【2093】 わたしにできること  (まつのめ 2006-12-31 20:03:14)


(※久々に来ました、このシリーズ。今回も節操なく複雑なクロスでお送りします。 キーワードは『バラッド。』)




 あるよく晴れた日の昼休み。
 薔薇の館で昼食をとっていた祐巳は向かいで同じようにお弁当を広げている由乃さんに話し掛けた。
「由乃さん」
「ん?」
「わたし死神になっちゃった」
 由乃さんは、一瞬目を見開いてこちらを見た後、また目を伏せて何も無かったようにまたお弁当に箸を伸ばし、言った。
「なんの?」
「死神は死神。なんの死神とかってないよ?」
 ここで由乃さんは関心を示さないで、まだお弁当をつついている筈だった。
 でも何故か、その手を休め、目の輝きもひときわに祐巳に向き直って言った。
「あるでしょ?」
「え? あるってなにが?」
「だからさ、名前と顔だけで人が殺せちゃうノート落としたりとか」
「ええと、わたしリンゴしかたべなくないよ」
「じゃあ、こーんな大きな刀持って戦ったり」
「いや、そんな期待されても」
「○解とかしないの?」
「しない」
「じゃあさ……」
「もういいよ。普通の死神なんだから」
「普通ってなにさ」
「だから、死んじゃった人の魂を運ぶの」
「それだけ?」
「うん。それだけ」
「人間にノート渡して楽しむとか、死神の力を人間に渡して兄に殺されそうになったりとか無し?」
「無し」
「……つまんないわね」
「そんなこと言われても、そういうもんだし」
「ふうん……」
 なにやら一気に興味を失った由乃さんは、お弁当のおかずを口に運んでもぐもぐと味わい始めた。
「はぁ、まあいいけど。取り合えず、私もなったばっかりでよく判らないし」
 祐巳がそう言うと、由乃さんは自分のお弁当のおかずにあった巾着を箸で摘まんで一つ祐巳のお弁当のご飯の上に置いた。
「就職祝いよ」
「中身なに?」
「多分、激辛野菜炒め」
「いらない」
「死神が、好き嫌いしちゃダメでしょ?」
「っていうか由乃さん信じてくれてる?」
「どうでもいいわ」
 どうやら由乃さんは、祐巳の言い分をてきとうにあしらうつもりらしい。
 頬を膨らませて不満をアピールするも完璧に無視を決められて、祐巳は「ふぅ」と、また溜息を一つ。
 祐巳は由乃さんのくれた『就職祝い』を箸で摘み上げつつ言った。
「とにかくね、私もなったからには自分のお仕事をちゃんとしようと思ってるんだ」
 死神といえば、魂を運ぶ以外に、死ぬ人の魂を肉体から切り離すのもその仕事の一つだった。
「でも、どうしたらいいのかな……」
 祐巳はなったばかりで、どうやって死ぬ人のところへ行ったら良いのか判らなかった。
 窓の外に視線をやり、祐巳は空を見上げた。
 ああ、いい天気。今日みたいな日は外でお昼寝すると気持ちが良さそう。
「とりあえず、」
 由乃さんは相変わらずの詰まらなそうな口調で言った。
「小テストの予習でしょ」
 由乃さんは本当に祐巳が死神かどうかどうでもいいらしい。
 確かに午後の授業の小テストが目の前の問題で、お弁当を食べ終わったらのんびり過ごすわけにはいかなかった。
 その抜き打ち小テストの情報はクラスの違う志摩子さんからもたらされたのだけど……。
「今、死神の話をしてたわよね? 祐巳さん?」
 その、ちょっと離れて乃梨子ちゃんと一緒にお弁当を食べていた志摩子さんが、いつのまにか食べかけのお弁当を手に祐巳の隣に立っていた。
「え? う、うん」
 志摩子さんはお弁当を祐巳の隣の席に起き、椅子を引いて祐巳の方に向いて座り、言った。
「わたしも気づいていたわ。今日の祐巳さんは一味違うって」
「え? わかったの?」
「まあ、志摩子さんの家、お寺だしね」
 由乃さんが興味なさそうに突っ込みを入れた。
 志摩子さんはテーブルの方に向いて座り直し、両手を胸の前で組んで回想するようにして目を瞑った。
「死神というのはキリスト教では死を司る天使のこと。“死”という不吉なイメージから悪魔と同一視するような説もあるけれど、人の死を扱うのは本来天使の最も崇高な役割の一つ。キリスト教では大天使ミカエルがその役割を果たしていると言われているわ……そして、今朝。マリア像にむかってお祈りしている祐巳さんの後姿は、」
 そう言った後、目を見開いたかと思う上体ごと祐巳のほうを振り向いて、
「神々しさに満ちていたわ!」
 そう言って聖母のように微笑んた。
 やはり、わかる人にはわかるのだ。
「由乃さん、神々しかった? 私?」
「さあ? っていうか祐巳さん遅刻してきたじゃない」
 由乃さんの答えは置いといて。
「で、志摩子さん?」
「なあに?」
 志摩子さんはマリアさまみたいに微笑んで祐巳を見ていた。
「死神ってどうやってお仕事するのかな?」
 なにやら詳しい志摩子さんならきっと判るに違いない。
 そう思ったのだけど、志摩子さんはきっぱりこう言った。
「わからないわ」
 はあ、志摩子さんでも判らないんだ。
 ちょっと期待しただけにガッカリ。
 志摩子さんはそんな祐巳の手を取って言った。
「判らないから、調べましょう?」


