『がちゃSレイニー』
† † †
「祐巳さん、ちょっといい?」
「うん……」
休み時間になって、由乃は教室から祐巳さんを連れ出した。
こんなボロボロの祐巳さんを見て、そのまま放っておけるわけがない。
少し迷って。遠いけれど生徒があまり利用することのない職員室近くの、お手洗いに連れて行くことにした。
「こっちよ」
「えっ?」
祐巳さんの手を引いて、由乃はズンズンと進む。
由乃の手をぎゅっと握ってついてくる祐巳さんの表情は、いまひとつ優れない。
泣いてしまった顔を見られたくないんだろうな、と思った。
〜 〜 〜
「それで、どうしてか……聞いていい?」
洗面台。勢いよく出した水道の水で顔を洗って、今はスッキリした祐巳さんに、由乃は遠慮しつつ問いかけた。
授業中にボーっとしていたと思ったら、突然、涙を流し始めた祐巳さん。
時々、心配になって祐巳さんを見ていたから気付いてしまった。
瞳子ちゃんとはうまくいっている、と聞いていたのに。すわ何事かと、安心しきっていた由乃も焦ってしまったのだ。
「えっとね、夢を見ちゃって」
「……夢?」
「うん。瞳子ちゃんが遠くに行っちゃう夢」
「は?」
そんな夢を見たくらいで? と、一瞬呆れかけたけれど、祐巳さんの目は真剣だったので何かありそうだと思い直し、改めて聞いた。
「んーと、どうしてかしら?」
「えと。瞳子ちゃんは私の妹になってくれる、って言ってくれたんだけれど」
「けれど?」
「カナダ……」
そう言って祐巳さんの表情が曇った。
「あっ」
そうか。まだそれが残っていたんだ。
妹にはなる。けれど瞳子ちゃんはカナダに行ってしまうかもしれない。
せっかく姉妹になれると思ったら、すぐに離れ離れになってしまう。
そうなったら。じゃあ、何のための姉妹なの? ってわけだ。
それで祐巳さんは、プチメランコリー状態と。
(あーもうっ、一難去ってまた一難ってこのこと?)
とは言え、どうしたものか……と考える。
だが由乃は、今回は動かないことにしようと思っていた。
昨日のアレで、さすがに懲りたのもあるけれど。
あれだけの騒ぎになった責任の一端は、由乃にある。
責任を感じて火消しにパタパタしていた昨日のお昼休み。偶然にも中等部の菜々とばったり出会って、少しばかり話をしたときにも話題に上った、かわら版騒動。
菜々の手前、詳しくは話せなかったけれど。友達のためとはいえ味方に相談もせず勝手に動くなんて私らしくなかったかも、と考えたのだ。
影でコソコソするなんてのは、やっぱり性に合わない。正々堂々、真正面からぶつかってこそ島津由乃だろうと思う。
「それでカナダのこと、瞳子ちゃん本人から何か聞いたの?」
「ううん」
力なく、ふるふると首を横に振る祐巳さん。
ダメだこりゃ。
確か、向こうにご両親が住まわれていて。女優だったっけ? その勉強も兼ねてだったかしら。
このままだと『詰み』だけれど、でもまだ情報不足だ。
黙って瞳子ちゃんを応援してあげるのも、お姉さまの務めだろうけれど、そんなのは知ったこっちゃないわね。
そんな建前は、最後の最後になってからでも遅くは無いのだと由乃は思う。
だから、祐巳さんの心を確かめるために、一番必要なことを聞いてみることにした。
「祐巳さんは、瞳子ちゃんがカナダに行っちゃっても……良いの?」
「それは…………やだ」
少し間が開いたけれど、はっきりと言い切った。
祐巳さんのそのあたりの気持ちは、固まっているらしい。
「じゃあ、その想いは伝えるべきよ」
「うん。でも……怖いの。謝られたら、拒絶されたら、って。それで、こんな情けない私だと知って愛想を尽かされ──」
「だめよ!」
やっと姉妹になれて安心して、それで今度は怖くなったのね。たぶん。
でも。
「黙ってたら以前の祐巳さんと同じよ!」
「あ……」
「黙って身を引く? そんなのは嘘っぱちよ。祐巳さんの本当の想い、伝えるのは悪くなんて無い。誰が何と言おうと私が許す。それでもダメだったら、そのときは私が一緒に泣いてあげるから。だから諦めないで」
祐巳さんは悩んで答えを出したんだ。その答えは由乃が応援できるものだった。
じゃあ後は迷っている祐巳さんの背中を、ポンと押すだけでいい。
「えっと……」
「あ、ごめん。『もしも』のときの話は忘れて。今は前向きにね」
と言って由乃は後ろを向いた。
ちょっと台詞が恥ずかしかったかも? と自省した。
「ううん、由乃さんっ」
と祐巳さんが言った後、突然背中が暖かくなった。
『ありがとう』
そしてその温もりは、すぐに離れていった。
「えっ?!」
由乃は訳もわからず固まってしまった。
初夏だったか。以前、由乃が抱きしめたことはあったけれど。祐巳さんに抱きすくめられたのは、たぶん今回が初めて? のはず。
これはこれで、なんだかものすごく嬉しかった。
ここがお手洗いっていうのが、ムードぶち壊しなんだけれど。
「祐巳……さん?」
振り返ると、いつもの笑顔で祐巳さんが、
「私、頑張ってみるね」
そう言って、廊下へと出て行った。
「まったく。でも……」
一人残された由乃は、そっと呟いた。
きっと、うまくいく。
応援してるね、祐巳さん。