【1810】 デリバリー解けない魔法  (まつのめ 2006-08-25 23:16:41)


 うららかな午後の日差しを浴びた薔薇の館の中。その二階はアンニュイな空気に包まれていた。
 楕円テーブルに向かい合い、由乃さんと二人でお弁当を広げて居るのはいつのも光景。
 今は昼休み。お弁当の卵焼きを頬張る祐巳はその、好みの甘味に表情をほころばせつつ、もふもふと味わって、ごっくんと飲み込んでからその丸い瞳を正面で気だるそうにお弁当を食べている由乃さんに向けた。
「由乃さん」
「うん?」
 由乃さんは視線はお弁当に向けたまま、気のない返事をした。
 祐巳は言葉を続けた。
「わたしね、ご主人様になっちゃった」
「なんの?」
 ちろっと視線だけ祐巳の方へ向ける由乃さん。目が半眼になってちょっとガラが悪い。
 でも、いつもの事なので気にせず続けた。
「わかんない。昨日の夜、なったばっかだから」
 こんな話をしても由乃さんは相変わらず気だるそうな目のまま。
「ふうん」
 由乃さんはお弁当の中からおかずの仕切りのレタスを一切れつまんで祐巳のお弁当に乗せて言った。
「お給仕」
「いらない」
 というか、何処がお給仕なんだ。
「ご主人様が、好き嫌いしちゃダメでしょ?」
「信じてないでしょ」
 言ってることがめちゃくちゃだ。由乃さん、全然信じていない。
「ふぅ」
 祐巳はため息をついた。
 まあいい。すぐに信じてくれなくたって。わたしだって急な事でとまどってるんだから。
 由乃さんのくれた『お給仕(?)』を箸で摘み上げつつ言った。
「とにかくね、わたしも、なったからには自分が何のご主人様なのか知っておきたいんだ」
 ご主人様っていったら、誰かに仕えてもらう立場だって事くらいは祐巳だって知っている。
 でも誰かって誰? もちろん人とは限らないから、『何の』と言ったのだ。
 祐巳は『何かのご主人様』になった。それだけは確かなことだ。
「でも、どうしたらいいのかな……」
 窓の外に顔を向けながらそう呟いた。
 外は良く晴れていて、さわやかな風が並木の新緑を揺らしている。
「とりあえず、」
 由乃さんは相変わらずの調子で言った。
「小テストの予習かな」
「やっぱ信じてない……」
 午後の授業の小テストが目の前の問題で、お弁当を食べ終わったらのんびり過ごすわけにはいかなかった。
 いつもイケイケ青信号な由乃さんが妙に詰まらなそうにしているのはそのせいだけではないのだけど、その辺が輪をかけているのは確かなことだった。
 そのときだった。
「今、ご主人様の話してたわねぇ、祐巳さん」
 ふわふわのロングヘアー。柔らかな微笑み。
「志摩子さん?」
 同じテーブルでお弁当を食べていた志摩子さんだ。
 志摩子さんはいつもは妹の乃梨子ちゃんと一緒なのだけど、今日はなにかクラスの用事で来れなくて一人だった。
 ちょっと離れてお弁当を食べていた志摩子さんは、つつと祐巳の席の横に来て、興味深そうに目を見開き、優雅な口調で言った。
「私も気付いていたわ。今日のあなたは一味違うって」
 そういいつつ、手にした食べかけのお弁当をテーブルに置いて、祐巳の隣の椅子を引いてそこに座った。
「わかったの?」
「ああ、志摩子さんってお寺の娘だから……」
 由乃さんが思い出したように口を挟んだ。というか、お寺の娘、関係ないって。
 志摩子さんは祐巳への答えを焦らすように、箸でお弁当からおかずのなにか――あ、あれは多分銀杏だ――を口に運び、至福の表情で目を瞑ってもふもふと味わい、飲み込んでから、こんどはそのまま何かを思い浮べるようにして言った。
「宿題を忘れて先生に注意されていたあなたは、昨日とは違う!」
 そして目を見開き、祐巳に箸を持ったままの手を差し出して表情を輝かせた。
「主(あるじ)の威厳に満ちていたわ!」
 わかってくれたんだ! 祐巳がご主人様になったことを。
 というかクラス違うのに何処で見ていたのだろう?
 まあそんなことは些細なことだ。これできっと由乃さんも信じてくれたに違いない。
「威厳に満ちていた? わたし?」
 期待を込めて由乃さんにそう聞くと、
「まあ、堂々とはしていたけど」
 由乃さんは相変わらずの表情で気だるそうに言っただけだった。
「えっと、で、志摩子さん……」
「なあに?」
 志摩子さんのほうに振り向くと満面の笑みを浮かべていた。
「わたし、何のご主人様なの?」
 祐巳のことをご主人様だとみぬいた志摩子さんならきっと判るに違いない。
 そう思ったのだけど、志摩子さんはすげなくこう言った。
「わからないわ」
 はあ、志摩子さんでも判らないんだ。
 ちょっと期待しただけにガッカリ。
 志摩子さんはそんな祐巳の手を取り、爽やかな笑顔を輝かせて言った。
「わからないから、調べましょう?」


