【1613】 そんなところも好き黄薔薇未明ちょっと理解不能  (朝生行幸 2006-06-15 23:43:18)


「実は、今日は一人だけなんですよ」
 学校の帰り、中等部正門のところで待っていたらしい有馬菜々と顔を合わせた黄薔薇のつぼみ島津由乃。
 なんとなく流れで一緒に、まぁ途中までだけど帰ることにした二人だが、会話がちょっと中断したその時、相手を見ずに菜々がボソリと呟いた。
 それがどうした、と思いつつも、菜々の思惑がイマイチ見えない由乃は、どう言う事?と目で問い掛けた。
「田中も有馬も、太仲の部活がらみの付き合いで、今晩外出することになりまして」
 由乃の目には、菜々の顔が少し赤くなっているように見えたが、決して夕日のせいだけではあるまい。
「唯一用の無いリリアン生の私は、たった一人でお留守番。夕飯も自分で作らないといけないし、誰か手伝ってくれて、ついでに相手になってくれる人がいないかなぁなんて思っているんですけど、そんな人に島田さまは心当たりありません?」
 未だに『島田』と呼ばれて内心カチンと来るも、これは菜々なりのコミュニケーション手段であることには気付いているので、由乃はあえて無視した。
「そうねぇ、一人心当たりがあるわ。島津って言うんだけど、彼女でよければ話をつけておくけど」
 しれっと自分を薦めると、菜々は由乃に向かってニッコリ微笑み、
「じゃぁ、今晩6時に、有馬の家に来て下さるように、島津さまにお伝えいただけますか。これに住所と地図、それに万が一のため電話番号が書いてありますので、これも忘れずにお渡しください」
 ちょうど島津・支倉邸の前に辿り着いたところで、菜々は紙を手渡した。
「OK、じゃぁ6時にお邪魔するように伝えとくわ」
 二本指で挟んだ紙を掲げて、頷いた由乃。
「よろしくお願いします。ごきげんよう」
「はいごきげんよう」
 心なしかご機嫌そうに歩み去る菜々の背中を見送りながら由乃は、さてどんな服装でお邪魔しようかと、真剣に悩み始めた。

 考えてみれば、向こうの家に菜々しかいない以上、変に凝った衣装にしても意味がない。
 とりあえず、黄色を基調としたチェックのスカート、魚のイラストが描かれた緑のパーカーといった、ごく普通の格好で、有馬家を訪れた由乃。
 イメージからして、広い土地のデッカイ和風建築なんだろうなぁと想像していたが、目的地が近づけば近づくほど、なんだか昭和テイスト漂う下町風味の平屋が続く。
「うわぁ、ノスタルジック」
 どこからともなく漂ってくる煮物やカレーの匂いを嗅ぎながら、妙な郷愁を誘われつつ地図に従って歩く。
 あの角を曲がれば、有馬の家に辿り着くはずだ。
 しかし、なんとなく気配を感じて、そっと角から覗いてみれば。
 あまり大きくない平屋の家の前、七輪を前にして、満面の笑みを浮かべながらパタパタと団扇を扇ぎ、鼻歌を歌う菜々の姿があった。
 その様は、小豆色の長袖Tシャツにショートジーンズ、エプロンを身に着け、頭には三角巾、そして、いかにもといった感じで鉄下駄を履いていた。
 七輪の上には、二尾のサンマらしき魚が焼かれ、香ばしい煙が辺りに広がっている。
 普段は見せない(と言っても、そんなに頻繁に顔を合わせているわけではないが)菜々の姿、サンマを食べることが嬉しいのか、由乃と二人きりの夕飯を楽しみにしているからなのか、どっちか判断はつかないが、それを見ていると、自然と由乃の表情も綻ぶ。
 一歩下がって深呼吸一つ。
 そして、できるだけ自然に角を曲がり、
「ごきげんよう」
「あ、島津さま。ごきげんよう」
「ご招待いただき、ありがとうございます」
「いえいえ、ようこそお越しくださいました」
『………』
 慇懃な挨拶を交わしたあと、無言でしばらく見詰め合ったが。
『クスッ』
 同時に、照れたように笑い合った二人だった。