 志摩子さんと由乃さんと、乃梨子ちゃんまで伴って、昼食を済ませた祐巳は校舎の屋上に来ていた。
「なんで私来てるのかしら……」
 由乃さんがぶつぶつ言ってるけど。
「そうだわ、祐巳さん」
「なあに?」
「死神になったっていう証拠みたいなものはある?」
 と、志摩子さんの問いにいち早く口を挟んだのは由乃さんだった。
「どうせ『なっただけ』で、ないんじゃないの?」
「むぅ。そんなことないもん」
 今回は、ちゃんと確固とした証拠があった。『今回』ってなんだ?
「ほら、見て」
 そう言って祐巳はポケットからカードサイズのそれを取り出して注目するみんなに見えるように掲げた。
「なにそれ」
「身分証明書?」
 それは運転免許証のように祐巳の写真が貼ってあり、その横に大きく『死神』と漢字で書いてある。
「思い切り嘘臭いわね、その下の記号は何?」
「死神 Y−000003号だよ。私の死神としての名前」
「……名前が記号なのね」
「うん、でもYの三号だから愛称は『ゆみ』なの。いいでしょ?」
「そうね」
「ふざけてるの?」
 微笑んで同意する志摩子さんに対して、由乃さんは訝しげだった。
 ここで、今まで黙っていた乃梨子ちゃんが発言した。
「祐巳さま、証拠ってそれだけですか?」
「まだあるよ。ほら」
 そう言って祐巳は大きな鎌を取り出した。
「って、何処から出したのよ!? 何処から!」
「えー、今朝からずっと持ってたよ?」
「何処によ! そんな大きなもの持ってたら誰でもわかるでしょ!」
 その鎌は柄が祐巳の身長よりはるかに高く、その先には弧を描いて湾曲した刃が付いていた。
 タロットカードの『死神』にある、骸骨が持っているような大鎌だ。
「あのね、これは私が見せようと思わないと誰にも見えないし触れられないの」
「そんなご都合主義な!」
「素敵だわ」
「祐巳さまって、本当に死神になったんですね……」
「なんでそこで納得しちゃのよっ!」
 志摩子さんは感動し、乃梨子ちゃんは感嘆したけど、由乃さんは突っ込みに忙しそうだ。
「その鎌はどうやって使うの?」
 志摩子さんがそう聞いた。
「あ、これ? これはね、魂だけを引っ掛けることができるんだよ」
 祐巳がそう答えると乃梨子ちゃんが鎌を見上げながら不安そうに言った。
「こ、殺しちゃうんですか?」
「ううん、引っかかることは引っかかるけど、ちゃんと死期が来た人じゃないと肉体と魂を切り離せないよ。やってみようか?」
「あら、じゃあ乃梨子で」
「わ、私ですか!?」
「いいの?」
「祐巳さんを信じるわ」
「うん、判ったよ」
 そう言って祐巳はいきなり鎌を薙いだ。
 逃げ遅れそうになった由乃さんが慌てて身を伏せる。
 志摩子さんは既に『乃梨子で』と言った瞬間に音もなく後ろに数メートル下がっていた。
 鎌の柄の部分が乃梨子ちゃんの首の辺りを通り抜ける。
 でも肉体の乃梨子ちゃんは動かない。
 そしてその直後、
『し、死ぬかと思いましたよ! いきなり何するんですか!!』
 鎌に首が引っかかったまま『乃梨子ちゃんの魂』が叫んでいる。
「の、乃梨子ちゃん!?」
 乃梨子ちゃんの体が倒れ、鎌を避けてしゃがみこんでいた由乃さんの上に倒れこんだ。
 その乃梨子ちゃんを抱き起こしながら志摩子さんは言った。
「物理的な作用はないのね」
「うん。魂だけだし」
『え? え? ええーーーー!?』
 志摩子さんに『自分』が抱き起こされているのを見て驚いているようだ。
 祐巳はそんな乃梨子ちゃんの『魂』に向かって言った。
「あ、乃梨子ちゃん慌てないで。あんまりパニックすると、肉体とのつながりが切れて本当に死んじゃうかもしれないから」
『うっ……、わ、わかった』
 祐巳が斜めに掲げた大鎌の先のほうに引っかかるようにしてぶら下がっていた乃梨子ちゃん(の魂)は、暴れるのを止めて鎌の柄にしがみついた。
「乃梨子はそこに居るのね?」
「あ、志摩子さんは見えないんだ」
「ええ、残念ながら」
「じゃあ、乃梨子ちゃん、戻って」
『どうすればいいんですか?』
「どうって、判らない?」
『判りません』
「んー、刈り取り方はなんとなく判るんだけど、戻すのって死神の専門外だから……」
『祐巳さまー!』
 乃梨子ちゃんが再びパニックに陥りそうになっていると志摩子さんが乃梨子ちゃんの体に呼びかけた。
「乃梨子」
『え?』
「乃梨子、起きて」
「あ……」

