『桜の季節に揺れて』
act1〜act2は【No:1746】です。
act3〜act4は【No:1750】です。
act5〜act6は【No:1756】です。
act.7 甘くないロリポップ
私は志摩子さんに言い訳して欲しかった。意見を変えられないのならせめて自己弁護をして欲しかった。
それで私が納得するとは思えないけれど、私は志摩子さんがもくずを学園(ここ)から追い出すのに、積極的に荷担してると思いたくなかった。
でも志摩子さんは背中を向けた私を呼び止めることもしなかった。
桜の木の下を去った私は、一人、銀杏並木を抜けて、学園前のバス停に向かった。
バス停に着き、時刻表を見ると、バスが来るにはまだ時間があった。
私は鞄から携帯電話を取り出し、電源を入れてもくずに電話をした。
もくずはワンコールですぐ出た。
『もしもし、乃梨子? もくずです』
もくずの妙に明るい声に私は少し安心した。
というか、もくずを取り巻く色々な話を聞いて感情を乱していたのは私の方で、もくずが昨日から変わった訳ではなかったのだ。
「あ、もくず……うっ」
声を聞いて、名前を口に出したとたん、緊張が解けたせいか、急に込み上げてきた。
涙が溢れ、何か言わなくちゃと思っても、うめき声が漏れるだけで言葉にならなかった。
『乃梨子、乃梨子!? どうしたの? 泣いてるの?』
携帯のむこうからもくずの慌てたような声が聞こえてくる。
「う、ううん、大丈夫。もくず、今何処にいる?」
『家にいるよ。なに?』
「今から会えないかな?」
『えー?』
もくずはちょっと驚いたような声を出し、ちょっと沈黙があった。
そして言った。
『なんで?』
「なんでって……」
そう聞かれるとは思わなかった。
私は言った。
「……会いたいからよ」
こう言うしかないだろう。
顔が見えないのでどうしているのか判らないが、もくずはしばらく黙っていた。
私は少しの緊張と共にもくずの返事を待った。
もくずはこう聞き返してきた。
『乃梨子は、ぼくに会いたいの?』
「そうよ。会いたい。顔が見たい」
『じゃあ、会う』
そして、乗換駅のO駅で待ち合わせを約束し、電話を切った。
私は家に帰らず直接O駅に向かった。
約束の時間まで30分程あったが、どこかで時間を潰す気になれなくて、私は待ち合わせ場所で待ちつづけた。
夕方のこの時間なので会社帰りの大人や学校が終わって帰る学生などで駅前はごったがえしていた。
駅から吐き出される人ごみの中に、もくずの姿を探した。
約束の時間になった。
もくずはまだ現れない。
前後10分くらいは誤差の範囲だ。
ちょっと前に何処からか駅に向かってきた高校生の集団が私の方をじろじろ見ていた。
この制服が珍しいからだろうか。
10分。
まだ来ない。
もう少し。
駅に着いた時はまだ少し空が明るかったけれど、もうすっかり暗くなっていた。
30分経った。
こんなことなら10分の時点で電話をしておくんだった。
そう思いつつ、私はポケットに入れておいた携帯を取り出した。
電話帳を引いて、“海野もくず”にコール。
でも聞こえてきたのは、相手先の電源が切れているか電波の届かないところにいるか、というアナウンスだった。
(まだ移動中か)
電車で移動している場合、よくこういうことがある。
移動中ならすぐ来るかと思って、40分。
まだ来ない。
もう一度かけ直そうか迷うが、もう少し待ってみる。
そして1時間。
まだ来ない。
電話も出ない。
(何してるのよ?)
結局2時間待って、全然来なくて、全然つながらなくて、結局すっぽかされたことが情けないやら腹立たしいやら、とにかく不愉快な気分のまま私は家に帰った。
家に帰って部屋でもう一度かけたけどやっぱり繋がらなかった。
(もくずのばか)
◇
翌日。
学校に着いてから、私はマリアさまの像のところまでずっと背後を意識していた。
二股のところまで来て、マリアさまに手を合わせても、私は「今日一日平穏に」なんて心理的効果を期待することもなくただ背後から聞こえてくるはずのあの独特の足を引きずった足音を待っていた。
でも10秒待っても20秒待っても足音は聞こえてこなかった。
(もくず?)
私はお祈りを終わらせて振り返った。
でも、背後には誰もいなかった。
(もしかして、昨日何かあったの?)
