【1913】 忘却の彼方へ  (33・12 2006-10-10 22:08:55)


 色々なものを混ぜつつ人物設定を弄りまくり、次々と出てくる問題点から目を逸らしながら作った、半分オリジナルな話です。ツッコミ厳禁←これ重要。
 話の都合上、及びこの話に出てくる祐巳の性格上、不快な表現や暴力表現等があります。できるだけ抑えましたが、少しだけグロっぽい表現もあります。主要人物に不幸があり、且つ痛いかもしれません。そういうのが駄目な方は見ない方が吉です。
 【No:1893】→【No:1895】→【No:1897】→【No:1907】→【No:1908】→【No:1911】→【No:これ】→【No:1921】→【No:1926】→【No:1933】→【No:1941】→【No:1943】→【No:1945】




 チャイムが鳴って、誰もが待ち侘びていた放課後になった。祐巳としても相変わらず授業内容には付いていけてないし、さっさと家に帰りたいので随分と待ち侘びていたのだ。
 最近気付いたのだが、自分ってば何気に孤独を愛しちゃっているのではないのだろうか。いや、でも一人は寂しいよね、とどうでもいいような事を考えながら鞄に荷物を詰め込む。
 よし、帰宅準備完了、と祐巳が椅子を立ち上がると同時に、由乃さんが近寄ってきて話しかけてくる。
「祐巳さん、もう帰るの?」
「うん。部活に入ってるわけじゃないし、由乃さんみたいに山百合会の仕事があるわけでもないからね」
 言ってから気が付いたのだけれど、由乃さんって両方やってる人だった。少しだけ尊敬してあげる。
「じゃあ、今から暇だったりする?」
「まあ、暇と言えば暇だけど。何かあるの?」
 あんまり変な事には関わりたくない。というか、さっきから嫌な予感をヒシヒシと感じている。
「今から薔薇の館まで来ない?」
「行きたくない」
「そっ、即答っ!?」 
 由乃さんがわざとらしく大袈裟によろめきながら驚いた。
「でも、来てもらうわよ。色々と聞きたい事があるから」
「だろうね」
 主に瞳子ちゃんとの事だろうけれど。
「勿論、祥子さまもいらっしゃるんだよね?」
「……やっぱり、バレてる?」
 恐る恐る、といった感じで由乃さんが尋ねてくる。
「お昼休みに薔薇の館を空けてた事なら、当然バレてる。っていうか、まさかバレてないとでも思っていたの?」
「ううん。祐巳さんって妙に勘が鋭いから、瞳子ちゃんが『館へ行く』なんて言ったらそれで分かるだろうな、とは思ってた」
「その前の由乃さんの態度から、怪しいって思っていたんだけどね」
 あの時のどもり具合は素晴らしかった。ウケ狙いかと思うぐらいに面白かった。
「祐巳さんに嘘を吐くんだ、って罪悪感があったのよ。もっと上手く嘘を吐くはずだったんだけど、上手くいかないものね。でも嘘を吐いていた事は事実だから、それは謝る。ごめんなさい」
 ぺこり、と頭を下げる由乃さん。
「良いよ、謝らなくて」
 瞳子ちゃんと仲直りできたのだから、そういう点ではむしろ感謝しているくらいだ。でも次に嘘吐いたら、針千本飲ますよりも凄い目に合わせてやろうと思っていたりする。だから、気を付けてね。
「ほら、館に行くんでしょ」
「え? 来てくれるの?」
「強引にでも連れて行くつもりだったくせに」
 じとー、っと睨みながらの祐巳の言葉に、「あはは、はは」と由乃さんが乾いた笑いを零した。



