【1990】 回し者かもしれない  (まつのめ 2006-11-14 19:02:25)


 原作を読んでる・見てる人にはくどい展開かもしれません。

【No:1912】→【No:1959】→【No:1980】→【これ】
(ご注意:これは『マリア様がみてる』と『ARIA』、『AQUA』のクロスです)
(ご注意2:これはクゥ〜さまのARIAクロスSSが背景にあるような話になっています)
(ご注意3:でも、まつのめがそのSSにインスパイアされて勝手に書いてるだけで正統な“続き”というわけではありません)




 ≪負けず嫌いと後悔≫


 午後は、細い運河に入っての練習だった。
 アテナさんはこれで、たった半日の練習で初心者が何処までできるのかを見極めたいそうだ。
 事前のじゃんけんで、オールは乃梨子が握っていた。
「壁にぶつからないように真っ直ぐ漕いで」
「はい」
 アテナさんの指示で入った運河は、両側がすぐに家の壁で、その先の建物の切れ目にはアーチ状の小さな橋が掛かっていた。
 今までにない狭い水路に乃梨子は慎重にゴンドラを漕いだが、
「あれ?」
 同じように漕いでいるつもりだったのに、何故か段々と進路が曲がって、舟が水路に対して斜めになってしまった。
 アテナさんは言った。
「ぶつけたら減点」
「減点!?」
 そう言われて、慌て舟の向きを直そうとするが、なかなか上手くいかない。
「壁はマイナス一点。黒いゴンドラに当たったらマイナス5点」
 いつからポイント制になったんだ。
 まあ冗談だろうけど。とりあえず聞いてみた。
「じゃあ白いゴンドラは?」
 前方には白いゴンドラが接近していた。ちょうど今、橋をくぐったところだ。
「当てたらゲームオーバー」
「ゲームオーバー!?」
 どういうゲームなんだ。
「しかもゴンドラ修理代引くから今日のお給料はマイナス」
「借金に!?」
「だから絶対にぶつけないで」
「は、はい」
 というか、相変わらず自分達が乗っているゴンドラは斜めになって水路を半分以上塞いでいた。
 乃梨子はとにかく舟を壁際に寄せようと頑張ったのだけど、漕ぎ方が悪いらしく、後ろばかりが壁に寄ってしまいゴンドラはますます斜めになってしまう。
 白いゴンドラのウンディーネさんはこちらに気付いて減速していた。
(ああ、もうっ)
 焦りが出てきて、ますますゴンドラは乃梨子のいう事を聞かなくなった。
「慌てないで」
 アテナさんはそう言って腰を上げ、舟の端に行って壁を蹴った。
 すると、舳先が見事に水路と平行になり、ゴンドラは奇麗に運河の端に寄った。
「あっ……」
 白い制服を軽くはためかせて、お客を乗せたゴンドラを繰るウンディーネさんは優雅に通過して行った。
 一瞬目が合ったとき、彼女は微笑みかけてきた。
 由乃さまはそんな白い後姿を眺めながら言った。
「……なんか、格好いいね」
「でも、お仕事の邪魔しちゃった」
 水路は言わばウンディーネ達の仕事場な訳で、そこを乃梨子のような素人がもたもた舟を漕いでいたら邪魔以外の何者でもないだろう。
「ううん、見習いや半人前は練習するのが当然だから誰も邪魔なんて思わないわ」
 アテナさんはそう言ってくれたけど、舟を寄せようとしたのに全然コントロールできなかったことが乃梨子を落ち込ませた。
「乃梨子ちゃんドンマイ!」
「は、はい」
 由乃さまのエールに答える声も弱々しくなってしまった。
 でも、昨日初めてゴンドラ漕いだのだから上手くできなくて当然なのに。
 きっと「初めてにしては筋がいい」なんて誉められていい気になっていたから落ち込んだのだ。
 乃梨子はそう考えて気を取り直し、またオールを漕ぎ始めた。
 が、また微妙に進路が曲がる。
 その時だった。
「すわっ!」
 突然のかけ声に、びくっとなる。
「腰が甘い! 萎縮してる!」
 振り返ると、さっき別れたはずの晃さんがこっちを睨んでいた。
 晃さんの乗ったゴンドラは水面を滑るように乃梨子たちの乗るゴンドラに近づいてきた。
 彼女の茶色の長い髪が風になびく。この人が漕いでるのははじめて見たが、これだけで、さっき一緒にいた藍華さんより技術がはるかに上な事がわかる。
「晃ちゃん?」
「おう、晃様だ」
「どうしたの?」
「午後の予約がキャンセルになった。藍華のゴンドラに添乗しても良かったんだが、こっちの方が面白そうだからな」
 アテナさんが晃さんの足元を指差して言った。
「ゴンドラが……」
 見ると、何故か晃さんの乗っているゴンドラは黒かった。
「おうよ。一人よこせ」
「えー?」
「えー、じゃない。この晃様が暇つぶしに、じゃない、特別に指導してやるって言ってるんだ光栄に思え」
 わざわざ練習用のゴンドラに乗り換えて追いかけてきたらしい。
 なんか、相手の都合もお構いなしにもう決定事項のようだ。
 アテナさんは晃さんの方を見たまま少し考え込んだ。
 一応、乃梨子たちは単なる練習じゃなくて会社の企画の為にやっているのだから晃さんの思い通りって訳にはいかないだろう。
 折角だけど、ここはお引取り願うのが正解のはずだ。
 なのに、アテナさんはこう言った。
「じゃあ、乃梨子ちゃんか由乃ちゃん、どっちか晃ちゃんのゴンドラに移って」
「ええ? でもそれじゃ……」
「行った方はあとでレポート提出」
 そういうことか。
 この際、他社の晃さんも利用してしまうつもりなんだ。
「さっさと決めろ」
 妙に偉そうにして晃さんがそう言うとアテナさんが言った。
「あ、乃梨子ちゃん」
「私ですか?」 
「じゃ無くて頭」
「え?」
 前に向き直ると目の前に橋の側面があった……。

