その日の薔薇の館では、いとも簡潔かつ力強い言葉のやりとりが繰り広げられていた。
「…やるんですね、ちあきさま」
問いを発した少女の、赤みを帯びた濃い茶色の髪が、風にふわりと揺れている。
「…ええ」
ちあきさま、と呼ばれた少女が、身長174cmの位置にある唇で一言を紡ぐ。
手には紅薔薇秘伝の7つ道具。
機能性とデザイン性を兼ね備えた特注のユニフォームは、このミッションのために誂えられたもの。
その上に、まるで鎧のように赤いエプロンを身にまとい。
「どこへなりともお連れください!この大願寺美咲、どこまでもお供いたします!」
ふいに別のところから聞こえる声。
「あんたらだけで盛り上がんなよ。白薔薇代表小野寺涼子、使い勝手はいいはずだぜ」
不敵な笑顔で涼子がちあきを見つめれば。
「ミッション後のお茶菓子なら、私にお任せくださいな」
白きパティシエ、野上純子が自信たっぷり。
「後方支援は私たちの役目、ですわね。黄薔薇さま」
「ええ。さしあたっては智子を呼び戻すのが、私たちの最初のミッションかしら」
「そのようですわね、お姉さま」
さっそく携帯を取り出し、このミッションを完遂するのに必要な、もうひとりのメンバーを呼び出す菜々。
「智子、今どこにいるのかしら?1分以内に戻ってきなさい」
それからきっかり1分後に。
「セレブのことは、セレブに聞いてくださいな」
いと優雅に笑った智子。
ちあきは全員の顔をひととおり見渡すと、ミッションの内容を告げた。
『本日の我々のミッションは…秘境と化した我らが白薔薇、岡本真里菜の部屋の大掃除!全員個々の役割を完璧に果たせ!』
『ラジャー!』
ただ仲間の部屋を掃除しに行くだけなのに、なぜこんなに大仰な話になっているのか。
それは先週の日曜日のことだった。
ちあきの家に、ある1本の電話。
「美咲ちゃん、いったいどうしたのよ。泣きながら電話なんかしてきて」
「…だ…って…真里菜さまったら…」
美咲の話を聞いたとき、ちあきの中にいつにない激しい怒りが生まれた。
それによると、真里菜の部屋担当のメイドが、田舎の母親が病気とかで突然帰ってしまい、ここ1週間出てきていないのだという。
真里菜はそれにも動揺せず、
「だったら美咲ちゃんに掃除してもらえばいいやvv」
わざと散らかしまくった。
当然美咲は怒り狂うのだが、まったく動じる気配のない真里菜。
「私はよくても…ちあきさまはどうお思いになるか…」
「お願い美咲ちゃん、ちあきは勘弁して!」
ちあきに頭の上がらない真里菜は美咲にすがりついて懇願するが、後の祭り。
「もしもし、ちあきさま…!」
携帯で電話しているうち、こらえきれなくなって泣き出したというのが真相である。
「…美咲ちゃん、安心しなさい。私たちも協力するから」
ちあきの瞳には、この世のものとは思えない光が宿っていたという。
玄関までの長いアプローチを通り抜けて、いかめしい茶色のドアに吊り下げられた呼び鈴を鳴らす。
ややあって出てきたメイドは、疲れの見える表情でにわかメイド軍団を迎えた。
「お嬢様のお部屋のお掃除に来られた方ですね?こちらへどうぞ」
先導する彼女が、今にも倒れそうなのを見て、ちあきは心配になってしまった。
「あの…大丈夫ですか?」
「大丈夫です…少し疲れているだけですから」
メイドの様子を見ていた涼子が、ある推理をした。
「たぶんだけど…真里菜さまの部屋、Gが大発生してないか?