 薔薇の館までの道中、挨拶してくる下級生たちに挨拶を返す由乃さんの姿をぼーっと眺めながら、結構人気あるんだなぁ、と微妙に感心した。そういえば、向こうでも結構人気があった気がする。猫耳族と言えばレアな上に絶滅危惧種だったし、猫耳がもの凄く可愛かったし。
 思い出しついでに自分の事も思い出してみた。
 向こうの世界での自分には、まともには誰も近寄ってこなかった気がする。というか、来なかった。いつも人を傷付けていたわけではないんだけどなー、と思ったのだけれども、そういうイメージが強かっただろうし、普段から人は他人を見ているものなのだろう。まあ、それは祐巳の自業自得なのだから仕方がない。全く気にしていないので、別にどうだって良いのだけれど。
 薔薇の館に着くと一階の扉を開き、中に入って左側にある階段を上る。そのまま昼休みに瞳子ちゃんと一緒に通ったルートを辿り、ノックをしてから会議室へと入る。考えてみると、館とか言う割には使う部屋はここだけだ。一応、一階に物置になっている部屋があるのだけれど、特に用もないのであんまり入った事はない。
 とりあえず、そんなどうでもいいような事は置いておいて。会議室の中に入ると、折角のノックも無駄だったようで祐巳たちの他にはまだ誰も来てなかった。
「荷物は、そこの机の所にでも置いておいて。それから、お茶を淹れるけど何か欲しいものある?」
「玄米茶か鳩麦茶」
「そんなもの、ここに置いているわけないでしょ」
「冗談だって。普通の紅茶で良いよ」
「祐巳さんって冗談が多いわよね」
 ……由乃さんにまで言われた。今度から意識して気を付けよう、と心に決めながら机の横に鞄を置く。
 祐巳が鞄を置いたと同時に、ひとりでに部屋の扉が開いた――わけではなく、扉を開けて部屋に入ってきたのは、そうと知らなければ美少年に間違えてしまいそうな美人さん。
 甘いマスクにベリーショートにカットされたヘアがとっても似合っている。あちらの世界の彼女と同じく、何という王子様っぷりだろう。なんて考えていた祐巳だったが、先に挨拶だけはしておこう、と思ってぺこりとお辞儀。それからご挨拶。
「ごきげんよう」
「ごきげんよう。もう来てたんだ?」
 少し驚いた顔をして挨拶を返してきたのは、由乃さんのお姉さま(グラン・スール)であり黄薔薇さま(ロサ・フェティダ)でもある支倉令さまだ。
「令ちゃんっ!」
 由乃さんが睨むように令さまを見る。というか睨んでる。
「どうしたの、由乃?」
「どうしたの、じゃなーい! ノックぐらいしてよ! 祐巳さんがびっくりしてるじゃない! あ、ごめんね祐巳さん。これが黄薔薇さま(ロサ・フェティダ)で、私のお姉さま(グラン・スール)の令ちゃん」
「これ……」
 これ呼ばわりがショックだったらしく、よろめく令さま。あちらの世界と同じ力関係なんだ、と祐巳が違う意味で驚いていると、再び部屋の扉が開いた。
「ごきげんよう。令さま、由乃さん……祐巳さん」
「ごきげんよう」
 入ってきたのは、ふわふわ巻き毛の西洋人形とおかっぱ黒髪の日本人形という不思議な組み合わせの二人。志摩子さんと乃梨子ちゃんだ。
 志摩子さんは気まずそうに、乃梨子ちゃんは普通に挨拶してきた。
「ごきげんよう、乃梨子ちゃん。それと志摩子さん」
 乃梨子ちゃんには普通に挨拶を返して、志摩子さんには冷たい眼差しを返すと共に尋ねてみた。
「昼休みのあれは、志摩子さんが考えたの?」
 瞳子ちゃんの待ち伏せや、薔薇の館が空いてたりした事だ。
 尋ねられた志摩子さんは、恐る恐るといった様子で頷いた。
「ええ……」
「やっぱりね。ま、余計なお世話だったけど、お礼は言っておく。ありがとう」
 祐巳がそう言うと、あからさまにほっとした様子の志摩子さん。余程、祐巳が苦手なのだろう。志摩子さんとは色々とあったからこの反応も仕方がないとは思うのだけれど、いい加減慣れて欲しい。
「ところで、これから何かあるんですか?」
 ここにいるメンバーの中で一番年上の令さまに尋ねてみる。実質、この中でのリーダーは令さまだろう。由乃さんには、とことん弱いみたいだけれど。
「一度あなたとお話がしてみたかったのよ。福沢祐巳さん」
「祐巳で良いです。福沢はいりません。お話って何でしょうか?」
「では祐巳ちゃん。瞳子ちゃんと姉妹(スール)になるの?」
「なぜそんな事を? 瞳子ちゃんは祥子さまの妹(スール)候補ですよね」
「だって、ねぇ?」
 そう言って、意味深に由乃さんへと視線を向ける令さま。自分の隣で由乃さんが、うんうん、と頷いているのを見ると、令さまは祐巳へと視線を戻してきた。