 あっさり戻りました。

「……志摩子さん凄い」
「いえ、寝ているようなものだと思ったから」


 さて、死神の鎌の実験をしている間、なぜか由乃さんは黙っていた。
「由乃さんどうしたの?」
「……」
「もしかして、まだ信じてくれてないの? 『トリックがあるんでしょ』とか『乃梨子ちゃんまで一緒に騙して』とか思ってる?」
「……どうして」
「ん?」
 由乃さんはいかにも心外だっていう風に言った。
「どうして、志摩子さんは見えないのに私には見えるのよ!」
「え?」
「その変な鎌で薙いだら乃梨子ちゃんからもう一人乃梨子ちゃんが出てきて鎌に引っかかってたわ!」
「見えたんだ?」
「乃梨子ちゃんがパニックになって叫んでたのに、志摩子さんは全然聞こえてないし!」
「聞こえたんだ……」
 そう言った後、祐巳は横を向いて一人で納得するように頷きながら呟いた。
「……そっか。そうだったんだ」
「なによ? その意味深な態度は?」
「ううん、私の初仕事、決まったかも」
「あら。祐巳さん、『おめでとう』って言ったら良いのかしら?」
「でも人が一人死ぬってことだから……」
「そうだったわね。じゃあ『頑張って』って言ったほうが良いわね?」
「うん、ありがとう」
「いい雰囲気のところ申し訳ないのだけど、私には話が見えないわ」
「見えないって?」
「祐巳さんの初仕事が決まったのよ?」
 志摩子さんがのほほんとそんなことを言うと、相変わらず突っ込みモードの由乃さんは言った。
「唐突じゃない。誰が死ぬのよ?」
「誰って……」
 そう言われても『決まったかも』であって、祐巳には確信はなかったから口ごもった。
 そのとき、由乃さんは奇異なことを言った。
「それから、さっきからそこに居る部外者の人もなんなの? さも最初から話に加わっていたみたいに話を聞いてるけど」
「「え?」」
 っと、祐巳は志摩子さんと一緒に由乃さんが見てる方へ振り返った。
「あっ!?」
「誰も居ないわよ?」
 志摩子さんには見えないようだ。
 でも祐巳の目には季節を無視したような半袖の白いワンピースを着た女の子が見えた。