「定番なところで動物のご主人様はどうかしら?」
 私たちはお弁当を食べ終わり、中庭に出ていた。
「ゴロンタに飼い主はいないよ? 野良だし」
「そうね、反応もいまいちね」
 お弁当の残りでゴロンタを呼び寄せてみたものの、ゴロンタは差し出したウインナーの切れ端を平らげると、もはや祐巳たちを気に留めないで芝生の上でのんびり毛づくろいなんか始めた。
「呼べばこっちむくけど、ゴロンタのご主人様って感じじゃないよ」
「そうね、じゃあ、ほかを探しましょうか」


 そうやって、昼休みは、とりあえず校内を回って、各学年の校舎から、職員室まで回って、果てはごみ捨て場のカラスまで見てきたけど、たいした収穫は無かった。
 一年生の教室へ行ったときは、ちょっとだけそんな雰囲気にもなったけど、祐巳が、というより対象は三人均等で、『山百合会の二年生トリオが何をしに来たの?』と、興味が集まったと考えた方が良さそうだった。


 そして放課後。
 またお昼に回れなかったところを回り、薔薇の館に帰ってきたところだ。
「こんなことしてて、何か判るわけ?」
 文句を言いつつも、昼休みからずっと付き合ってくれた由乃さんが言った。
「そうね。『ご主人様』と言っても、ちょっと漠然としすぎて決め手に欠けるわね」
「ちょっと祐巳さん、その『ご主人様』になったって何か根拠はあるの? いやごめんね、無いんだよね? いきなり『なった』ことだけ判ったんだよね、あなたに期待した私が悪かったわ」
 なにやら自己完結してしまった由乃さん。何気に失礼だ。
 祐巳はこう言った。
「あるよ」
「へ?」
 目が点になってる。
 私だって根拠も無くそんなことは言わない。
 ちゃんと物的証拠があって『ご主人様』になったって言ったのだ。
「祐巳さん、その根拠ってなあに?」
「ほらこれ」
 そう言って祐巳は鈍い金色のなにかをポケットから出した。
「あら」
「ちょっと、何処から出したのよそんなもの?」
「え。ポケットから」
「……四次元?」
 それは、金属製の水差しのような奇妙な形をした物体だった。
 煤けていてちょっと年代物っぽい。
「ランプね?」
 そう言って志摩子さんはそれを手に取り検分するように眺めまわした。
「これってランプなの?」
「ええ、ほら、『アラジンと魔法のランプ』に出てくるランプよ」
「ああ、そういえば」
 たしかに、言われてみれば確かにそんな形をしている。ちょっと思いつかなかった。
 志摩子さんの言葉に感心していた祐巳に、苛立ったように由乃さんが割り込んできた。
「ちょっと! どうしてそれを昼休みの時点で言わないのよ! 重要な手がかりじゃない!」
「いや、忘れてたから……」
「だいたい、それがランプだってことも判らなかったのに、どうしてそれが『ご主人様』になった根拠なんて判るのよ?」
「えー、でも判ったんだよ? 『ご主人様』になったってことと、これが『証拠』だってことしか判らなかったけど……」
 そう言うと、由乃さんは渋い顔をして頭に手を当てた。頭痛がするなら保健室行った方がいいよ?
「はああ、非常識ね。まあいいわ。で、擦ってみた?」
「え?」
「つまり、“ランプの魔神”かなにかのご主人様になったんでしょ?」
 なげやりに由乃さんはそう言った。
「ああ、そうか。そうかも」
 確かにあの話では魔法のランプを擦ると魔神が出てきて主人公を『ご主人様』と呼ぶのだ。
 でもね。
「でも擦ったよ? ほら、煤けてて汚いから布で擦って磨いたんだよ?」
 更に、蓋を開けて中も見た。でもただの金属製の器でなにも変わったところは無かったのだ。
 裏返したりしてそのランプを見ていた志摩子さんが、
「あら?」
 何かに気づいたように声を上げた。
「なあに?」
「何か書いてあるわ。ほらここ」
 ランプの側面だ。
「この落書きみたいなの?」
 ミミズがのたくったような線と幾つかの点だ。
 祐巳は汚れか傷だと思っていたのだけど。
「アラビア文字かしら?」
「アラム文字かその派生文字ですね」
 横から口を出したのは乃梨子ちゃんだった。もちろん乃梨子ちゃんは放課後の最初から居た。
「あら、乃梨子読めるのかしら?」
「ええ、下に『∵』があるからこれを『p』として……」
 志摩子さんに顔を寄せるようにしてランプを覗き込む乃梨子ちゃん。
「凄いな。読めるんだ」
「ええ、中学の時、友達と一緒に調べたことがあって。読み方は『ぺいぺい』とか『ぽいぽい』とかかな?」
「とか?」
「この系統の文字は子音しか表記しないんです。これは英語のアルファベットで表すと『pypy』ですから」
 乃梨子ちゃんの解説を聞いた志摩子さんは頬に手を当てて、少し首を傾げて言った。
「……なにかの呪文かしら?」
「呪文?」
「そう、祐巳さんがこれを持って」
 志摩子さんがランプを差し出したので、祐巳はそれを受け取った。
「うん」
「それでその書かれていた呪文を唱えてみて」
「え? でもどう読むの?」
 母音が確定していないのに。
「じゃあ、祐巳さんが一番呪文っぽいって思う読み方で唱えてみて」
「呪文ぽいって言っても……」
 ええと『ぱいぱい』じゃエロくさいし、『ぺいぺい』ってなんか違う。『ぽいぽい』じゃなにか捨ててるみたいだ。あとは『ぴいぴい』と鳴いてもしょうがないし。
 あ! そうか!
 祐巳は『呪文っぽい』その言葉を口にした。