 二人して台所に立ち、米を炊き、大根をおろし、味噌汁を作り、ほうれん草を茹で、焼けたサンマを皿に乗せてちゃぶ台に揃えれば、そこにはこれ以上に無いぐらい純和風の夕餉が佇むことに。
「なかなかのもんねぇ。菜々って料理できるんだ」
「できると言っても、簡単なものばかりですよ。味噌汁ぐらい誰でも作れるし、他は炊いて焼いて茹でておろしただけですし」
「ほほう、それは茹でておろしただけの私に対する皮肉?」
「あら? お味噌汁お願いしますって言ったとき、出汁も取らずにいきなり味噌を溶きだしたのはどなたでしたっけ?」
「それは……」
「さ、冷める前にいただきましょうよ。きっと美味しいですよ」
「自画自賛ね」
「にぎやかな食事は、それだけでも良い味付けなんですよ」
「………」
 由乃は、どうしても菜々から1本取ることができなかった。

「あれ?」
「どうかなさいました?」
 ちゃぶ台上をキョロキョロ見回す由乃に、声をかける菜々。
「醤油はないの?」
「はい? 醤油なんて、何に使うんです?」
 箸の先を咥えて、目をパチクリさせる菜々。
「決まってるじゃない。大根おろしとほうれん草のおひたしには、醤油をかけるのよ」
「はぁ? 何言ってるんですか。大根おろしとほうれん草には、ポン酢ですよポン酢」
「かー、分かってないわね。ポン酢は鍋の時よ鍋の時。だいたい、サンマに大根おろしときたら、醤油を選ぶのは世の常。ポン酢なんて片腹痛いわ」
「ふん、ポン酢の良さが分からないなんて、どうやら私は、島田さまを買いかぶっていたようです」
「だから、私は島津って言ってるでしょ? いつまで間違うのよ!」
「ふふん、島津さまなら、きっと私に賛同してくださるはずです。そうでないあなたは島田さま。しまだしまだしまだ〜〜!」
 その後延々と罵りあいが続くのだが、当然ながら持久力に欠ける由乃に、勝ち目は無かった。

「はぁ、はぁ、本当にアンタって子は……」
 呆れた口調の由乃に、ニシシと笑みを向ける菜々。
「まぁでも……」
 菜々は、由乃の皿から醤油がかかった大根おろしとほうれん草を取り、口に入れた。
「悪くはないです。いえ、美味しい方かも」
「だから、そう、言ったじゃない」
 未だ息切れしている由乃の皿に、今度はポン酢がかかった大根おろしとほうれん草を乗せる。
 呼吸を整えた由乃は、イヤイヤながらも、それを口に放り込んだ。
「………」
「いかが?」
「……美味しいじゃない」
「でしょ? こだわりを持つのはいいですけど、食わず嫌いはダメってことですね」
「……そうね」
 無邪気にニッコリ微笑む菜々の意見に、同意せざるを得なかった。

「それじゃ、お邪魔したわね。ごちそうさま」
「大したおもてなしもできませんで」
「残念ながら、とても楽しかったわ。また島津さまを誘ってあげてよ」
「分かりました。島田さまからもよろしくお伝えください」
 体力では到底敵わないから舌戦を挑んだというのに、こちらもコテンパン。
 結局由乃は、最後まで口でも勝てなかった。
「ではごきげんよう」
「あ、由乃さま。お送りしますよ」
「大丈夫よ。近くまで令ちゃんに来てもらうことになってるから」
「……まったく、相変らず自分のご都合で、令さまを振り回しているんですね」
 苦笑いしながら、呆れた口調の菜々。
「でも、それもあとちょっとだから」
 いくら隣に住んでいるとはいえ、受験勉強の邪魔はしたくないし、年が明ければ、当然学園内でも顔を合わす機会は減る。
 我侭を言えるのは、年内までなのだ。
「……うん、分かってる。私も令ちゃんも、お互いに依存し合っていてはダメなのよ」
「………」
 余人には理解し難い、およそ17年に渡る確固たる繋がりがある二人。
 それを断ち切るのは容易ではない。
 菜々も、立場は違うが田中から有馬へ、十数年培ってきた繋がりを断ち切ろうとして、人知れず苦悩してきたのだから、その気持ちは良く分かる。
「あ、ゴメン。菜々には関係のない話だったね」
「私で良ければ、愚痴でも何でも聞きますから」
「……うん、ありがとう。じゃぁ、改めてごきげんよう」
「ごきげんよう、由乃さま」
 手を振りつつ、有馬家を去る由乃。
 菜々は、由乃の姿が見えなくなるまで、その背中を見つめ続けていた。

 角を曲がって、しばらく歩いたその時。
「え? “由乃さま”?」
 由乃は、ようやく名前で呼ばれていたことに気が付いた。


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