 ――リン。


 鈴の音が響いた。
 ぬけるような白い肌。まっすぐな長い髪も白。
 彼女の印象はひとことで言って『白』。
「あの?」
 志摩子さんには見えないこの女の子は、『その系統』の存在ってことになる。
 祐巳と目が合ったと思ったら、彼女はその手にしていた大鎌の柄をゆっくりと振り、次の瞬間、それは祐巳の頭に打ち付けられて、ごいん、という音が頭の中に響いた。
 そう彼女は、祐巳が今持っているのと同じような大きな鎌を携えていたのだ。
「い、痛い……」
 死ぬほど痛かった。頭が凹んだと思ったくらい。
 でも外傷はない。
「……生きている人の魂を勝手に引き出しちゃ駄目」
 彼女は静かに、でも嗜めるように祐巳に向かってそう言った。
「す、すみません」
「全く、新人の面倒なんて何で引き受けるんだよ」
 猫だった。
 なんとコウモリのような羽を背中から生やした空飛ぶ猫。しかも喋ってる。
「ダニエルは黙ってて」
 この猫はダニエルと言うらしい。
「え、えっと、先輩の死神さん、ですか?」
 祐巳がそう言うと、彼女は黙ってカードを祐巳に見せた。例の死神の身分証だった。
「死神“A”の100100号。百と百で『モモ』って呼んでいいから」
「えっと、モモ……さま?」
 一応先輩だから。でも彼女は言った。
「『さま』はやめて」
「じゃあ、モモさん」
「……」
 沈黙は同意と取っていいのだろうか?
 そんなことを考えていると、
「ふうん?」
 ダニエルがじろじろ観察しながら祐巳の回りを一周。そして言った。
「これが世にも稀な半人前状態の死神ねぇ?」
「半人前?」
「そう、あなたは生きた肉体を持ったまま死神になったのよ」
 それは、なんとなく判った。なにしろ今朝気が付いたらなっていたのだから、人間をやめる暇もなかった。
「有難く思いな。このモモがあんたの面倒見てくれるんだからさ」
「あの、いろいろ教えてくれるんですよね?」
 祐巳がそういうとダニエルが呆れたように言った。
「判ってないよ、判ってない。こいつ本当に大丈夫なの?」
「しょうがないよ。特別なケースだから」
「あ、あの?」
 ダニエルが祐巳の睨んで言った。
「覚えときな、あんたの不始末は全部モモが責任を取るんだからね」
「え!?」
「さっきの違反だって普通だったら謹慎一万年じゃ済まないんだから」
 一万年という途方もない数字を言われて祐巳が絶句していると、モモさんが言った。
「いいのよ。ユミは人間でもあるんだから」
「まったく、人間のこと気にしすぎるからってこんなこと引き受けるなんて」
「こ、こんなことって?」
 その問いにはダニエルが答えた。
「あんたは生きている限り、天上の管理システムにアクセスできないんだ。肉体があるからね。だからモモが代わりにあんたに必要なことを伝える役割を引き受けたの」
 つまり、祐巳の仕事はこのモモさんから知らされるらしい。
「そういうことなの。よろしくね?」
「別に馴れ合うことないよ。死神同士は仲良くする必要なんてないじゃないか」
「そんなことないよ」
「まったくもう……」
 この猫、モモさんの事も平気で批判してるけど、どういう関係なんだろう?
「ダニエルは私の仕え魔よ」
「どっちかというと保護者だけどね」
 失礼な突っ込みを無視してモモさんは続けた。
「死神にはたいてい仕事の手伝いをする仕え魔が付くのよ。あなたにもそのうち付くことになるわ」
 ダニエルのような生意気な仕え魔じゃ無いほうが良いな、と祐巳は思った。
 が、
「しっかりしてるって言って欲しいな。おまえはモモ以上に手がかかりそうだから。ボク並にしっかしした仕え魔じゃないと勤まらないよ」
「こ、心を読めるの!?」
 口に出してないのに、さっきから思ってることに返事をされてる気がする。
「人間の考えてることくらい読もうと思えば読めるけど、おまえは読むまでもないな」
 百面相かっ! 祐巳は思わず両手で顔を抑えた。


「乃梨子、見える?」
「ええ、はっきりしませんけど何か居ることは判ります」
 志摩子さんには祐巳が独り言を言っているように見えるらしい。
 乃梨子ちゃんは『なんとなく』判るみたいだけど、さっきの実験の影響だろうか?
 そして、由乃さんは……。
「本物の死神……?」
 しっかり見えてるみたい。
 モモさんがそんな由乃さんの方に視線を向けて言った。
「『死』というものの近くにいる人は死神を見るわ」
「つまり?」
「わ、私? 私、死ぬの?」
 モモさんはその問いの答えとも取れる回答をした。
「彼女の魂を運ぶのはユミの仕事よ」
「うそ……」
 そう呟いたのは由乃さん。
「でもまだ。時が来ればユミにも判るから」
「う、うん」
 祐巳は死神になった瞬間からある意味覚悟していた。
 むしろ、知り合いの死に際して何もできないのではなく、その魂を運ぶ役割ができるって思っていたくらいだから。


