『がちゃSレイニー』
† † †
「先日、あなたカナダに行くって言っていたようだけど、それは、どうするの?」
午前中、ずっと考えていた。
──瞳子に、カナダに行ってほしくない、の……。
祐巳さまの、その言葉がとても嬉しかった。
打算も何も無いところで、瞳子を必要としてくださっているのだと。そう思えた。
でもそれと同時に、祐巳さまに心配をかけている自分にも気付いた。
昨日の、就寝時の祐巳さまを思い出したのだ。
祐巳さまに心配をかけたくない。言わなければいけない。そんな風に心の中で繰り返してきた。
でも。それを言ってしまって、浅はかで、醜い自分をさらけ出したら。もしかしたら祐巳さまに、嫌われてしまうのではないかと不安だった。
(祐巳さまに嫌われたくない)
なぜだかわからない。
どうして瞳子は、話すことができなくなってしまったのだろう。
もう一度、瞳子は祐巳さまを見た。
祐巳さまは不安と期待が交錯した複雑な表情で、じっと私のことを見ている。
そんな表情をさせてしまった自分に、苛立たしさを憶えた。
自分のことよりも、祐巳さまにこんな表情をさせてしまうことの方が、何倍も辛いのだ。
だったら何を迷うというの?
もう、どうすれば良いのかは決まっているじゃない……。
〜 〜 〜
「それは。乃梨子さんにロザリオが還ってからお話します。そのつもりでしたから……」
少しの間、考えて瞳子は言った。
これは。白薔薇のつぼみでもなんでもない、ただの瞳子として。祐巳さまと向き合って話さないといけないことだと、そう思ったのだ。
「そう……いいわ。乃梨子、いらっしゃい」
白薔薇さまはそう言うと、瞳子の手に握られていたロザリオを受け取り、乃梨子さんの方を向いた。
「え? あ、はい」
乃梨子さんはというと。急に話を振られたからか表情が強張っていて、でも、ほんのり頬に紅みがさしている。
シャラリ
安心したのか。ギャラリーにじっと見られているのが恥ずかしかったのか。
はたまた白薔薇さまのアップで、ドギマギしているだけなのか。
とはいえ、白薔薇さまが乃梨子さんにロザリオを掛けた。その乃梨子さんを見て、瞳子はほっと胸を撫で下ろした。
それは祐巳さまも同じなのだろう。少なくとも瞳子の目にはそう映った。
惜しむらくは。
このことでまだ、白薔薇さまのことを誤解している人たちが居るかもしれない、ということだ。
白薔薇さまにとっては、些細な問題なのかもしれないけれど。
でも、一連の騒ぎの原因を作ったといえる瞳子にとって、自分を助けてくれた白薔薇さまがそう思われることは、とても悲しいことだった。
一息ついて三人の視線が私に集中する。次は瞳子の番だった。
意を決して深呼吸をしてから、瞳子は静かに言った。
「私は……祐巳さまを利用しようと、したんです」
「「……え?」」
「どういうことか、聞いてもいい?」
驚く祐巳さまと乃梨子さんとは対照的に、白薔薇さまは冷静だった。
うつむき加減で、こくりと首を縦に振る。
季節はもうすぐ冬。
今日は太陽も昇り、暖かいとはいえ。時おり、ざっと吹く風や芝生の冷たさは、確実に冬へと向かっていることを物語っている。
4人が座っている、ピクニック用の保温シート。その模様を見つめながら、瞳子は続けた。
「小さい頃の夢。憶えていますか?」
顔を見合わせる、祐巳さまと乃梨子さん。
白薔薇さまは目を閉じて静かに聞いている。
子供の頃の夢。将来なりたい職業は? とか。先生に聞かれるような、そういう話だ。
「私は、母のような……薔薇さまに、なりたかったんです」
瞳子は空を見上げて、小さく無邪気だったその頃を思い出していた。
今なら。薔薇さまなんて職業じゃないじゃないと、みんなに笑われるような些細な話。
けれど私にとっては、それが夢であり憧れだった。
「……お母さまが」
祐巳さまが呟く。
「紅薔薇さま、じゃないの?」
乃梨子さんが聞き返した。
瞳子は首を横に振って、それを否定する。
「祥子さまはまだ、薔薇さまではありませんでしたので……」
「そうね」
「それを叶えるには、祥子さまや祐巳さまの妹になるしかないと。少しでもそう思わなかった、と言ったら嘘になります……から」
辺りがしんと静まり返る。
その重苦しい空気に耐え切れず、瞳子は続けた。
「祐巳さまに拒絶されたと思ったあの雨の日。私は転校しようと、決めたんです」
ちょうどいい。いまさら恥を晒して、このリリアンに残る理由も無い。クラスでも浮いている、こんな私には薔薇さまに連なる資格なんて、最初から無かったのだからと。
「すでに向こうに住んでいる両親に無理を言って。反対はされましたけれど……」
女優になるための勉強だと理由までつけて。
嘘はついていない。そういう話も以前あったし、自分を試してみたいという考えもある。
でも、本当のことは誰にも言えなかった。
ただ祐巳さまの妹にはなれなかったという、現実があるだけ。
なら、それもまた運命なのだと。結局は自業自得だったんだと諦めていた。
「こんな私は……だから祐巳さまの妹に相応しくないと! ……そう思ったんです」
祐巳さまの方を見て微笑んではみたけれど、怖くてまともに祐巳さまの目を見ることが出来なかった。
乃梨子さんも、白薔薇さまも、何も言わず。ただ祐巳さまの出方を待っていた。
「そんなこと……ない」
「え?」
「そんなことないよ!」
そんなの、しょうがないじゃない。と祐巳さまは言った。
だって私は紅薔薇のつぼみなんだもの、と。
「瞳子ちゃんは悪くない。薔薇さまの選挙はともかくとして。『私』の妹に相応しいとか、相応しくないとか、うまく言えないけれど。そんなのは自分で決めることじゃないし、他人が決めることでも無いんじゃないのかな」
「でも……」
「瞳子ちゃんがいいって。瞳子ちゃんの側にいたい、側にいてほしいって、私が言っているの……駄目かな?」
ふるふると首を振ったら、涙がこぼれた。
その一言で、体の緊張が解けたからだろうか。
それだけでもういい、って思えた。
「私も、祐巳さまがいいです……。私も祐巳さまの側にいたい」
心配そうな祐巳さまに、瞳子は恥ずかしそうにでもはっきりと言った。
「だから……祐巳さまを残して行くことは、ありません」