【1758】 無限の可能性暗中模索  (楓野 2006-08-07 01:56:59)


ごきげんよう、ごきげんようという挨拶に答えながら乃梨子は新たな教室へと向かう。
今日は乃梨子が三年生となって初の登校日。
新たなクラスと新たな級友と共に、また新たな生活が始まる。
……はずだったのだが。
ガラッ、と教室の扉を開けた乃梨子は、とたんにゲンナリした表情に変わる。
「……私達さ、なんか呪われてんのかな?」
「そうかもしれませんわね」
「乃梨子が言うと説得力あるわね」
二年間連れ添った瞳子と可南子が、またもや同じクラスになっていたのだった。
ちなみにこの三人、揃って薔薇さまになっている。
また、薔薇さまになった時点からお互い呼び捨てで呼び合っていた。
瞳子は祐巳の、乃梨子は志摩子の跡を継いで選挙に出馬。
そこまではいい。
問題は、当時の黄薔薇の蕾、有馬菜々が不出馬を表明したことだ。
しかも先代黄薔薇さまこと由乃がそれをあっさり認めたからさあ大変。
学園中が上を下への大騒ぎ。
そこで白羽の矢が立ったのが、一時期山百合会に関わりを持った可南子であった。
始めは渋っていたものの、ほとんど全校からともいえる泣き落としをうけ、選挙に出馬。
見事信任を得て、可南子は黄薔薇さまとなったのであった。
不出馬の理由を後に菜々はこう語る。
『不出馬の理由ですか?
 別に私は薔薇さまになりたくて由乃さまの妹になったわけではありませんし。
 なにより、面白そうでしたから。実際、かなり面白いことになりましたし。
 もちろん、山百合会のお仕事はできる限り手伝うつもりではありますが』
……えらい迷惑な話である。
これを聞いた可南子が思わず菜々の教室まで突貫し、グーで頭をしばいたのも致し方あるまい。
何はともあれ、三人は揃って薔薇さまとなり、今日から三人が中心となって山百合会を動かしていくのである。
「今日はどうしますの?少し早いですけど、マリア祭の打ち合わせを?」
「……いや。その前に重大な問題があるんだ」
言って、乃梨子は難しい顔をする。
「重大な問題?」
「なんですの?」
「……気づいてると思ったんだけどね。まあ、放課後話すよ。
 菜々ちゃんも呼んでおいてくれるかな」
そう言って乃梨子は一人だけ離れている自分の席へと戻っていった。
一年の頃から変わらず出席番号が続いている二人は、ただ顔を見合わせるのであった。

そして放課後。
薔薇の館には、山百合会メンバーが全員集合していた。
各々の前には紅茶のカップが置かれ、その香りを立ち上らせていた。
「えー、今日から今年度山百合会としての活動が始まるわけですが」
片手は腰、片手はテーブルというポーズで乃梨子が話しはじめる。
今代の薔薇さまは、白薔薇が手綱取りとなるようだ。
「私達は、今重大な問題を抱えています」
その言葉に、その場の全員に緊張が走る。
それを見取った乃梨子は、一つ頷いて話を続ける。
「ハッキリ言いましょう」





