『桜の季節に揺れて』
【No:1746】act1〜act2
【No:1750】act3〜act4
【No:1756】act5〜act6
【No:1761】act7
【No:1775】act8
【No:1799】act9〜act10
【No:1823】act11
【No:1829】act12
act.13 甘い嘘はもういらない
謹慎が開けて水曜日。
早い時間に月曜と同じ場所でもくずを待っていたら、志摩子さんが来た。
私はもくずが今日は学校に来ない事を志摩子さんから聞いた。
病院と聞いたので、そんなの悪いのか心配したが、よく聞くと“健康診断のようなもの”だそうだ。
『転校の手続きの為に必要だから』なんていう、聞きたくない情報まで志摩子さんは教えてくれた。
本当にもくずは行ってしまうんだなあ、という実感がわいた。
寂しいとか、離れたくないとかは何故か感じなかった。
いや、私ともくずはそこまで行っていなかったのだ。
私はもくずのために何かしたいと空回りをし、もくずはもくずで自分の問題を一人で考えていた。もくずと会ってもう二週間になるが、見事にすれ違い続けていたのだ。
私は昨日の『桃子さん』とのメールのやり取りで、もくずがどう思っていようと、もくずは私の親友だと思うことにした。それくらいは思っていてもいいよね。
もくずが自分で考えて自分で決めたのならもう私に出来ることはない。
学園長の前ではあんなに激してたっていうのに、そんな風に割り切って考えてる自分に私は驚いていた。
もくずのこと“薄情”なんて思っていたけど、本当に薄情なのは私だったのかもしれない。
校舎までの道を歩きながら志摩子さんは言った。
「乃梨子、あの子、病院にいるから行ってあげて」
電話に出てくれなかったのは、病院にいってて本当に留守だったのかもしれない。でも、もうどうでも良かった。
「……べつにいいよ」
なんとなくそんな返事が口からこぼれた。
「乃梨子? どうしたの?」
志摩子さんが心配そうな口調? で言った。
「別に、私が居なくても……。もくずは自分で考えてここから出て行くって決めたんだから。……私に関係なく」
私はそのとき俯き気味に前を向いて歩いていたので志摩子さんの表情は見えなかった。
「乃梨子」
「え?」
志摩子さんの落ち着いた、でも強い口調に私は顔を上げて志摩子さんを見た。
髪の毛で半分隠れていたけれど志摩子さんの額に絆創膏が貼ってあった。
「乃梨子、本気で言っているの?」
このとき志摩子さんは怒っていた。
「だって、もくずは私のことなんかもう……」
「もう乃梨子はあの子のことはどうでも良いというの? ここを離れたらもう友達でもなんでもないの?」
「そんなことない!」
思わず声が大きくなる。
いつしか私も志摩子さんも銀杏並木で立ち止まっていた。
「もくずは、親友、……って私は思ってる」
片思いでも、そう思うことにしたのだ。
私のその言葉を聞いて、志摩子さんは表情を和らげた。
「よかったわ」
「え?」
「乃梨子があの子、もくずちゃんを切り捨てるって言ったら、私はあなたにロザリオを返してもらって、私もここを離れなくてはいけないと思っていたから」
志摩子さんがもくずのことをそう呼ぶのを初めて聞いた。
「ど、どうして!?」
どうして私ともくずのことで志摩子さんがそこまでしなければならないの?
