【1843】 秋の記憶  (朝生行幸 2006-09-09 23:55:17)


「はぁ………」
 薔薇の館でただ一人、窓の外を眺めながら小さく溜息を吐いたのは、黄薔薇のつぼみの妹、島津由乃だった。

 ほんの一週間前、一人の少女が山百合会に仲間入りした。
 その少女の名は、福沢祐巳。
 紅薔薇のつぼみの妹だ。
 祐巳が、紅薔薇のつぼみ小笠原祥子の妹になるに及び、いろいろ悶着はあったものの、今では当たり前のように、その場に納まっている。
 今までは自分が皆から可愛がられていたのに、祐巳が現れてから、衆目は彼女ばかりに集まっており、由乃としては内心面白くない。
 人と付き合うにあたり現れる、最も厄介な感情。
 そう、嫉妬という感情だ。
 しかし、否応もなく彼女に惹かれていくその気持ちは分からないでもない。
 自覚したくはないのだが、明らかに自分自身も惹かれていることには、気付いていたのだから。

「おや?」
「あ」
 突然、開いた扉の影から姿を現したのは、白薔薇さま佐藤聖。
「ごきげんよう、居たんだ。今日は仕事が無いから、全員帰ったもんだとおもってたけど」
「ごきげんよう。そう仰る白薔薇さまは?」
「はは、すぐに帰ったところで、特にやる事もないからね。適当に時間を潰そうと思って」
「そうですか………」
「ところで由乃ちゃん、溜息なんか吐いてどうしたの?」
 その聖の言葉に、ドキリとした由乃。
「どうして、分かったんですか?」
 見えていなかったはずなのに、まるで見えていたかの様に。
「察するに、令のことじゃないわね。そうね………祐巳ちゃんのことかな?」
 さらにドキリと来る。
 どうしてこの人は、心中の考えまで、正確に読むことが出来るのか。
「………そうです。こんなこと言ってはなんですが、私は病弱で儚く、可愛らしい容姿の結構な美少女で、今まで自他共に認める山百合会のアイドルとして頂点を極め、君臨してきたじゃないですか。ところが、まるでパッと見た感じ目立った特徴の無い狸面の彼女が、どうして私を差し置いて、あそこまで持て囃されるのか。それが分からない上に、なんだか口惜しくて。こうなったら私も、祐巳さんのように振舞った方が良いのかな、なんて」
 よほど鬱屈していたのか、かなりの暴言が由乃の口から飛び出した。
「その辺りを除けば、そりゃ私だって、大した特徴は無いですけど………いえ、身体が弱いぶん、欠点の方が多いけど、祐巳さんが、私とは違う何かを持っているのは分かっているけど………」
 視線を逸らし、ボソボソと呟く声が、段々と尻すぼみになってゆく。
「由乃ちゃんさぁ。例えば、自分の短所は隠して長所ばっかり喧伝していながら、相手の長所はまったく認めず短所ばかり責め立てる人をどう思う?」
 特に表情を変えるわけでもなく、いつもの席に着きながら、穏やかな口調で由乃に問い掛ける聖。
「そういうのをね、高慢な我侭バカって言うのよ」
 一転、吐き捨てるような口調になった。
「逆に、自分の短所ばかり口に出して長所を隠し、相手の長所を認めていても短所を知ろうとしない人はなんて言う?」
 再び、意図がわからない問い掛けの聖。
「そういうのをね、卑屈な自虐バカって言うの」
 今度は、哀れみが混ざった口調だった。
 どちらにも自分は当てはまっていないはずなのに、どちらも当てはまっているようで、由乃の瞳は微かに揺れた。
「でも、由乃ちゃんはそのどっちでもないよね。もしそうだったとしたら、令とあなた、いくら従姉妹であっても、単なる身内以上の関係にはならなかったはず。でないと、令があそこまで由乃ちゃんを可愛がるわけがないもの。昨今じゃ、嘆かわしいけど親の子殺し子の親殺しは当たり前だし、血が繋がっているはずの親兄弟姉妹でも、疎遠な関係はいくらでもあるもの。例え濃い血の繋がりではなかったとしても、二人は理想の、いやそれ以上の姉妹だと思うよ」
 由乃の姉である黄薔薇のつぼみ支倉令は、従姉妹同士という関係でありながら、下手な本物の姉妹よりよほど仲が良い。
 溺愛していると言っても過言ではないぐらいに。
「先に言ったどちらかになるのは簡単だし、そんな人は、探せば掃いて捨てるほどいるよ。でもあなたは、自分の長所も短所も理解しているし、気に入らない相手の長所短所も理解し、例え不本意だったとしても受け入れることが出来ている。由乃ちゃんのように、自分や相手の長所短所両方を認識した上で行動できる人なんて、世の中滅多にいないのよ」
「………」
 噛んで含めるような聖の言葉に、沈黙して聞き入る由乃。
「大体、仮に由乃ちゃんが祐巳ちゃんと同じように振舞ったところで、彼女のように見られると思う? 反対に、祐巳ちゃんが由乃ちゃんと同じように振舞って、由乃ちゃんのように扱われるかな? 人にはそれぞれ天分ってものがあって、上辺や見かけだけ取り繕ったところで、その人の本質は変わらないものなのよ。あなたも祐巳ちゃんも志摩子も、みんな違う人。みんな違う長所と短所を持っているよね?」
「そう………そうですよね」
 由乃は、小さく頷いた。
「短所は決して隠さず、長所は遠慮せずに全面に押し出して、そして自分らしくあること。そうすることによって、人は自分を正確に認識し、その上でようやく自分自身でいられるのよ。人は人、誰も他の人にはなれないから。そうね、出来れば一度、祐巳ちゃんとじっくり話し合ってみるといいよ」
「はい、そうしてみます」
 しっかりと返事した由乃の表情は、先程よりも大分穏やかになっていた。
「まぁ、私も人に偉そうなことを言える立場じゃないけどね」
 自虐気味に、口の端を吊り上げる聖。
「あーあ、珍しくいっぱい喋っちゃったから、喉が渇いたなぁ」
 その言葉を聞いた由乃は、黙ってシンクに立ち、聖好みのブラックコーヒーを淹れると、彼女の前にそっと置いた。
「どうぞ」
「おー、サンキュー。丁度コーヒーが飲みたかったんだ。気が利くねぇ」
「いえいえ、ささやかなお礼です」
 まったりお茶を楽しむ二人を残したまま、静かに日は暮れていった。

 このひと時が、由乃に手術を決心させた要因の一つであったことには、本人は気付いていなかった。


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