「瞳子ちゃんと仲が良いみたいじゃない。だから気になって」
「仲が良いだけで姉妹(スール)になれとでも?」
「そうは言わないけれど」
「だったら放っておいてください。関係のない人にあれこれ言われたくはありません」
「関係ない事はないよ。瞳子ちゃんはもう山百合会の一員と言っても良いからね。だから、瞳子ちゃんや祐巳ちゃんがどうするのか、私たちも気になる」
「そんな事……」
 それがどういう事か分かったから、祐巳は言葉に詰まった。
 今の祐巳の状態は、紅薔薇さま(ロサ・キネンシス)の後継者となるはずの瞳子ちゃんを、祥子さまと山百合会から奪おうとしているように周りからは見える。もしもの話だけれど、祐巳と姉妹(スール)になれば、瞳子ちゃんはきっとここには来なくなるだろう。祐巳にはここにいる理由がなく、瞳子ちゃんは祐巳の傍にいたいから。だから彼女たちとしては、祐巳を瞳子ちゃんのお姉さま(グラン・スール)にして山百合会に引き込みたい。そうすれば、瞳子ちゃんが祥子さまの妹(スール)にならなかったとしても、瞳子ちゃんが山百合会から出て行く事はないだろうから、後継者の問題は解決する事になる。
 しかし、選挙の日は目前に迫っているのだ。たしかあと八日ほどしかなく、祐巳は今すぐにでもはっきりとさせなければならない。
(はっきりさせる、か)
 どうするかなんて、最初から決まっている。
(だって私は……)
 視線を感じてそちらを見ると、そこには不安そうな顔の志摩子さんがいた。彼女がそんな顔をしているのは、祐巳の事をよく知っているからだろう。令さまの質問に祐巳がどう答えるのか、志摩子さんはもう分かっているのだと思う。
 志摩子さんの隣にいる乃梨子ちゃんは、不思議そうに祐巳と志摩子さんを交互に見ていた。こちらは何で志摩子さんがそんな顔をしているのかよく分かっていないようだけれど、不安そうな志摩子さんを心配しているらしい。
 そんな風に、妹(スール)である乃梨子ちゃんに心配される志摩子さんを羨ましく思う。
(でも、私は……)
 瞳子ちゃんを妹(スール)にはできない。たとえ、それが瞳子ちゃんではなかったとしても妹(スール)にはできない。この世界の誰が相手であろうと、祐巳は妹(スール)を作れないのだ。
 だから、今ここで皆に宣言しておこうと思う。ダラダラと先延ばしにするよりは、一秒でも早くはっきりさせておいた方が良いだろう。そうすれば、祥子さまにも山百合会にも迷惑がかかる事はない。唯一、傷付くとすれば、本気で祐巳を姉(スール)にしたいと考えている瞳子ちゃんだ。
 しかし、例えば十人を犠牲に一人を助けるのと、一人を犠牲に十人を助けるのであれば、祐巳は間違いなく後者を選ぶ。今までだってそうしてきたし、これからだってそうする。マンガとかアニメのヒーローみたいに全員を助ける事なんて無理だ。自分にそこまでの力はない。
 だから、山百合会に――祥子さまに瞳子ちゃんを返そう。瞳子ちゃんの痛みは自分が引き受ける。どんなに罵られようとも大丈夫だ。今だって、自分の痛みなんてよく分からない。どうせ自分は壊れているのだから。
「私は――」
 またどこかが痛み出した。これは分かる。この痛みだけは、はっきりとその理由が分かる。
(ごめんね、瞳子ちゃん)
 昨日と同じ、瞳子ちゃんを傷付けてしまう痛みだ。
「祐巳さん」
 しばらく無言だった後、言葉を紡ぎ出した祐巳に何かを感じたのか、志摩子さんが小さく声をかけてきた。
(私が困っている時、いつも手助けしてくれる志摩子さんは優しいと思う。でもさ、その優しさはいったいどこから来ているの? 私の感情の変化にやたらと敏感なのはどうしてなの? なーんてね、分かってるよ。罪の意識だよね。本当に馬鹿げてる。私がいつそんなものが欲しいなんて言った? そんなもの求めてない。優しさなんていらない。償うための優しさなんてもっといらない。だから、あなたの言葉は私に届かないのよ。ねぇ、いつまで気にしているつもり? 私が許すまで? 許すも何も私がこうなったのはあなたのせいじゃないんだから、いつまでも暗い顔しないでよ鬱陶しいわねっ!)
「煩いっ!」
 祐巳が怒鳴ると、志摩子さんが顔と身体を強張らせた。殆ど条件反射みたいなものなのだろう。由乃さんたち他の三人も同じように身体を強張らせていたが、こちらは単に祐巳が急に怒鳴ったからだと思われる。
 それはともかく、せっかく志摩子さんを黙らせたのだからさっさと告げてしまおう。
「私は、瞳子ちゃんと姉妹(スール)には」
 ならない、と祐巳が言いかけたその時、部屋の扉が開いた。



