【1838】 さよなら人魚  (まつのめ 2006-09-07 17:46:19)


『桜の季節に揺れて』(最終回です)

 【No:1746】act1〜act2
 【No:1750】act3〜act4
 【No:1756】act5〜act6
 【No:1761】act7
 【No:1775】act8
 【No:1799】act9〜act10
 【No:1823】act11
 【No:1829】act12
 【No:1831】act13






 act.14 人魚流転


 病院を出たとき、時間はまだ午前中だった。
 私は学校へ行く気になれず、そのまま家に帰った。
 そして何をする気力も沸かず、制服のまま、鞄もそこに放り出したままリビングで座ってボーっとしていた。
(振られた、のかな?)
 でも、もくずは「好き」って言って、私にキスまでした。
「なんでかなぁ……」
 思わず声を出してそう呟いていた。
(わかんないよ、全然わかんないよ……)
 好きだって言ったり、話したくないって言ったり。
 キスした後、嬉しそうに笑っていた。
 あそこでわかり合えたと思ったのに。
 『一緒にいちゃいけないの』
(どうしてそんなこと言うの?)
 『乃梨子と話したくない』
(「好き」って言ったのはなんだったの?)
 『もう帰って』
 涙が出てきた。
 判らないからもう一度、回想して、わからなくてまた涙が出てきた。
 そんなことをぐるぐると、リビングで座り込んだまま何回も繰り返して。
「なんだい、お通夜でもあったのかい?」
 気がつくと菫子さんがリビングのドアのところに立っていた。
「あ、おかえりなさい」
「ああ、ただいま。どうかしたのかい?」
「……」
「なんだ、言い訳する元気もないのか」
 あきれたように菫子さんは言った。
 普段の私だったらバレバレでも『なんでもない』って強がって見せるのに今日はそんな気力もなかった。
「重症だねえ、言ってごらん? 話、聞くからさ」
 菫子さんはリビングのテーブルにカップを二つ置いて、私の前に座った。
 いつの間にココアなんか作ったのだろう?
 そうか、私がボーっとしている間に帰ってきて、私の分まで作ってくれたんだ。
 帰ってきて来たことも、台所でココアを作っていたのにも気づかなかった。
 私はココアに手を出さずに菫子さんに訊いた。
「ねえ菫子さん」
「なんだい?」
「『好き』って言った相手にさ、『話したくない』、『帰って』とか言う事ってあるかなぁ?」
「はて、いろいろな場合があるだろうけど、リコが言われたのかい?」
「私がね、好きだって、親友だって言ったらあの子、泣いちゃって、それから……」
 私はあの時の事を洗いざらい菫子さんに話していた。
 菫子さんは私がつっかえながら話すのを頷きながら根気よく聞いてくれた。
 そして一通り話して私が「なんでなのかなぁ」と結んだ後で、菫子さんは言った。
「……やれやれ、リコはこの前の話、もう忘れてしまったのかい?」
「え? この前の話って?」
「その子はこの前言ってた『どうしようもない嘘つき』なんだろ?」
「う、うん」
 それが何?
「簡単じゃないか、どっちかが嘘ってことだろ?」
「どっちかって?」
「リコはどう思うんだ、『好き』が嘘かい? それともリコと『話したくない』が嘘なのかい?」
「あ……」
「どうなんだ?」
「『話したくない』、が、……うそ? でもどうして?」
「そりゃ理由があるからに決まってるだろ? この前そう教えただろ?」
 そういえばそうだった。
 もくずには『好き』って言った私と『一緒にいちゃいけない』理由がある。『話したくない』理由があるんだ。
 決別の言葉がショックでそこで私は思考停止していた。
 そうだ。確かめなければならない。
 もくずが離れる選択をした理由を。
「目に輝きが戻って来たね?」
 菫子さんがそう言った。
 でも、まだ停止してた思考が帰ってきただけに過ぎない。
「……私、聞いてみる」
「そうしな」
 私は、もくずにメールアドレスを教えたことを思い出した。
 後でアドレスを送ってと言ってメモを渡したのだ。
 直接話せないことでも、メールなら話が出来るかもしれない。
「で、どうなんだい?」
「え?」
 菫子さんが悪戯っぽくにやにや笑っていることに気付いた。
「ファーストキスだったのかい?」
「あっ!」
 恥ずかしくて顔が熱くなった。
 さっき洗いざらい、私はもくずとキスしたことまで話してしまったのだ。