「―――人手が足りません」





―――空気が、凍った。
乃梨子はこの場にいる全員――具体的には自分を除く3人を順繰りに見回し。
「どーすんのよ!!4人じゃ無理!!山百合会回すなんて無理だって!!!」
「落ち着いてください乃梨子!!」
唐突に錯乱した乃梨子を、瞳子が必死になだめる。
三薔薇に加えて先代黄薔薇の蕾の菜々。
この4人が現在の山百合会メンバーである。
もっとも、菜々は正式にはお手伝いという形なので、本来のメンバーは3人と言うことになる。
昨年の同日の正式メンバーは5人、一昨年も5人。
「新記録更新ね」
「そんなのんきな事態ではないと思いますが」
可南子の微妙にズレたコメントに、菜々がツッコむ。
毎年この時期は人数が少なくなるものであるが、それにしたって3人は少ない。
しかも菜々を含めた4人のうち、3人が部活との掛け持ちという状況。
「だいたい可南子!!アンタ妹作るんじゃなかったの!?」
「そのつもりだったんだけど……」
乃梨子に睨まれた可南子が一つため息をつく。
「祐巳さまのように純粋な子となるとなかなか……」
「アンタの判断基準祐巳さまか!!あんな逸材そうそういるわけないでしょ!?」
どうやら祐巳のような女の子を探していて見つからずにここまで来てしまったらしい。
まあ、もともと可南子は薔薇さまになるなどと思っていなかったのだから仕方あるまい。
「瞳子、あんたは?」
「私も可南子と同じ理由ですわ」
「あんたもか……」
言って乃梨子ががっくりと肩を落とす。
それを見た瞳子はムッとした表情を浮かべる。
「そういう乃梨子はどうなんですの?」
「まあ……私は志摩子さんがいればどうでもよかったし……」
あからさまに視線を逸らす乃梨子であった。
「人のこと言えませんわね」
「同感」
「……過去より未来!!どうやってこの危機を乗り越えるか考えよう!!」
少しの沈黙の後、勢いで強引に方向を変えようとする乃梨子。
しかし瞳子と可南子はそれを若干白い目で見ていた。
「……えーと。私は部活は入ってないから、山百合会に専念できる。二人は?」
乃梨子の問いかけに、ふう、と一つため息をついて可南子が口を開く。
「……そうね。もうそろそろ私も引退だし、早ければ6月、遅くても9月には。
 大学はリリアンで優先入学するつもりだから、引退後はこっちに専念できるわ」
「私は……もう少し遅くなりますわね。10月くらいになると思います。
 大学は可南子と同じく優先入学の予定ですから、引退後はこちらに専念できますが」
そこまで言うと、菜々がスッと手を上げる。
「もちろん、私もお手伝いするつもりです。剣道部に支障のない程度に、という前提でですが」
「十分だよ。ところで私さ、実は外部受験するかリリアンで進学するか迷ってるんだよね。
 だから、もしかしたら後半はあんまり手を出せないかもしれない」
そこまで乃梨子が言ったとき、キュッ、と言う音が鳴った。
菜々がホワイトボードに何か書いていたのだ。
「……なんとかなりそうですね」
自分が書いた簡単な図を見据えつつ、菜々が言った。
「これを見てください。薔薇さま方の予定を図にしたものです」
言われて、乃梨子たちはその図に注目する。
薔薇3人の予定を線で表した、簡易のグラフである。
ただ、線が妙に歪んでいたりしていて、お世辞にも巧いとはいえないものであった。
「……菜々ちゃん、もしかして絵とか図形を描くのは苦手?」
「……すみません。家系でして」
可南子の問いに、菜々が申し訳なさそうに答える。
おそらく彼女の実姉たちもまた、菜々と似たり寄ったりの腕前なのだろう。
「……うん、確かになんとかなるかも」
「ええ」
じっとホワイトボードを見つめていた乃梨子と瞳子が口を開いた。
「一学期は私、二学期は私と可南子、三学期は可南子と瞳子。上手い具合に空いてる」
「空いてる方をメインに、残りが協力すればやれないことはありませんわね」
「ただ、やはり人員不足は否めないわね。特に学園祭はかなり厳しいかも」
うーむ、と4人が沈黙して考え込む。
「生徒の中からお手伝いを募集するというのは?」
「いや、それ多分あんまり意味ない。薔薇さま目当てっていう人が結構来るからね。
 実際一昨年の茶話会の後、手伝いに来た人だって全く続かなかったわけだし」
「『純粋に手伝いたいという人のみ』と示しておけばいいんじゃありませんの?」
「興味本位の人はそれでも来るわよ。大差ないわ」
「それではダメですね……」
再び黙り込む4人。
「援軍の当てがないわけじゃないんだけどね……」
乃梨子の呟きに、揃って微妙な表情をする3人。
当てというのは笙子と日出美であり、頼めば手伝ってくれないこともないだろう。
だが蔦子の後を継いで写真部のエースになった笙子と真美の後を継いで新聞部部長に就任した日出美である。
とんでもない写真やスクープをすっぱ抜かれかねない。
それに彼女らにも自分の都合というものがあり、そうそう毎回手伝ってもらうわけにもいかない。
「マリア祭は仕方ないから臨時の手伝いを探す。学園祭も人数の少ない出し物をすればいい」
「通常の業務が問題ね。4人、それも普段かなり抜けが多いメンバーでこなせる?」
「……微妙ですわね」
「やってやれないことはないと思いますが……バランスが際どいですね」
少しでもバランスを崩せばまっ逆さまの綱渡り。
さすがに一年もそんな感じでいるのは胃が悪くなりそうだ。
「やっぱ……妹かなあ」
「後継という意味でも妹を持ったほうがいいのでしょうけどね」
乃梨子と瞳子が口々にぼやく。
だが。
「……私はそうでもないと思っているんだけど」
可南子の発言は、山百合会の伝統を覆すものだった。
「どういうことですの?」
「これはあくまで私の意見だと言うことをまず頭に置いてほしいのだけど」
すっかり温くなった紅茶で口を湿らせてから可南子が続ける。
「祐巳さまが言っていた山百合会の悲願……覚えてる?」
「開かれた生徒会……だっけ?」
「たしか、三代前の紅薔薇さまが始めたことでしたわね」
一つ頷く可南子。
「祐巳さまが尽力なさって、確かに以前よりは生徒会は親しみやすいものになった。
