【1737】 なにもかもが遠く遥かな  (朝生行幸 2006-07-31 22:39:59)


「おーい、こっちだよこっち」
 都内某所の喫茶店にて。
 辺りをまったく憚ることなく、大声を上げて手を振っているのは、酸いも甘いも噛み分けたような初老の女性、二条菫子だった。
「大声出すんじゃないわよ」
 恥ずかしさに、眉間にシワを寄せながら菫子を睨みつけるのは、気難しい表情のこれまた初老の女性、池上弓子。
 菫子がいる席には、上品で落ち着いた雰囲気を漂わせる、またまた初老の女性、春日せい子が、二人の様子を楽しそうに見ていた。
「お久しぶりね」
 せい子の言葉に、静かに席に着いた弓子が小さく頷いた。
「本当だよ。一体何年ぶりになるんだっけね?」
 ズズズーと、大盛りのカルボナーラをすすりながら、相槌を打つ菫子。
 少なくとも、10年は顔を合わせていなかったことを考えると、本当に久しぶりの再会だった。
 お互い年齢を重ねたが、三人の関係は学生の頃と少しも変わっていない。
 揃ってお茶を飲んでいるだけで、そこはかつての薔薇の館のようで。
 紅薔薇さまは穏やかに微笑み、黄薔薇さまは楽しそうに笑い、白薔薇さまは仏頂面。
 少し悲しい体験がある紅薔薇さまだったせい子も、仲間によってそれを乗り越えて笑えるようになった。
 周りを引っ掻き回してはトンズラをこく黄薔薇さま菫子は、普段はふざけていてもいざとなれば頼りになる存在。
 生真面目なせいか孤立しがちだった白薔薇さま弓子だが、心を許せる相手には自分を無理に隠そうとはしなかった。
 三者三様、それぞれ一長一短はあるも、機能的に纏まった感のある当時の山百合会幹部は、歴代薔薇さまの中でも、いろんな意味でかなり突出していた。
 目を瞑れば、あの頃のことが、鮮やかに思い浮かぶ。
 確かに数十年経ったはずなのに、まるで時が止まっているみたいだった。
「まぁ、その辺はどうでもいいさ。で、弓子、どうだった?」
 つい先日、弓子は一人、ある人物に会いに行った。
「……ええ、安らかに息を引き取ったわ」
「そう……」
「良かったわ……」
 しばし、静かに亡き人を悼む空気が、三人の間に流れた。
 窓から差し込む光が、菫子が頼んだクリームソーダを照らし、緑の影を落としていた。
「歳を取ったんだねぇ、私たちも」
「いろいろ後悔はあるけどね」
「でも、悲しい思い出も笑って語れるのは、とても幸せなことよ」
 せい子の言葉は、菫子と弓子の心に染み渡るようだった。

「ところでさ、聞いたんだけど」
「何?」
 二人が、『あんたよく食べるな』というような目付きで菫子を見た。
 なぜなら彼女は、チョコパフェを食べていたのだから。
 大盛りカルボナーラ、クリームソーダ、チョコパフェ、アンタ食い過ぎ。
「せい子、あんた去年、えーと、佐藤…聖って言ったっけ? 彼女と会ったんだって?」
「ええ、それがどうしたの?」
「そんで弓子、あんたもちょっと前、紅薔薇のつぼみと知り合ったらしいじゃない」
「ちょっとした縁があったのよ。それにうちの下宿生が、聖さんの友人なのよ」
「ふむ、かく言う私も、実は又姪が白薔薇のつぼみなんかやっててね。乃梨子って言うんだけど、リコの姉の姉が、その佐藤って子なんだわ」
「と、言う事は……」
「そう、かつての薔薇さまだった私たち、今でも何らかの形で繋がっているんだねぇ。しかも、三人とも直接間接問わず、佐藤って子にもね。これも因縁か、はたまた宿命か、ってね」
 世の中狭いもんだ。
 口には出さずとも、お互いの考えは目を見るだけで分かる三人だった。

「それにしても……」
 弓子は心底嫌そうな表情をしながら、自分の格好を改めて見た。
 せい子は何故かニコニコと笑っており、菫子はニヤニヤと嫌な笑みを浮かべている。
「どうしてこの歳になって、制服を着なければならないの?」
 そう、弓子が言う通りこの三人は、リリアン女学園の制服を着ているのだった。
「懐かしいだろ?」
「恥ずかしいわよ!」
 当時はともかく、今は当然ながら全然似合っていない。
 実際、店の従業員らは、彼女らを奇異の目で見ているし、注文を受けたり品を運んだりする時も、なんだか近寄りたくないようだった。
「せい子、あんたも何か言いなさいよ」
「ふふふ、あまりにも懐かしくって、恥ずかしいなんて思わなかったわ」
「なんだかんだ言いつつ、あんただって制服をちゃんと取っておいたんだろ?」
 今とは若干形と素材は違うが、まごう事なきリリアンの制服。
 しかもゆったりワンピースなので、多少体型が変化したところで問題なく着ることができるのは、弓子にとって災いだった。
「で、そろそろ帰ってもいいかしら」
「あらダメよ。せっかく会ったんだから、三人で出かけるのよ」
「なら、せめて着替えさせてもらいたいんだけど」
「何言ってるのよ。これから呑みに行くって言うのに」
「こんな格好で行けるわけないでしょ!?」
「いいのいいの。この格好でうろついて、上村を困らせてやるのよ」
「ちょっとせい子、あなたはいいの?」
「ふふふ、楽しそうだからいいんじゃない?」
「ダメだわコイツら、昔と全然変わってな〜い!!!」
 弓子の絶叫が、店内に空しく響いた。


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