【1787】 鉄子の旅分厚い装甲寄ってかない?  (砂森 月 2006-08-14 17:34:08)


注:未使用キー限定タイトル1発決めキャンペーン第4弾
  この作品は一体さまのまがね子ちゃん作品(【No:806】・【No:839】)の続きとなっています。
  破壊力が大きいかもしれないので読む際にはご注意下さい。



 鉄子と書いて「まがねこ」と読む。決して「てつこ」ではない。彼女(?)高田鉄子ちゃんがリリアンに編入してきた経緯は上記2作を読んで貰えれば分かるのだけれど。
(なんでこうなってしまったのかなぁ)
 どういうわけだか彼女の世話は祐巳がすることになってしまって。これからの毎日を想像すると気が遠くなりそうだった。
「……みさま、祐巳さま!」
「え? ああ、乃梨子ちゃん。どうしたの?」
「どうしたのじゃありませんよ、一体どうしたのですか。さっきから溜息ばかりですし、顔色悪いですし、私が呼んでも全然気付きませんし」
「ああ、ごめんね。今日まがね子ちゃんに校舎案内することになってて……」
「それは……ご愁傷様です」
 それはちょっとあの子に失礼な気もするけど。でも彼女のおかげで祐巳の心労がたまっているのは間違いないわけで。
「そういえば乃梨子ちゃんはクラス同じなんだよね。どんな様子なの?」
「クラスでもあんな感じですよ。一部の人達はあっさり受け入れてましたけど。まあ、思ったほど被害は出ていないですね」
「そっかあ」
 思ったほどということは、既に被害が出ているのだろうか。薔薇の館の扉を開けながら考える。
「さすがというか、受け入れようと頑張っているあたりはリリアンらしいといえばらしいのですけど、さすがにあれには限度があるようで」
「だろうね」
「特に可南子さんあたりはなまじ元を知っているだけに……」
「あー……」
 乃梨子ちゃんもだけど、瞳子ちゃんや可南子ちゃんは学園祭のお手伝いで高田君のことを知っているわけで。特に可南子ちゃんなんて今はどうか分からないけれど男嫌いだったわけだし、まがね子ちゃんとの相性はかなり悪いかもしれない。
「あ、ありがとね」
「いえ、お気になさらず」
 良く気が付く乃梨子ちゃんが、いつぞやのように階段を上る祐巳の背中を押してくれる。
「それに、一応同じクラスですし本来なら私達が案内するべき所ですし」
「それは気にしなくて良いよ。みんな都合とかもあるだろうし私はお姉さまに世話役言いつけられているし」
「そうですか」
 それにあれの案内をさせるのは酷だと思うし。お姉さまに言われたんですもの、やってみせようじゃないですか。
「「ごきげんよう」」
「ごきげんよう、祐巳、乃梨子ちゃん」
「ごきげんよう、祐巳さん、乃梨子」
「あっ、祐巳さまぁん」
 室内にはお姉さまと志摩子さん、そしてまがね子ちゃんが待っていた。というかいきなり突進されてるし。これってかなりヤバイ?
「乃梨子キーック」
 どがっ。ごろごろごろ、べしゃっ。
 祐巳との距離50cm地点で乃梨子ちゃんの渾身の蹴りを受けたまがね子ちゃんは、そのまま壁際まで転がってのびてしまった。まあ、彼女のことだからすぐに復活するだろうけど。
「乃梨子さん、ひどいですぅ」
 ほら、すぐ起きあがってるし。でもその体格でその仕草はやめてってば。
「乃梨子、あまりはしたないことをしては駄目よ?」
「はい、すみません」
「でも祐巳をかばってくれたのでしょう。ありがとう、乃梨子ちゃん」
「いえ、お礼を言われることの程では」
「まがね子ちゃん? いくら世話される立場だからといってあまり私の祐巳に甘えたら駄目よ?」
「はい、ごめんなさい」
 お姉さまは溜息をついて手元の書類に目を落とした。やはりまがね子ちゃんを見ているのは辛いのだろう。
「あら? 祐巳さん顔色悪いわね、大丈夫?」
「うん、大丈夫だよ」
 本当に大丈夫かどうかはともかくとして、あまりまがね子ちゃんを長居させるとお姉さまが大変なことになるから。ええ、そりゃいろんな意味で。
「じゃあ祐巳、まがね子ちゃんをお願いね」
「はい」
「あの、私も一緒に行っていいですか?」
「そうね、お願いしてもいいかしら? 志摩子はどうなの?」
「ええ、構いません。乃梨子、祐巳さんをお願いね」
「はい、わかりました」

