【2031】 事件ですある晴れた午後突然に  (翠 2006-12-03 22:00:18)


※ 何かが色々とおかしなSSです

今回は少し過去のお話しで、ちょっとグロいというか何というか、やっぱり変です。

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【No:2026】の続き


あれは、蓉子さまたちの卒業式二日前のこと。

館にある一階の物置に向かった祐巳と由乃さんは、
そこで、先に部屋の片付けをしていた薔薇のつぼみたちと合流した。
薔薇のつぼみたちというのは、この頃はまだ蓉子さまたちがいたので、
お姉ちゃんに令さま、そして志摩子さんの三人だ。
三人で肩を丸めていたから、お姉さま方のご卒業が悲しくて泣いているのかと思ったが、
どうやら違うらしい。
お姉ちゃんが、やってきた祐巳たちに気付いて紙袋を広げた。
「見て、薔薇さま方の私物がこんなに」
袋の中には、沢山の物が詰め込まれていた。
どうやら、全て蓉子さまたちの私物らしい。
「でも、白薔薇さまの物ばかりなのよ」
苦笑いをしながらお姉ちゃん。
まったくあの人は……と呆れながら、祐巳は紙袋の中に手を突っ込んだ。
「教科書? スポーツタオルに――」
幾つか取り出していると、あるものを見つけて首を傾げる。
「失くしたと思ってた私の体操着……こんなところにあったのか」
でも、なんでこんなところに? と悩んでいると――。
「まったく、聖さまときたら……」
お姉ちゃんが、にこやかな笑顔で携帯電話を取り出した。
「すぐに始末しなくては」
どうやら、聖さまの仕業だと、何の証拠もないのにお姉ちゃんは決め付けているらしい。
「やめなよ祥子。もう卒業されるんだから」
令さまが、怒りに震えているお姉ちゃんを止める。
でも、その言い方では令さまも、聖さまの仕業だと考えているように聞こえる。
どうも、お姉ちゃんたちには、聖さまはあんまり信用されていないようだ。
「そうね。卒業してからなら、いくらでも殺りようはあるわね」
それにしても、流石は幼馴染の令さまである。
あのお姉ちゃんが、一瞬で落ち着きを取り戻した。
「いや、そういう意味じゃなくて」
冷汗を垂らしている令さまはさておき、その間も由乃さんが袋の中身を取り出していた。
「あ!」
急に動きを止め、こちらに振り向き言ってくる。
「シャープペンシルを発見です、祐巳隊長」
「誰が隊長よ」
呆れながら、由乃さんからそれを受け取る。
特に変わったところのない、普通のシャープペンシルだった。
ボタンを押すと、飛んでいったりするような機能もないようだ。
「普通のシャープペンシルだねぇ」
「祐巳さんのは飛ぶの?」
由乃さんが、ニヤニヤしながら尋ねてくる。
「護身用に、お父さんから渡されたものなら飛ぶけど?」
「あ、侮り難し小笠原一族……」
なにやら、ショックを受けているところ悪いけれど、ただの冗談である。
