二月。
リリアン女学園は至って平和だった。ただ、いつもよりほんの少し(本当に少しだけ)浮足立っている。それもそのはず。
先週末に生徒会役員選挙が行われたのだ。来年度の新しい薔薇さまの誕生を、皆心から喜んでいる。
そして…今私の目の前で一年生と戯れている祐巳さまは、そんな全校生徒に祝福されて薔薇さまになられる方のお一人。
私、細川可南子もまた祐巳さまに投票した。当然だ。私は祐巳さまが好きなのだから。一時は妹候補とまで言われた、それ程までに。
なぜ妹候補と言われたのが『一時』なのか…それは私が祐巳さまの妹となることを望んでいなかったからだ。今でも妹候補と噂されているのかもしれない。でもそんなこと、私にとってはもう、どうでもいいことなのだ。祐巳さまを好きという事実以外。
***
そう。あれは去年の十一月だったか…新聞部企画の茶話会が行われる数日前。私は祐巳さまに『茶話会に参加する意志はありません』と告げた。
言葉だけを取ればそれだけの意味だけど、伝えたかったのはそんなことではない。
――祐巳さまの妹にはならない
それが隠されたメッセージ。どうやら祐巳さまは受け取ってくれたようだ。いや、私が伝える前から何とはなしにわかっていたのかもしれない。祐巳さまの穏やかで、でもどことなく淋しさを含んでいる…そんな瞳が私を見つめていたから。
だけど私は知っていた。その瞳には常に、私ではなく彼女が映し出されていたことを。あの時の祐巳さまは、まだご自分では気が付いていなかったのかもしれないけれど…
そして、あの生徒会役員選挙。祐巳さまが立候補して…驚くべきことに彼女も立候補したのだ。当然のことながら周りからは非難が集中した。もちろん私も疑問に思った。でも…私には彼女が何か、仮面を被っているようにしか見えなかった。
決して口には出さないけれど、彼女もまた祐巳さまを好きなことを私は知っていたからだ。多分、親友である乃梨子さんも知っているはずだ。
私は『親友』という立場とは違うかもしれないが、彼女が常に『自分を演じている』ことがわかるくらいには近い位置にいるのだ、と自惚れてもいいだろう。その証拠にただの『お友達』は彼女の演技には気付いていない。
周囲の人間を拒絶して一人、殻に閉じこもる彼女。私はどうにかしたくて、どうすることもできず…ただただ彼女を見ていることしかできなかった。結局は私もただの『お友達』と変わらないのだと思い始めた、そんな時。
彼女が窓の外の何かを見ていた。とても優しい顔で何をそんなに…
――祐巳さまだった。
彼女は遠目から誰にも気取られず、ひっそりと祐巳さまを見ていた。その瞳には愛しさが溢れていた。本当に祐巳さまを愛していることが見てとれる程に。
だが時折、その表情が曇る。手にしていたポスター用紙に目をやって更に暗く暗く。そして祐巳さまから目を離し、何かを振り払うかのように大きく頭【かぶり】を振って、また元の毅然とした顔に戻った。しかしただ一つ。瞳には揺るぎない意志の炎が燈っていた。
私はそんな彼女を見て気付いた。気付いてしまった…彼女の目的に、真意に、決意に。
全ては祐巳さまのため。ただ一心に何の打算もなく、祐巳さまへの想いだけで彼女は動いているのだ。
それからの私は必要以上に彼女を心配しなくなった。でもたった一度だけ。手伝いを申し出たことがあった。にべもなく断られ、苦笑するしかなかったけれど。
時は過ぎて演説会が終わり(誰にも臆することなく闘った彼女は誰よりも輝いていた)…そして投票・結果発表という運命の日。
私はもちろん、祐巳さまに。それは祐巳さまが好きだからだけではない。彼女のことが好きだからだ。彼女を好きだからこそ、大切に思うからこそ、私は祐巳さまに入れたのだ。
結果は…改めて言うこともないだろう。
私と彼女と祐巳さまと…友情という言葉では一つ括りにはできない、そんな不思議な私たちの関係。
***
目を閉じて静かに思い返していた私は、ふと祐巳さまを見た。
――紅薔薇のつぼみ、祐巳さま。
顔は夕子先輩と似ても似つかないのに、同じ空気を持つ方。だから私は…
「私は祐巳さまに…」
「身長差のコンプレックスを抱いていたのでしょう?」
「そう。私は身長179cmの大女で祐巳さまとはデコボコ逆転………って違いますっ!!」
いつの間にか後ろに立っていた誰かの問いに私は反射的にノリ突っ込みをしてしまった。…って誰!?