 ……星が見えた気がした。

「大丈夫か? 意識ははっきりしてるか?」
「は、はい。なんとか」
 ゴンドラは惰性で動いていたので、頭は強く打ったわけではなくあまり痛くなかったのだけど、むしろ水路に落ちたかと思ったのに固い感触が背中を打って、そっちに驚いた。
 恐る恐る目を開けると、晃さんが覗き込むようにして乃梨子を見ていた。
 水路に落ちそうになった乃梨子を晃さんは上手い事ゴンドラで受け止めてくれたのだ。
「じゃあ、乃梨子ちゃん頑張って」
 由乃さまがアテナさんと一緒のゴンドラで手を振っていた。
「へ?」
「ようし、じゃあ始めるぞ。いっとくが私は他社だろうが入社前だろうが一切手加減しないから覚悟しておけ!」
 なし崩しにそういうことになってしまったようだ。
 でもこの人、「こっちの方が面白そう」とか「暇つぶし」とか言ってなかったっけ?
「なんだ、不服か?」
 ギロっと睨まれた。
「い、いえ、よろしくご指導願います」
「よろしい」
 バイト料貰う約束なので、乃梨子はレポート書けるようにしっかり指導を受けなくてはならないのだった。


「脇が甘い!」
「はい!」
「腰が引けてる!」
「はい!」
「声が小さい!」
「ご、ゴンドラ通りまーす!」
 ってな具合に、晃さんの容赦ない指導は夕方まで続いた。
 ちなみにかけ声は、ゴンドラの漕ぎ手が水路の交差点で声を掛け合うルールがあるそうだ。
 練習のあいだ、由乃さんのゴンドラもすぐ近くに居たのだけれど、あっちはアテナさんのペースでのんびりやっていた。
 そして日が傾いて来て、そろそろ終わりかなって頃に晃さんは言った。
「鍛え方が足りないな」
「すみません。ゴンドラ漕いだのは昨日が初めてなもので……」
 それを聞いた晃さんは呆れたよう言った。
「ん? じゃあ何か? 見習い始めてまだ二日目なのか!?」
「は、はい。そんなところですけど……」
 正確には見習いすら始めていないんだけど、そこまで初心者だとは思ってなかったようだ。
 晃さんは減点とか言わなかったけど、乃梨子は練習中、水路の壁やら他人のゴンドラやらにぶつけてまくってしまった。
 そういう失敗をしたとき晃さんは特に叱りもせず、淡々と次の指示をくれたのだけど、何を考えているのか判らなくてそれがかえって恐怖だった。
 乃梨子がなんとなく申し訳ない気持ちでビクビクしていると晃さんは、
「なら今日は帰って風呂入ったらしっかり筋肉ほぐしておけ。使っていない筋肉を酷使したからな」
 そう言って微笑んでからこう続けた。
「まあ明日一日くらいの筋肉痛を覚悟しとけ?」
「あの……」
「なんだ?」
「怒ってらっしゃらないんですか?」
「ん? 何で怒る必要がある?」
「結構派手にぶつけて、ゴンドラを傷つけてしまいました」
 乃梨子がそう言うと、晃さんは正面に(乃梨子に背を向けて)向き直り、腕組みをした。
(やっぱり怒っていた?)
 晃さんはしばらくそのまま黙っていた。
 向うに由乃さまの漕ぐゴンドラが立ち往生しているのが見える。
「あ、あの……?」 
「すわっ!」
 突然の大声に、びくっとなる。
「貴様、何様のつもりだ!」
「え?」
「ゴンドラぶつけた程度で落ち込むなんざ十年早い! そんな暇があったら操船技術を磨け!」
「は、はい」
 それからまた穏やかな口調に戻って言った。
「ぶつけるのが良いとは言わんが、発展途上で失敗するのは当たり前だ。いやむしろ見習い半人前時代に失敗して乗り越えた経験があったほうが良いプリマになると私は思うぞ」
「いえ、私は……」
「なんだ?」
「まだなると決めたわけではありません……」
「残念だったな。その制服を着てゴンドラを漕いだ時点でおまえはもう見習いウンディーネだ」
「いえ、その辺はいろいろと事情が……」