なんで信じるんだろう? と首を捻りながら、祐巳は紙袋の中に手を入れた。
「ハンカチ?」
「あ、それ、お姉さまの」
お姉ちゃんを、ようやく宥め終わった令さまが言ってくる。
それなら令さまに渡しておくべきだと思い、ハンカチを差し出す。
祐巳から受け取り、丁寧に折り畳んで制服のポケットに入れる令さま。
「まさか、持って帰って変なことに使うんじゃないでしょうね?」
何故か、ジト目の由乃さん。
「あのさ、由乃。ただポケットに入れただけで、なんでそんなことを言われないといけないの?」
「変なこと、って何のこと?」
祐巳が尋ねると――。
「祐巳さんは知らなくてもいいの。祐巳さんは、何時までも綺麗なままの祐巳さんでいて」
志摩子さんが祐巳の手を握りながら、とてもやさしい笑顔でそう言ってきた。
「そうよ、祐巳ちゃんは知らなくてもいいの。由乃みたいになっちゃダメよ」
「ちょっと令ちゃん、それどういう意味よ」
何のことか気にはなるが、皆がこう言うのなら、知らなくてもいいことなのだろう。きっと。
そう思いながら紙袋に手を入れた祐巳は、遂にこの話の主人公であるソレを手に取ってしまった。
袋の奥底に眠っていたソレを引っ張り出すと、皆が祐巳に注目した。
「お弁当箱?」
由乃さんが呟いて――。
「お姉さまのよ」
志摩子さんが言う。
「以前、ないないと探していたのだけれど、こんな所にあったのよ」
それは確か、冬休み前の話だ。
「それで中身が入っていたら大変ね」
由乃さんが笑いながら言うけれど、祐巳はちっとも笑えなかった。
返事をせずに黙っていると、変に思ったのか尋ねてくる。
「どうしたの、祐巳さん?」
お弁当箱を持ったまま、固まっている祐巳。
「まさか――」
ようやく気付いてくれたらしい。
「入ってるの?」
こくん、と頷く祐巳。
由乃さんの目が、表情がキラキラと輝いた。
「いやぁっ、その目はいやぁぁっ」
祐巳は、首を振りながら叫んだ。
「この世の中には、二種類の人間がいて――」
「聞きたくないっ、聞きたくないからっ!」
「ソレを開けてみたいと思う人間と、そうではない人間がいるの」
祐巳は後者である。何をどう間違っても、たとえ世界が滅んでも後者でありたいと願う。
けれど残念なことに、こちらににじり寄って来る面白暴発娘は違うらしい。
「私は前者なのよ」
言いながら、外れてはいけない大切なネジが外れたらしい由乃さんが近付いてくる。
「由乃っ!」
令さまが慌てて止めようとしたが、由乃さんは信じられない動きで素早く身を躱した。
「祐巳さん逃げてっ!」
志摩子さんが叫んできたが、祐巳の運動神経ではどうにもならず、
ズシリと重量のあるお弁当箱を、あっという間に奪われる。
皆が硬直する中、由乃さんがニヤニヤと笑いながらソレを包んでいる袋を解いた。
お弁当箱そのものの姿が露になる。
「さあ、どんな恐ろしいモノが詰っているのかしら?」
由乃さんが、躊躇いもせずにソレの蓋を開けた。

