「え?志摩子さん、泊まる所探してるの?」
校舎に続く銀杏並木。
二股の分かれ道にあるマリア像の前で、乃梨子は志摩子さんに会った。
朝から志摩子さんと話す事ができて、乃梨子にとって今日は大安吉日だ。
「ええ。昨年末、大雪が降ったでしょ?
長年風雨に耐えてきた建物も、記録的大雪に耐えられず、修築が必要になって。
修築の間、離れで暮らす事にしたのだけど、その離れは本来生活するように出来ていないのと、狭いし無用心なの。
両親は寺から離れるわけにはいかないからそこで生活するとしても、私まで苦労する必要は無いって父が。
私は狭い離れで親子三人暮らす、でもよかったけど、父は私の扱いについていろいろ考えていたみたい。
父は、私が同年代の普通の若い娘と接する機会を作りたいらしいの。
私はそう感じたことは無いけど、やっぱりお寺というのは、世間一般とは異なる、特別な環境らしくて。
変な話よね。家の手伝いはさせたいけど、寺の手伝いはさせたくないって。寺の娘には、家の手伝い≒寺の手伝いなのに」
そうか。あの和尚、そんな事考えていたんだ。
体育祭に袈裟着て来たり、文化祭に親分子分な格好で来たりと、娘をからかって遊ぶのが生甲斐の困った人と思った時期もあったけど。
そうだよね。志摩子さんのお父さんだもん。そんな困った人だったら、志摩子さん、天使みたいにならないよね。
「それで志摩子さん、見つかりそうなの?」
「私は両親と離れで良いって言ってるのだけど。
父が『同年代の普通の若い娘と』というのを第一条件にしてるから、難航してるの。
期間も早ければ明日から一週間前後と、修築の都合次第で流動的だし」
最近は週単位で部屋を貸す賃貸もあるが、それは駄目。一人暮らしをさせたいのではないから。
同じ理由でホテルも駄目。こちらは経済的な問題もあるけど。
檀家の伝手(つて)で、志摩子さんを預かってくれるところを探したけれど、上手くいかなかったらしい。
ある家は志摩子さんと同じ年頃の息子達が居て、旦那寺のお嬢さんを預かる事が出来ない、とか。
ある家は純粋に物理的に狭くて駄目、とか。
ある家は寺からも学校からも遠くて不便、とか。
檀家の伝手がほぼ無くなったので、リリアンで、ということになったらしい。
「でも、難しいのよね。友人に泊めてって頼むの」
「どうして?志摩子さんなら問題無いと思うけど。白薔薇さまなんだし」
「それが問題なのよ。私が白薔薇さまだからという理由で安易に了承されるのは困るの。
白薔薇さまというのは、学校の中での話。家庭に持ちこむ事ではないわ。
それに、友人の家族の方に気を遣わせるのは心苦しいし」
自分より周囲を優先する志摩子さんらしい考え方だ。
どの家に泊まるにせよ、家族に気を遣わせるのは同じだが、娘が「白薔薇さま」と呼んで敬うのを見たらその家族はどう思うだろう。
「そうすると、同じ山百合会の人になるね」
「ええ。
ただ、使用人の居る祥子さまのところは駄目ね、父の条件からして」
「そうすると、瞳子のところも駄目ね」
「残るは令さま、由乃さん、祐巳さんだけど・・・令さまのところは後ね。由乃さんに先に聞かないと、気を悪くするわ」
「祐巳さまのところは?」
「祐麒さんがいるから、先方がなんて言うか」
同年代の普通の若い娘で先方が気を遣わなくて早ければ明日から一週間・・・
たしかにお嬢さまの多いこの学校だと、難しいかも。
それだけの条件がそろうとなると・・・あった。
「ねぇ志摩子さん。条件ぴったりの人がここに居るんですけど」
「え?どなた?」
はい、と手を挙げる乃梨子。
「え?でも、乃梨子は親戚のところに・・・」
「それが菫子さん、旅行に行くんだ、明日から一週間。なんでも昔リリアンで一緒だった人達と同窓会を兼ねて」
「でも、その小母さまが留守の間に私がお邪魔するというのは・・・」
「平気平気。菫子さん、私を一人にするの、気にしてたし。そういう事情ならOKしてくれるよ。
それに菫子さん、こういうことには頭やわらかい人だから」
乃梨子がそう言っても、志摩子さんは何か納得できないような顔をしている。
「志摩子さん、なにか問題があるの?」
「え?・・・ねぇ、乃梨子。本当に私、お邪魔して良いのかしら?」
「どうして?」
「だって、私と一週間暮らす事になるのよ?」
「OKだよ」
「でも、乃梨子に迷惑をかけるのでは・・・」
「・・・そういうことか。
ね、志摩子さん。もし私が家の事情で一週間志摩子さんのところに泊めてって頼んだら、志摩子さん、どうする?」
「両親が許してくれるなら、OKするわ」
「それはどうして?家がお寺だから?私が仏像愛好家だから?タクヤ君の知り合いだから?」
「・・・あ」
「とにかく、そういうこと」
「・・・ありがとう、乃梨子」
志摩子さんの笑顔は、まるで天使のようにとびっきりの笑顔だった。
その後、乃梨子はすぐに菫子さんに電話して了解を取った。
菫子さんはすぐにOKしてくれた。親戚の娘を三年間預かったのに、一週間一人きりにしておくのをかなり気にしていたみたいだ。こういう事には菫子さんはかなり律儀な人だ。