「往生際が悪いな。じゃあ良いことを教えてやろう」
「はい?」
「いいか。私とアテナは“水の三大妖精”と並び称され、この業界でも特に技量が優れているとされている三人のうちの二人だ」
「え……」
 そういえばアテナさんは「私は割と有名人だから」とか言っていた。いや、晃さんの言うことが本当なら全然「割と」じゃないじゃない。もしかして超有名人なのでは?
 と、思ったものの、本人に言われても「なんかなー」である。
「……自慢ですか?」
「そうだ。努力して培った実力と実績に向けられた賞賛を自慢してどこが悪い!」
「いえ」
 こう開き直られるといっそ清々しいといえる。
「でな、そんな有名人の私達に指導を受けたお前らが、いまさら『ウンディーネになるかどうか判りません』と言って通用すると思うか?」
 晃さんはどうしても乃梨子たちをウンディーネにしたいようだ。
 なし崩しに肯定させようとしたのだろうが、そんな無理矢理は理屈は乃梨子には通用しない。
「今回は練習そのものが仕事ですし、これだけでそれは判断出来ませんよ」
(あれ?)
 先を進んでいた由乃さま・アテナさんチームのゴンドラが戻ってきていた。
 途中から話は聞いていたのだろう、アテナさんは乃梨子に目を合わせて首を左右に振っていた。
(なんだろう?)
 乃梨子が言葉を受け流したのが気に障ったのか、晃さんは微妙にこめかみをヒクつかせながら言った。
「まあいいだろう、だが、お前は姫屋所有のゴンドラを傷つけた!」
「いまさらそれを言いますか? さっきは『気にするくらいなら技術を磨け』みたいなこと言ってたのに」
「ああ、いったさ。だがそれはお前がウンディーネになるって前提での話だ。ならないのなら話は別だ。修理代と修理期間中の保証料、耳を揃えて払ってもらおうか?」
「なっ!? そんなの“詐欺”じゃないですか! 大体このゴンドラを持って来たのも強引に指導したのも晃さんです!」
「きさま……」
 しまった、と思ったが後の祭り。晃さんは厚意で指導してくれたのに『詐欺』は言いすぎだった。
 さっきのアテナさんのアイコンタクトは、晃さんは負けず嫌いだから挑発するなってことだったのだろう。
 でも、乃梨子も負けず劣らず負けず嫌いだった。しかも晃さんは力ずくでゴリ押しするタイプなのに対して乃梨子は理屈で攻めるタイプ。相性は最悪だ。
「晃ちゃん」
 アテナさんの声で険悪になってしまった雰囲気は中断した。
 でも、乃梨子は俯いた顔を上げることが出来なかった。
 成り行きはともかく、ウンディーネの仕事に誇りを持っているであろう大人に対して、しかも乃梨子を親切に指導してくれた相手に向かって『詐欺』呼ばわりしてしまったのだ。

「……これじゃ、私が泣かせてるみたいじゃないか」
 晃さんの声が聞こえた。怒っている感じではなかった。
 乃梨子は否定するように首を左右に振ったが、謝罪の言葉は嗚咽になってしまい、口に出来なかった。
「乃梨子ちゃん、涙」
 由乃さまがハンカチを差し出してくれた。
「すまんな、追い詰めるつもりはなかったんだ」
「……いえ」
 乃梨子はなんとか言葉を絞り出して答えた。
 ぽんっと頭を抑える感触はおそらく晃さんの手だろう。
「なにか事情があるみたいだが、良かったら話してくれないか?」
 アテナさんとの付き合いが長いせいなのか、それとも晃さんの洞察力からなのか、乃梨子たちが尋常でない境遇にあることを晃さんは見抜いたみたいだった。
「アテナがなにか隠してることは判ったが、どうもやってることが不自然だったんでな」
 午後の予約がキャンセルという理由は本当でも、練習用のゴンドラに乗り換えてこちらに来たのは、最初から乃梨子たちを探るつもりがあったらしい。