 薔薇の館を出た3人は教室から順に回っていった。いくつかの教室では部活も行われていて、まがね子さんへの反応もそれぞれで。でもことあるごとにまがね子さんが変な仕草するものだから祐巳さまの顔色がどんどん悪くなっていく。教室の次は体育館に図書館に運動場だけれども、ひょっとしたらその前に祐巳さまを保健室に連れて行った方が良いかもしれない。
「あの、祐巳さま」
「なあに?」
「本当に大丈夫ですか?」
「あ、うん大丈夫だよ。お姉さまのためならこれくらい」
「祐巳さまぁん、大丈夫です『スーパー乃梨子キーック』がぁっ?」
 うん、我ながらナイスキック。まがね子さんには悪いけれど、もう少し考えて行動して欲しい。というか、自分のせいだって気付いてない、絶対。女の子(?)だからって誰でも同じ仕草が似合うなんてことはないんだし。とりあえず祐巳さまが大丈夫と言っているのだから、ここは早いところ案内を終わらせるべきだろう。

「瞳子ちゃん、今日は上がっていいよ」
「はい?」
 突然演劇部の部長にそう言われて、瞳子は頭に3つぐらい?マークを浮かべた。
「気になるんでしょ? 紅薔薇のつぼみの様子が」
「なっななななにをおっしゃるんですか。私は別にそんなことは」
「じゃあどうして気にしてるのかなー」
「だからそんなことはないと言っているじゃないですか」
「そう? その割にはさっきから演技に身が入ってないけれど」
「うっ」
 おちょくっているようでいきなり核心を突いてきた部長に思わず身をひいてしまったけれど、だからって祐巳さまを気にしているなんて認めるわけにもいかない。だから必死で考えた言い訳は。
「の、乃梨子さんがあの2人の面倒を見るの大変だなと思ってですね、決して祐巳さまが気になるとかそういう訳じゃなくてですね……」
「はいはい、そういうことにしておいてあげるから」
「だからそうなんです」
「いいから上がって様子見ておいで。それに私達もちょっと気になるしね。良くも悪くも紅薔薇のつぼみは影響力大きいから」
「そうですか。そこまで言うのなら松平瞳子、先に上がらせてもらいます」
 必死に考えた言い訳はあっさり流された気がしなくもないけれど、とりあえず自分の中ではごまかせたと思っているのでこれでいいことにしておこう。やっぱり部長には敵わないなと思いながら、荷物はこのまま置かせてもらって瞳子は祐巳さまの後をこっそり追うことにした。

 部活の先輩に許可をもらって、体育館にやってきた祐巳さまの腕を引いて乃梨子さんと怪物から引き離す。腕を引く際に乃梨子さんとアイコンタクト。祐巳さまの状況もあるし乃梨子さんもわかってくれたと思う。
「祐巳さま、大丈夫ですか?」
「可南子ちゃんまで。大丈夫だって」
「どこをどう見たら大丈夫なんですか」
「こう見えても結構丈夫なんだよ?」
「それでもです。あまり周りに心配かけるのはどうかと思いますよ」
「それもそうだけど……私まだあの子の案内残ってるんだよね」
 そういって祐巳さまはあの怪物をあごで指す。
「それは……」
「ね。だから終わるまでは大丈夫って思わせてよ。じゃないと気力保たないもの」
「そうですね。でもあまり無理はなさらずに」
「うん。可南子ちゃんも練習頑張ってね」
 そう言われても、あの表情を見た後に練習に身が入るわけないじゃないか。可南子だけじゃなく、祐巳さまの様子を見た人はみんな気になるようで(中には怪物にあてられた人もいるみたいだけれど)。件の怪物は破壊力抜群の「くね」でまた祐巳さまにダメージを与えているし(直後に乃梨子さんのキックがみぞおちに決まっていたけど)、乃梨子さんがいるけれどあの足取りだとやはり不安になる。
「可南子ちゃん、ちょっといい?」
「なんでしょう?」
 祐巳さまの後ろ姿を眺めていると部長が声を掛けてきた。
「祐巳さんの様子をこっそり見ててくれない? 可南子ちゃんならいざというとき頼りになりそうだし」
「私で良ければ。でも、新人の私が抜けてもいいんですか?」
「いいの。みんなー、祐巳さんの様子は可南子ちゃんに見ていてもらうから私達は練習に力を入れること。いいね?」
 部長、ナイス。これで可南子は祐巳さまの様子を見に行けるし館内の人達もとりあえず落ち着くはず。可南子は部長に一礼をしてから、手早く靴を履き替えて祐巳さまの後を追った。
「あら、可南子さん。こんなところで何をなさっているのかしら?」
 こっそりと祐巳さまの後をつけていると背後から声をかけられた。
「部長に言われて祐巳さまの様子見を。そういう瞳子さんこそ何をしているのかしら」
「私も同じですわ。全く、何で私がこのようなことを……」
 そのままぶつぶつと小声で何かを呟いている瞳子さん。相変わらず素直じゃないなあと思うけれど、今はそれより優先しないといけないことがあるから。
「お互い部長には敵いませんね。それより瞳子さん、次は武道館みたいですよ」
「ですわね、行きましょう」
 とりあえず祐巳さま達の後を追う。けれどこの後あんな事が起こるなんてこのときの2人には予想も付かなかった。