志摩子さんも自宅に電話した。
その結果。
「え?早速今日から?」
「寺は普通の工務店では修築できないから、関係の大工さんに来ていただく事になっているんだけど、日程の都合で一日も早く始めたいからって」
志摩子さんの泊まる所が見つかったから、即工事が始まる事になったらしい。
随分急な。
いや、逆に考えたら、志摩子さんの泊まる所が見つかるまで待ってもらっていたのか。
結局、今日学校が終わったら志摩子さんは家に一旦帰り、荷物を持ってそのまま乃梨子の所へ来ることになった。
学校が終わってから。
乃梨子も志摩子さんに付いて小寓寺に行く事にした。
志摩子さんは乃梨子のマンションに来た事が無い。だから学校で別れると、乃梨子は駅まで荷物を持った志摩子さんを迎えに行かなければならない。二度手間だし、なにより荷物を抱えた志摩子さんを一人にするなんてこと乃梨子にはできなかった。
乃梨子は、それよりは自分も志摩子さんにくっついて行く事にした。何より一緒に居る時間が増えるのだ。その点では間違い無く今日は大安吉日。
寺に着くと、客間で一人お茶を飲む乃梨子。
志摩子さんの荷作りはほとんど終わっていたが、急遽宿泊先が乃梨子の所に決まったので、いろいろと荷物の調整があるらしい。
寺には既に足場が組まれている。今朝志摩子さんが出て来た時には何も無かったのだから、余程日程が詰まっているようだ。
志摩子さんの荷物は思ったよりも少なかった。コンパクトな鞄一つにまとめられている。志摩子さん曰く修学旅行(イタリア)に比べれば、足りない物は買う事もできるし、家に取りに戻れるから少なくて済むとのことだった。乃梨子が付いて来た現実的な理由は、荷持が多かった時に持つためだったが、これならその必要は無さそうだ。
寺を出る段になって和尚がやって来た。
そしてなにやら箱を差し出された。
受け取る乃梨子。箱には―
『冥土之最中』
「これは?」
「檀家からの貰い物で申し訳無いが、乃梨子ちゃんにさしあげられるものはこれしかない。今、寺はご覧の通りなのでな」
もなかだった。
受け取った乃梨子は、どうしようかしばらく迷ったが、素直に受け取る事にした。
これは娘を預かってもらう和尚のお礼なのだから、辞退したって引っ込めはしない。時間の無駄だ。なら、素直に受け取ったほうが良い。
帰ってから、これで志摩子さんとお茶を飲みながら世間話が出来るし。
・・・ああ、明朝まで菫子さんも居たか。
・・・・・・チッ。
「いらっしゃい、志摩子ちゃん」
帰った私と志摩子さんを菫子さんが出迎えた。
志摩子さんと菫子さんは初対面だ。ちなみに菫子さんはしっかり化粧していた。さすがにドレスアップはしていなかったけど。
志摩子さんを迎え入れた後、早速菫子さんは、自分が留守の間自分の部屋に入らなければそこ以外は普通に使って良いと言ってくれた。
まあ、一週間暮らすのだから、それくらいは認めてもらわないと不都合があるかもしれない。勿論乃梨子は不必要な物まで使うつもりはないが。
「志摩子ちゃん、あなた、料理はできるかい?」
菫子さんが志摩子さんに質問した。菫子さんが気にしていた一番の問題は、乃梨子が一人暮らしの間、食事をどうするかだった。
菫子さんはずっと一人暮らししていただけあって、いろんな料理を作れる。ただし普段は面倒がってあまり手の込んだものを作らない。たまになにかの拍子にとびっきりの料理を、おそらくは乃梨子に「やればできる」ことをアピールする為に、作る。乃梨子も当然のように手伝うが、基本的な事だけ。
料理は乃梨子もそれなりにできる。だが基本的にそんなにレパートリーは多くない。というか少ない。いまのところそれに優先する事項が二つもあるから。一つは仏像鑑賞、そしてもう一つは志摩子さん。
当初乃梨子は毎日同じメニューに成っても構わないと思っていた。割りきる事にした。同じものに飽きたと思って食べるから、おいしくないのだ。不思議な事に考え方一つで人間は幸福にも不幸にもなれる。
同じ物でも楽しい事を考えればおいしくなるのだ。
その点、乃梨子はぬかりが無かった。
志摩子さんの事を考えながら食べる。それだけで食事がおいしくなるのだ。
今では志摩子さんの事を考えるだけでご飯3杯はいける。便利な体になったものだ。
「手伝いをする程度には」
志摩子さんが謙遜して答える。
「志摩子さん、料理とても上手だから」
志摩子さんのところに行った事のある乃梨子はすぐに続けた。
基本的に和ばかりだが、どれも絶品だった。
「そう。それなら私が留守の間、リコの面倒、よろしく頼むよ」
「菫子さん、それじゃ私がなにもできないみたいじゃない」
「リコ、こういう時はね、妹は素直にお姉さまに甘えれば良いんだよ」
「え・・・」
沈黙する乃梨子。
(そ、そんな、志摩子さんに甘えるだなんて・・・)
一人硬直する乃梨子を放置して、菫子さんは志摩子さんに話しかける。
「志摩子ちゃん。
知ってるとは思うけど、リコはなんでもそつなくこなしちゃう子で、あまり可愛がり甲斐がないけど。
リコが志摩子ちゃんの事を大好きなのは知ってる事だから」
「す、す、菫子さん!?