   ◇


 私は自分の部屋に入ってすぐパソコンの電源をいれて、それから、帰ってから着たままだった制服を脱いでハンガーにかけた。
 そして、普段着のシャツとスカートを身に着ける前に、起動したパソコンを操作してメールソフトを立ち上げ、メールをチェックした。
「あっ!」
 メールが一件。
 送信者は、『もくず』だった。

 私はいつもの習慣でそのメールを打ち出し、プリンタの音を聞きながら、普段着に着替えた。
 あんな別れ方をしたから気まずいだろうし、メールはもくずのアドレスを伝えるだけの内容の無い返信だと思っていた。
 これでじっくりメールをやり取りできるな、なんて思いながら、着替え終わって何気なくプリントアウトされた紙を取り上げてざっと眺めた。
「もくず……?」

 そのメールにあった言葉――。


『……ぼくは乃梨子のそばから離れます。

  さようなら乃梨子』


 私は携帯と財布をポケットに突っ込んで部屋を飛びだした。
 菫子さんはまだリビングにいた。
「何処へ行くんだ?」
「“嘘つき”のとこ!」
 そう答えて廊下を走り抜けた。
「がんばりな」
 玄関から出る直前に菫子さんの声が聞こえた。
 私は駅まで走り、朝、乗ったのと同じ電車の路線を、今度は焦燥感を感じながらまた辿った。
(もくず、どういうつもり?)
 乗り換えで走っても大差ないのだけど、私は一刻も早く行きたくて、階段を駆け下り、駆け上がって、息を切らして電車に乗り込みまた苛々した。
 そしてようやく、目的の駅に達し、駅の階段をまた駆け上って駆け下りて、病院までのちょっとした距離を走った。
 病院の広い待合所は朝より混んでいた。
 私は受付に寄らず、まっすぐもくずの病室に向かった。
 でも。
(名札が、無い?)
 今朝来た病室の前の“海老名藻屑”の名札が無くなっていた。
(病室、変わったの?)
 私は病室に入ってみた。
 もくずがいたベッドは囲んでいたカーテンが開かれていて、ベッドには布団も枕もなく、奇麗に片付けられていた。
 手術をするって言っていたから、その関係で変わったのかもしれない。
 私は待合所に舞い戻って、受付に“海老名藻屑”のお見舞いに来た事を告げた。
 受付の女の人は、端末を操作して、少ししてから、
「海老名さんは退院されました」
「え?」
「ええと、ああ、今日ですね。今日の……今しがた退院手続きを終えたばかりです」
 唖然としている場合ではない。
 私は受付の人の言った言葉を理解すると、すぐに振り返って待合所を見回した。
 外だった。
 待合所の外の駐車場に面したガラス張りの壁面ごしに、見覚えのある後姿が見えた。
「もくず!?」
 私はエントランスに走った。
 もくずらしき後姿のあった場所に行くには少し回り込まなくてはならなかった。
 ガラスの自動ドアを抜けて、駐車場に向かった。
 その場所が見えたとき、もくずはタクシーに乗り込むところだった。
「もくず!」
 一瞬、もくずが顔を上げてこちらを見た。
 でも、そのままもくずは車に乗り込んでしまい、ドアが閉まった。
(どうして?)
 タクシーは私が走り寄るよりも早く発進して、私が見ている前で病院の駐車場から走り去ってしまった。
(なんで急に退院なんて?)


