皇紀26XX年、世界は悪魔が跳梁跋扈する異界と化した。
『真・マリア転生 リリアン黙示録』【No:1885】から続きます。
ブンッ
音を立てて目の前を棒切れが通り過ぎる。
それをやり過ごして、踏み込みざまに腕を伸ばして犬のような頭部を鷲づかみにすると、そのままの勢いで後の壁に叩き付けた。
声も立てずに崩れ落ちたソレに目もくれずに振り返る。遅れて、長い髪がふわりとなびいた。
「意外と脆いのね」
そう呟くと、細川可南子は嫌そうに顔をしかめて右手を振った。手の中に、嫌な感触が残っていた。
二足歩行する犬。あるいは犬頭の人型。
可南子が目の前にしているソレの外見を端的に言えば、そういったものになる。
人間に比べるとだいぶ小柄なそれらは、個体の能力は特に素早いわけでも力があるわけでもない。だからバスケ部エースと言われる可南子にとっては、その攻撃をかわすことはさして難しいことではなかった。
ただ、数が多いのが厄介だった。これで上手く連携されたらそれなりに危険だろうとも思われたが、そこまでの知能は無いのか、あるいは単にその気が無いのか、個々に襲ってくるだけなのが救いだった。
さらにそれらは、手に手に棒切れを持っていた。木の棒、角材だったり、鉄パイプだったり、あるいは加工の跡が見られる棍棒のようなものだったりとまちまちだったが、いずれにせよ素手の人間にとってはやっかいなことには違いなかった。
ふと、可南子は今自分が叩き潰したソレが持っていた棒切れに目をやる。なんの変哲もない鉄パイプだが、素手でいるよりはマシに思えた。
近づいてくる相手との距離を見て、素早くそちらに手を伸ばす。
同時に、相手も襲い掛かってきたが、充分間に合うタイミングだ。打ちかかってきたそれにあわせて拾った棒を振るう。
ギィン、と鈍い音がして棒切れが宙を舞った。
可南子は右手に持っていた棒を左手に持ち替えると、軽く右手を振った。金属の棒同士を打ち合わせたせいで、少し手が痺れたのだ。
「敵」の目の前でそんな行動を取るのが危険なことくらい可南子にもわかっていたが、その目の前の「敵」の方が、飛ばされた自分の得物の方を呆けたように見ていたのだから余裕があった。
無防備なソレに力を込めて左手の棒を突き入れると、それは簡単に吹っ飛んで、動かなくなった。
いけそうだ。可南子は思った。とりあえず、金属の棒同士は撃ち合わせない方が良さそうだけど。
「悪魔がこの世界に実体化するためには、マグネタイトと呼ばれる生体エネルギーが必要です」
「まぐねたいと?」
きょとんとした顔で問い返す祐巳に、瞳子は一瞬口篭もった後、さらに説明を続けた。
「……より厳密には生体マグネタイトと言うべきですが、生きとし生けるもの全てが持つ生命力そのもの、とでもとらえておいてください」
二人は現状を把握する為、と称して適当にその辺を歩き回っている途中だった。
「強い悪魔程、実体化するために大量のマグネタイトを必要とします。
昔の悪魔召喚の儀式で生贄を捧げるというのも、これを儀式化したものではないかとも言われていますね」
「へえ」
「そして実体化し続ける為にも、マグネタイトが必要です。悪魔がヒトや他の悪魔を襲うのは主にその為です」
「実体化って、もともと実体を持たない存在なの?」
「……そうですね」
瞳子はわずかに驚いたような表情を見せる。祐巳から質問してくるとは思っていなかった、という顔だ。
「もともとがこの世界の存在ではないからです。この世界に存在を固定化する。といった意味で使われています。
『受肉』、とか『顕現』という言葉を使うヒトもいます。わかっていないことは多いですし、言い方も人によって色々です」
「ふうん」
「マグネタイトを取り込む方法は種族によって様々です。
直接的に捕食という方法を取るものもいれば、生体エネルギーそのものを取り込むもの、一般に精気を吸い取られるというのもその類ですね。あるいは信仰心」
「信仰心?」
