【1962】 また逢う日まで  (ケテル・ウィスパー 2006-10-27 01:14:20)


1、薔薇の館


 祐巳はミスをした。

 それは決定的なミスで取り繕いようも無い程のミスであった。 由乃も志摩子も、乃梨子や瞳子、菜々も何とかしようと奔走してくれたのだが徒労に終わった。 どのようなミスなのかは祐巳の名誉のためここではあえて伏せておくが(考え付かなかったとも言う‥‥‥ま、気にしないように) 明日から『私、紅薔薇さまで〜す』などと言って校内を歩き回れない状況になっているのである。

「祐巳さん、元気出しなよ」
「そうよ、そんな沈み込んだ表情をされると鬱とぅ…こっちまで悲しくなってしまうわ」
「‥‥‥‥‥‥‥」

 よほどショックなのか、頬杖を突いたまま微動だにしない祐巳、顔の上半分には漫画でおなじみの縦線が張り付き新しいチャームポイントになっている、もちろんバックはオドロ効果線が黒いオーラの放射を表していてなかなか素敵な雰囲気をかもし出している。

「志摩子さん、今なんか不穏当な…」
「それは些細なことでしょう。 今は祐巳さんに元気になってもらわないと…」
「……た、確か…にそうよ…ね、虚勢張ってでも笑っててもらったほうがいいわね」

 乃梨子や瞳子や菜々も薔薇の館に来てはいるのだが、あまりの雰囲気に乃梨子と菜々は早々にサロンから出て行かされ、残っていた瞳子は志摩子に出るように促されるまで祐巳の傍らにいた。 下級生をサロンから出したものの由乃も志摩子もどう祐巳に声をかけたものか分からないままだった。



 まんじりともせぬまま時間だけがいやな遅さで過ぎてゆく。 やがて幽鬼の様にフラ〜リと祐巳が立ち上がるとフラフラとカバンを取って操り人形のようにビスケット扉に向かっていく。

「キョウハ モウ カエルワ……」
「そ、そう……気をつけて…ご、ごきげんよう…」
「ゆ、祐巳さん。 どんなことがあっても、私たちは祐巳さんの味方よ……ごきげんよう…」

 ビスケット扉の前でユラリと立ち止まった祐巳は、ギギギギッっと音がするように由乃と志摩子の方に表情の乏しい顔を向ける。

「…ヨシノサン…シマコサン…… ワタシタチッテ… ……シンユウ…ヨネ…?」
「……な、何を…いまさら言ってるのよ」
「気恥ずかしくて口には出していないけれど、祐巳さん、私達は親友よ」

 二人の反応と言葉を聞いた祐巳は、しばらく二人に視線を向けていたがやがて悪鬼のようにニヤ〜リと笑いゆっくりと一つ頷いた。

「ソウ… ワカッタワ ゴキゲンヨウ……」

 祐巳がビスケット扉を開けると、そこには心配そうな顔をした瞳子と乃梨子、その後ろに菜々が立っていた。 祐巳は三人に視線を一巡させるたあと瞳子を見ながら由乃と志摩子に向けたのと同じような笑顔を浮かべる。 
 
「キョウハ… ヒトリデ カエルワ…… ゴキゲンヨウ……」
「………ご、ごきげんよう。 お、お気をつけて………」

 三人の返事など期待していなかったのか、それとも瞳子以外は眼中に無いだけか、祐巳はユラユラと生気を感じさせない動きをしながら薔薇の館から出て行った。
 頬を引きつらせ青い顔のまま乃梨子と菜々がサロンの中に入って来た、しばらく祐巳の出て行ったドアを不安げに見つめていた瞳子は後ろ髪を引かれながらビスケット扉の中に入った。

