【1880】 花も恥じらう乙女の心とはなんぞや  (8人目 2006-09-28 00:38:44)


『がちゃSレイニー』
 
     †     †     †
 
「先日、あなたカナダに行くって言っていたようだけど、それは、どうするの?」




 午前中、ずっと考えていた。

 ──瞳子に、カナダに行ってほしくない、の……。

 祐巳さまの、その言葉がとても嬉しかった。
 打算も何も無いところで、瞳子を必要としてくださっているのだと。そう思えた。

 でもそれと同時に、祐巳さまに心配をかけている自分にも気付いた。
 昨日の、就寝時の祐巳さまを思い出したのだ。

 祐巳さまに心配をかけたくない。言わなければいけない。そんな風に心の中で繰り返してきた。
 でも。それを言ってしまって、浅はかで、醜い自分をさらけ出したら。もしかしたら祐巳さまに、嫌われてしまうのではないかと不安だった。
(祐巳さまに嫌われたくない)
 なぜだかわからない。
 どうして瞳子は、話すことができなくなってしまったのだろう。

 もう一度、瞳子は祐巳さまを見た。
 祐巳さまは不安と期待が交錯した複雑な表情で、じっと私のことを見ている。
 そんな表情をさせてしまった自分に、苛立たしさを憶えた。
 自分のことよりも、祐巳さまにこんな表情をさせてしまうことの方が、何倍も辛いのだ。

 だったら何を迷うというの?
 もう、どうすれば良いのかは決まっているじゃない……。


     〜     〜     〜


「それは。乃梨子さんにロザリオが還ってからお話します。そのつもりでしたから……」
 少しの間、考えて瞳子は言った。
 これは。白薔薇のつぼみでもなんでもない、ただの瞳子として。祐巳さまと向き合って話さないといけないことだと、そう思ったのだ。

「そう……いいわ。乃梨子、いらっしゃい」
 白薔薇さまはそう言うと、瞳子の手に握られていたロザリオを受け取り、乃梨子さんの方を向いた。
「え? あ、はい」
 乃梨子さんはというと。急に話を振られたからか表情が強張っていて、でも、ほんのり頬に紅みがさしている。

  シャラリ

 安心したのか。ギャラリーにじっと見られているのが恥ずかしかったのか。
 はたまた白薔薇さまのアップで、ドギマギしているだけなのか。
 とはいえ、白薔薇さまが乃梨子さんにロザリオを掛けた。その乃梨子さんを見て、瞳子はほっと胸を撫で下ろした。
 それは祐巳さまも同じなのだろう。少なくとも瞳子の目にはそう映った。

 惜しむらくは。
 このことでまだ、白薔薇さまのことを誤解している人たちが居るかもしれない、ということだ。
 白薔薇さまにとっては、些細な問題なのかもしれないけれど。
 でも、一連の騒ぎの原因を作ったといえる瞳子にとって、自分を助けてくれた白薔薇さまがそう思われることは、とても悲しいことだった。

 一息ついて三人の視線が私に集中する。次は瞳子の番だった。

 意を決して深呼吸をしてから、瞳子は静かに言った。
「私は……祐巳さまを利用しようと、したんです」
「「……え?」」
「どういうことか、聞いてもいい?」
 驚く祐巳さまと乃梨子さんとは対照的に、白薔薇さまは冷静だった。
 うつむき加減で、こくりと首を縦に振る。

 季節はもうすぐ冬。
 今日は太陽も昇り、暖かいとはいえ。時おり、ざっと吹く風や芝生の冷たさは、確実に冬へと向かっていることを物語っている。
 4人が座っている、ピクニック用の保温シート。その模様を見つめながら、瞳子は続けた。

「小さい頃の夢。憶えていますか?」
 顔を見合わせる、祐巳さまと乃梨子さん。
 白薔薇さまは目を閉じて静かに聞いている。
 子供の頃の夢。将来なりたい職業は? とか。先生に聞かれるような、そういう話だ。
「私は、母のような……薔薇さまに、なりたかったんです」
 瞳子は空を見上げて、小さく無邪気だったその頃を思い出していた。
 今なら。薔薇さまなんて職業じゃないじゃないと、みんなに笑われるような些細な話。
 けれど私にとっては、それが夢であり憧れだった。

「……お母さまが」
 祐巳さまが呟く。
「紅薔薇さま、じゃないの?」
 乃梨子さんが聞き返した。
 瞳子は首を横に振って、それを否定する。
「祥子さまはまだ、薔薇さまではありませんでしたので……」
「そうね」
「それを叶えるには、祥子さまや祐巳さまの妹になるしかないと。少しでもそう思わなかった、と言ったら嘘になります……から」

 辺りがしんと静まり返る。
 その重苦しい空気に耐え切れず、瞳子は続けた。
「祐巳さまに拒絶されたと思ったあの雨の日。私は転校しようと、決めたんです」
 ちょうどいい。いまさら恥を晒して、このリリアンに残る理由も無い。クラスでも浮いている、こんな私には薔薇さまに連なる資格なんて、最初から無かったのだからと。
「すでに向こうに住んでいる両親に無理を言って。反対はされましたけれど……」
 女優になるための勉強だと理由までつけて。

 嘘はついていない。そういう話も以前あったし、自分を試してみたいという考えもある。
 でも、本当のことは誰にも言えなかった。
 ただ祐巳さまの妹にはなれなかったという、現実があるだけ。
 なら、それもまた運命なのだと。結局は自業自得だったんだと諦めていた。

「こんな私は……だから祐巳さまの妹に相応しくないと! ……そう思ったんです」
 祐巳さまの方を見て微笑んではみたけれど、怖くてまともに祐巳さまの目を見ることが出来なかった。
 乃梨子さんも、白薔薇さまも、何も言わず。ただ祐巳さまの出方を待っていた。

「そんなこと……ない」
「え?」
「そんなことないよ!」
 そんなの、しょうがないじゃない。と祐巳さまは言った。
 だって私は紅薔薇のつぼみなんだもの、と。

「瞳子ちゃんは悪くない。薔薇さまの選挙はともかくとして。『私』の妹に相応しいとか、相応しくないとか、うまく言えないけれど。そんなのは自分で決めることじゃないし、他人が決めることでも無いんじゃないのかな」
「でも……」
「瞳子ちゃんがいいって。瞳子ちゃんの側にいたい、側にいてほしいって、私が言っているの……駄目かな?」

 ふるふると首を振ったら、涙がこぼれた。
 その一言で、体の緊張が解けたからだろうか。
 それだけでもういい、って思えた。
「私も、祐巳さまがいいです……。私も祐巳さまの側にいたい」
 心配そうな祐巳さまに、瞳子は恥ずかしそうにでもはっきりと言った。




「だから……祐巳さまを残して行くことは、ありません」



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