 当然のことだけど、由乃さんは荒れた。
「どうしてよ。心臓は治ったのに……」
 祐巳はモモさんが何故あそこで由乃さんにああいう言い方をしたのか判らなかった。
「由乃さん! 待って、何処行くの?」
「放っておいて! どうせ私は死ぬのよ!」
「由乃さん!」
 由乃さんは走って屋上から降りていった。
「どうしよう……」
「あの、由乃さま悲観して自殺とかしませんか……」
 乃梨子ちゃんが真っ青な顔でそう言った。
「話、聞こえてた?」
「いいえ、でも祐巳さまの受け答えと由乃さまの態度で大体は判りました」
「モモさんが大丈夫って言ってるから」
「大丈夫なんですか?」
「うん、見ててくれるって言って行っちゃった」
 由乃さんが下に降りていって見えなくなると同時に、モモさんもダニエルと一緒に消えていた。
「あの、そのモモさんって死神なんですよね?」
「うん、そうだよ?」
「付いていって由乃さまの命を奪うとか無いんですか?」
「えー? そうは見えなかったよ? 優しそうな人だったし」
「いや、人じゃないでしょ?」
「あ、そうだったね」
 そういって微笑む祐巳を見て、乃梨子ちゃんは何故かため息をついた。
「そろそろ授業が始まるわ。私たちも戻りましょう」
 志摩子さんがそう言った。もう5分前だった。


 由乃さんはあのまま帰ってしまったようで、鞄はあったのに午後の授業に姿を見せなかった。


  ♪


 翌日、朝のホームルーム前の時間に令さまが祐巳の教室に飛び込んできた。
「祐巳ちゃん!」
「はい?」
「あなたが由乃を殺すって本当!?」
 その次の瞬間、教室のざわめきが消えた。
 黄薔薇様の登場だけでもインパクトがあるのに、そんなショッキングな台詞をいきなり叫んだもんだから、教室の皆が反応できずに固まっているのだ。
「れ、令さま!」
 祐巳はいち早く立ち直り、令さまの手をとって、クラスメイト達が再起動する前に教室を出た。
「祐巳ちゃん、話によっては私は……」
 令さまは怖い顔をしてる。なにか誤解しているのかもしれない。いや正確に真実を理解しているのかもしれない。
 むしろ正確に理解しているほうが厄介といえなくもない。
 もうすぐホームルームが始まる時間なので、先生の目に留まって話の邪魔をされないように、祐巳は古い温室まで令さまを連れて行った。