「残りは武道館と部室棟ですね」
「そうだね」
 憔悴しきった顔で祐巳さまが答える。ここまでで相当気力を使ったようで、テニス部の方(祐巳さまの友人らしい)や可南子さんなんかはしきりに様子を気にしていたし。さっき可南子さんが祐巳さまと話している間に一応まがね子さんに注意はしておいたけれど、果たして効果はあったのやら。
「でも、なんで部室棟が最後なんですか? 回り方としては効率が悪い気がするのですが」
「ああ、ちょっと考えがあってね。最後の2つはこの順番じゃないと駄目なの」
 考えって、何だろう。祐巳さまは時々予想もつかないことをするから少し気になるけれど。まあ武道館なら黄薔薇さまや由乃さまもいるから大丈夫だろうって、このときの乃梨子はそう考えていた。
 ひょっとしたらこのときの乃梨子は祐巳さまへの気遣いやまがね子さんの扱いに疲れていたのかもしれない。普段の乃梨子なら、あるいはこの後の事態を予想できたかもしれないのに。
 今の祐巳さまにとって由乃さまがどういう存在かを、このときの乃梨子は完全に失念していた。

 突然練習が止まった。
 なんだろうと由乃があたりを見渡すと、武道館の入り口には3人の影が。
(ってなんでここに来てるのよーっ)
 その3人は祐巳さんと乃梨子ちゃんと、そして高田君。そういえば今日は高田君の案内をするらしいって令ちゃんが言っていたっけ。
 祐巳さんとはまがね子ちゃん転入直後から疎遠になっている。悪いことしたかなとも思うけれど、これ以上アレの相手はしたくないし。
 とにかく、練習が止まったのは怪物が襲来したかららしいことはよく分かった。防具を着けている限り遠目では由乃とは分からないはずだから、ここは冷静に練習を続けていればいい、はずだったのだけれど。
「由乃」
「何でしょう、お姉さま」
「祐巳ちゃんが呼んでる」
「え……」
 てっきり高田君に部活の説明をしているかと思ったら、令ちゃんは祐巳さんからの伝言を受け取っていた。仕方がないので祐巳さん達の元へ。いったい何の用だろうか?
「ごきげんよう」
「ごきげんよう。祐巳さん、いったい何の用?」
「まがね子ちゃんに武道館の中を案内してあげてほしいの。由乃さん私達より詳しいでしょ?」
「まあ、そりゃそうだけど。でも私部活中なんだけど」
「ああ、それなら令さまに許可取ったから」
 令ちゃん、後で覚えてなさいよ。