 海側に出るともう空がオレンジ色に染まり、太陽が水平線に近づきつつあった。
 日も暮れるのにゴンドラの上で話しこむのもアレなので、早々にゴンドラから引き上げて晃さんが「ここなら落ち着いて話せる」という路地裏のカフェに入った。
「……遭難者だ?」
「うん、しかも300年前のマンホームから来たタイムトラベラー」
 アテナさんがそう言うと、
「……アテナ、つくんならもう少しマシな嘘をつけ」
「本当だよ?」
 晃さんは訝しむような目付きで乃梨子たちの方を見た。
 カフェでは丸いテーブルを囲むように四人で座っていた。乃梨子と由乃さまは隣り合わせだ。
 確認するように晃さんは言った。
「本当なのか?」
 それに対しては、二人で神妙に頷いた。
 で、それで信じてくれたかと言うと……。
「……そうか」
「晃ちゃん、信じてくれた?」
「なあ、アテナ、お前騙されてるぞ」
「えー?」
 全然信じてなかった。
 まあ無理もない。何故ならば、
「別に信じてくれなくてもいいです」
 乃梨子は言った。
「私だってここが未来の火星だなんていまだに信じられませんから」
 そう。お互い様なのだ。
 やはり晃さんの反応が普通であろう。アテナさんはレアなケースだったのだ。
 乃梨子の言葉を聞いて晃さんは言った。
「まあ、そう投げやりになるな。タイムトラベラー云々はともかく、無一文でここに頼れる人間がいないってのは嘘じゃなさそうだしな」
「え? どうしてですか?」
 乃梨子はそんな半端な信じ方は無いだろうって思った。
「他人を『詐欺』呼ばわりしたことで泣くほど後悔する人間が人を騙せるとは思えん」
「あ……」
 さっきのことを思い出して恥ずかしくなると同時に、またほろりときてしまった。
「こら、また泣くんじゃない」
「……すみません」
 こんどは、判ってくれたから。