 その直後、私は無理を言って担当の医師から話を聞きだした。
 その医師によると、この病院に入院したのは検査のためで、整形手術の為ではないとのことだった。
 つまり、私はもくずに一杯食わされたのだ。
 退院も別に急なことではなく、今日中に退院ということは、前から決まっていたそうだ。


 携帯は相変わらず繋がらず、帰ってからもくずの家に電話したらもう転校先の寮に行ってしまったと言われた。行く時期が早まった事に関しては母親は「知らない」と言った。母親は保護者が必要な手続きだけして、引越しなどはもくずに任せていたようだ。
 なんとか連絡先を聞き出して、そこに電話をかけたら、そこは寮の管理室で、電話に出た女の人には『決まりだから保護者以外には取り次がない』と言われてしまった。
 時間差でばたばたと出て行ってしまったもくずだが、どうやら、引き止められることを恐れた計略だったようだ。


 何回も中学校を変えたときも、もくずはこんなことを繰り返していたのだろうか?
 好意を向けられて、それを自ら破壊して。

 ――もくずにその気が無ければ、もう連絡も取れなくなってしまった。


   ◇


 翌日、私はまた由乃さまに引っ張られて薔薇の館に行った。
 もくずが去ってしまったことを話したら、志摩子さんが驚いて、そして泣き出してしまった。
 私は、泣きながら「ごめんなさい」をくりかえす志摩子さんに、どういうことなのかと聞いた。
 志摩子さんは、私がもくずのお見舞いに病院へ行った前の日に病院に行って、もくずと会って来たそうだ。
 そこで志摩子さんはもくずに襲われたという。額の絆創膏はその名残だそうだ。志摩子さんはこのことを誰にも秘密にしておくつもりだったらしい。
 自分のせいだと謝る志摩子さんだったが、もくずは入院した時点で去ることを決めてしまっていたから志摩子さんのせいではない。
 私は以前に一度だけ、もくずに志摩子さんの話をしたことがあったことを思い出した。
 志摩子さんは、私にとって“特別な人”だと、私はもくずに話したのだ。


   −−−−

   ○月○日 居場所

   人間は怪獣になります
   人魚も怪獣になります
   怪獣は自分の居場所さえ破壊し尽くしてしまうのです
   元に戻れてももう居場所はありません

   −−−−


 学園長からの呼び出しがあった。
 呼び出された私は、前回と同じように学園長の机の前に立ってまず前回の暴言を謝罪した。
「あの、先日は失礼なことを言ってしまって、申し訳ありませんでした」
 学園長は深々と頭を下げる私に静かに言った。
「……頭を上げてちょうだい。私もあなたに謝らないといけないわ」
「え?」
 私は、学園長がもくずに、ここに残って通学しながら心の問題を解決していくように勧めていたことを、志摩子さんから聞いていた。
 前回、私が学園長に向かって怒鳴ってしまった内容は言いがかりとしか言いようがないことだった。私は学園長の心遣いに対して無理解であったことを後悔していた。
 でも学園長はこう言った。
「あなたの言った通りだったのかも知れないわ。私は選択肢を示したつもりになっていたのだけど、海老名さんは私が思っていた以上に追い詰められていたのね」
「そんな」
「こんな結果になってしまった責任は、全て私の力不足のせいよ。ごめんなさい」
 そう言って学園長は頭を下げた。
「そ、そんな、私なんかに頭を下げないで下さい。私だってもくずには、愛子さんには何をしたって訳でもないし、結論は彼女が自分で考えて決めたんです」
 そう、散々振り舞わされた挙句、あっさり切り捨てられた。私はそう感じていた。
 学園長は言った。
「いいえ、何もしてないなんて事はないわ。あなたは私が出来なかったことを海老名さんにしてくれた。あなたが居たから海老名さんは自分から自分の問題に向き合うことが出来たのよ」
 その言葉は重く、私の心に響いた。
「もくずが? 私が居たから?」
「ええ。そうよ」
「ただ、一緒に居ただけなのに? 悩みを聞いたりとか全然していないのに?」
「それでいいのよ。一緒に居る事で、あなたは海老名さんを守って、励まして、自分に向き合う力を与えてくれた。あなたはずっと裏切らずに好意を向け続けていたのでしょう?」
「それは、判りません」
 もくずが憎らしいと思ったこともあった。
 もくずが遠いと感じて心が冷めた事も。
「いいえ、あなたは側にいて決して裏切らなかった。心の底ではあの子の信じていた。だからこそあんな風に私に怒鳴ったのでしょう?」
「す、すみません……」
「私はあなたの言葉を聞いて恥ずかしくなったわ。私には二条さんの十分の一もあの子を信頼する気持ちがなかったって。私はあの子を何とか救ってあげたいなんて思っていたけれど、あなたの純粋な想いに比べたら、それはただのエゴだったって」
「そんな、買いかぶりすぎです。私はそんな……」
「そうね。買いかぶりすぎかもしれないわ」
 そう言って学園長は微笑んだ。
 いや、誉めるのは、貶すのか、どっちかにして欲しいんですけど……。
「でも、たとえ思い込みでも、自分を信頼してくれる人がいるっていうことがどんなに励みになるか、あなたは判らないかしら?」
 それは……、判る気がする。
 でも。
「私は、知らなかっただけです。だから、もくずがそんな子じゃないって思いこみたかっただけです……」
 そう。
 結局、私の一人相撲だった。もくずの心の問題なんて志摩子さんに聞くまで全然知らなかったし、一緒にいても全然判ってあげられなかった。
「好きだったのでしょう?」
「え?」
「掛け値なしに、あの子のことを好きになってくれたのよね?」
 もくずのことを?
「……はい」
 少し考えて、そう答えた。
 そうだ。もくずの過去なんて関係なく、私はもくずのことが好きだった。
 それは一方的な「好き」。自分勝手な「好き」だったけど。
 学園長は言った。
「みんな、あなたの為だったのよ」