 でもまだ完全じゃないわ。いずれまた元の近寄りがたい生徒会に戻る」
可南子の説明に、3人は完全に聞き入っていた。
続けて、と乃梨子が手で示す。
「でも、もし私達がこのまま妹を持たなければどうなるかしら?」
「……どうって」
「まあ、選挙に薔薇の蕾が一人もいないことになりますわね……って!!」
『ああ!!』と可南子を除く3人が一斉に声を上げた。
「そうか。可南子が考えているのは、生徒会の再編成!いや、再構成のほうが近い!!」
「生徒会を一度解体して、もう一度生徒会を作りなおすつもりですのね!?」
「そういうこと。まあ、たとえ再構成してもまた今みたいになる可能性もあるわけだけど。
 それでも何一つわからない状態で手探りでやっていくなら、自ずと生徒との距離は近くなるでしょう?」
乃梨子と瞳子はその考えは全く思いついていなかったのか、興奮したように話している。
だが、ただ一人、菜々だけは冷静な―――いや、冷めた表情をしていた。
「……でもそれは、私が選挙に出馬しないことが前提ですよね?」
そう静かに口を開いた菜々は現在二年生。
次回の選挙に出馬する権利は有している。
そして菜々が薔薇さまとなれば、手探りでとはいかなくなるのだ。
「ええ。でも、菜々ちゃんに選挙に出るなとは言えない。
 そこはあくまで自由だから。それに、由乃さまの後を受け継ぐつもりなのでしょう?」
「いえ。別にお姉さまは後を継げとは言われませんでしたし。
 それに継ぐつもりなら去年の時点で立候補していますよ」
さらりとした声で話して、紅茶に手をつける菜々。
カップの紅茶は、温いを通り越して冷たくなりはじめていた。
「お茶、入れなおしますね」
菜々は立ち上がると、全員分のカップをトレイに載せて給湯室へと消えた。
それを見送ると、乃梨子が妙に疲れたように言葉を発した。
「……可南子。よくあんなこと思いついたね」
「薔薇さまになってからずっと考えていたのよ。
 時間をかければ、あなた達だって思いついたんじゃない?」
「どうでしょう。私は思いつかなかったかもしれませんわ。
 山百合会を壊すなんてとんでもないことですもの」
言いながら、軽く頭を振る瞳子。
「あら、なら私の案には反対?」
「……祐巳さまの妹になる前ならそうでしたけど。
 あの方の頑張りを一年間見てきた今となっては、反対はしません。賛成もしませんけど」
「そう。ありがとう」
言って、柔らかく微笑む可南子。
「べっ、別に可南子のためではありませんわ!!お姉さまの悲願を達成するために!!」
「はいはい。瞳子はそういうとこ変わらないね」
「乃梨子!子ども扱いなさらないで下さい!!」
顔を赤くしてまくし立てる瞳子と、それをケラケラと笑ってからかう乃梨子。
それを微笑ましそうに見ていた可南子だったが、不意にまた口を開いた。
「そうそう、もう一つ」
「?」
「妹なんだけど、別に作っても構わないと思っているの」
「「はあ!?」」
乃梨子と瞳子が口を揃えて叫んだ。
思わず立ち上がってテーブルの上に身を乗り出す。
「だって、可南子の案は私達が妹を持たないことが前提になってなかった!?」
「確かにそうだけど。だからといってわざと妹を持たないのもどうかと思うの。
 薔薇の妹だからって必ずしも生徒会を手伝わなければいけないわけではないし」
「確かに、聖さまも最初はそうだったと聞きましたけれど」
「もちろん、妹の方から手伝いたいと言うのを無碍に断る必要はないわよ。
 要するに、手伝うかどうかは妹の自由意志に任せるという話。
 それに、私の案がダメになったならまた別の案を考えればいいだけだから」
なんでもないことのように言ってのける可南子に、2人はまあそうかと納得せざるを得ない。
2人が椅子に腰を下ろすとほぼ同時に、菜々が給湯室から戻ってきた。
「すみません、先程の私の話の続きですが」
カップを配りながら菜々が言う。
自分の席に腰を下ろしてから、続きを口にし始める。
「元々、私が生徒会に関わっているのは面白そうだからなんですよね。
 で、別に薔薇さまにならなくても生徒会に関わることはできるわけです。
 今だって、誰の蕾でもないのにこうしてここにいるわけですし」
ふんふんと頷きながらも、菜々が何を言わんとしているのかはいまいち理解できない。
それを知ってか知らずか、菜々は続ける。
「どっちが面白いかと考えてみると、新しい生徒会を作る方が楽しそうなんですよね。
 自分で薔薇さまになって旧い生徒会を続けるよりも、新しい生徒会に首を突っ込んでいた方が楽しそうかな、と。
 ですので、選挙には出ないことに決めました。新しい生徒会に協力する一生徒を選びます」
言い切って、自分で入れた紅茶を含み、味に納得したのか小さく頷いた。
「……えーと……いいの?菜々ちゃん」
唐突な決意表明にしばらくフリーズしていた薔薇さまたちであったが、立ち直った乃梨子が菜々に尋ねる。
「はい。私の行動理念はご存知でしょう?」
アドベンチャー好き。面白いこと最優先。
そんな単語が、薔薇さまたちの脳裏をよぎる。
「まあ、菜々ちゃんがいいなら……いいんじゃない?」
「そう……ですわね」
遅れて復帰した可南子と瞳子。
正直少し戸惑っているようだが、紅茶を啜るうちにそれも薄れた。
「……なんだか話が随分と逸れましたわね」
「最初は人員不足の話だったんだっけ」
「でもまあ、答えは出たんじゃない?」
「そうですね」
まとめ役の乃梨子が、指でテーブルを軽く叩いて口を開く。
「とりあえず、目標は開かれた生徒会実現のための再構成。
 今年一年、人員不足は否めなくなるけど、まあ臨機応変に何とかしよう。
 誰かに妹ができたら、その時はまた次の計画を考えればいい。
 こんなところかな。なにか抜けてたり、もしくは異論は?」
「ありませんわ」
「同じく」
乃梨子の言葉に、瞳子と可南子が頷く。
「……ちょうど紅茶もあることだし、乾杯しようか」
乃梨子が立ち上がると、他の3人もそれに習って立ち上がる。
「今年一年、忙しくなると思うけど無事に終わることを祈って、乾杯!!」
『乾杯!』
4人の声が唱和し、カップを合わせる音が微かに響いた。