 掃除を終えて、瞳子はようやく薔薇の館までやって来た。
 この時間であれば、皆はもう揃っている事だろう。祐巳さまも、クラスメイトである由乃さまが連れてきているはずだ。
 最近瞳子と仲が良く、志摩子さまや乃梨子、由乃さまとも交流があり、祥子お姉さまとすら面識がある祐巳さまを令さまだけが知らないという事で紹介する事になったのだ。
(でも、昼休みの結果によっては紹介できなかった可能性もあったのよね)
 余計な事を考えて背筋をゾッとさせつつ古い木造の階段を上り、会議室の前に辿り着いた瞳子がドアノブに手をかけようとした所で、「煩いっ!」という随分と乱暴な怒鳴り声が室内から聞こえてきた。
(今の声って)
 昼休みに散々聞いた覚えのある声だ。その事に気付いた瞬間、瞳子は扉を開けて部屋の中へと飛び込んでいた。
(祐巳さまは――いた!)
 楕円テーブルのすぐ傍で祥子お姉さま以外の山百合会のメンバーに囲まれていた祐巳さまは、瞳子と目が合うとなぜか気まずそうに視線を逸らした。
(あっ)
 視線を逸らされた事はショックだったけれど、それよりも祐巳さまの浮かべていた表情の方が問題だ。
「祐巳さまっ!? いったい何があったんですか!?」
「え?」
 不思議そうな顔をする祐巳さまは、やはり自分がどんな顔をしているのか分かっていなかったらしい。
 瞳子は祐巳さまを囲んでいる薔薇さま方を睨み付けた。
「祐巳さまに何をされたんです!?」
 皆が瞳子を見て固まっていた。瞳子と一番親しい乃梨子でさえ目を見開いている。
 自分でも驚いてしまうくらい、瞳子は皆に対して怒っていた。瞳子が自分でも驚くほどなのだから、皆はもっと驚いている事だろう。
 瞳子がここに来た時に祐巳さまが浮かべていたのは、今にも泣き出してしまいそうなのにそれを必死に抑えている、そんな表情だった。それは、瞳子を拒絶した時と同じ顔だったのだ。
 だから、瞳子は本気で怒っていた。祐巳さまを傷付けようとする者は、それがたとえ志摩子さまや乃梨子が相手でも許すつもりはない。
 過保護、と言われるかもしれない。甘やかしている、と言われるもしれない。けれど、今の祐巳さまには必要な事なのだ。今の祐巳さまは、痛みが戻っているために不安定になっている。痛みがあるなんて本当は当たり前の事なのだけれど、傷付く事を酷く怖がっている祐巳さまは何かの拍子にその痛みを失くしてしまうかもしれない。
 今の祐巳さまは、他人に傷付けられていないこの世界だから無茶な暴力を振るったりはしないけれど、もし傷付けられて痛みを失くしてしまったら、志摩子さまの話で聞いた、平気で人を傷付けて壊してしまう祐巳さまに戻ってしまうだろう。もしかすると、完全に心を閉ざしてしまって瞳子の事さえ信じなくなってしまうかもしれない。今の祐巳さまは、非常に危うい所にいるのだ。
 瞳子が皆を睨み付けていると、志摩子さまが慌てながら言ってきた。
「違うのよ瞳子ちゃん。祐巳さんは誤解しているの」
「は?」
 一瞬、時間の流れが止まったような気がした。勿論それは気のせいなのだけれど、その代わりと言って良いのか何だか凄く嫌な予感がする。主に祐巳さまのせいで。
「誤解、ですか?」
「ええ。祐巳さん」
 志摩子さまが祐巳さまへと顔を向けて話しかける。
「何よ」
「おそらく、早とちりしてしまったのね。私たちは、瞳子ちゃんと姉妹(スール)になって欲しい、と言いたかったわけではないのよ」
「……へ?」
 祐巳さま、その呆けたお顔はおやめになった方がよろしいです。その……非常に心苦しいのですが、端から見ていてみっともないですから。などと瞳子が思っていると、志摩子さまの後を令さまが引き継いだ。
「瞳子ちゃんと姉妹(スール)になるかどうかは別として、志摩子や由乃とも仲が良いみたいだからたまには遊びに来ない? って言いたかったんだけれど」
 私の聞き方がまずかったせいで勘違いさせてしまったみたいね、と頬を掻く令さま。
「そういえば、確かに言われてない……」
 瞳子には何の事かよく分からないのだけれど、祐巳さまは何かを思い出したようだ。
「え、ええっと、ひょっとして本当に私の早とちり?」
 視線をあちこちに彷徨わせて気まずそうな顔をする祐巳さまに、令さまが笑いながら話しかけた。
「まあ、確かに姉妹(スール)の事も少しは聞きたかったんだけれど、ねえ?」
 最後の『ねえ?』の所で、意味ありげに自分の妹(スール)である由乃さまを見る。視線を受けた由乃さまは、ニヤニヤ笑いを浮かべながら令さまに返した。
「何だか、もう既に姉妹(スール)みたいだったわね。立場が逆のような気もしたけれど」
 楽しんでますね由乃さま。そう瞳子が思っていると、それを聞いていた祐巳さまの目が輝いたのが見えた。
 何か禄でもない事を思い付いたに違いない、と身構える瞳子に向かってにこやかな笑顔を浮かべた祐巳さまが言ってくる。
「お姉さまっ。姉妹(スール)みたいですって」
「はいはい、良かったですね……って、え? お、お姉さま?」
「ふむ、なるほど。瞳子ちゃんをお姉さまって呼ぶのは、こんな感じなのか」
 先ほどまでの悲痛な表情はどこへやら、今はニヤニヤと厭らしい笑みを浮かべながら由乃さまと一緒に瞳子を見ている。
「ゆっ、祐巳さま――――っ!!」
 薔薇の館に瞳子の叫び声が木霊した。