 令さまはこう切り出した。
「……祐巳ちゃんが死神になったって聞いたわ」
 ああ、やっぱり厄介な方だ。
「はい。昨日から死神です」
 嘘をついてもどうしようもないので祐巳は正直に言った。
 教室に飛び込んで来たとき、祐巳に飛び掛らんばかりだった令さまは、ここまで歩いて頭に上っていた血が大分引いたのか、静かに言った。
「由乃を、連れて行くの?」
「はい『その時』が来れば」
「その時? いつなの?」
「それは……」
「言えないの?」
「はい。そういう決まりなので」
 祐巳にはまだその権限が与えられていなかった。なんでも経験を積んで死神としてのレベルが上がるとそういうことを口にする権限も得られるとか。
 でも『その時』を祐巳のような死神が決めるわけではない。
「そう。でも祐巳ちゃんが連れて行くのね?」
「……はい」
 祐巳は俯いて答えた。
 死神は死期が訪れた人の魂を肉体から切り離してあの世に連れて行くだけだ。
 令さまの握っている拳が震えていた。
「……由乃は死ぬのね?」
「はい」
「……」
 沈黙が痛い。
 祐巳はたまらずに言った。
「でも、今すぐってわけじゃ」
「気休めは止めて!」
「でも……」
「もう良いの。いつかはこういうときが来るって思っていたわ。由乃が心臓の発作を起こす度に」
「あの、でも」
 口を挟もうとする祐巳を無視して令さまは続けた。
「そうよ、その度に由乃が死んでしまうんじゃないかって恐怖してたわ。でも『これは治る病気なんだ』って自分に言い聞かせて乗り越えてきた。なのに」
「……」
「手術を受けて、これでもう心配が要らなくなったって思ってた。でもそうよね。心臓の病気なのよね。命に関わる重い病気だったのよね」
 令さまは一人で納得してしまわれた。
 祐巳はそんな令さまに恐る恐る言った。
「あの、私がこんなこというと怒られるかもしれませんが……」
「なに?」
「人はいつか死ぬものです。令さまだって、お姉さまだって、私も人としての私は同じように死にます」
「死神なのに?」
「今は生きた人間でもありますから」
「死んだらあなたの場合名実ともに死神になるのね?」
「はい。なんか変ですよね?」
「ふっ」
 令さまは微笑んでいた。弱々しい微笑だったけれど。
「令さま?」
「祐巳ちゃんの言いたい事わかったわ」
「え?」
「人はいつか死ぬもの。それは由乃が特別なんじゃない。ただ、手術をしたとはいえ、心臓に疾患のあった由乃は普通より早く逝く可能性が高いわ」
「あ、あの……?」
「それは一ヶ月先か一年先か、十年先か、もしかしたら五十年先かもしれないわね。だったらほかの人と変わらない。もしかしたら私のほうが事故とかで先に死んでしまうかもしれないのだし」
「そ、そんな縁起でもないこと言わないでください!」
「あら、死神の言葉とは思えないわ」
「それは、なり立てですし……」
 というか、モモさんがあんなことを言うのだから、由乃さんの死期がそんな先だとは思えなかった。
 令さまは言った。
「普通の人は自分が死ぬって事、忘れて生きているわ。もしかしたら一番大事なことなのかもしれないのに。祐巳ちゃんが死神になったのはそういうことかも知れないわね」
「はい?」
 『そういうこと』って?
「人は死ぬものなんだから後悔の無いように精一杯生きなさいって。そういう神様からのサインなのかも」
「そ、そんな大層なものじゃ……」
 令さまは、吹っ切れたように笑みを浮かべて言った。
「最後に確認したいんだけど、祐巳ちゃん、由乃がいつ死ぬのか知っているの?」
「え?」


  ♪


 由乃さんは昨日から部屋に篭って出てこないんだそうだ。
 今朝、令さまがそれを知って心配して部屋に乗り込んだところ、『死ぬのは嫌だ』と泣きつかれ、話を聞いて、それから今朝の行動に至ったってことだった。
「私、由乃に話をして来るわ。ごめんなさいね。祐巳ちゃんのせいじゃないのに。むしろ祐巳ちゃんだってつらい立場だったのに」
「い、いえ……」
 責任を感じていた祐巳は令さまに同行した。
 授業をサボりになっちゃうけど、どう考えても由乃さんの方が重要だったから。


「お医者さんに聞いたわ。でも至って健康で悪いところは見当たらないなんてあからさまな嘘をつくのよ。もう誰も信じられないわ」
 部屋に篭って泣いていたけど、部屋には祐巳も入れてくれたし、由乃さんはよく喋った。
「祐巳さん、連れて行くんでしょ? とっとやっちゃって」
「由乃さん……」
「私、考えたのよ。親友の祐巳さんが引導を渡してくれるなら良いかって」
「あ、あのね」
「だって、死ぬのって怖いじゃない。私、発作を起こすたびに思ってた。このまま死んだら近くに居たみんなともお別れだし令ちゃんともお母さんともお父さんとも離れちゃうんだって。でも今なら祐巳さんが一緒に行ってくれるのよね?」
「途中までだと思うけど」
「十分よ、祐巳さん。お願いね」
 ああ、なんか悟っちゃったみたいな顔してるよ。
 連れて行く側の気も知らないでさ。
「あの、由乃さん」
「なあに?」
「死にたいの?」
「死にたくは無いわ。でも仕方が無いじゃない」
「仕方が無いの? 諦めちゃうの?」
「何言ってるのよ、連れて行くのは祐巳さんでしょ」
「そうだけど」
 祐巳は由乃さんの態度を見て『これは違う』と思った。
「なによ。死神になったんでしょ? 仕事しなきゃだめじゃない」
「……仕事だけどさ」
 由乃さんの態度が気に入らない。
 もちろん由乃さんは親友だし、言いたい事もわかってるつもりだ。でもどうしても譲れない、それが何なのかはっきり見えていないけど、今の由乃さんの言葉をどうしても素直に飲み込めない何かがあった。
「なによ、その暗い顔は。初仕事なんでしょ? もっと喜ばなくちゃだめよ?」
「……本気で言ってるの?」
「当然よ。親友の記念すべき初仕事で逝けるなんて、私は幸せ者だわ」
「親友を……」
「なによ?」
 こんなことを考えるのは死神として失格なことは判ってる。
 判っているけど。最初は『なんかなっちゃった』位にしか考えて無かったけど。
 でも、その役割を突きつけられて良くわかった。
 祐巳は流れる涙を隠すこともなく叫んだ。

