【1892】 幸福の姫君  (オキ&ハル 2006-10-04 09:22:09)


もちもちぽんぽんしりーず
【No:1878】―【No:1868】―【No:1875】―【No:1883】―これ




春風は、いつの間にか夏を過ぎ秋の匂いをさせていた。

「祐巳さん祐巳さん。」
音楽室の掃除を終えて鍵を閉めていると後ろから呼ぶ声がしたので一緒にいたクラスメイトとともに振り返った。
「蔦子さん、教室の掃除はもう終わったの?」
「ええ、だから行き違いにならないように早足で来たの。」
音楽室は教室から離れているので、そのまま帰っていいことになっている。
見れば蔦子さんの手には鞄。
「ちょっと祐巳さんにお話があって。」
「お話?」
思い当たる節が無くて首をかしげた。
「祐巳さん、私たち部活があるから先に行くわね。掃除日誌は提出しておくから。」
そう言うと、クラスメイトの方々は私たちの横を通り抜けていく。
「ありがとう。」
私の言葉に彼女たちは微笑をうかべる。
「で、話って何?」
蔦子さんは右手の中指で軽く眼鏡を直した。
「まず、蓉子さまに会いたくない?」
「え?」
いきなりの内容に何を言われたか一瞬わからない。
「実は、文化祭で写真部は個展を開くことになったのだけど、山百合会の許可の書類をこれから取りに行かないとならないの。」
それで納得。
直接蓉子さまに会おう。というわけではなく、薔薇の館に行きましょう。ということらしい。
「でも、私写真部じゃないよ。」
「別に構わないわよ、単に書類を受け取るだけだもの。祐巳さんに声をかけたのは私の好意。」
「・・・でも。」
「祐巳さんが気にしているのはこれかしら?」
そう言うと、蔦子さんはポケットをがさごそして一枚の紙を取り出した。
ちらっと見えただけでそれがなにか見当がつく。
昨日発行されたリリアンかわら版。
見出しには大きくこう書かれている。

―――紅薔薇の蕾の妹誕生!?・・・・・・か?―――

記事の内容は有力候補として3人挙がっていることを、何人かの証言とともに知らせていた。
挙がっている子はどの子もイニシャルで書かれていたが、そこは同じ学年というもの。
桂さんから聞く噂を含め、なんとなく分かってしまう。
挙がっているのはどの子も見た目、成績問題無し、学年でも有名な人ばかり。
桂さんは「この子きらーい。いっつも取り巻きといるのよ。」などと言っていたけど、蕾の妹の条件にはぴったり当てはまっていると思う。
それに私自身見てしまっているし。

「別にまだ決まったわけじゃないんだから、今日行ったところで、誰か居る。なんてことは無いわよ。」
「・・・そうかな?」
「そうよ。」
蔦子さんが自信たっぷりなものだから、少し不安が和らぐ。
「で、どうする?行く?行かない?」
「・・・行く。」
全く現金なものだ。
蓉子さまに会うためなら、火の中水の中恐れ多い薔薇の館にだって行きたくなってしまうんだから。



実は春からこちら、何度か薔薇の館に行ってみたことがある。
本当に数える程度なんだけどね。

そしてその度に、かわら版に載っているような人と歩いている蓉子さまを見るのだ。

楽しそうに笑うその輪の中に入る勇気は、私には無かった。

ああ、やっぱり場違いなのかな?って、何度思ったことか。

蓉子さま、蕾ともなると妹にはそれなりの相応しい人がなるに決まっている。




・・・なのに、『会いたい。』と思う自分が居る。



夏休み前なんて、聖さまに手を振られてしまった。
あのときは、慌てて頭を下げて逃げるように帰ってしまったけど。


そもそも会って何を話したら良いのか分からないことに気づいた。

私は、会いたいだけなんだから「会いたかったです。」

これだけで終わってしまう。

もっとも、聖さまに対して頭が真っ白になってしまうんだから、蓉子さまの前に立とうものなら一体どうなってしまうことやら。




夏休み中考えて、諦めたほうが良いのかな。とも思う。



もし、今日会えたら、思い切る良い記念になりそうな気がした。







「本当に居るんだよね?」
私の言葉にノックをしようとしていた蔦子さんの手が止まる。
鞄を一度写真部の部室においてから、私たちは薔薇の館に向かった。
「さっきも言ったけど、文化祭の準備で連日詰めているらしいのよ。」
「う、うん、それは分かっているんだけど、心の準備が。」
私の言葉に蔦子さんは軽くため息をついた。
「祐巳さんがどーするって話じゃないの。ただ単に書類を受け取るだけ。OK?」
「おーけー。」
蔦子さんは、腰に手を当てて軽く笑った。
「じゃ、行くわよ。」
今度こそノックしようと右手を動かした。

