朝、マリア像の前でお姉さまと会った。
「おはようございます、お姉さま」
「おはよう、祐巳」
お姉さまは私のタイに目をやると、優雅に手を伸ばし、そっと触れた。
「祐巳、タイの首都はクルンテープマハーナコーンと言うのよ」
「そうなんですか」
「昔はクルンテープマハーナコーンアモーンラッタナコーシンマヒンタラーユッタヤーマハーディロッカポップノッパラットラーチャターニーブリーロムウドムラーチャニウェートマハーサターンアモーラピマーンアワターンサティットサッカタティヤウィッサヌカムプラシットと呼ばれていたの」
タイ語も完璧です、お姉さま。
校舎まで並んで歩いた。
「何故オイルショックでトイレットペーパーを大量に買ったのかしらね」
「さあ、どうしてでしょう」
「紙がなければお札を使えばいいのに」
マリー・アントワネットも真っ青ですね。
お昼、ミルクホールへ向かう途中お弁当を持ったお姉さまに会った。
「お姉さま、どちらへ?」
「西よ」
さしずめ私は猪八戒といったところか。
まずい、どうやら財布を家に忘れてきたようだ。
「あの、お姉さま」
「何かしら」
「申し訳ないのですけど……お金を貸していただけますか?」
「ドルでいいかしら」
「円がいいです」
リリアンじゃ使えません。
「祐巳」
「何ですか、お姉さま」
「無理が通れば道理が引っ込むのよ」
わーおナチュラルにブラック。
一緒に昼食をとったのは久しぶりな気がする。
「お姉さまの左肩って素敵ですね」
「そう?ありがとう」
お姉さまは中々に強敵だ。
放課後、薔薇の館へ行くとお姉さまがティーカップを出したところだった。
「あ、お姉さま。私が入れます」
「もう途中だからいいわ。座って待ってて、貴女の分も作るから」
出てきたのはお湯だった。
「温まるわね……」
「はい」
書類を右から左へという作業は、必要だとわかっていてもやる気が失せる一方だ。
お姉さまは、ふう、と一息ついて伸びをした。
「祐巳、ちょっと取ってきてくれるかしら」
「何をですか?」
「天下」
無理です。
乃梨子ちゃんが何やらプルプルと震えていたが、結局何も起きなかった。
帰り支度をしている途中、お姉さまが何かに気が付いたようだった。
「あら、忘れ物したみたいだわ」
「何を忘れたんですか?」
「携帯灰皿よ」
静寂。
「タバコ吸うんですか?」
「ばかね、吸うわけないじゃない」
「ですよね」
顔を見合わせて笑った。
帰り道。
「お姉さまは将来何になりたいんですか?」
「伝説ね」
きっとなれると思った。