「あら、違いましたの?私はてっきりそうかと」
「瞳子さんっ!!」
「はい?」
彼女――瞳子さんだった。
「違います。確かに私は背が高いけれど祐巳さまに対してコンプレックスなんて…どうしてそう思ったのかしら?」
「今、ご自分で言っていたではないですの」
「うっ……あれは少しの本心とノリ突っ込みです!」
ムキになって否定するのは得策ではないと考えての返事だけど…相変わらず痛いところを突いてくる。瞳子さんは頭が切れるから気をつけなければ。
そんな馬鹿なことをしている間に祐巳さまはどこかへ行ってしまったようだ。
「本当かしら?」
「本当よっ!そ、それで?何なの?」
「ふーん?」
まだにやにや笑っている。あなたの性格もその縦ロールみたいに曲がりくねっているようね……とは言わずに、一睨みして話すよう促す。
「…いつも、祐巳さまと釣り合う身長の私を羨ましそうに見ていますでしょう?それに今も。祐巳さまを哀愁漂う目で見ていましたから」
は?私が?身長?
「………」
「身長差で祐巳さまとは釣り合わないと考えた可南子さん」
瞳子さんは私が何も言わないことをいいことに、どんどん話を進めていく。
「そしていつも祐巳さまの隣にはベストな身長差を維持している私」
身長は維持するものなの?
「そんな私たちを見て、可南子さんは泣く泣く祐巳さまの妹となることを諦めたのね」
「でも安心して下さいまし!祐巳さまの妹の座は必ずやこの私がゲットしますから。そのために選挙に出たり色々と活動していたんですもの!!」
何だか妹、選挙云々って聞こえたけど…気のせいよね?
「私と祐巳さまの身長差は理想的。正に身長差でもベストカッポー!!それ以外でもベストカッポー!!可南子さんもそう思いませんこと?」
ベストカッポー…ぷっ!
ま、まぁ瞳子さんの祐巳さまへの気持ちを考えれば、そう夢見るのも納得できる。
「でも祐巳さまの妹になるための手段とは言え…選挙で愛する祐巳さまの敵役になるのは身を切る思いでしたわ」
何ダッテ? 妹ニ ナルタメノ 手段、トナ?
「………瞳子さん」
「はい」
「選挙に出た理由…もう一度、詳しく、私に話してくれる?」
「?…ええ、わかりました」
そして瞳子さんは語りだした。
「毎年つぼみによる信任投票でしょう?そこに一般生徒が、それも一年生が、立候補したとしたらかなり注目を浴びるでしょう?」
「それだけでも祐巳さまにはインパクト大ですのに、その一年生が、なんと私だったら!?祐巳さまの意識にはしっかりと私の存在がインプットされるのですわっ」
「更に、薔薇さまになりたいというのはカムフラージュで、本当は憎まれ役・汚れ役を一切引き受けて、祐巳さまの引き立て役になるためだけに出たのだとしたら!?」
瞳子さんは歌うように軽やかに話続ける。私の表情の変化に気付きもしないで…周りにいた人たちも気付いて逃げたわよ?
「きっと祐巳さまは『あぁ…瞳子ちゃんはそんなにも私のことを…あの子をやっぱり妹にしたい。あの子程に私を想ってくれる子なんていない!!あの子が、瞳子ちゃんが欲しいっ』と、そう思うに違いないからですのよっ!!」
「そして私と祐巳さまは手に手を取って晴れて姉妹に…お互いを思いやる最高のベストカッポーの誕生なのですわ!」
ベストカッポーはもうええっちゅーねん!
じゃあ…何?あの時のあーんな表情やこーんな態度やそーんな行動は、みんな、みんな、みーんなっ…
「祐巳さまの妹になるための大掛かりな前フリだったのかぁぁぁぁ!!」
私は叫んだ。バスケ部で鍛えられた肺活量をフルに使って。
瞳子さんが何か言いかけたが遮ってまた叫んだ。
「瞳子さんっ!わ、私の感動を、友情を、純粋さを、かぁぁ えぇぇ せぇぇーーーっ」
魂の叫びだった。騒音レベルをいとも簡単に超えただろう。空を華麗に舞っていた鳥たちが次々に墜ちてくる。
しかし間近で聞いていたはずの瞳子さんはけろっとしていた。盾ロールで防御されたのか?そして憎たらしいくらいに澄ました顔で息を吸い込み…
「…そうだって言っているでは、あ り ま せ ん かぁぁぁぁっ!可南子さんの感動?友情?純粋さ?そんなの私は、知 り ま せ ん わぁぁぁぁぁぁっ」
「 !! 」
私を越える音量と肺活量で返してきた。これが演劇部の力なのか…迂闊だった。この距離にこの音量。致死量を遥かに上回っている。ま、負けた…
それを最後に私の意識はブラックアウトした。
***
その後。
あの日から一日も経たずに誕生した新紅薔薇姉妹によって、バレンタインデーを待たずしてリリアンは毎日毎日、甘いピンク色の空気に染められていた。
ちなみに『激甘ベストバカッポー』と噂されていた。
一方、私は何とか生き延びることができたが、もう二度と…二度と!瞳子さんを信用すまいと決めていた。
しかし、瞳子さんを信じることができていた…
「あの頃に戻りたいぃぃーーーっ!!」
Fin
あとがき。
どーもお久しぶりです、雪国です。死んではいません生きています(笑)
かなり長くてすみません。でもこのネタ、新刊が出る前にやっておきたくて…明日(今日は10/2)発売ですし。
他の方が既にされているネタかもしれませんが。