私は急に不安になった。
校舎に向かう並木道に進み出て、少し行った所で道から外れた。
そして、辺りを見回して人が居ないことを確認してから携帯電話を取り出してもくずの番号にコールした。
あの子だって学校で使っちゃいけないことくらい知ってるだろうけど、不安で何かしないでは居られなかったのだ。
(繋がった……)
電話はちゃんと待機中だったようで、今、呼び出し中になっていた。
一回、二回、三回。
呼び出し音を数える。
それを五回ほど数えた時、シンプルな携帯の着信音が何処からか聞こえてきた。
(え?)
音のしたほうに振り返った時はもう音は止まっていた。
片耳にあてた携帯の呼び出し音はまだ鳴りつづけている。
私は携帯を耳から離し、呼び出しを切った。
(確かこっちの方から……)
私はさっき着信音らしき音が聞こえた方に向かって歩いていった。
マリア様のお庭といわれているマリア像を中心とした植え込みの、二股を校舎側に少し進んだ茂みのあたりから、ちゃぷんと水の音が聞こえた。
私は声を出した。
「……もくず?」
返事は無い。
私は息を大きく吸った。
そして、
「もくず! 隠れてないで出て来い!」
がさがさと慌てたような音が茂みから聞こえ、私が見ていたよりちょっと右のほうの植木が揺れた。
(そこか!)
大股でそこに近寄り、枝葉を分けて中を覗いたら案の定、尻餅をついて慌てているもくずがいた。
一日しか経っていないのだけど、私はもくずを見るのが久しぶりな気がした。
私は怯えた顔をしたもくずを見た瞬間、昨日すっぽかされてどうしてくれようとか、今日も変なところに隠れていて私を不安にさせてとか、むかむかした気持ちが何処かへ行ってしまって、ただ単純に「会えて良かった」なんて気持ちが湧いてきた。
そして、ちょっと前に突然携帯が鳴っておたおたしていたであろう、もくずを想像して可笑しくなった。
とはいえ、理由は聞いておかなければならない。
もくずを茂みから引っ張り出した私は、もくずを問いただした。
「……それで、何してたの?」
もくずは大きな目を見開いて訴えるように言った。
「えっとね、人魚をねらう悪の組織から隠れていたの」
またそれ?
「嘘は言わないで。昨日はどうしたのよ? 全然来ないし、電話も通じないし」
「嘘じゃないよ、昨日、悪の組織にぼくのアジトがばれて逃げていたんだ。携帯の電源切っておかないと見つかっちゃうから仕方が無かったんだ。今朝もね、敵のエージェントに見つからないように学校に来たの。敵が何処にいるか判らないからここに隠れていたんだ」
「……本当の事言う気はないのね?」
「本当だよ、でも乃梨子には会いたいから早く来てここで隠れて待ってたんだよ」
「何で隠れる必要があるのよ? 普通に待ってればいいじゃない」
「本当に追われてたんだよ、人魚は不思議な力を持ってるから、悪い人に狙われちゃうんだ」
まただ。どうしてこの子はこんなに私を苛立たせるのだろう。
「不思議な力なんてないでしょ! あるんならここで見せてみなさいよ!」
「今は無理だよ。人魚に戻らないと力は出せないんだ。だからぼくが狙われるんだ。でも海の人魚って強いんだよ。時々船でぼく達人魚を捕まえに来る人間がいるけど、そういう人間は嵐を起したり幻を見せたりして追い払っちゃうんだ。でも本気で殺したりはしないよ。人間が苛めるからついやり返しちゃうんだけど、人魚は本当は優しいからその度に人間を傷つけたことを後悔するんだ」
もくずは必死でおとぎ話を紡いでいく。それで言い訳しているつもりなのか?