いきなりなんて事を!!?」
単刀直入過ぎる直言に乃梨子は慌てた。
慌てて志摩子さんの反応を見る。
「まあ、恥ずかしいですわ」
ほんのり頬を染めて答える志摩子さん。
志摩子さんは志摩子さんだった。
なんか乃梨子は疲労を感じた。
取りあえず着替えておいで、という菫子さんの言葉に、二人は部屋に入って着替える事にした。
ワンピースの制服を脱いで普段着に着替える。
じろじろ見るのは失礼なので、志摩子さんが視界の隅にぎりぎり入るくらいの角度で着替える。
ちらっと見た限り・・・白、白。そして黒の・・・ワンピース。志摩子さんは普段着物を着てる事が多いけど、ここでは洋服で過ごす事にしたらしい。
乃梨子はいつもの普段着。寒いので上にカーディガンを羽織り、靴下はハイニーソックスに替える。
「志摩子さん、寒かったら―」
乃梨子の思考が止まった。
「特に寒くないけど。・・・どうしたの、乃梨子?」
志摩子さんはたしかに黒のワンピースを着ていた。
いや、普通はワンピースとは呼ばない。たしかにワンピースだけど。
「し、志摩子さん、その服・・・?」
「お父様が、他人の家で世話になるときはこれを着ろとおっしゃって。
・・・どうかして?」
頭にカチューシャを乗っけて小首をかしげる志摩子さん。
(やば、鼻血出そう)
それほど現在の志摩子さんは破壊的に可愛かった。
黒い服が白い志摩子さんに映えている。
「あ、いけない。これも着ないと」
そう言って、志摩子さんは白のエプロンを着け始めた。
黒のメイド服に白のエプロン、頭には白のフリルカチューシャまで乗っている。
(やば、鼻血出そう)
これで志摩子さんに「ご主人さま」とか言われたら、乃梨子は間違い無く人間として何か大切なものを失う自信があった。代わりに志摩子さんをゲットできるが。
「どうしたの、乃梨子?目にごみでも入ったの?」
本当は鼻を押さえているだけなのだが、心配そうな表情で志摩子さんは無防備に乃梨子に近寄って来る。
マズイ。これ以上近寄られたら本当に出血しそうだ。
「ナンデモナイデスヨ?」
既に乃梨子はただの怪しい人になっている。
そしてこれは和尚の策謀だ。
それは乃梨子にもわかっていたが、どうしようもない。
「リコ。夕食なんだけど」
そう言って菫子さんが部屋に入って来た。
「まー、これは可愛い。良く似合うね、志摩子ちゃん。
うちのリコも違った意味で似合うだろうけど、志摩子ちゃんはたいそう良く似合うね。
日仏東西対決ってところかねぇ」
残念ながら乃梨子には絶対勝ち目は無い。
乃梨子がメイド服を着てもただのメイド見習でしかなく拡張性は無い。
しかし志摩子さんは三つ指ついて「お帰りなさいませ」と言ったら新婚さ―
「乃梨子!?」
「あ!しま・・・」
った。自爆してしまった。
鼻から生温かいものが。
ようやく鼻血が治まった頃。
菫子さんの一言。
「リコ。
たしかにメイド服着た志摩子ちゃんはとても可愛いけど」
それは否定しない。
「だからってメイド服着てもらっておいてそれは・・・ねぇ?」
それは否定したい。
「何想像したか知らないけど、ほどほどにしときなよ?」
和尚・・・謀ったな和尚!