「何か御用?」

―――ドキッ―――
口から心臓が飛び出すかと思った。
胸に手を当てながら振り向けば、そこにはお下げ髪の子。
確か・・・・・・由乃さん。・・・・・・ごめんなさい、名字は思い出せない。
「えーと、由乃さん?」
「何かしら?」
良かった、名前は合ってるらしい。
「何でここに?」
私の問いに蔦子さんが肘で突いてくる。
「ばかね、彼女は黄薔薇の蕾の妹よ。入学したばかりの頃かわら版に載ったでしょ。」
蔦子さんの言葉にうろ覚えながら記憶を辿れば、確かに見た気がする。
「ふふっ、良いのよ、別に。確か、今まで同じクラスになったことは無かったはずだし。」
確かに私も幼稚舎から通っているけど、不思議と同じクラスになったことは無い。
そんなことを思っていると、蔦子さんが私の前に一歩出た。
「それで由乃さん、今日は写真部の用事で来たのだけど、取り次いでもらえないかしら?」
「ええ、構わないわよ。皆さん2階にいらっしゃると思うから、お入りになって。」
由乃さんは扉を開けて中へ入っていく。
「どうぞ。」
「ほら、行くわよ祐巳さん。」
「わ。」
扉の向こうに歩き出す蔦子さんに、慌ててついていく。
一歩中に入るとそこは不思議な空間が広がっていた。
入ってすぐに小さいながらも吹き抜けのフロアがあって、左手にやや急勾配の階段。
そして階段を上がりきったところに、3本の薔薇が描かれたステンドグラスのような明り取り用のはめガラスがあった。
夕暮れ時の雰囲気、ガラスを通して伸びる夕日が階下まで伸びていて、より一層幻想的な雰囲気を感じる。
「こちらよ。」
先頭を行く由乃さんがスカートを抑えながら階段を上がっていくのを見て、私と蔦子さんも真似をして同じようにしてついて行く。
「ここって、ノックなんかしても絶対に気づかないわね。」
誰ともなしに言う蔦子さん。
「そうね、だから気軽に入ってもらいたいわね。もっとも」
由乃さんが階段を一段上がるとギシギシという音が鳴った。
「あんまり大勢で来られてしまうと、床が抜けるわね。きっと。」
そう言うと由乃さんは肩をすくめて笑った。
階段を上がりきると、右手にビスケットのような扉がある。
「さっき私が出たときは、全員いらしたから、たぶん全員居ると思うけど。」
その言葉に胸が高鳴るのを感じる。
この扉の向こうに居るのだ。
逃げ出したいような、さっさと入ってしまいたいような不思議な高揚感が全身を走り回る。
「祐巳さん、落ち着きなさいって。」
・・・蔦子さんに注意されてしまった。
―――コンコン―――
由乃さんは、ノックをすると返事を待たず開けてしまう。
「写真部の方がお見えになられました。」
「ごきげんよう。」
「ご、ごきげんよう。」
蔦子さんについて部屋に入れば、失礼な言い方だけど、居るわ居るわ薔薇さま方が勢・ぞ・・ろ・い?あれ?蓉子さまが居ない。
他の薔薇さま方のファンには悪いけど、正直がっかりした。
「蓉子さまはいらっしゃらないんですね。」
私の心中を察してか蔦子さんは聞いてくれたけど
「蓉子なら今ちょっと出ているの。何か用事かしら?」
「いえ、ちょっと思っただけですから。」
「そう。・・・志摩子ちゃん、お茶を出してさしあげて。」
紅薔薇さまの言葉に志摩子さんを見ると、こちらを見ていて何の反応も無い。
「志摩子ちゃん。」
紅薔薇さまの言葉に志摩子さんは体をびくっと振るわせた。
「は、はい。なんでしょう?」
「お客様にお茶をお出ししてといったのだけど。」
「申し訳ありません、今お出しします。」
志摩子さんは、黄薔薇さまの「大丈夫?」という言葉に「大丈夫です。」と答え、部屋の隅に設置されていた流しに向かった。
白薔薇さまは、志摩子さんをずっと見た後、私のほうを見て少し笑ったようだった。