 乃梨子が落ち着いてから晃さんが言った。
「300年前のマンホームなんていうのは、何かの思い込みか勘違いじゃないのか?」
 それにはアテナさんが聞き返した。
「そうなの?」
「常識的に考えろ? 時間旅行なんて何世紀も前から空想上の話では存在していた。なのに恒星間旅行が可能になろうとしている現代でさえそんなものは欠片も実現していないんだ」
「じゃあ、この子達はどこから来たの?」
「さあな。宇宙の話はよく判らんが、ここもマンホームも違うっていうなら、別の太陽系の惑星かもな」
 タイムトラベルは無くても、そういうのは在りらしい。
「じゃあ、宇宙人さんなんだ?」
「私に聞くな」
 アテナさんは乃梨子たちを見た。
 期待に満ちたまなざしで。
「え?」
「あの?」
 アテナさんは目をキラキラ輝かせて言った。
「ここに来る前はどんな所に居たのか詳しく教えて?」
 なにか期待しているアテナさんには悪いけど、そんな変わった話は無いと思う。
 とりあえず、時間は西暦和暦年月日、場所は国名から始まって家の住所を言い、通っている学校も話した。
「日本の東京都か。マンホームの日本にも確かにTOKYOはあるぞ。それよりリリアン女学園高等部か……」
「リリアン?」
 晃さんは首を傾げていた。アテナさんは腕組みして考え込んでいた。
「どうかしましたか?」
「いや、最近何処かで聞いたような気がするんだ。それもマンホームとか遠い話じゃなくてもっと身近に何処かで……」
 思わず由乃さまと顔を見合わせる。
「えーと、リリアンだけなら学校の名前とは限らないので。物の名前とか」
 乃梨子がそう言うと、晃さんは、
「いや、確か場所だった覚えがある。そうだ、誰かがそこへ行くって」
「行く? もしかして灯里ちゃん?」
「それだ! 灯里のメール友達でアイちゃん?」
「ああ、アイちゃんの学校がそんな名前。進学のお祝いした時に聞いた」
「あの?」
 晃さんとアテナさんは思い当たったみたいだけど、乃梨子には話の流れがいまいち見えなかった。
「今、アリスちゃんがアリシアちゃん達とマンホームに行ってるの」
「それはさっき聞きましたけど」
 アテナさんの同居人が別の会社の社員旅行についていったって話だ。アリシアさんていう名前は今始めて聞いたが、その会社の他の社員の名前だろう。
「そうか、身近な人間の話だったから繋がらなかったんだ。アイが住んでるのはマンホームだ」
「え? じゃあ?」
 ちょと興奮気味に晃さんは言った。
「あるぞ、ある。マンホームにリリアンって名前の学校は確かにある」
「灯里ちゃんが、今回の旅行はアイちゃんに会うためだって、それからアイちゃんの学校も見てくるって言ってたの」
「えーと、それって本当に社員旅行ですか?」
 と、本題とそれるのだけど、つい聞いてしまった。あまりに私的すぎる気がしたから。
「ARIAカンパニーは現在社員3名だからな。家族旅行みたいなもんだろ」
 聞いて驚く意外な事実だった。
「……少ないですね」
「アリシアちゃんのところは少人数主義なの」
 じゃあ、名前が出た灯里さんとアリシアさんとあともう一人しか社員はいないってことか。
「ん? そういや、アリア社長は行ったのか? 火星猫はアクアを離れたがらないと聞いたことがあるが」
「グランマのところに預けたって」
「……そうだったか」
 ん? なんか今の話違和感が。
 社長が行ったかどうかの話からいきなり猫の話に飛んだような?
「あの、つかぬ事をお伺いしますが」
 そう言ったのは由乃さまだ。
「聞き間違いじゃなければ、『アリア社長』っていうのは猫なんですか?」
 なるほど、『アリア社長』っていう名前の猫って解釈も成り立つか。
 でも違ってた。
「そうだ。アリア社長は火星猫で、ARIAカンパニーの社長だ」
 晃さんの答えに、乃梨子はおもわず声をあげた。
「え? “アリア社長”っていう名前の猫じゃなくて、“社長”で“猫”?」
「火星猫だ。見たこと無いか? マンホームの猫より一回りも二回りも大きい猫だぞ」
「しかも知能は人間並み」
 いやその火星猫ってのも気になるのだけど、それより……。
「猫が社長をやってるんですか?」
 冗談じゃないだろうか?
 と、顔に出ていたのだろう。アテナさんと晃さんが解説してくれた。
「ネオ・ベネツィアの水先案内店の社長はみんな青い瞳の猫なの」
「青い瞳の猫のことを『アクアマリンの瞳』と言ってな、アクアマリンは昔から海の女神として航海のお守りとされてきたんだ。だからネオ・ベネツィアの水先案内店では青い瞳の猫を象徴にして仕事の安全を祈願してるんだ」
「ああ、そういえば、“まぁ社長”は火星猫なのにアリスちゃんと行っちゃった」
「おまえのとこの社長はまだ若いからじゃないか?」

 話が脱線しまくったので話題をリリアンに戻して、由乃さまは言った。
「乃梨子ちゃん、リリアンって創立何年だったっけ?」
「確か、明治三十四年だったと思います」
 なるほど、この世界のリリアン学園と、乃梨子たちの知っているリリアン学園の歴史が繋がっていれば、一応ここが未来の世界だって確認できたことになる。
 由乃さまは感心して言った。
「よく知ってるわね?」
「ええ、一回、学生手帳に目を通した時そう書いてあったので……」
 そういうと由乃さまがなにかに気付いたように言った。
「って、乃梨子ちゃん、学生証!」
「え?」
「ポケットに入れてなかった?」
「ああ、あったと思いますけど……」
 学生証は携帯の義務があるので、リリアンの学生は大抵制服のポケット等に入れて持ち歩いている。
 身分証明書に生年月日とか名前とか書いてあるし、手帳の方には校則のほかに学校の沿革も載っていたはずだ。
 アテナさんの時はあまりに疑わなかったので、学生証を見せるなんてことには思い至らなかったのだ。
 だから、ポケットに入ったまま……。
「……もしかして?」
 と、二人してアテナさんの方を向いた。
「ごめん、そのまま出しちゃった」
「クリーニング屋さんだ……」
「洗われちゃったかな?」
「ふつうポケットの中は調べるでしょ?」
「そうだといいですけど」
 アテナさんは言った。
「明日、戻ってくるから」
 結局、そっちは明日までお預けだ。
 そんなやり取りの後、晃さんが言った。 
「判った。それなら帰ったら姫屋の端末(パソコン)でリリアン女学園を調べておくよ。事務室に行けば使えるのがあるからな」
「え?」
「なんだ? その意外そうな顔は?」
「“過去の地球から来たなんてありえない”んじゃないんですか?」
 乃梨子がそう言うと晃さんは眉を寄せて、
「……一々つかっかるなぁ」
「すみません」(ツッコミ体質)
「晃ちゃん優しいから」
「ハッキリさせないと私が気持ち悪いだけだっつの」
 否定したくせに、何故か一番話に乗り気な晃さんだった。
 練習中は怖かったけど、話をしてみて判った。晃さんも『いい人』だ。しかもアテナさん並に。