―――そしてそのまま、その日はお茶会へとなだれ込んだ。
「考えてみるとさ。菜々ちゃんは、私達3人の妹みたいなもんだね」
「……言われてみれば」
「さしずめ、義理の姉といったところかしら?」
「では、私はお姉さまを含めて4人の姉を持つことになるんですね」
「菜々ちゃんには実のお姉さんもいるから、7人だよ」
「なんだかすごいですわね。大家族ですわ」
笑いあう4人。
その姿は、本物のスールに劣らないほど、優しげなものであった。
「妹ができたら紹介してもらえる?」
「はい、是非」
「義理の孫か。リリアンに歴史ありといえど私達が初めてじゃないかな」
「そうですわね……うふふ、どんな子なのでしょうか」
そうやって、その日は義理の孫の話、山百合会の未来の話で大いに盛り上がったのであった。


「可南子」
―――その日の帰り道。
「瞳子。何か用?」
夕暮れの中、駆け寄ってきた瞳子に少し驚きながら振り返る可南子。
瞳子は正門、可南子は裏門と反対方向だというのに。
「一つだけ、聞き忘れていたことがありまして」
「なに?」
「何故、祐巳さまの悲願を継ごうとなさったんですの?」
それが、瞳子のたった一つわからないことだった。
瞳子ではなく、何故可南子が。
別にそれが口惜しいわけではない。
ただ、腑に落ちなかっただけのこと。
「……私達が一年の時のこと、覚えている?」
「もちろんですわ」
忘れようとしても忘れられるものではなかった。
おそらく、これから続く長い人生の中でも最も輝いた時間の一つ。
「祐巳さまには随分とお世話になったわね」
「……ええ」
「その恩返しみたいなものよ。あなたと協力して、開かれた生徒会を作り上げれば、ってね。
 もしかしたら、私の取る方法は邪道なのかもしれないけれど」
「それは……終わってから考えればよろしいのですわ」
「……そうね。まあ、私の理由はそんなところよ」
可南子が言うと、瞳子は一つ頷いた。
「よくわかりましたわ」
「納得した?」
「ええ、しっかりと」
「よかった。それじゃあ、ごきげんよう」
「ごきげんよう」
笑顔で振り返って、瞳子は夕暮れの中に去っていった。
それを可南子は、立ち尽くしたままぼんやりと見送っていた。
「本当の理由はもう一つあるのよ、瞳子」
そう呟いて、可南子は裏門へと歩き出した。


―――あなたは妹として恩を返せたのだろうけど。
    私は、祐巳さまに何も返せなかったから―――



〜終〜


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