「祐巳さんは……帰った?」

 机に突っ伏していた由乃が顔だけ起こしてなかなか奥まで入って来ない三人に聞いた。 瞳子だけはうつむいたままだが乃梨子と菜々は目配せをし合っている。

「…帰られましたわ…。 まるで幽霊みたいでしたけれど……」

 二人がなかなか口を開けないでいたとき、瞳子が少し沈んだ口調だったが由乃の問いに答えた。
  
「瞳子ちゃん、一緒に帰らなくて大丈夫なのかしら?」

 志摩子の言葉に一瞬大きく口を開きかけた瞳子だったが口先まででかかった言葉を飲み込み、うつむいてポツリとつぶやいた。

「……必要…無い‥‥‥そうです……。 由乃さま志摩子さま、祐巳さまは…祐巳様は大丈夫なのでしょうか?!」
「…何かあったの? 私は大丈夫だと思うけど?」
「そうね、変な事を考える人ではないと思うけれど……今の状況だとどうなのかし………あ……ぅ、ぅぅん……。 瞳子ちゃん、何か心配事でもあるのかしら?」
「志摩子さん……なんか心の暗黒面がにじみ出てきてるわよ……」
「大丈夫よ、このくらいならまだ見逃してくれるわ」

 祐巳が帰ったため場の空気が軽くなったからか由乃と志摩子の口は軽くなってきたが、瞳子は心配そうにサロンの窓から外を眺める。

「……先ほどの祐巳さまの『ごきげんよう』……まるで…『さようなら』と言うふうに聞こえたものですから……」
「リリアンでの挨拶としての…ではなく『さようなら』ってこと?」

 乃梨子の問いに瞳子は小さくうなずいた。


2、薔薇の館

 翌日の朝、由乃と志摩子が薔薇の館を訪れるとすでに祐巳は来ていた。 ビスケット扉を開けて中に入ると、サロンの窓際から外を見て背筋を伸ばして後ろ手に組んで立っている。

「祐巳さん! ……ごきげんよう。 もう大丈夫なの?」
「ごきげんよう祐巳さん。 よかったわ、今日は学校を休んでもしょうがないかと思っていたから」

 祐巳の姿を認めた二人は机の近くまでやってきた。

「学校を休む? ……人の噂も七十五日か……でも今回の事はたとえ50年、いえ末代まで汚名として語り継がれるでしょうね……ごきげんよう、由乃さん志摩子さん」

 そういいながら振り向いた祐巳の顔を見て由乃と志摩子は息を呑んだ。 目つきが悪く口元には人を小馬鹿にしたような笑みが張り付いていた。

『ちょ、ちょっと志摩子さん、微黒とか内面黒とかって志摩子さん担当じゃなかったっけ? 祐巳さんのあれは何よ?』
『白薔薇ファンが聞いたら怒るわ。 それにあれじゃあ微黒や内面黒を通り越していて黒よ。 祐巳さん暗黒面に捕らえられてしまったのかしら?』
『この場合どうすればいいのかしら?』
『何とか抜け出して体勢を立て直したほうがいいと思うわ。 何をしだすか分からないもの』
「聞こえてるわよォ〜〜、でぇもォ……」

 額を付け合せて話していた由乃と志摩子の目の前から祐巳がいつの間にか消えた。

「逃がさないわ……。 二人には付き合ってもらうわよ。 取りあえず……」

 次の祐巳の言葉は二人の背後、ビスケット扉の方から聞えた、ゆっくりと机に近づいて来た祐巳は、スカートのポケットからもったいつけながら何かを取り出してコトリと机に置いた。 正露○が入っているような茶色の小ビン、中にカプセル状の薬が入っているのが見える。

「な、何よそれ?」
「ゆ、祐巳さん……私、怖いことには付き合えないわ……」

 机の上で茶色の小瓶をもてあそびながら、今までの祐巳からは想像もつかないような薄気味悪い顔をしてゆっくりと首を振る。

「これはね〜”ぱらだいす”よォ〜、自殺幇助薬のねェ〜」


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 クロスオーバー 『 自殺の楽しみ方 』 遠井彬仁:著>早川Hi文庫


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