 真っ赤になって怒る瞳子ちゃんを皆で宥めて、何とか落ち着かせた所で八人掛けの楕円テーブルの席に着いた。
 入り口に近い方の席に、祐巳を中心に右に由乃さん、その隣に令さま。机を挟んで祐巳の向かい側に瞳子ちゃんで、その右隣に乃梨子ちゃん、志摩子さんと続く。瞳子ちゃんの左隣の席は空き。多分、祥子さまの席なのだろう。
 皆してお茶を飲んでいると、「でも実際の所どうなの?」と隣の由乃さんに尋ねられた。
「姉妹(スール)になるとか、そういう話なら保留。今の所はなる気はないし」
 正確には、なる気がない、ではなく、ならないだ。いや、なれない、か。
「どうして?」
「……色々とあるの」
 ふと視線を感じてそちらを見れば、瞳子ちゃんが心配そうに祐巳を見ていた。どうも彼女には、祐巳の感情を微妙な表情の変化から読み取れる機能が備わっているらしい。
 他の人は気付かないのに不思議なものだ。唯一、他に気付くとしたら志摩子さんなんだけれど、それでもここまでは見破れない。全く以って不思議な事この上ない。いったい瞳子ちゃんにはどんな秘密があるのだろう? なんて思いながら、じ――――っと瞳子ちゃんを見つめてみる。
 すると、瞳子ちゃんも負けじと見つめ返してきた。
(む、やるわね)
(ほほほ、負けませんわ)
 瞳子ちゃんの心の声が聞こえたような気がした。
 じ――――。
 じ――――。
 しばらく見つめ合っていると、何かが芽生えそうな気がした所で由乃さんが尋ねてきた。
「さっきから瞳子ちゃんと見つめ合って何してるのよ?」
 見つめ合っていたのがバレて恥ずかしかったのか、瞳子ちゃんの顔が一瞬で真っ赤になった。
「いや、愛を確かめ合っていたんだけど」
「祐巳さまっ!?」
 瞳子ちゃんの顔が、今にも火でも吹いて倒れそうなくらい赤くなっている。きっと彼女の身体の中では、得体の知れない化学反応が起こっているに違いない。
 何だか楽しくなって、祐巳は由乃さんに視線を送ってみる。
(どう、私の実力は?)
 由乃さんはそれを受けて頷いた。
(やるわね祐巳さん)
 目と目で会話していると、瞳子ちゃんが頬を膨らませた。
「お二人って、随分と仲がよろしいんですね。瞳子、全く知りませんでした」
 冷たい視線でこちらを見て、口調まで他人行儀になっている瞳子ちゃん。
(あれは焼き餅よ祐巳さん)
(むむっ、ほっぺた膨らませちゃって美味しそう。食べちゃいたい)
「いつまで目で会話してるんですかっ!」
 遂に瞳子ちゃんが爆発した。
「いやあ、由乃さんとは気が合っちゃって」
「そうそう、祐巳さんとは気が合っちゃって」
 二人で「ねー」と声を合わせて笑顔でお互いの肩を叩き合っていると、じとーっていうか、どんよりというか、凄い目をした瞳子ちゃんに睨まれた。
「そっ、そういえば祥子さまは?」
 呪いでもかけられてしまいそうなその目が怖かったようで、誤魔化すように由乃さんが隣に座る令さまに尋ねる。
「ん? 祥子ならちょっと遅れるって言ってたけれど、もうそろそろ来るんじゃないかな?」
 そう返す、何となく陰の薄いような気がする令さま。もっとも、向こうの世界でも影は薄かったのだけれど。あれだ、ほら、由乃さんのキャラが良(濃)過ぎるんだよね。令さまは言うなれば、由乃さんに付いてくるオマケ? 決めるべき所ではビシッと格好良く決めてくれるのだが、それまでは出番がないような、そんな人だ。
 祐巳がそんな酷い事を考えていると、ようやく祥子さまが姿を現した。扉を開けて一番最初に祐巳を見付けて、微笑みながら挨拶してくる。
「ごきげんよう」
「ごきげんよう。えっと、お邪魔してます」
 祥子さまが持っていた鞄を机の横に置いていると、祐巳が勝手に気が利く一年生の序列第一位だと思っている乃梨子ちゃんが「お茶をお淹れしますね」と席を立った。
 こちらでも、ああいう所は変わらないらしい。それは、つまらなくもあり、嬉しくもあった。世界は違ってもやっぱり同じ人間なんだな、って安心できるからだ。
「どうしたの瞳子ちゃん?」
 未だに膨れている瞳子ちゃんを見付けて、不思議そうに祥子さまが尋ねる。
 瞳子ちゃんは、チャンス! とばかりに祥子さまに縋り付いた。
「聞いてください。祐巳さまったら酷いんですぅ」
 瞳子ちゃんの甘える声なんて初めて聞いたし、甘える所なんて初めて見た。それは、祐巳では引き出す事のできない、祐巳の知らない瞳子ちゃんの顔だ。
 ズキン、とどこかが痛んだ。
(ッ!? な、何よ今の?)
 突然襲ってきた鋭い痛みに驚いて、思わず俯いてしまう。
「祐巳さん?」
 そんな祐巳の顔を、隣に座る由乃さんが心配げに覗き込んできた。
「だ、大丈夫。何でもないから」
「で、でも、顔が真っ青よ?」
 由乃さんの言葉を、祐巳は途中から聞いてはなかった。それどころではなかった。
(何これ? 何これ? 何なのこれ? 何なのよっ!?)
 ズキズキと酷く痛む。目の前が真っ暗になって、気を失いそうなほどに痛くなってきた。
(やだ。怖い。怖いよ)
 気を失わないように唇を強く噛むと、尖った犬歯が唇を切り裂いた。口の中に血の味が広がって、つぅっと唇から鮮血が零れる。
「祐巳さまっ!?」
 叫んだのは誰だったのだろう。襲ってくる痛みに耐えていて、そんなの分からなかった。
「祐巳さんっ!?」
 煩い、黙れ。人が必死で耐えているのに邪魔するな! そう言ったつもりだったのだが、それは声にはならなかった。
(痛い。痛いよ。消さなきゃ。消さないと。痛みなんて消してしまわないと)
「祐巳さま! 祐巳さまっ!」
 誰かが祐巳の名前を呼びながら、祐巳の身体を揺すっている。
(煩いなっ。あと少しでこの痛みが消えるから、それまで静かにしていてよっ)
 ぼやけた視界の中で誰かの顔が見えるけれど、誰なのか分からない。ただ、どこかで見た事があるような気がした。誰だったか思い出さなきゃいけないような気もするし、どうでもいいような気もする。
(うん、そうだ。どうでもいい。私には関係ない。ほら、痛みが消えてきた)
 世界が変わる。
 黒と白だけの、モノクロの世界へと変わる。他人が全部、黒く塗り潰された人型の影に見える。