ニチャッ

普通は、蓋を開けた音なら、パカッとか、それに似たもののはずだ。
それなのに何だ、ニチャッて? そんな音は許せない。
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ーーーーッ」
嬉しそうに蓋を開けたはずの由乃さんが、とんでもない悲鳴を上げている。
何か、得体の知れない茶色の糸を引きながら、お弁当箱の蓋が床に落ちた。
一斉に飛び退さる祐巳たち。
ソレを手に持ったまま、部屋の中央で固まっている由乃さん。
けれど、なんだか様子が変だ。
いや、由乃さんが変なのは前々からだけれど、今は違う意味で変なのである。
嫌悪感で顔を歪めているのなら分かる。それなのに、なんだ、あの恐怖に引き攣った顔は? 
由乃さんの視線は、祐巳たちからは見ることのできない、お弁当箱の中に釘付けだった。
ドロリ、と不気味な粘液がお弁当箱の中から滴り落ちる。
「イヤぁぁっ」
由乃さんが放り投げたソレが、緩やかな放物線を描いて、祐巳たちから離れた床に落ちた。

ドボォ……

ポテッとかポタッじゃなくて、ドボォ。
有り得ない。あんな音、有り得ない。
お弁当箱から、黒〜い腐汁が飛び出して床に広がり始める。
「っ!?」
ツンと鼻にくる匂いが、一瞬で部屋に充満し始めた。
世の中の、ありとあらゆる悪臭を詰め込めて、ギュッと濃縮したような強烈な臭いだ。
冗談ではなかった。
そのあまりに強烈な臭いに耐えることなどできず、我先にと部屋の出口へと殺到する祐巳たち。
けれど、一斉に出ようとしたので、身体が挟まって身動きが取れなくなる。
「痛っ」
令さまが、挟まった痛みで叫んだ。
「う゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛」
由乃さんは挟まったまま、先程から限界ギリギリっぽい悲鳴を上げっ放しだ。
「祐巳っ! あなただけでも逃げてっ!」
二人と同じように出口で挟まったまま、嬉しいことを言ってくれるお姉ちゃん。
けれど、残念ながら皆より行動が遅れてしまった祐巳は最後尾にいた。
令さまとお姉ちゃんと由乃さんの三人が出口に挟まっているので、そこから先には進めない。
と、隣で同じように行動が遅れた志摩子さんが、祐巳の背後を見つめたまま、
震えながら何事か呟いていた。
「悪霊がッ、悪霊がッ」
志摩子さんが壊れた――そう思いながら後ろを振り返った祐巳は見た。
まず、息を呑んだ。
次に、足が震えた。
鳥肌が一斉にブワーっと立って、背筋が凍りつく。
祐巳は、ようやく理解した。
志摩子さんが壊れて、由乃さんが恐怖に顔を引き攣らせていた理由を。
「あぁ……そんな……」
祐巳の視線の先で、元は食べ物だったはずのソレが、お弁当箱の中から転がり出ていた。
トロトロに溶けた茶色くて丸い何かと、黒くドロリとした粘液の素敵なハーモニー。
食物を冒涜する悪の権化、腐敗を司る悪魔の化身が、床の上にゴキゲンヨウしていた。
黒の粘液が、神聖なる薔薇の館を侵食し始める。
「ひっ」
祐巳が小さく悲鳴を上げると、それに答えるかのように、
プチッと音を立てて、その物体の一部が泡立った。
もう限界だった。
「出してぇっ、ここから出してェェっ」
「しっかりしなさい祐巳。泣き叫んでも助けはこないわ。今は、落ち着いて現状を打破しないと」
出口に三人で挟まっていて、こちらを振り向けないお姉ちゃんが何事か言っている。
「それどころじゃないっ、それどころじゃないのぉ……」
目を見開き、ポロポロと涙を溢れさせながらも、恐るべき生理的嫌悪と心理的嫌悪と、
その他諸々の嫌悪感の集合体から目を離せない祐巳。
だって、怖い。見ていないと、今にも飛び掛ってきそうで恐ろしい。
床の上では、小さな泡を幾つも吐き出しながら、腐臭と腐肉と腐汁の王様が、
徐々にその領域である黒い染みを広げている。
「うぁ――動いてるッ、動いてるよぉ」
ポコポコと生まれては弾ける泡のせいで、祐巳にはソレが動いているように見えた。
全身の毛が総毛立つ、なんて表現があるけれど、今の祐巳の状態が正にそれだ。
タヌキからハリネズミに大変身である。
「いい加減にしないと怒るわよ。それよりも、試しに後ろから押してみて頂戴」
冷静なお姉ちゃんの声。
「なにアレ! なにアレ! なんなのアレぇっ!?」
そんなことお構いなしに、パニックし放題の祐巳。
「あれはきっと、お姉さまの生まれ変わり……」
レッドゾーンに踏み込んだらしい志摩子さん。
「痛たたたたっ。祐巳ちゃん、押さないでっ」
そんなことを言われても、動いているのは令さま自身だ。祐巳はそれどころではない。
「祐巳、構わずに押しなさい」
「ちょっと待ってよ祥子。本当に痛いんだって」
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい。あんなのが入ってるとは思わなかったのっ」
「私が浄化しなければ……」
勇敢にして無謀にもアレに立ち向かおうとする志摩子さんを、体を張って押し留めながら、
あれ? と祐巳は不思議に思った。
どうしてかは分からないけれど、皆の声が遠くに聞こえたから。
おまけに、何故か視界がグラグラと揺れている。
(なんだろう? 私、ぐるぐる廻ってる?)
「祐巳? どうしたの? 返事をしなさい祐巳っ!」
返事など、できる状態ではなかった。
襲いくる悪臭と恐怖で、祐巳の意識は半分ほど飛びかけていたのだ。
ゆっくりと、前のめりに倒れる身体。
それでもなんとか支えようと、祐巳は床に手をついた。
そして、悲劇は起こった。