「親友を殺さなきゃならない私が喜べるとでも思ってるの!!」

 辛いことには変わりが無い。
 それが親友だったら尚更だった。
「……」
 由乃さんは俯いて沈黙し、これ以上『覚悟ができた振り』をすることは無かった。
 もしかしたら、由乃さんは連れていく祐巳のことを思ってあんなことを言ったのかもしれない。
 だとしたら尚更だ。
 祐巳が耐えられるかどうかは別にしても『死にたくない』と泣き叫ばれた方がマシだった。祐巳の為に本音を隠して満足した振りなんてして欲しくなかったのだ。


「由乃、あのね……」
 重苦しい沈黙の中、令さまが口を開いた。
「なによ」
「祐巳ちゃんは由乃が何時死ぬか知らないんだって」
「だから、なんなのよ」
 それから、学校で祐巳と話したことを令さまは繰り返した。
「……一ヵ月後か、一年後か、十年後か、五十年後かもしれない。もっと先かも。だからね」
「令ちゃんは、だから私は普通の人と変わらないって言いたいのね?」
 流石、長い付き合いだけはある。最後まで聞かないでも令さまの言いたい事は由乃さんに伝わったようだ。
「うん、そうなんだ」
「そっか……五十年後ね……」
「そりゃ、由乃は心臓が悪くて手術したから」
「判ってるわ、他人より多少早く死ぬ可能性だってあるって。でも、そうよね。五十年か八十年かわからないのと変わらない……」
 なにか考え込んでしまった由乃さんだけど。
「あ、そうか……」
 何かに気が付いたように表情を変えた。なんだろう?
 そして由乃さんは俯いた。表情が見えない。
「由乃?」
「由乃さん?」
 なんかびくびくしてる令さま。
 祐巳も由乃さんがなにか嫌な結論に達してしまったんじゃないかって不安になった。
 由乃さんは俯いたまま震えている。
 爆発? それとも……。
「……くっ」
「?」
「くくくっ……」
「ど、どうしたの?」
「あははははは!」
 あろうことか由乃さんは腹を抱えて声を上げて笑い出した。訳がわからない。
「あははは、おっかしいわ! なによそれ!」
「なにって、何!?」
 困惑した祐巳は令さまの方を見た。令さまも困ってるようで目が合ってしまった。
「確かに、あのモモって死神はいつ死ぬって言ってなかったわ! 祐巳さんが私を連れていくって言っただけで!」
「う、うん、それが何?」
「じゃあ、よろしくね? 祐巳さんとは長い付き合いになりそうだし」
「は?」
 長いって?
「死ぬまで親友でいてよね?」
「え、えーっと……」
 そう言ってもらえるのは光栄というか、いやそうじゃなくって、何が起こっているんだ?
 いつのまにか令さまも判ったみたいに祐巳の隣で笑いを堪えていた。
 困惑する祐巳に、またひとしきり笑う由乃さん。
「あのモモってやつに一杯食わされたのよ。祐巳さん、初仕事が私だと思ってない?」
「え? 違うの?」
「そんなこと一言も言われて無いでしょ? 言ったのは祐巳さんよ」
「あ!」
 そういえば、初仕事かもしれないって思ったのはモモさんに会う前だ。
 あの時は何もしてないのに由乃さんが乃梨子ちゃんの魂が見えたからそれだけ由乃さんが死に近づいてるって。
 でも由乃さんには死神のモモさんも普通に見えていたのだ。
 黙っているべきだろうか?
 由乃さんの死に対する姿勢はさっきより『間違ってない』気がするし。