「ごめんね祐巳ちゃん、うちの由乃が迷惑かけて」
「いえ、まあ、友達ですから。それより……」
 黄薔薇さまと祐巳さまの雑談を聞き流しながら、乃梨子は由乃さま達の様子を眺めていた。祐巳さまと違って変な行動には容赦なく物理的な突っ込みを入れる由乃さまを見ていると、やっぱりまがね子さんの面倒は由乃さまが見るべきなんじゃないかと思いつつ。でもあの様子だと由乃さまに妹が出来る日はまだまだ遠いなと思う乃梨子だった。
 由乃さまの案内が終わるのに合わせて武道館内の部活も一斉に終わりになった。多分今日はもう練習にならないだろうと黄薔薇さまの計らいがあったらしい。
「残りは部室棟ですか」
「うん。でも少し待ってね」
 まがね子さんを警戒しつつ祐巳さまの相手をしていると、程なく黄薔薇姉妹がこちらにやってきた。ただ、由乃さまは明らかに機嫌が悪そう。
「令さま、ありがとうございます」
「いや、お礼を言うのはこっちの方だからね」
「ちょっと、なんで私が付き合わないといけないのよ」
 ああなるほど、さっきの雑談はこの密談だったわけですか。でもあの由乃さまがそう素直に従うのだろうか?
「私は嫌だからね」
「由乃さん、私達友達だよね?」
「それとこれとは話が別よ」
「由乃」
「令ちゃんは黙ってて」
「由乃さま、このまま祐巳さまが倒れられても構わないのですか?」
「そんなのしったこっちゃないわ」
 この青信号、と思わず心の中で毒づく乃梨子。祐巳さま落ち込んでいるし。
「由乃さまぁん」
「やめんかっ」
「「あっ!?」」
 ドゴッ、っといい音をたてて突っ込んできたまがね子さんに蹴りを入れる由乃さま。カウンターを食らったまがね子さんが吹き飛んだ方向にはちょうど祐巳さまがいたわけで、名前の通り(?)鋼鉄の弾丸となったまがね子さんは乃梨子達が反応する間もない勢いで祐巳さまに直撃。
「祐巳ちゃん、大丈夫?」
「祐巳さま、しっかりして下さい」
「ごめんなさい祐巳さまぁん、大丈夫ですかぁ?」
「まがね子ちゃん、とりあえず祐巳ちゃんの上からどいてあげて」
「あっ、はぁい」
 祐巳さまの上でしりもちをつくような形で倒れていたまがね子さんはとりあえずどいてくれたけれど、祐巳さまは一向に起きあがる気配を見せない。
「あ、えーと……それじゃ」
「待ちな、由乃」
「何よ、放してよ、私は帰るんだから」
「せめて祐巳ちゃんが起きるまでは残ってなさい」
「何でよ、令ちゃんのバカ」
「バカじゃないでしょ。誰のせいでこんなことになったと思っているの?」
 逃げようとした由乃さまを捕まえた黄薔薇さま。それはいいのだけれど2人とも喧嘩に夢中で祐巳さまのことをすっかり忘れているみたいだ。
 ふと祐巳さまを見るといつの間にか目を開けていた。
「あ、祐巳さま、大丈夫です、か……」
「………………」
 声をかけながら乃梨子は祐巳さまの様子がおかしいことに気が付いた。目を開けてはいるもののその焦点は定まっていなくて、乃梨子の呼びかけにも全く反応しない。これはいわゆる放心状態というものだろうか?
「祐巳さまぁん、だいじょうぶっ!?」
 性懲りもなく祐巳さまに話しかけるまがね子さん。ところが突然祐巳さまが腹部に蹴りを一撃、のけぞっているところに起きあがった祐巳さまの頭突きを受けてKOされてしまった。
「あ、あの、祐巳さま……!?」
 声をかけられて振り返った祐巳さまの表情を見て乃梨子は凍り付いた。
 祐巳さまは笑顔だった。だがそれはいつもの快活な笑顔とは全く違う。例えるならば死霊のような、そんな笑顔。そこら辺のお化け屋敷のお化けよりも、よっぽど怖かった。
(ま、まさか祐巳さま壊れたー!?)
 救いがあるとすれば、今の祐巳さまの標的が乃梨子ではなかったことだろう。祐巳さまは未だに喧嘩をしている黄薔薇姉妹に音もなく近づくといきなり由乃さまの手首を掴んだ。
「ちょっと、いい加減放してよって誰よこの手……って祐巳さん?」
「由乃さん?」
「もっ、元はと言えば祐巳さんが令ちゃんに変なこと頼むから……ってちょっと、痛いって」
「よしのさん?」
 どうやら祐巳さまは腕に力を入れていっているらしい。ついでに黄薔薇さまは祐巳さまの様子に固まっている。
「そりゃ高田君をぶつけたのは悪いと思っているわよ。でもあんなのが突然突っ込んできんだから仕方ないでしょ? そもそも祐巳さんが高田君を連れてこなければ……い、痛い、痛いってば」
「由乃さま、そうは言っても案内する以上ここにも来なくては……」
「乃梨子ちゃんは黙ってて。とにかくここの案内が終わったんだったらさっさと次に行けばいいでしょ? 何で私が……ちょっと、いい加減放してよ、冗談抜きで痛いって……」
「ヨ・シ・ノ・サン?」
「ひっ、な、なによ、とにかく私は行かないからね」
 祐巳さま、怖い。そして今の祐巳さま相手に引かない由乃さまもある意味凄いかもしれない。
 それはともかく、かたくなに拒否する由乃さまに祐巳さまは握りしめていた手を突然放した。諦めたのかなと一瞬思ったけれど、祐巳さまの表情を見てそんなわけではないことはすぐに分かった。
「……そう。そこまで言うなら仕方ないわね。残りは部室棟だからついでにまがね子ちゃんに新聞部のインタビューを受けてもらうつもりなんだけど、一部始終話させても……」
「わーっ、行く、行きます、お願いだから行かせて下さい」
「嫌じゃなかったの?」
「やだなあ祐巳さん、私達友達じゃないの」
「……そうだっけ?」
「さっき自分で言ってたじゃない」
「私には男子高生を女子校に編入させてその世話を他人に押しつける友人なんていないはずだけど」
「う゛……」
「それに私が倒れてもしったこっちゃないなんて言う友人もいないと思うんだけど」
「そ、それは……」
「しかも私を気絶させておいて逃げようとしたよね?」
「なっ、き、気付いてたの?」
「令さまとの言い争い、聞こえてたから」
 ひょっとしたら、薔薇の館で一番怒ると怖いのは祐巳さまなのかもしれない。全く抑揚のない話し方の祐巳さまがここまで怖いものなのだとは乃梨子は全く予想が付かなかった。
「ま、もういいけどね。乃梨子ちゃん、まがね子ちゃん起こして。次行くよ」
「あ、はい」
 溜息を一つついてようやくいつもの口調になった祐巳さまに内心ほっとしつつ、ようやく立ち直った黄薔薇さまにも助けてもらってまがね子さんを起こす。でも、その油断が命取りだった。
「えっと……祐巳さん、私は?」
「好きにしたら?」
 その祐巳さまの返答はどこまでも冷たくて。由乃さまだけじゃなく、あのまがね子さんまで含めた全員がその場で凍り付くことになった。