「どうする? 食っていくか?」
「晃ちゃんの奢りなら」
「断る!」
 というわけで、夕食は取らずに解散になった。
 海沿いにある姫屋の建物前で晃さんと別れ、乃梨子たちはまた交替しながらゴンドラを漕いでアテナさんの会社の寮へ向かった。



 ≪帰ってきた同居人≫


「じゃあ、先に部屋行ってて」
 アテナさんはそう言い、廊下の向うへ行ってしまった。
 が、「あっ」と途中で引き返してきて言った。
「……食堂行って、先お夕飯食べてても良いけど」
「乃梨子ちゃん?」
「私はどちらでも」
「じゃあ、食堂にします」
「うん、じゃあ後でね?」
 乃梨子たちは食堂に向かう事になった。
 まあ、お腹がすいていたからこの方が良かったのだけど。
「由乃さま?」
「こういうときは遠慮しないものよ」
「まあ、良いですけど」
 確かに由乃さまの言う通り、ここは食堂で正解だろう。
 用事に時間がかかるかもしれないからああいう事を言ったのだ。
 遠慮して「待たせてもらいます」なんて言ったら逆にアテナさんに用事を急がせてしまう。


 食堂のメニューは、ここがベネツィアを模した街だからといってイタリア料理が殆ど、というわけでもなく、今日はリゾットがチャーハン風だったりと、どうやら国別のこだわりは無いらしい。
「って、由乃さま、ワインはまずいのでは?」
「んー、あそこの人が勧めてくれたから」
 なるほど。飲み物コーナーで新入荷とか言って料理人らしき人がワインを配っている。
「知りませんよ?」
「平気よ」
 乃梨子はワインはスルーして、水を貰った。
 結局、食事中にアテナさんは現れなかった。
 「待ってて」と言われたわけではないので、アテナさんを待たず、乃梨子たちは部屋に戻ることにした。
「……大丈夫ですか?」
「へーき」
 由乃さまはグラス半分のワインで頬を赤くしていた。