 そんな人だか何だか分からないものに、私は傷付けられはしない。どれだけ壊してやっても、心なんて痛まない。
 私はもう二度と傷付かない。

「祐巳さまっ!」
「煩いわね」
 ゆっくりと手を伸ばし、その手で目の前ある黒い影の頬に触れた。
「あんまり煩いと、あいつらみたいに壊してやるわよ?」
「祐巳さ……ま?」
(この声……さっきから私を呼ぶのはあなた? あのさ、悪いんだけど分からないのよ。ねぇ――)
「あなた、だぁれ?」
「嫌ぁぁっ!! 祐巳さまっ! 駄目ですっ! 痛みから逃げないで! 痛みを恐れないでっ! 痛みを感じるのは当たり前の事なんです! 誰だって痛みを感じるのは怖いんですっ! 私だって怖い……あなたに拒絶されるのは……あなたを失うのは怖いのっ!」

 あれ? 聞いた事のある声だ。誰だったかな? とても聞き覚えのある――。

「だから、お願いです……。『誰』なんて……私にそんな事聞かないで……」

 ――瞳子ちゃん?

 急速に祐巳の世界に色が戻り始めた。
(ああ、そんな……)
 色の戻ってきた世界で、祐巳の手が触れている彼女は泣いていた。
(私――)
 色の戻った祐巳の視界にあるのは、頬に当てられている祐巳の手に自分の手を重ねて、ポロポロと大粒の涙を零している瞳子ちゃんの姿だった。
(また泣かせちゃったの? ごめん……ごめんね)