私はもくずの話を遮って叫んだ。
「もう、いい加減にしなさい! そんな矛盾だらけの嘘なんて聞きたくない!」
「嘘じゃないよ」
「嘘っ!」
「嘘じゃないもん」
本当の事を何も話してくれないもくずが急に憎らしくなった。
「嘘つき!」
無意識に手が上がり、気がつくと私はもくずを張り倒していた。
そんな強く叩いたつもりは無かったのだけど、私に頬を叩かれたもくずはバランスを崩して地面に転がった。
「あ……」
私が自分のしてしまったことに驚いていると、もくずは起き上がってきて、まだ唖然としていた私に体当たりしてきた。
なかなかいいタックルだった。
ぶつかられただけなら、よろけるだけで済んだかもしれないが、もくずがそのまま体重をあずけてきたので、私は背中から地面に倒れてしまったのだ。
もくずはそのまま私のマウントポジションを取って泣きそうな顔で、
「乃梨子のあほたれっ!」
と叫んで私の顔をグーでぽこんと殴った。
そのあと、持っていたペットボトルの蓋を開けた。
私は水をかけられると思って構えたが、もくずはそのままペットボトルに口をつけ、ぐびぐびと激しく水を飲んで、あっという間にペットボトルはほとんど空になった。
そして涙を拭うように袖でぐしぐしと目を擦り、もくずは私のおなかの上から退いて立ち上がり、盛大に足を引きずって並木道を歩いていってしまった。
もちろん追いかけることも出来た。でも、私は追いかける気になれなかった。
「なによ、あの子」
頬が痛かった。
私は午前の授業に集中できずにいた。
今朝もくずを叩いてしまったのは昨日すっぽかされたことを怒っていたってだけじゃない。
昨日の志摩子さんの話。もくずが施設に行かされてしまうかもしれないって話があったとき、私はもくずの側に立っているつもりでいた。でも、もくずとは何回も会ってるけど、あの変な人魚の話ばかりで本当の話はほとんどしてなかったのだ。
もくずが上手くやっていけるように、施設送りになってしまわないように、何かしようと思っても何も出来ない。もくずがあんな調子では何も出来ないのだ。
『暴力事件を起してるのよ』、なんて言われてるのに……。
(……暴力?)
志摩子さんの声でその台詞を思い出した時、私は急にぞっとしたものが背中を駆け巡るのを感じた。
――今朝、私は何をした?
そして、私は何をされた?
人がほとんどいなかったとはいえ、朝の登校時間のことだ。
誰かがあれを見ていたらどう思うだろうか?
私ともくずが一緒に登校しているのはもうかなりの人が知っている。
あれでは、もくずが白薔薇のつぼみに暴力をふるったように見えてしまうではないか。
いや、ある意味その通りなのだけど……。
(まずい)
どうしたら良い?
噂が先行して学校側に伝わって、『上手くやっていけない』っていう判断材料にされるのは絶対不味い。
その前に出来ることは?
まず噂話を止めることは不可能だ。
だとしたら、噂がもくずに不利にならないような事実を先行して流す?
いっそのこともくずを妹にしてしまおうか?
いや、そこまでしなくても、仲直りしたところを見せればちょっとしたじゃれあいだったってことで済むかも。
とにかく早く行動しなければ――。
私ははやる気持ちを抑えて、休み時間になってすべきことを頭の中で整理した。
まず一年菊組。
もくずを捕まえて、大人しくしているように言う。そして別に喧嘩してないことをアピールする。
全然考えが読めない子だから、どうなるか判らないけど。
またかかって来そうだったら連れ出せば良いし。
あとは……新聞部?
噂の事もあるし、私と絡めて良いネタにされる。
いやまてよ?
情報専門の新聞部が掴んでいない筈は無い。
今まで動きが無いのがむしろ不思議だ。
日出美さんを捕まえて問いただしてみようか?
私は日出美さんの顔を心の片隅に留めて、でも第一のもくずのところへ向かう刻(とき)を待った。
授業は延長なく時刻通り終わった。
終わる直前までに教科書やノートを片付けいえていた私は、終了の礼が終わると同時に教室の後ろ扉に向かい、廊下に出た。
そして走り出したいのを抑えてぎりぎりの早足で階段に向かった。
噂話が尾ひれをつける前になんとか、あれが暴力じゃないって印象をアピールしないと……。
「きゃっ!」
もう少しで階段ってところで丁度教室から出て来た生徒にぶつかりそうになり、その生徒が声を上げた。
その時、心の隅に留めておいた顔が浮かび上がった。
「日出美さん!」
教室から出て来たのは新聞部のルーキー、高知日出実さんだった。
この時私は判断ミスをした。
日出美さんなんかに引っかかってないでまっすぐ早足で一年菊組へ向かうべきだったのだ。
でも目的地でいま何が起ころうとしていたかなんて判るはずも無かった。
「ごきげんよう白薔薇のつぼみ。何処にお急ぎで?」
日出美さんはぶつかりそうになった生徒が白薔薇のつぼみと知って私に話し掛けてきた。
私は心に留めておいた人物の登場に「これは幸運」と思い、聞いた。
「ちょうど良かったあなたに聞きたいことがあったの。ちょっと付き合ってくれる?」
もくずの方も急ぐので道連れにすることにした。これからやろうとしていることを考えると上手く証人になってもらえれば一石二鳥だし。
「ちょっと私の都合はお構いなしなの?」
日出美さんは抗議の声を上げた。私は階段に向かいながら言い放った。
「嫌なら後でもいいわ」
「なに? 聞きたいことって」
私の様子を見てネタの匂いを嗅ぎ当てたのか、日出美さんは付いて来た。
流石にぎりぎり早足では話が出来ないので普通の速度で歩きながら話した。
「今日、私とある一年生に何する根も葉もない噂とか聞いてない?」
「あら、その話?」
「し、知ってるの?」
思わず歩調が遅くなる。
「スクープだもの。なんと白薔薇のつぼみがい……」
「口に出すなっ!」
階段の踊り場に差し掛かっていた私は立ち止まって日出美さんを壁際に追い込むように押しつけた。
「あれ、余裕が無い? 白薔薇のつぼみともあろうお方が」
日出美さんは私に迫られても全然動じないで余裕の表情でそう言った。
「……何処まで掴んでるの?」
私がそう聞くと耳元で囁くように日出美さんは言った。
「一年生にマウントポジションを取られて滅多打ちされた。水をかけられたとも聞いたわ」
尾びれ付くの早っ!