「だって、乃梨子は私の妹だもの。乃梨子をうまく導けなかったら私の責任だから」
志摩子さんの声は少し震えていた。
「志摩子さん……」
「そうなったら私はここには居られないわ」
目頭が熱くなった。
そのとき、志摩子さんがずっと私の心配をしてくれていた事を私は理解した。
志摩子さんは間に挟まっているだけだったから話を聞くだけで何も出来ない。私以上に無力さを感じていたはずだ。
それなのに、どうすればもくずも私も上手く行くかで悩んで、心を痛めて。
「……ごめんなさい」
こんな結果になって一番辛い思いをしたのは志摩子さんだ。
涙がこぼれた。
こんなに思ってくれていたことに対する、申し訳なさと、嬉しさで。
私は頬を伝う涙を感じながら俯いた。
ふわっと、志摩子さんの匂いに包まれた。
志摩子さんに抱きしめられたのだ。
「行って、会ってあげて」
志摩子さんの肩に額をあてて、腕に包まれながらその言葉を聞いた。
「でも……」
「大丈夫、片思いなんかじゃないから。もくずちゃんがどうしてここを離れる事にしたのか、直接聞いてきなさい」
「……うん」
振られるにしろ振られないにしろハッキリさせることが、志摩子さんの想いに答えることにもなる。
そう信じて――。
◇
私は、そのまま学校をサボって志摩子さんから聞いた病院の場所へ向かった。
病院は一旦都心に出て電車を乗り継いでいかなければならい所にあった。
平日の午前中、リリアンの制服で都内をうろつくのはちょっと勇気が要ることだ。私は補導されそうになったときの言い訳を考えながら病院の最寄駅に向かった。幸い補導員に遭遇することはなく、予定通り目的の駅に到着し、駅から少し歩いたところにあるその総合病院の前まで来る事が出来た。
病院の広い敷地は手前が駐車場になっていた。
私は歩道になっている通路を通って大きな白っぽい建物の立派な入り口から中に入った。
入ってすぐの場所は広い待合所になっていて、正面右側に大きなテレビ画面が設えてあった。これで画面がもっと中央にあったらまるでシアターだなって思った。
でも正面方向は病院の外来窓口や会計などの受付が並んでいて、ここが病院の待合所だってことを主張していた。
私はとりあえず外来受付の前に行き、伝える名前にちょっと迷って、戸籍名の“海老名藻屑”を伝えた。そのお見舞いにきたと。
名前はそれであっていて、受付の人はその病室の番号とそこへの行き方を教えてくれた。
受付から廊下を移動して、やたら奥行きがあるエレベータに乗って、もくずの病室のある階に移動した。
エレベータを出ると病院独特の消毒の匂いがした。
白を基調とした清潔なといえば聞こえがいいが、殺風景な廊下を歩ていき、教えてもらった番号の病室の前に“海老名藻屑”の名札を見つけた。
名札は図式化した部屋の見取り図の上に貼ってあって、病室が四人部屋で、もくずのベッドが奥の窓際だって事がわかる。
もくずは、しっかり入院しているらしかった。健康診断ではなかったのか?
人間ドックなのか? なんだか転入手続きの書類に大げさだなあ、などと思いつつ、病室のドアを開け、中に入った。
中はカーテンで仕切られていて他の患者さんが見えないようになっているが、外の名札からするとベッドは全部埋まっているようだった。
「もくず。私、乃梨子よ」
声をかけ、私はもくずのベッドのところのカーテンを開け、中に入った。
「え!?」
もくずはベッドで上体を起こして座っていたが、私が入ってきたのを見て慌てたような声をあげた。
「の、乃梨子?」
「うん、乃梨子よ。元気だった?」
もくずは膝の上に水色のワープロのようなもの、いやノートパソコンだった、を乗せてなにやら打ち込んでいたようだった。
見ると電源と電話の線がベッドの向うに伸びていた。というか最近の病院はパソコン通信OKなのか。
「げ、げ、元気だよ?」
なにやら慌てているのはなんだろう。
もくずは急いでキーボードを操作して、私がもくずの横に来ると同時にノーパソを閉じてしまった。
「なにしてたの?」
「え? うん、ちょっとインターネット」
「Eメール?」
「うん、前の学校の友達だよ」
隠すようにもくずは水色のパソコンに手を置いていた。
メールの内容を見られるのが恥ずかしいのであろう。
でも良かった。これでもくずとEメールでやり取りが出来る事がわかったから。
「で、なんで入院してるの? そんなに足、悪いの?」
私が聞くと、もくずはこう答えた。
「ううん、足直すから」
「直す?」
「そう。魔女と交渉が成立して……」
また始まりそうになった人魚話を私は遮って言った。
「もくず、魔女はなしよ」
「うーっ」
もくずはなにやら不満そうな顔をした。
「私、心配してるのよ? どういうことなのか教えて」
そう言うと、もくずは俯いて、小さな声で言った。
「……手術、怖かったから」
「怖かった?」
「うん。皮膚切って、肉も切って骨をガリガリガリって削って鉄入れてまた塞ぐの」
「なっ……」
生々しい言い方だ。
「その検査なの」
なるほど。
なんとなく判った。今まで足の整形手術をもくずが嫌がっていたってことだ。
「……それで、足を治す気になったのね?」