 泣かないで、瞳子ちゃん。

 聞こえただろうか? 届いただろうか?
 世界が黒く塗り潰されて完全に闇に包まれる前に、祐巳は自ら目を閉じた。



「あれ?」
 目が覚めると、祐巳は硬いテーブルの上に横たわっていた。薔薇の館に設置されている楕円テーブルだ。
(何でテーブルの上?)
 たしか自分は薔薇の館にいて、皆と話していて、祥子さまが来て、それで急に鋭い痛みを感じて……とそこまで思い出した所で急いで上半身を起こす。ペタペタと身体のあちこちを触ってみるが特に何もなく、例の痛みも治まっているようだ。あれは冗談ではなかった。意識を手放す前に、もう二度と目を覚ませないんじゃないかと思ったほどだ。無事に目が覚めたので、心底ほっとしている。
 安心した所で辺りを見回そうとして、テーブルのすぐ横にハンカチを持ったまま固まっている少女を見付けた。祐巳が急に起き上がったから、驚いて固まっているようだ。
 手に持たれたハンカチに薄っすらと赤いモノが付着しているのは、おそらく祐巳の唇から流れ出た血液だろう。どうやら、ずっと傷口に当てていてくれたらしい。祐巳的好感度が二ポイントほど上がった。ちなみにその少女は、小柄な身体に縦ロールが特徴的な、言わずと知れた瞳子ちゃんだ。
「ゆ、祐巳さま?」
 ようやく硬直が解けたらしい瞳子ちゃんが恐る恐る名前を呼んできたので、祐巳はそれに応えた。
「おはよう」
「おはよう……って。ど、どこか痛い所とか、気分が悪いとか、そんな事はないですか!?」
 尋ねてくるのは構わないのだが、勢いが良過ぎて祐巳の上に覆い被さるような体勢になっている。
「い、いや、大丈夫だから。ちょっと顔が近過ぎるよ」
 心臓に悪いから、掴みかからんばかりの勢いで急に迫ってくるのはやめて欲しい。
「良かった……」
 瞳子ちゃんが安堵の溜息を漏らす。随分と心配させちゃったみたいだ。それにしても、自分はなぜ生贄みたいにテーブルの上に寝かされていたのだろう。
「えっと、気を失う直前までの事は何となく覚えているんだけど、何でテーブルの上に寝かされているの?」
「一応毎日掃除はしていますが、寝転ぶに適しているかと言われると首を傾げたくなります。それでも床の方が良かったですか?」
 足元の床を指差しながら瞳子ちゃんが言った。
「ごめん、馬鹿な事聞いた。えっと、瞳子ちゃんが私を運んでくれたの? 重くなかった?」 
「いえ、皆で協力して運んだので、それほどでもありませんでした」
「それって、重くないとは言ってないよね?」
 ジト目を瞳子ちゃんに向けながら何気なく切り裂いた唇を指で触れると、半渇きの血が少し付いた。という事は、気を失ってからそんなに時間は経ってないってわけだ。とりあえず、何時間も間抜けな寝顔を披露しなくて済んだと安心しておこう、と思う事にした。
 そんな風に祐巳がほっとしていると、心配そうな表情を浮かべた瞳子ちゃんが尋ねてくる。
「それよりも、いったいどうしてあんな事に?」
「うん? ああ、苦しみだした時の事? それなら、瞳子ちゃんが祥子さまに甘えているの見てからかな? こう、胸の辺りがズキンって痛んだの」
 祐巳が胸元を押さえながら言うと、「え? それって……」と瞳子ちゃんが小さく呟いた。何だか妙に期待しているような顔を祐巳に向けている瞳子ちゃんの反応を楽しむためにも、代わりにその続きを口にしてあげる。
「今思い返すと、あれって嫉妬だよね」
「そ、そういう事を平然と言わないでくださいっ」
 怒るように言ってくるけれど全く怖くない。だって、口元が嬉しそうに綻んでいる。
「あはははは。でも、まさか嫉妬で痛みを消そうとするとは自分でも思わなかったよ。私、瞳子ちゃんに恋でもしてるのかな? あ、でも、祥子さまにかもしれないよね?」
「……」
 瞳子ちゃんが沈黙と刺すような視線を返してきた。ちょっとからかい過ぎたようだ。ここまでにしておこう。
「それにしても、まさか気を失うとは思わなかった」
「……」
 祐巳の言葉を聞いて、瞳子ちゃんが何事か考え始めた。おそらく、祐巳がどうして気を失ったのかを考えているのだろう。けれど、祐巳にはその原因が何となく分かっていた。痛みを消すのを無理やり抑えた反動なのだろう、と。多分、おそらく、きっと。
 それにしても危なかった、と安堵の溜息を吐く。あのまま痛みを消していたら、自分は間違いなく祥子さまと瞳子ちゃんを壊していただろう。
 と、ここでようやく考えが纏まったらしい瞳子ちゃんが口を開いた。
「長い間、痛みを失くしていた反動じゃないですか?」
 惜しい、祐巳の考えと少し違う。でも、それもあるかもしれない。
「あー、そうかもね。だったら私ってば、かなりの重症だ」
 あははー、と笑いながら言うと、瞳子ちゃんが冷たい視線を向けてきた。
「馬鹿ですね」
「馬鹿です。悪かったわね」
 馬鹿と言われて、ムスッとしながら返した。
「最低ですね」
「最低ですよ。悪かったわね」
 こんちくしょう、と心の中で付け加える。
「自業自得ですよね」
「そうですよ。悪かったわね」
 これは言われても仕方がない。本当の事だし甘んじて受けよう。
「本当に分かってるんですか?」
「分かってますよ。悪かったわね」
 これは今までの言葉の応酬の、ただの惰性。
「祐巳さまっ!」
「ごめんなさい」