 祐巳さまがゾンビになった。例えるならそんな状況なのだろうか?
 親しい先輩の豹変ぶりに、瞳子さんも可南子も思わず固まってしまった。
「祐巳さま、どうしたのでしょうか。ねえ、瞳子さん……瞳子さん?」
 何とか自力解凍して隣の人に話しかけた可南子だったが、その人もまた壊れていた。
「ふ、ふふふ、ふふふふふふ……」
「と、瞳子さん?」
「決めた。決めましたわ」
「え、えっと、何を?」
「まがね子さんには演劇部に入ってもらいます」
「はあ。演劇部さえよければ構わないのでは」
「まがね子さんに合った乙女らしい行動というものを徹底的にたたき込んであげますわ」
「あー……まあ、頑張って」
「当然です。これ以上ゆ……もとい、被害者を出すわけにはいきませんわ。って、何がおかしいんですの?」
「なんでもないわ」
 まあ、アレがマシになるならそれでいいか。それにしても瞳子さん、本当に素直じゃないんだから。

 祐巳さんがまた倒れた。
 真美さんに頼まれてまがね子ちゃんの写真を撮りに新聞部の部室に入ったときからかなり無理しているのはひと目で分かったけれど、取材途中でとうとう力尽きたようだ。
 取材の残っている由乃さんたちを残して、乃梨子ちゃんと蔦子の2人で祐巳さんを保健室へ連れて行った。
「それにしても、祐巳さん相変わらずだなぁ」
「え、何がですか?」
「ああ、乃梨子ちゃんが入ってくる前にも頑張りすぎて倒れちゃったことがあるんだよね。その時は私と志摩子さんが保健室に連れて行ったんだけど」
「そんなことがあったのですか」
「まあ今回はもうちょっと複雑みたいだけどね」
「そうですね。ところで蔦子さま」
「ん、何かな?」
「祐巳さまが怒ったところって見たことあります?」
「そうだなぁ、言われてみればあまり見たことはないかも。でも、それがどうかしたの?」
「それが、先ほど武道館で……」
 そういって乃梨子ちゃんは武道館で起きた一部始終を話してくれた。まあそりゃ祐巳さん倒れてもおかしくないなとか思いつつ、蔦子としては少し悔しかった。だって。
「あー、でも悔しいな。その時の祐巳さんの表情、ぜひ撮りたかったわ」
「さ、さすが蔦子さまですね」
 写真部のエースが最高の被写体の知られざる一面を撮ることができなかったのだから。

