『がちゃSレイニー』
† † †
「それはちょっと難しいわね」
二時間目前の休み時間。
瞳子が白薔薇さまにロザリオを返そうとしたときの、白薔薇さまの言葉だ。
白薔薇さまは、いったい何を考えていらっしゃるのだろう。
わからない。
事が不首尾に終わってしまい、自分の教室に帰る瞳子の足取りは重たかった。
確かに私は、自分が白薔薇さまの妹だったらいいのにと、言ったことがある。
あのときは白薔薇さまが、そう思っていいと言ってくれたから。『お姉さま』と、白薔薇さまを呼んでみたこともあった。
でも、それらは想像というか、思考の実験だったはずだ。
そんなことはありえないと、そう思っていたから甘えられたのだ。
そのことが原因で。ここまで大変なことになるなんて、その時は思いもしなかった。
『――こんな短い時間でそんな重要な話をしたくないの』
でもこの話は、以前にした話なのだ。
二人っきりではなかったけれど。黄薔薇さまが同席していたから駄目なのか。
思えば先週、その話をした日から瞳子は白薔薇さまと会っていない。
その間、白薔薇さまに何かがあったのだろうか。
けれど、『瞳子から、乃梨子と祐巳さんに伝えてくれる?』と、白薔薇さまはそうおっしゃった。
姉妹の問題だと。
乃梨子さんはわかる。でも、それならなぜ祐巳さまを誘うのだろう?
黄薔薇さまは駄目で祐巳さまなら良い話。
わからない。
いいえ。もしかしたら、白薔薇さまは知っているのかもしれない。
昨日の瞳子と祐巳さまのこと。
それならわかる。きっと白薔薇さまは怒っていらっしゃるのだ。
何も言わないで逃げようとした瞳子に。
そして、自分の妹に勝手なことをした、祐巳さまに。
でも、あの優しい白薔薇さまが怒っている姿を、瞳子は想像することができなかった。
違う。やっぱりわからない。
乃梨子さんに背中を押されて。でも白薔薇さまから難しいと言われて。
自分が蒔いた種だから自分で片をつける。祐巳さまを巻き込みたくなかった。
考えてもわからなくて。自分ではもう、どうにも出来なくなって。
「祐巳さま……」
階段の途中で立ち止まり、瞳子は思わず呟いていた。
「瞳子……ちゃん?」
聞き覚えのある声に顔を上げると。そこには今、自分が一番会いたいと思っていた人の姿があった。
(祐巳さま……祐巳さま!)
じんわりと、目の端に熱いものが溜まってきた。
「祐巳さまっ!」
気がつけば大好きな人の胸に、瞳子は飛び込んでいた。
「とと、瞳子ちゃん? どうしたの? ちょっと落ち着いて」
祐巳さまは驚きながらも瞳子を受けとめてくれた。
この人は。どうして瞳子が迷っている時に、傍に居てくれるのだろう。
そして。どうしてこの時、こんなにも大胆に祐巳さまの胸に飛び込んだんだろう。と、後から考えて恥ずかしくなった。
「わからないんです」
少し落ち着いた瞳子は、祐巳さまから離れて言った。
「えっと、何かな? 私もよくわからないんだけれど?」
それはそうだ。
これだけでわかったら、祐巳さまにはエスパーの称号が与えられることだろう。
「先ほど、白薔薇さまにロザリオをお返ししようと訪ねたのですが。白薔薇さまは、今は難しいと……」
瞳子の声が徐々にフェイドアウトしていくのが、自分でもわかった。
瞳子には白薔薇さまの理由が、さっぱりわからなかったからであり。
今朝、祐巳さまに、あれだけ自身たっぷりに言ったのに。いまだにそれを実行出来ずにいる自分の不甲斐無さが重なっている。
「え、そ、それで? どうして?」
「だから、わからないんです。でも。お昼に中庭でお話すると言ってらっしゃいました」
白薔薇さまに祐巳さまを誘うよう言われたから、ちょうど良い。
先ほど白薔薇さまがおっしゃった言葉を祐巳さまに伝えた。
「……お昼休みね? わかったわ」
「はい、あの、どうして白薔薇さまは……」
「うーん、それはわからないけれど。でもきっと。きっと、志摩子さんなら大丈夫。私も一緒だから。だからね? 瞳子ちゃんも、そんなに心配しなくても大丈夫だよ」
祐巳さまは瞳子に向かって、にっこりと微笑んでそう言った。
祐巳さまは白薔薇さまを信頼なさっているのだ。
祐巳さまのその言葉を聞いて瞳子は、心の中のもやもやが晴れていくような、肩の力が抜けるような、ほっとするような気持ちになった。
祐巳さまの言葉には、まったく根拠は無いのだけれど。どうしてだか本当に大丈夫だと思えた……。
でも。
もうすぐ授業が始まるからと、階段の踊り場を挟んでの別れ際。祐巳さまは瞳子の心に楔を打ち込んでいったのだ。
「……いっちゃやだ……」
「えっ?」
小さな声で祐巳さまが呟いた。
振り返って、はじめは何を言ったのかわからなかった。
今から二時間目が始まるのに? とか考えて。だから『もしかして、白昼堂々と授業をサボるおつもりですか?』と言い返そうとした。
けれど。
「瞳子に、カナダに行ってほしくない、の……」
じっと私を見つめてそれだけ言うと、動けずに固まっている私をその場に残して、祐巳さまは駆けて行った。
その時見た祐巳さまのお顔は、真剣でいて不安そうな、でも本気の表情だった。
〜 〜 〜
瞳子の、まだ祐巳さまには言っていない心の奥。本当の事。
それを瞳子は話さなければいけない。祐巳さまのため。
素直にそれを言えない自分に、心の中で何度も言い聞かせた。
二時間目、授業開始のチャイムを聞きながら、慌ててパタパタと教室に駆け込んだ。
ちょうど前の扉から入る先生がこちらをチラリと見たけれど、それだけで何事も無かったように授業は始まった。
感謝しつつ、瞳子は乃梨子さんの方を見た。
案の定、乃梨子さんはこちらを見ていたけれど。瞳子が首を横に振ると、驚いた後に複雑な顔をしていた。