 瞳子ちゃんが目を吊り上げて怒ってくる。さすがに悪かったと思ったので素直に頭を下げると、怒っていた顔を悲しそうな表情に変えて瞳子ちゃんが懇願してきた。
「もう二度と、私に向かって『あなた、だぁれ』なんて言わないでくださいね。あんなのは、もう絶対に嫌ですからね」
「ごめん。二度と言わないって約束するから許して」
「約束して守れるんですか?」
 瞳子ちゃんがギロリと睨んでくる。
「う、多分」
 自信ないけど、と祐巳が瞳子ちゃんから目を逸らしていると、「あのう、そろそろ良いですか」と背中側から声が聞こえてきた。
 振り返ると、洗剤で泡立ったスポンジと泡に塗れたティーカップを持った乃梨子ちゃんが、流しの所で困ったような顔して祐巳たちを見ている。
「私たちもいるのだけれど」
 乃梨子ちゃんの隣から、洗い終わったティーカップと拭き取り用の布巾を持った志摩子さんが苦笑いしながらそう伝えてきた。
 白薔薇姉妹の二人は途中で入室してきたわけではなく、最初からずっとこの部屋にいて祐巳が倒れる直前まで皆が使っていたティーカップを片付けていたらしい。
(瞳子ちゃんってば、すっかり忘れていたな)
 祐巳が目を覚ました事で安心し切って、すっかり二人の存在を忘れていたようだ。顔を真っ赤にして何か言おうとしているのだけれど声にならず、その結果金魚みたいに口をパクパクさせている。やばい、凄く可愛い。
「由乃さんたちは? まさか、扉の陰に隠れていたりはしないよね?」
 姿が見当たらない人達がいるので、ビスケットに似た扉へチラリと視線を飛ばしながら祐巳は尋ねてみた。
「由乃さんなら、令さまと祥子さまの三人で保健の先生を呼びに保健室へ行っているわ」
「あー。それは悪い事しちゃったな」
 先生を連れてきても祐巳はもう目を覚ましてしまっているし、身体を診てもらったとしてもどこにも異常なんて見付からないだろう。
 それにしても、祥子さまにとっての祐巳は瞳子ちゃんを奪おうとする敵であるはずなのに、そんな祐巳の看病を瞳子ちゃんに任せるとはいったいどういうつもりなのだろう。何を考えているのやら、どうにもよく分からない人だ。
 足元を見てみると上履きは履いたまま寝かされていたようなので、祐巳はそのままテーブルから下りた。
「身体の方はもう平気?」
「うん。寝起きに瞳子ちゃんとイチャイチャするくらい元気」
「……そう。それは良かったわ」
「ちっともよくありませんっ!」
 金魚から人間に戻る事ができたらしい。身体の調子を尋ねてきた志摩子さんと祐巳が会話をしていると、顔を赤くしたままの瞳子ちゃんが激しく抗議してきた。
「いっ、イチャイチャって何ですか! イチャイチャって!」
「え、してたでしょ?」
 ねえ? と同意を求めるために志摩子さんと乃梨子ちゃんを見ると、二人は大きく頷いた。
「していたわね」
「瞳子のあんな姿を見る日が来るとは思いませんでした」
「乃梨子!?」
 裏切られた、みたいな顔をしている瞳子ちゃん。
 そうやって三人で瞳子ちゃんをからかっていると、コンコン、と扉をノックする音が聞こえてきた。誰だろう、と四人でそちらに視線を向けると同時に扉が開いて祥子さまが入って来る。
「良かったわ、気が付いたのね。具合はどう?」
「あ、はい。特に何ともありません。ご迷惑をおかけしました」
 って、あれ? 祥子さま一人? 保健の先生を呼びに行ったんじゃないの? それに、由乃さんたちは一緒じゃなかったの?
 部屋へ入ってくるなり扉を閉める祥子さまを不思議に思って見ていると、それが顔に出ていたらしい。「祐巳さんの様子が気になって、私だけ途中で引き帰してきたのよ」と答えてくれた。祐巳の顔を見て何を考えているのか読める人を、新たに発見した瞬間だった。
 祥子さまは部屋の中にいるメンバーを見回すと、志摩子さんへと顔を向けて言う。
「志摩子」
「何でしょう」
「少しの間、祐巳さんと瞳子ちゃんの二人と話をさせてちょうだい」
 その言葉に、志摩子さんが祐巳を見てきた。祐巳たち三人だけにして、また先ほどみたいな事態にならないか心配なのだろう。
 大丈夫だから心配しなくて良い、という意味を込めて祐巳が小さく頷くと、志摩子さんは祥子さまへと視線を戻した。
「分かりました。乃梨子」
「はい」
 瞳子ちゃんへと心配そうな顔を向けていた乃梨子ちゃんだったが、志摩子さんに名前を呼ばれて一緒に部屋から出て行く。こうして、部屋には祐巳と祥子さまと瞳子ちゃんの三人だけが残った。
「さて」
 扉が閉まったのを確認した所で祥子さまが声をかけてくる。
「先ずは最初に聞いておきたい事があるのだけれど、良いかしら祐巳さん」
「何でしょう」
 長くて美しい黒髪をサラリと揺らしながら振り返り、祐巳を視線の真ん中に捉えた所で祥子さまは言った。
「あなたはどこの世界から来たの?」
「へ?」
「さっ、祥子お姉さま!?」
 祐巳の間の抜けた声と、瞳子ちゃんの驚いた声が重なる。祥子さまのそのお言葉は、本日最高の威力と衝撃を伴った破壊力抜群の爆弾だった。けれど、その後に続いた言葉にもっと驚かされる事となる。
「私もね、あなたと同じようにこことは別の世界から来たのよ」
 懐かしむように、薄っすらと微笑みながら祥子さまはそう言ったのだった。


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