 気が付いたら保健室のベッドだった。
「あれ、私一体……?」
「まがね子ちゃんの取材の途中で倒れたのよ」
「あ、蔦子さん」
 そうだ、少しずつ思い出してきた。強引に由乃さんを連れ出して部室棟を回って、最後に取材を受けさせるという「まがね子ちゃんをリリアンに引き込んでおいて世話を祐巳に押しつけた由乃さんに仕返ししよう大作戦」(相変わらずネーミングセンスがないのはおいといて)を何とか成功させたのはいいけれど、それで気がゆるんだのかそれまでの疲労が限界に達したのか取材の途中で祐巳は倒れたのだ。確か、蔦子さんと乃梨子ちゃんが運んでくれたんだっけ。
「そういえば、乃梨子ちゃんは?」
「薔薇の館に祥子さまと志摩子さんを呼びに行ってる」
「そっか」
「それにしても、また祐巳さんを運ぶことになるとは思わなかったわ」
「うぅ、ごめんね」
「いいの、しっかり寝顔撮らせてもらったから」
「ちょ、蔦子さん?」
「私が祐巳さんのシャッターチャンスを逃すとでも思う?」
「思いません」
「そういうことよ」
 そういってふふふと笑う蔦子さん。なんだかんだで友人に恵まれているなぁ(約1名除いて)と祐巳が思っていると、保健室の扉が開く音がした。
「祐巳、大丈夫なの?」
「あっ、お姉さま。ご心配かけてすみません」
「いいのよ、祐巳はよく頑張ったわ」
 そういって、ベッドに腰掛けて身体を起こした祐巳を抱きしめるお姉さま。蔦子さんがここぞとばかりにシャッターを切っているけれどそんなのはこの際気にしない。
「あ、乃梨子ちゃん。ありがとうね」
「いえ、別に特別なことをしたわけでもありませんし」
「私からもお礼を言わせて。ありがとう、蔦子さんに乃梨子ちゃん」
「私は良い写真を撮らせてもらえればそれで十分なので」
 和やかな空気に包まれた保健室。その空気が、今の祐巳には何よりの癒しになっていた。


 後日、黄薔薇さまがお詫びも兼ねて手作りシフォンケーキを持ってきて下さった。紅薔薇姉妹と私達白薔薇姉妹、そして蔦子さまも呼んでまがね子さんトークで盛り上がって。ちなみにまがね子さんは結局由乃さまが面倒を見ることになった。一部では妹候補かなんて話も出ているけれど、はたしてどうなることやら。あとあの日、瞳子と可南子ちゃんが密かに様子見していたらしいことが蔦子さまの口から出てきたり(蔦子さまってなにげに気配察知能力凄いんですよね)。
 そして今日は紅白合同デートだった。祐巳さまと紅薔薇さまがどうしてもお礼をしたいというので、むげに断るのもなんだしということで付き合うことにしたのだ。駅前集合からお買い物や昼食、前に紅薔薇姉妹がバレンタインデートで訪れたという喫茶店にも寄って(お礼ということで食事代は紅薔薇さまのおごりだった)。紅薔薇さまのお嬢様的なエピソードが聞けたり祐巳さまがいつになくはしゃいでいたり、何より志摩子さんと一緒だったのでとても楽しかった。
 夕方になって再び駅前に戻ってきた4人はまた明日なんてありふれた挨拶をしてたが、ふと祐巳さまが乃梨子を呼んで、そしてとんでもない爆弾を残していってくれた。
「乃梨子ちゃん、本当にありがとうね」
「いえ、こちらこそありがとうございました」
「ほんと、良い子だよね乃梨子ちゃんって。志摩子さんが羨ましいなぁ」
「え、いやそれほどでも」
 そんなこと言いつつ、後ろで紅薔薇さまと志摩子さんも頷いているのが少し恥ずかしい。
「まあ、そういうわけでこれもお礼」
「えっ、あの、祐巳さま……!?」
「「っ〜〜〜〜!!」」
 祐巳さまはそう言って乃梨子に顔を近づけると、唇……のほんの少し右に、そ、その、キスをしたんです。
「乃梨子ちゃん、大好きだよ」
「あ、あの、その……」
「ゆ、祐巳?」
「祐巳さんにお姉さまが乗り移った……」
 そんな極上の笑顔で告白されても。戸惑っている乃梨子の後ろでは紅薔薇さまと志摩子さんが呆然としているわけで。明日からどうすればいいのかと乃梨子も悩むわけで。ついでにいえばリリアンの生徒に見られて噂になったりしたらどうしようとも思うわけで。

 祐巳さま、ひょっとしてまだ壊れていたりするのですか?


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