「マグネタイトには強い感情によって発生する『気』のようなものも含まれるんです。『祈り』という行動によって発生する『想い』とか。信者の多い神様ほど力を持つのはそういう理由もあるんです」
「そ、そうなんだ」
リリアンでそんなこと言っていいのだろうかと複雑な表情を見せる祐巳である。
「それにしても、瞳子ちゃん、詳しいね」
祐巳について来るようになって以来、瞳子はことあるごとにこの手の講釈をしていた。
「………松平、柏木、小笠原が総力を結集した情報網を甘く見てもらっては困りますわ」
「な、なるほど」
おほほとお嬢様笑いをする瞳子に素直に感心する祐巳。それは確かに凄そうだ。
「そんなことより祐巳さま。これまでの話、ちゃんと聞いてましたか」
「き、聞いてたよ? だからマグネットコーティン――」
「最初から間違ってます! マグネタイトです。マ・グ・ネ・タ・イ・ト! 何を聞いていたんですかっ!?」
半分以上は講釈というより小言になっている気もしたが。
「じょ、冗談だってば。まぐねたいとでしょ。悪魔がこの世界に存在する為に必要で、人や他の悪魔を襲う理由」
「まあ、それだけが理由というわけでもありませんけど」
「? そういえば主な理由って言ったよね。他にどんな理由があるの」
「例えば、趣味で」
「趣味って……」
顔をしかめる祐巳に、瞳子はこともなげに言った。
「人間が趣味でハンティングを行うのと同様、面白いからという理由で人間を襲う悪魔もいる、ということです」
「……………」
「他にも勢力争いや単に暴れたいだけとか、意外と悪魔は人間に似ているのかもしれませんね。
悪魔の姿は人間のイメージにも影響される、という説もありましたし――」
ふと、瞳子は言葉を切った。祐巳の浮かない表情に気付いたのか、話を切り替える。
「まあ、このあたりはよくある設定なので別にどうでもよいのですが」
「………」
それじゃあ一生懸命聞いて覚えたのはなんだったんだろう。しかもあんなに怒られながら。
祐巳が世の中の理不尽さと人生のむなしさをかみしめるていると、突然瞳子が足を止めた。
「あれは……」
今度はなんだろうと祐巳は瞳子の視線の先を追う。一人の少女が複数の悪魔に取り囲まれていた。
「可南子ちゃん!?」
その少女は細川可南子だった。
「祐巳さま、ちょうどいい機会ですからデビルアナライズシステムを使ってみてください」
瞳子は落ち着いて状況分析をはかる。
柏木優から渡されたハンドヘルドコンピュータには、悪魔召還プログラムの他にも、オートマッピングやデビルアナライズといった機能もあった。デビルアナライズシステムとは、ぶっちゃけ悪魔辞典のようなものだ。
実際には見るまでもないのだが、祐巳にはいろいろと慣れてもらう必要があった。
「って、祐巳さま?」
祐巳が既に凄い勢いで走り出しているのに気づいて、瞳子は一つため息をつく。
「地霊コボルト。雑魚ですわね」
冷めた目でそう呟くと、瞳子は祐巳の後を追ってゆっくりと歩き出した。
祐巳の後ろ姿を見ながら、きっと凄い形相をしているに違いないと思いついて、今度は瞳子はくすりと笑った。
「可南子ちゃん!」
聞きなれた声と共に、犬頭の1体がもんどりうって倒れた。
「祐巳さま!?」
どうやら、後ろから蹴りを入れたらしい。跳び蹴りとかドロップキックとかいう高度なものではもちろんない。いわゆる喧嘩キックだ。
可南子が自分独りでも蹴散らせるかなと思っていた矢先の祐巳の乱入だった。しかもその動きはどう見ても素人のそれだ。
可南子は焦って祐巳のそばに駆け寄った。というか、祐巳のそばに寄って来た犬頭に駆け寄り、手にした棒でなぎ払った。
「可南子ちゃん! 大丈夫?」
「は、はい。私は」
祐巳さまの方が余程心配です。とは、もちろん言わない。
「良かったあ」
祐巳はほっとした表情を見せたが、可南子は気が気ではなかった。
「ゆ、祐巳さま、これを使ってください」
可南子は祐巳に手にしていた鉄パイプを押し付けた。
「え、でも可南子ちゃんは?」
「わ、私はほら、これを使いますから」
