたの令ちゃん、大声で叫んだりして」
「え?………あれ?」
 箱の中には、確かに由乃がいる。
 そして彼女は、死んでいるどころか、しっかりと令の目を見つめて話し掛けてきた。
「もう、祐巳ちゃん冗談キツイよ。生きてるじゃない………」
 思いっきり安堵の溜息を吐いて、祐巳を責める令。
「え?でも、さっきはピクリとも動かなかったし、息もしてなかったんですけど」
「ふふん、なるほどねぇ」
 なにやら納得した表情で紅薔薇さまに目配せした白薔薇さまは、箱の蓋を閉め、そして再び開けてみれば。
「………やっぱりね」
「なるほど」
 由乃はやっぱり死んでいた。
「で、蓋を閉める、と」
「で、蓋を開ける、と」
「志摩子、覗いてごらん?」
 聖に促されるまま箱を覗いた志摩子の目には、退屈そうに欠伸をしている由乃の姿が映っていた。
「由乃さん、お茶を………」
「あ、ありがとう志摩子さん」
 志摩子はティーカップを、由乃に渡した。
「で、もう一回蓋を閉めて」
「で、もう一回蓋を開けると」
「由乃ー!!」
 箱を覗けば、そこにはグッタリとして横たわる由乃と、割れたカップが転がっていた。
「落ち着きなさい令。蓋を閉めて、開ければ」
「黄薔薇さま、そろそろ出ていいですか?」
 箱の中に立ち上がった由乃が、不満そうに江利子に問い掛けた。
「そうね、もういいわ。お疲れ様」
 泣き笑いの表情で、由乃を箱から抱え出す令を尻目に、結局なんだったんだ?という視線を、全員が江利子に向けた。
「つまり、これが『シュレディンガーの猫』ってわけ。勉強になったでしょ?」
「人騒がせ以外の何者でもなかったけれど」
 ジト目で江利子を見る蓉子と、ウンウンと頷く一同だった。

「それで江利子さまは、結局何がしたかったのですか?」
 さっぱりワケが分からない祐巳が江利子に問えば、
「え?いえ、面白いかなぁって思ってたけれど、あまり面白くなかったわね」
「そんな理由で、由乃を危険に曝したわけですか?」
 低い声で、恨みがましく問い掛けるのは、黄薔薇のつぼみ。
 少し俯いているため、目が前髪に隠れて見えないが、口元には嫌な笑みが浮かんでいた。
「だって、猫なんて簡単に捕まらないし、ちょうど猫の代わりになるから由乃ちゃんにお願いしただけで」
「そんなことはどうでも良………くはないですけど、反省しておられない様子ですので、ちょっと由乃と同じ目にあっていただきましょうか」
「ちょっと令、本気? 私に逆らうの?」
「ええ。お姉さまに逆らう気はありませんが、面白そうってだけで行動するスットコドッコイは懲らしめる必要がありますので」
 山百合会関係者一のパワーを発揮し、江利子をひょいと担ぎ上げた令は、そのまま薔薇の館から飛び出して行った。
「そりゃ、令も怒るわなぁ」
 まるで他人事のように、いや実際他人事だけど、ぼそりと呟いた聖だった。

「と言うわけで、実験を始めたいと思います。これは、『シュレディンガーの凸』と言いまして………」
 令が一人で担いで来た、120cm四方の大きな箱には、何故か黄色い薔薇の模様が描かれていた。


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