春風が吹いている。
4月ももう終わろうという時期、今年リリアン女学園高等部に入学した福沢祐巳は、古い建物の前に居た。初等部にすら知られているその建物は通称『薔薇の館』。
ここにいらっしゃるのは高等部の生徒会長にして羨望の的
『紅薔薇さま』
『黄薔薇さま』
『白薔薇さま』
このお三方が、生徒会長、書記、会計等を等しい割合で兼任するようになっている。
とは言え、大小の学校行事を合わせれば仕事量は相当なもの。なので、その妹や、そのまた妹がアシスタントとしてこの館に出入りしている。
ここでいう妹というのは、リリアン高等部に存在する特別な制度で、強い絆で結ばれた上級生と下級生がロザリオの授受によって結ぶ姉妹『スール』という意味での妹のこと。
もっとも、薔薇さまの妹ともなれば次に咲く薔薇、つまり蕾ということだから慣れさせるという意味もあるんだろうけど。
とにもかくにも、その館の前に私は居た。
「うわー」
きょろきょろと館やその周囲を見回る様は、外国の観光地に来た日本人みたいだけど、仕方ないといえば仕方ないだろう。
今日初めてここに来たんだから。
―――薔薇の館―――
名前も場所も、幼稚舎の頃からリリアンに通ってる私が知らないはずも無いけど、遠目で見たことはあっても、来たことは無かった。
別に許可が要るわけではない。
ただ、本当に機会が無かったのだ。
中等部以下はもちろん、クラブにも入っていない状況では来る必要が無い。
唯一あるとしたら、委員会くらいだけど、一年生でここに来ることも無いだろう。
なのに、今日ここに来てしまったのは、きっと昼休みの会話の所為。
「私、昨日お姉さまと一緒に薔薇の館に行って来たの」
その一言にそのグループのメンバーはもちろん、その周囲の人まで耳をそばだてた。
周囲の人の中には、お弁当入りの手提げを持って席を立とうとした私も含まれる。
「お姉さまに薔薇の館に行く用事が出来たんだけど、私に「あなたも行く?」って言って下さったの。」
その子の周りから「良いわね〜」という声が上がる。
わたしも心の中では少なからず同じように思った。
「そこで、紅茶を出されたのだけど、それも白薔薇のつぼみがよ。
私、緊張しちゃって手が震えちゃったもの。紅茶の味なんて分からなかったわ。」
中空をうっとりとした視線を漂わせながら昨日見た夢を思い出すかのように語るその子に、周りの子は質問を浴びせさらに詳しい様子を聞き始めた。
その頃になって、ようやく自分が席から立とうとした中途半端な格好であると気付き、慌てて席を立つと手提げ袋を持っていつもの友人のもとへ向かった。
足取りはいつもよりゆっくり、耳は声を拾うのに集中したままだったけど。
午後の授業が終わりクラブに入っていない祐巳の帰り、春の太陽はまだ高い。
ふと、昼間の会話を思い出し、帰ってからの予定が無いことを頭の中で確認すると、薔薇の館に向かう薔薇さまと鉢合わせしないように図書室に寄って時間を潰し、頃合を見計らって、ここへ来たというわけ。
初めて間近で見た薔薇の館は、とても古めかしく年代を感じる。
とても荘厳で、気高くて、薔薇さまが居るところにふさわしいと思った。
少し上に視線を向ければ、窓が見え少し開いている。
(きっと中では優雅にお茶を飲んでいらっしゃるんだろうな。きっと華やかで、まるで春がそのままそこにあるかのよう。・・・それにひきかえ、その下でそれを眺めている私はまるでマッチ売りの少女。)
館の中の想像と今の自分の格差を思うとため息がこぼれた。
「何か御用?」
「ひゃい。」
突然の問いかけに変な声が出てしまった。
慌てて振り返れば、そこに居たのは軽く腕を組んで微笑んでいる
『紅薔薇の蕾』『水野蓉子』さま
半月程前、入学式で見た姿がそのままそこにあった。
首の中ぐらいで切りそろえられたストレートヘヤ。
細く切れ長の瞳、意思の強そうな口元。
すらりと伸ばした背筋に凛という言葉が似合う。
「わっ、あ、・・・ご、ごきげんよう。」
ここは、何度も繰り返すけど歴史あるリリアン女学院。なにはともあれ、まずは挨拶。
「ごきげんよう。」
慌てているうえに、声が裏返ってしまった私に対し、蓉子様のなんと優雅なことよ。
「・・・」
「で、なんの御用なのかしら?」
訝しげに聞いてくる蓉子さま。
「・・・へっ?」
突然の蓉子さまの登場に旅行に出かけそうになった意識を引き戻し、言われたことを頭の中で数回繰り返してやっと理解する。
(今私が居るのは館の前であるわけで、居ておかしいのは蓉子さまよりむしろ私の方であるわけで。・・・どうしよう!?素直に言う?その方が良いよね?)
