ある晴れた日。
一人帰路についていた祐巳は、見慣れた後姿を見つけて表情を明るくさせました。
「ごきげんよう江利子さま」
顔を見なくても誰だかわかるのは、その立ち居振る舞いがお美しいから。
もちろん、山百合会に所属して数ヶ月を共にした仲間だということもあるけれど。
偉大なる先輩を、後姿だけで誰かわかるのはある意味当然のことと言えます。
「あら」
ゆっくりとこちらに向き直る江利子さま。
「ごきげんよう、祐巳ちゃん。お久しぶりね」
そして、微笑みと共に発される挨拶は気品に満ち満ちていました。
何より、かわいい後輩に会えたことを喜ぶ、それが表情から読み取れて祐巳は自然と笑みを強くします。
「はい、お久しぶりです」
にこにこと答え、けれど祐巳はうまく言葉にできない違和感を覚えました。
でも、そのお姿はいつもとどこか違っていて。
それは私服だからとか、そういうことではなく。
「……って」
なんですかその髪型は。
思わず口にしかけた台詞を慌てて飲み込むと、祐巳はどうにか笑顔を作りました。
そうだ。今日の江利子さまはトレードマークとも言えるカチューシャをつけず、前髪を下ろしているのです。
「って、なあに?」
「いえ、なんでもありません」
ぶんぶんと手を振って誤魔化しの笑顔をみせる祐巳に、
江利子さまが小さく首を傾げたその時、聖さまが通りの向こうから姿を現しました。
大学帰りなのでしょう、カバンを持っていますが中身がからっぽなのかやけにぺたんこです。
「お久しぶりね、聖」
「元気そうじゃない、江利子」
爽やかな微笑と共に挨拶を交わして、
聖さまはぐるんと祐巳の方へ顔を向けました。
なんとも嬉しそうに、まるでいたずらっ子のように目を細めながら語を継ぎます。
「はい、挨拶終わり。祐巳ちゃんターイム」
「へ? 聖さま……うぎゃ」
不意に思いきり抱きしめられ、たまらず悲鳴を上げる祐巳ですが、
それくらいで聖さまが離してくれるはずもありません。
「やっぱり抱きしめるのは祐巳ちゃんに限るね」
手を緩めることなくほくほく顔で言う聖さまへ、江利子さまが呆れ顔でつぶやきます。
「相変わらずの変態ぶりね」
「うらやましい?」
ニヤリと笑う聖さまに、江利子さまが無言で肩をすくめます。
毒にも軽口で応じる辺り、さすがはかつての薔薇さま方です。
が、聖さまの場合、本気で言っているのかもしれません。
と、聖さまは祐巳に目線を移して微かに首を傾けました。
「どうしたの、祐巳ちゃん」
「いえ、なんでもありませ……ぎゃう」
答える祐巳の頬を両手で挟んで、聖がまじまじと顔を覗き込みます。
「いやいや、この顔はなんでもない顔ではないね。
いったいどれだけの年月、私が祐巳ちゃんをいじって……
もとい、抱きしめてきたと思ってんの」
「ええと、そんなこと真顔で言われましても」
いくらか眉尻を下げて言う祐巳に、
聖さまはウインクを一つ飛ばしてぐっと親指を立てました。
「大丈夫。君の言わんとすることはわかっているつもりだよ、祐巳ちゃん」
何が、と言いかける祐巳の台詞より先に、聖さまの言葉が続きます。
「江利子のこと、でしょ?」
「え?」
祐巳がぱちぱちと瞬きをしたその瞬間、聖さまはさっと身を翻して腕を伸ばしました。
「ご開帳ー」
聖さまはそんな台詞と共に江利子さまの前髪を手のひらで持ち上げて、
そのまま頭頂部へと押し付けます。
驚き目を見開く江利子さまを見ながら、聖さまは満足げにうなずきました。
「やっぱりね、おでこがしっかり露出してこその江利子だよ」
けれど。
「……聖」
いくらかつての薔薇さまとはいえ、
このような横暴を笑って許してくれるとは限りません。
聖さまは身の危険を感じ、一歩後ずさり。
それからぐっと祐巳の手をつかみます。
「祐巳ちゃん、逃げよう」
「え、聖さま? わ、ちょっと」
不意に手を引かれたものだから、祐巳は思わずよろめいてしまいました。
その隙に、がっちりと祐巳の腕をつかむ江利子さま。
「祐巳ちゃんを巻き込もうたってそうはいかないわ」
歯の根が合わない祐巳の前で、江利子さまが淡々とつぶやきます。
「こんなおいたをする悪い子にはお仕置きが必要ね」
「あはは、江利子目がマジなんだけど」
笑顔を引きつらせる聖さまに、江利子さまは徐々に歩を詰めて。
祐巳の『怪獣のような声』に勝るとも劣らない悲鳴が辺りに響くのでした。
〜晴れの日に 戯れ過ぎて
凸さまの 逆鱗触れて 聖ここに散る〜
どっとはらい。