「うん」
でも学校、変わるのにどうする気だろう? 学園長が姉妹校っていってたから関東近辺じゃないはずだけど……。
そんなことを考えているともくずが顔を少しあげて、上目遣いに私を見て言った。
「乃梨子、なんで来たの? 学校は?」
「今日はサボり。もくずに会いに来たのよ」
「ぼくに?」
「そうよ」
「……」
ここでもくずはまた何故か俯いてしまった。
「どうしたの?」
「……聞いた?」
「なにを?」
「ぼくが学校やめるって」
来たな。まさにその件で、学校をサボってまでここに来たのだ。
「聞いたわよ。どういうつもり?」
「……怒ってる?」
そう聞くってことは、私が憤慨するって判ってたのか。
このとき私は、月曜日の『ごめんね』は、このことだったんだと思い至った。
「怒ってるわ」
そう言うと、もくずは黙って、ノーパソの上に置いていた手をきゅっと握った。
そして、言った。
「ぼくのこと、嫌いになったよね?」
「ばか。忘れたの? 私は予言したよね。『あなたのこと好きになる』って」
もくずは顔を上げた。
「ぼくのこと?」
「そうよ。私はもくずが好き。もくずがどう思っているか知らないけど、あなたは私の“親友”なのよ」
そう言いきった。
もくずはそれを聞くとまた俯いた。
俯いたまま、両手で自分の頬を抑えた。
「どうしたの?」
私はもくずの顔を覗き込んだ。
膝に置いた水色のノーパソのパネルに水滴が落ちた。
「……泣いてるの?」
もくずは黙って首を横に振った。
でも水滴ますます多くなって、もくずはしゃくりあげるように泣きつづけた。
「もくず?」
しばらく泣いたもくずは、やがてパジャマの袖でごしごしと涙を拭って顔を上げた。
私は至近距離でもくずと見詰め合った。
「乃梨子、」
「なに?」
「好き」
そう言って、もくずは突然私の顔を両手で挟むように抑えてた。
そして、ちゅっと。
唇に柔らかい感触を感じた。
「!」
私は驚いて身体を起こし、唇に手を当てた。
「えへへ」
「も……」
もくずは、へらへらと嬉しそうに笑っていた。
キス、された。
もくずにキスされた……。
口元に手を当てて、私は唖然としていた。
◇
「こっちで手術してからリハビリは向うに行くの」
「それで、どのくらいこっちに居るの?」
私はあれから何とか平静を取り戻し、ベッドの横の椅子に座ってもくずと話をしていた。
まださっきの余韻で、もくずから目を逸らして、ベッド脇にあるお見舞いなどを置く棚に視線を向けたりしながら。
棚には何故かたくさんの駄菓子が置いてあった。
「んー、手術してから一週間くらいだって」
「そんなに早いの? 骨いじるんでしょ?」
「ハイテク手術。すぐ直るからそれくらいなんだって」
「ふうん」
まあ、そういうものなのだろう。技術の進歩でもくずの苦痛が減るならそれに越した事はない。
「そのあとリハビリ。でもぼくの場合片足だけだからすぐ学校いけるって」
もくずは本当に軽い調子で話していた。
でも私は調子を合わせて和やかに話をするつもりはなかった。
私はもくずの方を見て言った。
「……でも、そのときはもう向うの学校なんでしょ?」
それを聞いたもくずは、沈んだ表情をして俯いた。
「うん……」
それきり二人とも喋らなかった。
静まり返った病室。
カーテンの向こうの患者さんが咳払いをしたのが聞こえた。
私はもくずのベッドの白いシーツを見ながら言った。
「もくず」
もくずも私と同じように俯いたままだった。
「もくず、行くな」
もくずは黙っている。
「なんで行く必要がある?」
もくずは動かない。
「こっちでも良いじゃない。なんでダメなの? 私と一緒じゃどうしていけないの?」
もくずは俯いた顔を縦にも横にも振らない。
「ねえ、もくず、答えてよ?」
「ぼく……」
ようやく、もくずは口を開いた。
私はもくずの次の言葉を待った。
もくずは言った。
「ぼく、乃梨子が好きだから」
「じゃあ、なんで?」
好きなら一緒にいても良いじゃない。
でも、もくずは反対のことを言った。
「好きだから一緒に居ちゃいけないの」
「私を傷つけるから?」
先日聞いた話を思い出してそう言った。
「……」
もくずは返事をしなかった。
「私は平気よ? あなたの好きって言葉を信じるわ」
「……一緒に居ちゃ、いけないの」
もくずは言い聞かせるようにもう一度そう言った。
「どうして?」
「どうしても」
わからないよ。
そんな言葉じゃわからない。
そして。
「もう帰って」
「もくず?」
もくずは軽く俯いたまま、足にかけてある毛布の方をじっと見つめていた。
「乃梨子と話したくない。もう帰って」
決別の言葉。
私は頭の中が真っ白になった。
もくずが私と話したくないって――。
私は幽霊のように立ち上がり、そして言った。
「……わかった。帰るわ」
「さよなら、乃梨子」
それが最後の言葉だった。
私はもくずに振り返らず、仕切りのカーテンから外に出て、病室から出た。
(わかんないよ。もくず。あなたは何を考えてるの?)
『どうしてここを離れる事にしたのか、直接聞いてきなさい』
――ねえ、志摩子さん。
聞けなかったよ?
もくずは教えてくれなかったよ?
(続)