あの人がふらついてるのは、きっと殺虫剤で中毒起こしてるからなんだよ。
相当な量のバルサン使ってるな…真里菜さま、倒れてなきゃいいけど…」
そしてたどりついた真里菜の部屋は、涼子の推理どおりであった。
「ごきげんよう、皆様方」
真里菜がひきつった笑顔であいさつしてきたことを除けば。
「「「「「「「「………」」」」」」」」
そこに充満する、なんとも形容しがたい悪臭。
歩くという行為さえも拒絶する、モノの砂漠。
そこかしこを歩きまわり、また飛び回る黒いヤツら。
悲鳴を上げかけた理沙の口を、さゆみがあわててふさいだ。
「ここで悲鳴を上げたらおしまいよ」
ちあきは凄絶な笑みを顔に貼り付けて、真里菜にゆっくりと歩み寄った。
あまりの迫力に、真里菜はひたすらあとずさりするしかない。
「あ…あの…ちあき…」
「言い訳なんてしないほうが身のためよ?この部屋ごと爆破されたくなければ…ね」
「真里菜さま…そこまで私を怒らせたいんですか?」
「美咲やお姉さまがここまで怒るのって、よっぽどのことですよ?真里菜さま」
迫る紅薔薇、押される白薔薇。
「菜々!こいつを縛ってどっか放りこんどいて!さゆみと理沙はメイドさんを見てあげて!」
「「「了解!!!」」」
鉄の結束を誇る黄薔薇ファミリーは、あっという間に真里菜を縛り上げ、メイドさんを安全な場所に移し終えた。
ちあきの高らかな宣言が、岡本家に響き渡った。
「ミッション、開始!」
まずはこのおびただしいモノたちを処分して、動ける場所を作らなければならない。
途中で発見されたGは速やかに抹殺。
それは気の遠くなるような作業ではあったが、この作業を終えない限り、次の段階には進めない。
やがて本来の床が現れたとき、期せずして歓声が沸きあがった。
ちあきはそれを制して言う。
「まだ家具の裏が残っているわ…」
見るからに高そうな家具の裏に待ち受ける何かを想像して、メイド軍団は身震いした。
「こんなこともあろうかと、助っ人を用意してきたわ。
ごきげんよう皆様方、お入りになって」
ちあきがパチンと指を鳴らすと。
「久しぶりだね〜ちあきちゃん。ゴスペルガールズ選手権以来だね」
なんとそこにいたのは、聖を初めとする旧山百合会。
「ごめんなさいね、私の孫がとんでもないことをしでかしてしまって…」
「志摩子さんは悪くないよ!私のしつけがなってなかったんだから!」
相変わらずラブラブな志摩乃梨に。
「で、ちあきちゃん。私たちは何をすればいいの?」
ここに呼び出された理由が今ひとつ分かっていない祐巳。
「皆様方をお呼びしたのは他でもありません。この部屋にある重そうな家具…これらを
すべて移動させ、その上で掃除をお手伝いいただきたいんです」
「なるほど、季節はずれの大掃除ってわけね…」
「理解が早くて助かります、江利子さま」
さっそく家具の大移動が始まった。
「れ…令ちゃん、これ重い…」
「がんばれ由乃、もう少しだ」
東に天蓋付ダブルベッドを必死に移動させる令由あれば。
「瞳子、このあずきみたいなの何?」
「お姉さま、それを食べてはいけません〜!」
西にあずきの正体を知らない祐巳と、知ってる瞳子あり。
「この絵、鑑定団に出したいよね〜」
「素敵な聖母子像だわ」
南に仕事そっちのけで絵に見とれる白薔薇姉妹あれば。
北にひたすら掃除と防虫処理に熱中する蓉子と江利子あり。
そして再び家具が戻されたとき、聖とちあきは高らかに宣言した。
「皆さん、お疲れ様でした!ミッション・インポッシブル、完遂いたしました!」
「ちあきさま、真里菜さまをお連れしました」
さゆみに連行されてきた真里菜は、なぜか涙を流している。
そんな真里菜の前に、智子が真剣な表情で立ちはだかった。
今回の事件の顛末には、智子も怒りを禁じ得なかったのである。
「真里菜さま…これ以上、私の妹と姉に苦労をかけるのなら、どうなるか…お分かりですよね?」
「……分かってるわよ」
「じゃあ、皆さんの前で謝罪してください」
真里菜はため息をついた。
「言われなくても最初からそのつもりよ…皆さん、本日はお忙しい中、私の部屋の大掃除に来てくださり、まことにありがとうございました!
私の生活が至らないために、皆さんのお手をわずらわせるはめになったことは、本当に申し訳なく思っております。
美咲…こんな私だけど…これからも私の彼女でいてくれる?」
「はい…」
恋人たちがぴったり抱き合ったところで。
「すいませ〜ん、ここ開けてくださ〜い」
やや力のない純子の声。
台車に載せて運ばれてきたそれを目にした新旧メイド軍団は凍りついた。
「お茶会用にスコーン作ってきたんですけど…」
「もしかして、あなた、また…?」
ちあきの問いに、純子は観念したようにうなずいた。
「はい…これ、たぶん1年分あるかと思います」
「んなアホな〜!」