ニチッ

「――ッ!?」
嫌な音がした。
ついでに、非常に柔らかいモノを握り潰してしまったような、気持ちの悪い感触もあった。
どうせなら、このまま気絶してしまえばいいのに、急速に飛びかけていた意識が戻る。
腕立て伏せの状態から、飛ぶように起き上がり――そこを見て、祐巳の顔から血の気が失せた。
「どうしたの、何かあったの?」
祐巳の異変に気付いたらしく、お姉ちゃんが心配そうに声を掛けてくる。
でも、それに返事を返すような余裕は、残念ながら少しも、ちっとも、全くなかった。
「うっ……うっ……」
呆然と見下ろす自分の左手には、とても描写できない残酷であんまりな光景が広がっていた。
なんというか、混沌を絵に描いてみたらこうなりました、ってな状態だった。
そのあまりの惨さに――火炎放射で、この手だけ滅菌消毒すれば良いだろうか? 
けれど、それだけで大丈夫なのだろうか? 
いっそのこと、この身体ごと焼却炉で燃やしてしまった方がいいのではないのだろうか? 
ついでに御祓いもして貰わないと――そんなバカな考えが浮かんだ。
先程までの、刺激臭による涙とは違った涙が溢れてくる。
「祐巳? 祐巳っ?」
「うぅ……うあーーーーん」
お姉ちゃんの声が合図だったかのように、祐巳は大声を上げて泣き始めた。



泣いた、泣いた。大泣きした。あんなに大きな声で泣いたのは久しぶりだった。

祐巳の泣き声を聞いたお姉ちゃんが、出口に挟まっていた身体を自力で引き抜いた。
いったい、どんな人知を超えた力を発揮したのだろうか? 
その際に、お姉ちゃんと一緒に挟まっていた令さまと由乃さんが、
ポーンとニメートルほど豪快に吹っ飛んだ (ように見えた。少なくとも祐巳には) 。
重なって気を失っている二人には目もくれず、駆け寄ってきたお姉ちゃんは祐巳を見て絶句し、
けれど、自分が汚れるのも構わず祐巳の手を綺麗に洗ってくれた。

愛を感じた。
益々お姉ちゃんのことが好きになった。
でも、皮膚の下にまでアレが染み込んでいるような気がして、まだ気分が悪い。
「汚れちゃった……私、汚れちゃったよぉ」
くすん、くすん、と泣きながらお姉ちゃんの豊なお胸に顔を埋めると――。
「大丈夫。大丈夫よ。ちゃんと綺麗に洗ったでしょう? それに、汚れていてもそうでなくても、
 祐巳は私が必ずお嫁に貰いますからね」
嗚咽の止まらない祐巳を、包むように抱き締めながら慰めてくれた。
なんだか、おかしなセリフが聞こえたような気がしたが、それもいいな、と本気で思った。

由乃さんは、祐巳に何度も謝ったあと、現在あの部屋を令さまと仲良く清掃中。
「ああっ! 令ちゃん、指っ! 指に付いてる!」
「え? ……うわっ! バケツっ、バケツを貸してっ」
「臭っ! そ、それ以上、私に近寄らないでっ」
「よ゛し゛の゛ぉ゛っ……」
時々、一階の方から、人在らざる悲鳴が聞こえてくる。
二人は、何度かこの部屋にバケツの水を替えに戻ってきたのだが、その度にやつれて見えた。

志摩子さんは、アレから受けた精神汚染により、祐巳の傍でずっと机に突っ伏している。
たまに、身体がビクッと小さく震えているのがなんとも痛々しい。
余程、精神的ダメージが大きかったに違いない。
けれど――。
「ふふふふふ、お姉さま。お覚悟っ……くすくすっ」
その状態のまま、時折洩らす薄気味悪い笑い声が非常に怖い。
でも、言っているセリフは、ちょっと可愛いなぁ、と思った。


とりあえず明日、あのおぞましい物体の母親である聖さまに文句を言いに行くつもりだ。

……その際に、何故か聖さまの頬にキスする羽目に陥ったのだが、それはまた別のお話しである。


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