「大きな扉 小さな鍵」ネタバレ品
「失礼します」
声とともに教室の扉が開いて、そこに瞳子ちゃんが固まっていた。
お話が、というのはもちろん祐巳に関わることだろうけれど、らしくもなく凄い顔をしている。よほど、苦情があると見えて、自慢の髪が乱れているのも気にしない、いえ気づいていないらしい。
この、何を考えているかわからない子がぶつかってくるというのなら、勝手に拗ねているよりは、よほど、いい。とはいえ、これだけ正面から感情を表している瞳子ちゃん、というのはめったに見られない。
帰り支度をして、教室を出る。話す場所を探しあぐねて中庭へ出た。肩を怒らせて、自分以外のすべてを撥ねつけているような姿がなんだか小さく見える。一皮むいた彼女は、こんなに幼かったろうか。祐巳の心配のいらいらをぶつけるには、ちょっと虚勢が透けて見える相手だ。
「祐巳さまに、しゃべったんですか?」
はあ? 何を言っているの。
なにか祐巳に話せないようなことがあったろうか。
とにかく、また祐巳となにかあったということだけはわかるけど。
「何のこと?」
「祥子お姉さまは以前おっしゃってましたよね、祐巳さまの妹に関しては一切口を出さない、みたいなことを」
確かに。言った。瞳子ちゃんが聞いているところだったかどうか覚えていないけれど。姉といっても最後のところは見守るしかない。
ふーん。だんだんわかってきた。なにか、隠していたつもりなのね、瞳子ちゃん。私に苦情を言いに来るからには、家の方のことだろうけれど、心当たりはない。ささいなことで、すれちがっているのか。
私にぶつかりに来たのを幸い、聞き出してもいいだろう。それを祐巳に話すかどうかは聞いてから考えるとして。
「はっきりおっしゃい。尋常じゃない顔をして、私に何か苦情を言いに来たみたいだけれど」
なにごとか躊躇して、間があって。
意を決したように、瞳子ちゃんは言った。
「私の出生に関わる話です」
「出生の?」
その言葉を聞いて、優さんの質問を思い出したのだけれど、それでもわからない。
「それで、祐巳さまにはいつおっしゃったのですか?」
「いったい、瞳子ちゃんの出生に関わる何を、私が祐巳に言ったというの?」
我慢できない、というように、瞳子ちゃんが向かってきた。
「とぼけないでください。私が、松平の両親の子供ではないということに決まっているじゃないですか!」
あ、そういうことが、それで優さんが。しかし。え。
「瞳子ちゃん、……松平の小父さま小母さまの間に生まれた子供じゃなかったの?」
瞬間、パズルが合いはじめた。
彩子お祖母さまの亡くなった後、避暑地のパーティー、学園祭、家出、クリスマス、そして小公女。
「まさか」
「残念ながら初耳よ」
「嘘です」
鍵が、カチリと、合った。
「あはははははは」
わかった。思わず、空を仰いで笑った。
優さんのおせっかい。また、自分ひとりで全部なんとかしようとして。
それなら、鍵だけは開けてしまおう。
扉を開けるのは、祐巳と瞳子ちゃん自身。でも、鍵は、わかった。
「まったく、見くびられたものね」
「申し訳ありません」
蒼白になった瞳子ちゃんが頭を下げる。でもね、祐巳にそうやって頭を下げられるかしら?
そう思った瞬間、自制が切れて、ふっ、と怒りが口をついて出た。
「私じゃないわ、祐巳のことよ」
「祐巳と何があったかは知らないけれど、祐巳はきっと、瞳子ちゃんの家庭の事情を知らないと思うわよ。たとえ偶然知ってしまったとしても、そんなことで瞳子ちゃんへの評価を変える子じゃない。それは、姉である私が一番知っているわ」
そして、祐巳に頼っていた瞳子ちゃんも、知っていると思っていた。
なにをやっているの、あなたは。
さらに、言いつのろうとして、ブレーキがかかった。
今ここに祐巳はいない。言うだけ言ってしまって、崩れてしまった瞳子ちゃんを包む祐巳は、今ここにはいない。
さて、どうしたものか、と、目を上げたら。
葉を落としてしまった桜の樹の向こうに、乃梨子ちゃんが、いた。
そうね……この一年、乃梨子ちゃんとは、意外にいいコンビだったわ。
志摩子がロザリオを渡しそびれて悶々としていたとき。可南子ちゃんが祐巳に妙な理想を押しつけようとしていたとき。そして、今。
私が尻を叩いて、乃梨子ちゃんが骨を拾う。最後に祐巳が包み込む。祐巳は儲け役よね。
働き者ってだけじゃない。ほんとにこの子はお買い得だった。
ひょっとすると、祐巳と同じように、乃梨子ちゃんも誰の心も開いてしまうような資質を持っているのかもしれない。
演技なんてできないけれど、仮面のかぶり方なら瞳子ちゃんより年期がはいっているわよ。
心配そうに見ている乃梨子ちゃんに目で合図をして、ためらいなく最後の仕上げをする。
「それなのに、あなたのことばかり考えている祐巳が哀れになってきたわ」
がっくり、という感じで、瞳子ちゃんが膝をついた。
思わずにらみつけてくる乃梨子ちゃんにうなずいて、手招きをする。
はっ、として厳しい目をして、でもうなずく乃梨子ちゃん。
鍵は、開けた。
あとは、私の出る幕ではない。
姉、と、親友、に任せようじゃない。この二人になら任せられる。
瞳子ちゃんが自分で扉を開くまで。
校舎に入った。
後ろから瞳子ちゃんの声が追いかけてきた。
「乃梨子! 乃梨子! 乃梨子! 乃梨子!」
ふう。優さんにお灸を据えなくては。
ほんとに、いつだって自分だけでやろうとするんだから。