今自分が殴り倒したばかりの相手から角材を取り上げると、そのまま近づいてきた1体を叩きのめす。同等の得物を持っていれば、リーチの差は歴然だった。
「終わったようですね」
ゆっくりと歩いてきた瞳子が追いついた時には、戦闘は終了していた。
「祐巳さまのおかげで助かりました」
可南子は嬉しそうに言ったが、祐巳がいなくてもたいした差は無かっただろう。むしろ祐巳を気にしていたぶん、動きずらそうでもあった。
「別に祐巳さまが加勢するまでもなかったようですけど? というか、むしろ足を引っ張っていませんでしたか?」
「ええっ!? そうなの?」
「そんなことはありませんよ。相手の注意が分散しましたし」
ぱんっと手を打って笑顔で答える可南子だったが、それは注意を分散させる程度の役にしか立っていなかったということだ。幸い、祐巳はそこまで気付かなかったようで、そうかな、などと嬉しそうに笑っているが。
可南子はくるりと振り向くと一転、キツイ目をして瞳子を見据えた。
「ちょっとっ! こちらへ」
そのまま瞳子を祐巳から引き離すように引っ張っていった。
「何故あなたが祐巳さまと一緒にいたかはこの際あえて聞かないけれど、一緒にいたのなら、なぜ祐巳さまを戦わせるようなことをしたの」
可南子の非難めいた言葉に、瞳子は冷ややかな視線を返した。
「祐巳さまにも戦いに慣れていただかなくては困ります」
可南子の表情がいっそう険しくなる。
「祐巳さまにもしものことがあったらどうするつもり!?」
「現に大丈夫だったでしょう。あの程度のザコにてこずるようでは話になりません」
二人はにらみ合った。
「一体何の権利があって祐巳さまに――」
言いかけた可南子は、瞳子の首筋に光るものに気付いて驚きの表情を見せた。
「ちょっと、これって」
「きゃあああっ! どこに手を入れ……って、ああっ!!」
引きずり出されたロザリオに気付き、今度は瞳子が慌てふためく。
「ああ、それ? 私があげたやつだよ」
近づいて来た祐巳が嬉しそうに言った。
「でも瞳子ちゃんからロザリオねだってくるなんて思わなかったからびっくりだよ。
もう、瞳子ちゃんてば、だ・い・た・ん♪」
「っ!!! な、何をおっしゃいますやらっ」
微妙に変なテンションに突入した祐巳と焦って変な言葉遣いになる瞳子。
「……へえぇぇぇぇ」
可南子は不気味な笑みを浮かべた!
「ち、ち、ち、違いますっ! これはっ!」
「祐巳さま。私もご一緒させてください」
「なっ!」
瞳子が何か言いかけるのをきっぱり無視して、可南子は唐突に申し出た。
「何を勝手な!」
「瞳子ちゃん、落ち着いて」
祐巳が間に入ろうとするが、瞳子はひどくムキになっていた。
「おしかけで仲魔になる気? 厚かましいにも程があるわ」
「あなただってそうじゃない」
「わ、私は違います。言うなればイベントで仲魔になるキャラクターです!」
「ああ」
ふふんと笑って可南子は言った。
「地獄の番犬ケルベロスとか」
「誰が地獄の番犬ですかっ!」
このへんはメガテンを知らないとわかりにくいところだ。
「そ、そうだよね、むしろ地獄ドリル? かっこいいかも――」
「祐巳さま、今なんと?」
「な、何でもないよ?」
瞳子の表情を見て、祐巳は慌てて首を横に振った。
「でしたら、番犬役には私がなりましょう」
「可南子ちゃん?」
「こんな状況ですもの。私も一人でいるのは不安ですし、祐巳さまのお役にも立ちたいですし、是非行動を共にさせてください。祐巳さまの為なら番犬だろうとなんだろうと構いません」
「ほんと? 嬉しいな」
「……………」
瞳子は思わず祐巳をにらんでしまったが、祐巳は気付かず、単純に仲間が増えたことを喜んでいるだけだった。
まあ、こんなものですわよね。瞳子がため息をつく横で、可南子は溢れんばかりの笑顔を見せた。
「ありがとうございます。祐巳さま、以後なんなりとお申し付けを」
後に、番犬どころか紅薔薇ファミリーの切り込み隊長とか紅の特攻野郎とか呼ばれることになる可南子だったが、それはもう少し先の話である。