心の覚悟を決めるが、口までは出来なかった。
「よ、用事があるわけではなくてですね、こ、高等部に入った記念にいつ、一度薔薇の館を間近で見てみたいと思いましてですね。」
我ながら不審者丸出しな感は否めないが、必死で不審者ではないことをアピ−ルする。
「ふふっ、貴女って顔に出るタイプなのね。」
「あうー、良く言われます。」
普段、友人にいわれていることをそのまま言われたのと、笑われてしまったことに顔が赤くなるのが分かる。
「で、どう?」
赤くなった顔を隠そうと顔を背けていた私は、何を言われたのか分からず蓉子さまの顔を見た。
「館の印象よ。」
「ああ、えーと、素敵な建物ですね。」
「本当?」
まるで取って付けたかのような感想に蓉子さまは笑っている。
「本当ですよ。」
「そう、じゃあ、私は?」
軽く自分を指差しながら
「えっ?」
蓉子さまとの会話は、まるで英語の授業を受けているみたい。
良く聞けば簡単なことしか言ってないのに。ただ、「モアスローリー」と言ったところで会話のレベルが下がるわけではない。
それに、今度はさっきの館の印象のように応えるわけにはいかない。
(綺麗ですって言おうかな。でも、それってお世辞みたくない?例えば花に例えるとか、でも、薔薇のようです。ってのも変だし。)
「そんなに気を使わなくて良いわ。思ったままで良いから。」
私の顔がSOSを伝えた所為か、助け舟を出してくれた。
「・・・か、かっこよかったです。」
さっき振り向いたとき、最初に見た印象を言った。
「本当?」
そう言うと蓉子さまは眼を細めた。
軽く微笑んでいた口元がきつくとまではいかないけど、締められる。
きゅっと引き絞られた弓のように、私の心を射抜くように。
「はい。」
後から思えば、とても不思議な感覚だった。
私なのに私じゃないみたいに思ったことが素直にするりと言葉になった。
むしろ、なんで嘘をつくのか解らない。そんな気持ちだった。
「ありがとう。」
蓉子さまは華のように笑った。
「いえ。」
私も少しだけ笑った。
「本当なら、中に招待したいのだけれど、今日は会議なの。」
そう言いながら、私のほうに歩を進めた。
「会いに来てね。」
私の目の前で
「言っとくけど、社交辞令じゃないわよ。」
そう言うと、蓉子さまは私の横を通り抜けていった。
―――がちゃ ぱたん―――
また、私一人になった。
春風が吹く。
気持ちが落ち着いてくると、今の出来事が嘘のように思える。
マッチ売りの少女が見た幻のように。
どんなに幸せでも幻は幻。
束の間の幸福。
―――社交辞令じゃないわよ―――
蓉子さまの顔が浮かぶ。
「はい。」
蓉子さまに対する答え。
そして、今と現実と繋げるために。
春風が吹いた。
温かく優しい風が言葉をどこかへ運んでゆく。
(私がこの中に入ることは無いだろうな。)
しばらく眺めた後、私は踵を返しその場を離れた。
初投稿です。で、恐れ多いながら、初めて小説を書きました。
皆さんのすごさが分かります。
読んでいただけると分かると思いますが、話的にはそーゆーことです。
さらにいうなら、祥子と祐巳は同学年じゃありません。
つまり、そーゆーことです。
原作だと、月曜日にしかあたりません。
書かせていただけるなら、続編を書いてみたいです。
原案、オキ。執筆、ハルです。よろしくお願いします。平伏