   ◇


「まぁ」
「へっ?」
 アテナさんの部屋で乃梨子たちを迎えたのは、丸っこい謎生物だった。
「まぁぁ」
「猫?」
「うん、猫に見える」
 部屋の真ん中にちょこんと座っていたのは猫。仔猫だった。
 鳴き声がなんか変だから一瞬判らなかっただけだ。
 乃梨子と、由乃さまも部屋に入り、その仔猫がいる絨毯の上に座った。
「可愛い〜!」
 由乃さまが抱き上げると猫はまた「まぁ」と鳴いた。
「もしかしてここの社長ですかね?」
「ああ、『アクアマリン』だっけ?」
 その時、横から手が伸びてきて、由乃さまから仔猫を取り上げた。
「まぁ社長を知らないなんて、でっかいもぐりです」
「え?」
 いつの間に部屋に入ってきたのか、仔猫を取り上げた人物は振り返った時、もうにベッドの奥に撤退しているところだった。というか、やっぱり社長だったんだ。
 彼女の手の中で仔猫が「まぁ」と鳴く。
「どこの何者ですか? も、もしかして、産業スパイですか?」
 なにやら思い違いをしているようだ。怯えているように見える。
 乃梨子は由乃さまと顔を見合わせた。
「もしかして……」
「この子が『アリスちゃん』?」
 アリスさん(推定)は薄い色の腰まで届くストレートヘアーで、パジャマを着ていた。多分最初からこの部屋にいて眠っていたのだろう。
 年齢は下か? もしかしたら同じかもしれない、そのくらい。(実はいっこ上だった)
「でも、帰ってくるのは明日じゃなかったっけ?」
 由乃さまの問いには本人が答えた。
「まぁくんの具合が悪かったから先に帰って来たんです。ってどうして知ってるんですか!」
「どうしてって、アテナさんに……」
「アテナ先輩がでっかい大ボケだから、私がいない隙をついて侵入したんですね?」
 何気にアテナさんに失礼な事言ってるよ。
「あのね……」
「まって」
 乃梨子が事情を説明しようとしたら、由乃さまが制止した。
「なんですか?」
「私に任せて」
 そう言って由乃さまはアリスさん(推定)がいるベッドに近づいた。
「や、やっぱり諜報活動なんですね? そうなんですね?」
 なんかアリスさん(推定)、真っ青になっちゃってる。
「……あなたは知ってはいけないことを知ってしまったわ」 
 って、由乃さま、脅かしてどうするんですか。
 とは思ったものの、じきにアテナさんも来るだろうから、乃梨子は黙って見てる事にした。
 面白いし。
「ま、まぁ社長、でっかいピンチです」
「ふふふ……」
 じりじりと由乃さまは距離を詰め、仔猫を抱えたままのアリスさん(推定)はそれから逃げるように後退するが、すぐに背中が壁に当たってしまう。
「どう料理してあげようかしら?」
 ぎゅっと目をつぶるアリスさん(推定)。仔猫が彼女の手から逃れようともがく。
「まぁくん駄目っ、敵は二人いるのよ!」
 そして由乃さまがアリスさん(推定)に手をかけようとした瞬間、
「まって!」
 開け放たれたドアからアテナさんが飛び込んできた。
「取引しましょう」
 って、アテナさん? ノリが良すぎませんか?
 一瞬あっけに取られた由乃さま。気を取り直して言った。
「……取引とは?」
「あなた達が欲しがってた極秘書類がここにあるわ。アリスちゃんと引き換えよ」
 アテナさんはなにやら封筒を手にしていた。
「わかったわ。じゃあ書類をそこに置いてから手を頭の上に組んで」
「うん」
「おっと、変な行動を取るとこの子が暴れるわよ?」
(って、私ですか? 私を危険物扱いですか?)
 アテナさんはゆっくりと封筒を二つ並べて床に置き、手を頭上に組んだ。
「そのままベッドに乗りなさい」
 由乃さまはそう言ってアリスさん(確定)の居るベッドを指差した。
 アテナさんは言われた通り、アリスさんのベッドに乗って彼女の隣に座った。
「アテナ先輩っ!」
「もう大丈夫」
「でも、極秘書類って……」
「ううん、アリスちゃんを失うくらいならあんなもの……」
 アテナさんは仔猫ごとアリスさんを庇うように抱きしめた。演技に熱はいりすぎ。
 由乃さまは封筒の方へ行き、それを拾い上げて、極秘書類とやらを確認した。
「あれ?」
 何故か間の抜けた声を出した由乃さまは、乃梨子にその一方を差し出した。
「はい?」
 乃梨子はそれを受け取って中を確認した。
 中に入ってたのは、紙幣らしいのが数枚と明細を書いた紙きれだった。
 明細には乃梨子の名前がある。
 つまりこれはバイト料だ。
「アテナ先輩、でっかい油断してます! チャンスです!」
「だめ。動かないで」
 なんかアテナさんの腕の中でアリスさんが暴れていた。
 いいかげん疲れるので乃梨子は言った。
「……いつまで続けるんですか?」
「えー、もう終わり?」
「アリスさん信じ込んじゃってますよ」
 その会話を聞いてアリスさんは動きを止めた。
「え……?」

 とりあえず、アテナさんは楽しそうだから混ざったそうだ。
 一人だけマジで怖がっていたアリスさんは、当然怒った。
 でも、由乃さまの、
「いきなり私達をスパイ扱いしたんだからお互いさまよ」
 という発言で、まだ不満そうだけれど、アリスさんはとりあえず怒りの矛を納めた。