 涙が出た。

 ――すれ違っていたんじゃなかったの?
 もしかして、私に答えようとしてくれていたの?

「彼女は変わったわ。それを信じてあげて」
「あ……」
 『はい』と答えようとして言葉にならなかった。
 自分がどうしてこんなに泣いているのか良く判らなかった。

 学園長は感慨深くこう言った。
「でも、私がもっと上手く指導できていれば彼女を行かせずに済んだかもしれないわ。いえ、これも自惚ね……」
 そんな言葉を上の空で聞きながら、
 私はもくずの決心を尊重しようと思った。

 リリアンを離れて頑張るもくずを応援したいって思った――。










  題 名:乃梨子へ
  送信者:もくず

   ぼくはお父さんとおんなじです。

   お父さんは弱い人でした。

   でも感情が激しい人です。

   ぼくはお父さんに何回も叩かれました。

   足が悪いのも小さい頃お父さんがぼくを思い切り叩いたからです。

   ぼくはお父さんが好きでした。

   いまでもお父さんが好きだと思います。

   でも、カウンセラーの人はそれは錯覚だといいました。

   ぼくのそばにお父さんしか居なかったからそう思うだけだっていいました。

   でも、お父さんがぼくのこと嫌いじゃなかったことをぼくは知っています。

   嫌いじゃないのに叩いてしまう気持ちもぼくならわかります。

   お母さんはお父さんを捨てました。お父さんが壊れているからです。

   ぼくも壊れています。

   ぼくは乃梨子の大切なものを傷つけました。

   これからも乃梨子の大切なものを傷つけてしまうと思います。

   ぼくは乃梨子が好きです。

   壊れていない乃梨子が好きです。

   だからぼくは乃梨子のそばから離れます。

   壊れたぼくが直るまで

   さようなら乃梨子










 (FIN)








あとがき(追加 2006-09-08 19:20:00)

 これは、現代の歪んだ社会を揶揄するような小賢しい心理劇などではなく、単純な Girl meets girl な話だと思っています。
 乃梨子がもくずと、手を繋ぐ→抱き合う(だっこ)→キスする、と来て、最後にもくずからメールが来て、ここで初めてもくずの心情が判り、両思いの成立。だからこの恋物語はここで終わりなんです。ここから先は違う物語になってしまう。
 いずれにしろ、既に一方の原作とほぼ同じ文量を消費し(ここ重要)、当初のプロットは破綻寸前、最後はラスボス(シスター上村ですよ)に語らせるという緊急措置を取ってなんとか完結させることが出来ました。
 書いてみて判った事は、表現すること、しないことのさじ加減が難しいってことでした。語りすぎれば陳腐になるし、語らなすぎれば訳がわからなくなります。一応、連載ではなく一気に読むことを意識して書かせてもらいました。なので時間を置いて読んでいた方々は多少「??」になっていたかと思います。ごめんなさい。



おまけ(追加 2006-09-09 12:08:00)
 こぼ落ちに「いい話的END」を公開。【Cb:93】、[HomePage]のとこ。


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