「はい、確かに受け取りました。」
「何か分からないことがあれば聞きに来てね。文化祭までは、多分必ず誰か居ると思うから。」
「分かりました。」
用事があって来たのだから、終わったら帰るのが道理というもの。
結局、蓉子さまは帰ってこなかった。


「残念だったわね。」
「うん。」
あたりはもう暗くなりかけている。
「きっと、また機会はあるわよ。」
「蔦子さん。」
「ん?」
「ありがとね。」
蔦子さんは、私のためにこんなことをしてくれたのだろう。
そもそも一年生で書類を取りに行くというのも変だし。
どんなやり取りがあったかは知らないけど、蔦子さんがそれを出さないなら私も気付かない振りをする。
それでも出来るだけの思いを込めて。
「いーって、いーって。」
蔦子さんは左手をパタパタと振った。
「とりあえずさ、この書類置いて鞄取りに行かないと。」
右手の書類をひらひらとさせながら。
「この後、何かあるの?無かったら、一緒に帰ろう。」
私の提案に蔦子さんはにやりと笑った。
「どーせならさ、もうちょっと待って部活帰りの桂さんをさらっちゃおうか。」
「わ、それ、いいね。3人一緒って滅多に無いもんね。でも、桂さんってお姉さまと一緒に帰るんじゃないの?」
「良いのよ、あれだけ自慢してるんだもの。たまにはその位しても。」
「ははは。ひどーい。」
「あれ?祐巳さんはそう思わない?」
「・・・実は思った。」
「ははは。でしょ。」










―――タッタッタッ―――

誰かが走ってくる音がして、誰だろう?と振り返る。
「「志摩子さん。」」
志摩子さんは、私たちの前に着くと胸を抑えながら息を整えた。
「志摩子さん、どうしたの?」
あんなにいつも落ち着いている志摩子さんが走って追ってくるなんて、よっぽどなことだと思われる。
「はぁ・・・はぁ・・・祐巳さんに言わなければならないことがあるの。」
「私に?」
私が何かとんでもないことをしたのだろうか?
「今すぐ薔薇の館に戻って。」
「え?」
何故?頭の中に?マークが乱舞する。
私は蔦子さんの付き添い以下だったはずなんだけど。






「蓉子さまが妹を連れてきてしまうの。」



 
ヨウコサマガイモウトヲツレテキテシマウ
頭をがーんと何かで殴られた気がする。
「うああううあ。」
とりあえず、何をどうしていいか分からない私に代わって蔦子さんが口を開く。
「それと祐巳さん、何の関係があるのかしら?」
志摩子さんは唾を飲み込んだ。





「蓉子さまは祐巳さんを待っているの。」





今度は、頭をごーんと殴られた気がする。
頭が変になりそうだ。
前後左右が分からなくなって、このまま倒れこんでしまいたいような。

「祐巳さん、4月頃蓉子さまと話したことはある?」
口を動かしてもちゃんとした音にならなくて首を縦に振って答えた。
「以前聞かれたの。ツインテールの子を知らない?って、私はそのときは見当がつかなかったけど、多分祐巳さんのことだと思うの。」
急な展開に頭がついてこない。
夢じゃないだろうか?
今起きたら、昼休みでいつものメンバーでお昼ご飯食べていて、
「わあ!」
そんなことを思っていると後ろから強く押された。
転びそうになるのを何とかこらえる。
「蔦子さん。」
私の問いに蔦子さんは何も言わず、カメラを手に取るといじり始めた。

「蔦子さん?」



「・・・私と桂さんね、以前祐巳さんから館の前で蓉子さまに会った話聞いたじゃない。それで、ずっと気になってたことがあったの。」

私と志摩子さんは、カメラをいじりながら話す蔦子さんを見ていた。






「祐巳さんだけなんだよね。『会いに来て』なんて言われたの。ほかの人達は、かわら版に載ってる人も含めて、そんなこと言われた人は居なかった。」




「・・・」
「・・・」
私も志摩子さんも何も言わなかった。
蔦子さんは、顔を上げずカメラを見たまま続けた。
「祐巳さんほっぺ抓ってみてよ。」
言われたとおりにすると・・・確かに痛い。
「ね、夢じゃないんだよ。」
「でも、私なんかじゃ。」
無理に決まっている。こんな何のとりえも無い私が蓉子さまの・・・
「紅茶にさ、紅茶継ぎ足しても面白くないでしょ。」
蔦子さんは顔を上げた。
暗くなっているから、薄っすら見えるだけだけど。
「ミルクとかレモン乗せたっていいじゃない。」
「蔦子さん。」
「私、と桂さんもかな、は、そっちの方が好みなんだけどな。」