 ――リン。


 鈴の音が響いた。
「そろそろ種明かしだね?」
「80点」
「えー、採点甘いんじゃない?」
 いつ入ってきたのだろう? 部屋の中に白いワンピースを着た女の子、モモさんが立っていた。
 仕え魔猫のダニエルも彼女の傍らに浮いている。
「モモさん!」
「出たわね? 死神」
「えっと君がモモ……ちゃん?」
 驚いたことに令さまがモモさんに向かってそう言った。見えてるようだ。
「はい。死神“A”の100100(じゅうまんとんでひゃく)号、言いやすいようにモモと名乗っています」
 悠長に自己紹介などしているけど……。
「ど、どうして令さまにも見えるんですか? まさか令さまも……」
 祐巳は不安に駆られたが、モモさんは言った。
「ユミはなにか勘違いしてる」
「え?」
「私は『死というものの近くにいる人が死神を見る』と言ったの」
「だから由乃さんが……」
「『死に逝くもの』とは言ってない」
「えっ? えっ?」
「彼女はずっと死と背中合わせで生きてきた」
 祐巳が頭の上にクエスチョンマークを飛び交わせていると、先に理解したらしい由乃さんが補足するように言った。
「祐巳さん、私は手術する前はいつも死を意識して生きてきたのよ。それは令ちゃんも同じ」
「そうよ、私は由乃を通して死というもの意識せずにはいられなかった。私達にとって死というのは身近なものだったのよ」
「だから、私達が見えるの」
「えっと……」
 つまり、結論として死神が見えるからって由乃さんも令さまもすぐ死ぬわけではないってこと?
 祐巳がまだちょっと飲み込めないって顔をしているとダニエルがそれを横目で見て言った。
「……ようやく判ったみたいだけど、こいつ本当にやっていけるのかな?」
 ああ、本当にこの猫生意気だ。
 そういう言い訳できないことをずけずけと口に出すあたりが。
「なったばっかりだから」
 フォローしてくれるモモさんは思ったとおり優しい人だ。いや人じゃない、死神だけど。
「それにしても理解力無さ過ぎないか?」
「死神もそれぞれだし」
「って、それフォローになってないよ!?」
「だって事実だし」
 優しそうな顔をして、意外と容赦が無いモモさんだった。


  ♪


「合格よ」
 モモさんが祐巳に言った。
「あの、どういうことでしょうか?」
 どうやらモモさんが祐巳が勘違いするように仕掛けたって事だけは判った。
 でもその理由は?
「別に不合格だからって死神じゃなくなるわけじゃないから勘違いするなよ?」
 むっ、ダニエルには聞いてない。
「死をもたらす者、それが死神。だけど死神はそれぞれ。死期が来たら情け容赦なくただ事務的に魂を刈り取っていく者も居るわ」
「というか、それが普通だろ? モモは人間に関わりすぎなんだよ」
「ダニエルは黙ってって」
「それに、泣き虫だしいててててて」
 モモさんはダニエルの口をつまんで引っ張った。
「……私はユミにそんな死神になって欲しくなかっただけ」
「えっと……?」
 人に関われって事かな。
「さっきユミが流した涙を忘れないで。親友に叫んだ時の気持ちを忘れないで」
「それは、結局私のわがままみたいなもので……」
「それが判ってるなら大丈夫。ユミなら出来るわ」
「……うん」
 正直、由乃さんの魂をすぐ連れて行かなくてはいけないと思ったときは死神になってしまった自分を呪った。
 でも、彼女に出会えて、彼女のような、祐巳が共感できる死神が居ることが判って、祐巳は死神としてやっていける気がした――。




























「ねえ、モモ」
 白い死神とその仕え魔が武蔵野の地の住宅街の上空に漂っていた。
「なあに?」
「いまさら、仕事で無いのに地上に来たことは言わないけどさ、なんであの『変な』死神に関わることにしたの?」
「気になったから」
「でもさ、別に何も仕掛けなくても、あの死神は『普通の死神』みたいにはならないんじゃない? モモより『変わり者』の死神なんて初めてだよ」
「判ってる」
 それだけ言って沈黙するモモ。
 黒猫はそれを見て呆れるように、というより何時もの事だと諦めるようにため息混じりに言った。
「もう、そりゃユミは半分人間だし、モモが関わりたがるのも判るけどさ」
「そんなんじゃないよ」
「じゃあ、なんなのさ」
「……秘密」
 そう言って舞い上がるモモ。
「あー、待ってよー!」
 それを追いかける黒猫。
 暗い空に、白いシルエットが吸い込まれるように消えていった。


 彼女が次にこの地を訪れる時が、祐巳の初仕事の時であろう。
 その時、どんな魂を連れて行くことになるのか、祐巳はまだ知らない――。




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