「『ぷいぷい』だっ!」

 ぼんっ! とその瞬間祐巳の目の前が白い煙で覆われた。
「きゃっ!」
「な、なにこれ?」
「……ごほっ」
 『きゃ』は志摩子さんで『なにこれ』は乃梨子ちゃんだ。
 最後のむせているのは由乃さん。どうも由乃さん、発生した煙の真ん中に居たようだ。
 少しして、煙は綺麗に消え失せた。
「煙だけね?」
「うん」
 部屋の中を見回したけど魔神らしき者は何処にも見当たらなかった。
「はぁ……、もう帰りましょ」
 由乃さんが、さも疲れたようにため息をつき、そう言った。
「結局、判らなかったわね」
「うん、呪文の読み方間違ってたのかな?」
「もう少し研究の余地がありそうね」
「いいよ、別に急がなくても」
 そして、今日のところは解散となった。


  ◇


「……由乃さん? なんで?」
「……こっちが聞きたいわ」
 家に帰った祐巳が、はああ今日は疲れたな、でも結局何のご主人様かわからなかったと、ため息をつきつつ、自分の部屋で例のランプを取り出して、ちょっとふざけて『ぷいぷい』とランプを擦ってみたら、ランプからまた煙が湧き出して、それが晴れると目の前に由乃さんが立っていたってわけ。
「で、その格好はなに?」
 由乃さんは面白い格好をしていた。
「なにって?」
 よくわからないという顔をした由乃さん。
 自分の手を見て、白い手袋をしているのにまず驚いて、それから頭の、レースのような素材のヘッドドレスに触れて『えっ!?』となり、
「な、なにこれ……」
 うろたえながら自分の体を見下ろして、自分が纏っているそのミニのエプロンドレスを見てこんどは『げっ』っとなった。
 エプロンドレスのスカートは何か入っているのかふわりと広がっていて、その下にニーソックスで覆われた細い足と露になった白い太ももが見えていた。
「な、なによこの服! なんで私がメイド服なんて!」
 そう、由乃さんはメイドだった。それはもう憎らしいほど完璧に。
 その時、後ろから声が聞こえた。
「なあ、祐巳帰ったのか? 古語辞典かしてほ……」
「あ、祐麒」
 振り返るとドアのところに弟の祐麒が顔を出していた。ドア空ける前にノックしろって言ってるのに。ってそういえばドア開いてたな。
「うぇっ、祐麒君!?」
 慌てた由乃さん、丈の短いスカートが恥ずかしいのか真っ赤になり、スカートの裾を両手で引っ張って少しでも太ももを隠そうとしてる。
「ご、ごめんっ!」
 なぜか祐麒まで顔を赤くして慌てたようにドアから引っ込んで行ってしまった。
「あれ、辞書、いらないのかな?」
「うぅ、……祐巳さん?」
 由乃さんはぺたんと絨毯の上に座り込んでいた。
「な、なに?」
 なにやら恨みがましい顔で祐巳を睨む由乃さん。
「これ、どういうことよ?」
「どうって……」
 由乃さんは、家に帰ってから着替えて部屋でくつろいでいたそうだ。
 で、突然、薔薇の館で祐巳が『ぷいぷい』って言った時みたいに、目の前が白くなって、気がついたらここにいたそうだ。
「ねえ、もしかして、私、由乃さんのご主人様かな?」
「知らないわよ!」
「でもさ」
「でももストも無いわ! なんでいきなり私がっ!」
「うーん、そこまでは」
「もう、やってらんない! 帰るわ!」
 そう言って由乃さんは立ち上がった。