私は思わず頭を抑えた。
「ウラが取れたら号外ね」
(そんなことさせない!)
私は襟元を掴んで彼女を睨んだ。
「きょ、脅迫なんかには屈しないわよ! 報道の自由は守り抜くわ!」
そんな顔も出来たのか。日出美さんは仰け反りながら私を睨み返してきた。
「なんだってぇ?」
彼女の襟を握り締めてそう言うと彼女は横を向いて気の抜けた声で言った。
「なんてね」
「え?」
さっきの顔は演技だったのか、日出美さんは表情を緩めた。
「安心して。白薔薇のつぼみと渦中の一年生のことは記事にならないわ。お姉さまから厳命が下ってるの」
「は……ぁ?」
手から力が抜けた。
日出美さんは友達との雑談みたいな感じで早口で続けた。
「ほら、噂っていっても中傷みたいなのじゃない? そのままじゃお姉さまのポリシーに反するのよ。私もちょっと記事に出来ないなって思ってたしさ」
そういうこと? そういえば現部長の真美さまはそんな人だ。
私は気が抜けてしまった。
「そういうことだから、私も純粋に応援してるから頑張って」
「う、うん」
日出美さんは言った。
「これから行くのってあの子のところなんでしょ?」
「あ、そうだ」
行かなきゃ。
「仲直り?」
「うん」
私が歩き始めると日出美さんも付いてきた。
「本当は後輩の方から謝った方が印象は良いんだけどな……」
「うん、そうなんだけど、最初に手を出したの私だから」
「へえ、あの冷静な乃梨子さんが?」
「まあ、ちょとあってね……あれ? 何やってるんだろう?」
階段を下りたところで廊下の向こうが騒然となっていることに気が付いた。
なにやら教室の扉のところに生徒が固まって中を覗きこんでいる。
教室は今向かおうとしている一年菊組だ。
私たちが近づくと、固まりからすこし外れておろおろと見回していた生徒がこちらに気がついた。
そして、気づくと同時に縋るような表情をして駈け寄ってきた。
「あの、藻屑さんが!」
彼女はいつか私がもくずの様子を見に来た時に話し掛けてきた眼鏡の子だった。
「もくずがどうしたの!」
「早く!」
手を引かれて扉のところの人だかりに向かった。
「通してください!」
彼女が声をかけ、振り返った一人が発した「白薔薇のつぼみ」という言葉で人垣が割れた。
扉の向うに、乱れた机と、上履きを履いた足とスカートの裾が二人分見えた。
私はそのまま進んで教室に入った。
「な……」
もくずだった。
「何やってるのよ! あんたたち!」
もくずと、もう一人、もくずの上にのしかかるようにしている生徒が、まさに互いの髪をつかみ合っている最中だった。
制服が乱れ、もくずはくしゃくしゃな顔をして、もう片方の手で相手の生徒の襟を千切れそうなほど掴んでいた。
「もくず、あんたなんで……」
顔を歪め、歯を剥き出して、もくずは相手の生徒を睨んでいた。相手の方は泣きそうな顔をして耐えているように見えた。
「なんで、こんなことするのよ!!」