朝は良く晴れていた空も、一転にわかに掻き曇り、遠い空から雷がゴロゴロと聞こえていて、今にも強い雨が降り出してきそうな気配だった。
薔薇の館の二階はそんな天気と裏腹にどういう訳かアンニュイな空気に包まれていた。
楕円テーブルに向かい合い、由乃は祐巳さんと二人でお弁当を広げて居た。
何の事は無い、いつのも昼休みの光景だった。
由乃は三色に色分けられたそぼろ弁当のひき肉そぼろの乗ったご飯をこぼさないように器用に箸で一口分すくい上げ、口に運んで、もぐもぐと味わった。そぼろは甘く味付けしてあって、これはどちらかと言うと祐巳さん好みの味付けだななどと思っていると祐巳さんがポツリと由乃の名を呼んだ。
「由乃さん」
「うん?」
由乃がなおざり気味に返事をすると祐巳さんは言葉を続けた。
「私、嘘つきになっちゃった」
「……なんだって?」
思わず眉間に皺が寄る。
「だから嘘つき」
「いつよ?」
「わかんない。今朝、気が付いたらなってたの」
由乃は俯いて、肩をぷるぷると震わせた。
いや、待てよ。
祐巳さんは『嘘つきになった』って言ったのだ。
しかも今朝は既になっていた。
ということは、今言った『嘘つきになった』って言葉は嘘つきの状態で言ったって事だ。
だからそれは嘘。即ち祐巳さんは嘘つきではないってことになる。
いや、それもおかしい。
嘘つきでないなら『嘘つきになった』って言葉が嘘じゃないから祐巳さんはやっぱり嘘つきって事になるのだ。
いやまて、だとすると……。
……というのは使い古されたジレンマだ。
真面目に取り合っているとバカを見ることは明らかだ。
由乃は力を抜いた。
「ふうん」
そして、緑色のピーマンそぼろを自分の弁当から取り上げて、祐巳さんのお弁当のご飯の白いところに撒いて言った。
「嘘つき記念」
「いらないー」
「ダメでしょ、嘘つきが好き嫌いしちゃ」
「……信じてないでしょ?」
「信じる信じない以前の問題。あなたが『嘘つきになった』ってことは言ってる事は全部、嘘なわけでしょ?」
「そうだよ」
「それじゃあなたが嘘つきかどうか定義不能よ」
「そうかな?」
「そうよ……って、ちょっと待って。今の『そうだよ』も嘘じゃないの? じゃあ言ってる事は全部が嘘って訳じゃないのね? それなら理解できるわ。あ、待って、全部が嘘じゃないって事は今の『そうだよ』も嘘じゃない可能性があるのよね? だとすると、嘘じゃなかった場合は言ってることが全部嘘だから、『そうだよ』も嘘で、じゃあいってる事は全部が嘘というわけではない。だから『そうだよ』は本当の可能性がある? 結局ダメじゃない! それでも定義不能だわ!」
「由乃さん難しく考えすぎだよ。私の言う事は全部、嘘になっちゃうだけだから」
いった事が嘘になる?
どこぞの青っぽいロボットがそんな道具を持っていたような気がする。でもあれも矛盾した存在なのだ。
「だから、それもおかしいわよ! だとしたらあなたが『私は嘘つきだ』と言った瞬間、あなたは嘘つきじゃなくなるはずじゃない!」
それを聞いた祐巳さんは平然と言った。
「そうだよ。だからもう嘘つきじゃないもん」
「うがー!」
「由乃さんが壊れた」
「うるさい黙れもうあんた喋るなっっ!」
「由乃さん落ち着いて」
志摩子さんが横から口を出してきた。
見るとその隣で乃梨子ちゃんが見下すような目で由乃を見ている。生意気だ。あとでシメる。
それは置いといて、
「志摩子さん聞いてよ祐巳さんが……」
「由乃さんよく聞いて、」
志摩子さんは言葉を遮って、でも言い聞かせるように丁寧にこう言った。
「実は私も嘘つきなの。私は嘘をつかない嘘つきよ。だから私が嘘つきだって事自体が嘘なの」
「がーーっ!!」
†
後日、由乃は関係者に、
『ついカッとなってやった』
『相手は誰でもよかった』
『今は反省している』
と、嘘をついた。