 その格好のまま帰るつもりだろうか?
「う、うん」
「じゃあ、履く物貸して!」
「あ、そうだね」
 そして一緒に部屋を出ようとしたが。
「ぎゃああああっ!」
「由乃さん!?」
 ドアの所で由乃さんだけ部屋の中に弾き返されてしまったのだ。
「……部屋から出られない?」
 唖然として起き上がった由乃さんは、キッと振り向いて窓を見た。
「あっ、由乃さん?」
 そして駆け出した由乃さんは窓を開けて身を乗り出そうとして、
「ぎゃあーーーーっ!」
 また同じようにはね返されていた。なにか火花が散ってたけど大丈夫かな?
 どうやら本気で部屋から出られないらしい。
「……どうなってるのよっ!」
 憤慨しつつ、座り込んで、転んで打ったところをさする由乃さんだった。
 そのとき、祐巳は由乃さんの着ているエプロンドレスのエプロンのポケットから何かがはみ出しているのに気付いた。
「ねえ、それなあに?」
「え?」
 よく見るとそれは古い本のように見えた。
 由乃さんはそれを取り出して、その表紙をしげしげと眺めて言った。
「ええと、『魔神の心得』?」
「日本語だね」
「うん」
 

  ◇

 『魔神の心得』によると、
 『一度ご主人様が決まったら変更はきかない』
 『一度の呼び出しにつき一つご主人様の願いを叶えること。願いを叶え、ご主人様が満足するまで魔神は帰ることが出来ない』
 『願いを叶えた満足度によって魔神は魔力を得る事が出来るが、このとき満足したご主人様が魔神の頭を撫でる事によってその供給がなされる』
 『魔力が増えるにつれて魔神はだんだん多くの魔法を使う事が出来るようになる』
 だ、そうだ。
 この『魔神の心得』は魔神用メイド服の付属品で魔神がご主人様を得た時、現れるそうだ。
 またこの冊子は、所有する魔神が魔力を貯めるにつれて、使えるようになった魔法の説明が浮かび上がるとのこと。
 そして全てのページに魔法の説明が浮かび上がった時、『魔神養成コース』の卒業となり、呼び出されることから開放される。
 そう書いてあった。
「なによ、じゃあこれは祐巳さんがご主人様になっちゃったというよりも……」
「そうだね……」
 

  ◇


 うららかな午後の日差しを浴びた薔薇の館の中。その二階はアンニュイな空気に包まれていた。
 楕円テーブルに向かい合い、祐巳さんと二人でお弁当を広げて居るのはいつのも光景だ。
 今は昼休み。由乃の今日のお弁当は海苔巻きづくしと凝っている。由乃はそのバランスの良い味覚に表情をほころばせつつ、もぐもぐと味わって、ごっくんと飲み込んでからその猫科のような瞳を正面で幸せそうにお弁当を食べている祐巳さんに向けた。
「祐巳さん」
「うん?」
 祐巳さんは視線はお弁当をつつく手を休めて由乃に向かい、返事をした。
 由乃は言葉を続けた。
「私、魔神になっちゃった」
「なんの?」
 そこで由乃はいったん俯いて、肩をぷるぷると震わせてから言った。
「祐巳さんのに決まってるでしょ!」
「ちがうよ、そこは『わかんない』だよ?」
「もう、どうしてこんな茶番劇しなきゃいけないのよ!」
「えー、楽しいよ?」
「楽しくないっっ!!」





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