「……これ今日の分のお給料ですよね?」
「うん、一日分だからお小遣いくらいにしかならないけど」
「いいえ、先立つものが出来たので助かります」
「物価が判んないんだけど、これってどのくらいなんですか?」
「んー、サン・マルコ広場でカッフェ100杯飲めるくらい?」
 などと、今日の給料に関して話をしていると、話題に置いてきぼりにされたアリスさんは眉間に縦皺を寄せて言った。
「……でっかい訳わかりません」
「あ、そうだ。アリスちゃん、帰るの明日じゃなかったの?」
「え? それは、まぁくんが具合悪くなっちゃったから……」
「ええ? 具合が悪く!?」
 火星猫だっけ? 普通はここを離れたがらないそうだからその関係だろうか?
 アテナさん本当に心配そうにしている。
「はい、それで相談して私とまぁくんだけ一日早く帰ってきたんです」
「まぁくんは?」
「AQUAに着いたとたん治っちゃいました」
「……よかった」
 “まぁくん”の容態を伝えたところで、アリスさんは再び乃梨子たちに視線を向けた。
「それより、この方々は何者ですか?」
 なにやら、あまり歓迎してない様子。
 まあ、さっきのことで良い印象は持っていないだろうけど。
「由乃ちゃんと乃梨子ちゃんよ」
「名前はいいんです。私が聞きたいのは……」
 アリスさんが聞きたいのは“理由”等であろうが、アテナさんはマイペースに紹介を続けた。
「由乃ちゃん、乃梨子ちゃん。こちらはアリスちゃん」
「初めまして、二条乃梨子です」
「島津由乃です」
「あ、アリス・キャロルです……じゃなくって何でここに居るんですか? 新人の社員なんですか? なんでアテナ先輩からお金を貰ってるんですか?」
 立て続けの質問に、アテナさんはそのまま答えた。
「社員じゃないのよ。ここに居るのは住むところが無いから。お金は今日私がアルバイトに雇って働いてもらったから」
 あまりに素で答えるので、勢いを削がれたアリスさんは困惑気味に言った。
「え、えーと……つまり、このお二方は社員じゃないのにこの部屋に居候してて、アテナ先輩から小遣いまで貰ってるってことですか?」
「小遣いじゃなくてお給料」
「……」
 そして「うーん」と考え込んでしまった。
 しばらく考えてからアリスさんは言った。
「でっかい怪しいです」
 ……そりゃそうだろう。
「アリスちゃん、あのね」
「アテナさん」
 話が始まる前に、乃梨子はアテナさんを呼んで、アリスさんに聞こえないように小声で話した。
「今、細かい話をすると余計疑われるのではないですか?」
「でも、アリスちゃんにはちゃんと話しておきたい」
「ええ、でもほら、明日、証拠が揃ってからの方が良くないですか?」
 明日になれば学生証が戻ってくるし、晃さんの調査結果も判るのだ。
 結果がどうあれ、一から言葉で説明するより証拠物件を並べて話すほうがはるかに説得力が増すはずだ。
 乃梨子には、今もこちらをジトっと睨んでるアリスさんに疑われずにアテナさんが言葉で全てを説明するのは困難に思えた。というか「アテナ先輩は騙されてます」と宣言するアリスさんが目に浮かぶようだ。
「……そうかも」
 アテナさんも乃梨子の意見に賛成した。
「何こそこそ話してるんですか。でっかい感じ悪いです」
「あのね、アリスちゃん。この子達は別に怪しい人じゃないの……」
 アリスさんはぷいと横を向いて言った。
「別にもう良いです。アテナ先輩が雇ったのだから私には関係の無い話です」
「アリスちゃん……」
「私は干渉しませんから勝手にやってください」
「そういうわけにもいかないの」
 アテナさんがそう言うと、くるっとこっちを向いて言った。
「……なんですか?」
「寝る時、私のベッド貸しちゃうから、私をアリスちゃんと一緒のベッドで寝かせて欲しいの」
 アリスさんは「えっ?」となって、絶句した。
 そして、ちょっと怒ったような顔をしてまた横を向いた。
「し、仕方ありませんね。別に構いませんよ」
(あれ?)
 アリスさんの表情が照れ隠しのように見えた。
「ありがとう、アリスちゃん」
 そう言われてアリスさんの頬が桜色に染まる。
(拗ねてたのか。一緒に寝るのは嬉しいんだ)


 このあと、今まで寝ていたというアリスさんが、アテナさんと一緒に夕食を食べに行き、その間に乃梨子と由乃さまでお風呂に行った。
 そしてみんな部屋に戻ってから明日の予定などを確認して、乃梨子も由乃さまも疲れていたので、早々に寝ることにした。
 明日もアルバイトをしたければ在るという話だったけど、とりあえず貰った給料で着替えを買ったりとかもしたかったので、それは辞退して明日は一日休みにしてもらった。
 アリスさんは明日まで休暇、アテナさんは普通に仕事をするそうだ。







 ※火星猫はAQUAを離れたがらない:でっちあげです。そんな設定はありません。
 ※姫屋のパソコン:『ネオ・ベネツィアでパソコンを個人所有してる人は珍しい』と解釈しました。仕事では使うでしょうけど。
 ※リゾットがチャーハン:原作にそんなの出てきません。でもリゾットチャーハンは現実にあるみたいです。
 ※カッフェ100杯:エスプレッソは立ち飲みで0.8ユーロ位だそうです。妥当?


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