「でも、もしロザリオ渡しちゃってたら・・・」



「白薔薇さまが言ってたわ。「その点は大丈夫。」って。」
「白薔薇さまが?」
薔薇の館で楽しそうに笑っていたことが浮かぶ。
「ええ、だから心配すること無いと思うの。
それと祐巳さん。」
「ん?」
もう、少し離れた志摩子さんの顔も見えない。


「私も、ミルクティーは好きなのよ。」



「・・・うん。ありがとう。」
私は走り出した。





「ねぇ、志摩子さん?」

「何かしら?」

「実は、蓉子さまに聞かれていたときに思い当たっていたんではなくて?」

「・・・それは買いかぶり過ぎよ。」

「そう。」






今来た道を出来る限り早く。
革靴だから走り辛いし、足も痛くなってきた。
わき腹から鈍い痛みを感じる。
暗いせいで、平行感覚がおかしい。
転びそうになりながら、出来る限り早く。






「じゃあ、蔦子さんはさっき祐巳さんに言ったことを何故今まで言わなかったの?」

「・・・確証が無かったから。」

「そう。




・・・明日は晴れそうね。」


「そうね。」
空にはもう星が見えていた。









館の扉を体当たりするかのように開けると、階段を手すりを頼りにして一段飛ばしで駆け上がる。
ギシッギシッと悲鳴を上げているけど今は許してもらおう。
頂上に着くと、すぐさまビスケット扉に向かった。
扉の前で、少しだけ深呼吸。
「はぁ・・・はぁ・・・。」
―――コンコン―――
ドアノブに手をやると何のためらいも無く、扉を押し開く。




―――ガチャ―――
















外から、ギシッギシッという音が聞こえる。
あんな乱暴に階段を上がるなんて、淑女として失格じゃあるまいか?
目の前に立つお姉さま、紅薔薇さまも不快な顔をしている。

私、水野蓉子は、薔薇の館の中にいた。

階段の音が終わると、近づいてくる足音、そしてしばらくの沈黙。


そして、ノックの後に扉は開かれた。



「失礼します。」




その言葉とともに入ってきたのは、ずっと待っていた子だった。
「あなたね、」
お姉さまが注意をしようとすると

「待っていたわ。」

白薔薇さまが先手を取った。
「蓉子ちゃんに用事があるのでしょう?」
『あの子』にそう言うと、目で私を指し示す。
「蓉子さまに妹が出来ると伺ったのですが?」
そう言うと彼女は私の周囲を見渡した。
お姉さまがため息をついた。

「残念だけど、蓉子ったら詰めが甘いせいか連れて来れなかったのよ。」

そう、私は実際決めた子には会ったのだけれど、ロザリオを渡す気にはならなかった。
渡さなければ。と思うほど、頭も中に『あの子』が浮かんだ。
どうしよう?と、思っているときに浮かんだのは白薔薇さまの言葉
 
『もうこんな時間だから帰ってしまっているかもしれない』

あれは、意固地にならないための逃げ道を示していたことに気付いた。



明日『あの子』にお姉さまが出来ているか確認に行こう。
もし居たら諦める。
でも、もし居なかったら




卒業まで一人で居てみようか。



お姉さまの前で言い訳をしながらそう考えて、心の中で笑っていたというのに。



まるで夢のようだ。



「それで、貴女は何のようなのかしら?」
お姉さまの凛とした声だけど、咎める響きは無い。







私と目が合った。










まるであのときの様だ。










風はもう秋の匂いがしている。










「蓉子さまに会いに来ました。」










何故か泣いてしまいそうだった。










強がりを言わせて欲しい。












「ずいぶん待ったのよ。」















本当はそんなことどうでもいいくせに。












新刊もう読みました。これで『出会い』編を終了。次から『シンデレラ』編を2本。計6本。原作と同じ数でマリア様がみてるを閉めたいと思います。その後、皆さんに「続けて良いですか?」と伺いを立てて、「良いよ。」と言われれば黄薔薇革命に行きたいと思っています。(オキ)
新刊まだです。オキにこれ終わってからと言われたので。今回は少しまとめるのに苦労しました。もうちょっとすっきりさせたかったな。(ハル)


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