【2142】 姉妹の条件足りない言葉  (朝生行幸 2007-01-26 00:22:41)


「お断りします」

 黄薔薇さま島津由乃の申し出、すなわち「私の妹になりなさい」をにべもなく突き放したのは、本年度新入生、有馬菜々だった。


 新学期が始まり、新入生歓迎会を無事済ませた山百合会一同。
 早速薔薇の館で、新体制での活動を祈念するべく集まったのだが、由乃は一人、「すぐ戻るから待ってて」とのたまうと、皆が止めるのも聞かず、その場から走り出した。
 同僚の薔薇さま二人、紅薔薇さま福沢祐巳と白薔薇さま藤堂志摩子は、当然ながら、由乃が以前から妹にしたがっていた菜々を迎えに行ったのだということを知っているが、「そこまで焦らなくてもいいのにね」と、少々困った顔を見合わせていた。
 ところが、しばらくして一人だけで戻って来た由乃は、完全に精気が抜け切った顔をしていた。
 館に集まっていた一同が、気遣って声をかけるも、返って来るのは要領を得ない生返事ばかり。
 こりゃダメだとばかりに、そっとしておく他はないと判断し、とりあえずは皆に挨拶をと、祐巳が席を立ったその時。

 バン。

 と、由乃が両手でテーブルを叩いた。
「ど、どうしたの?」
「……ちっくしょうあの小娘、やってくれるじゃないのよ」
 祐巳の言葉には答えず、不敵な笑みを浮かべて由乃は、グッと両手で握り拳を作ると、
「いーわよ、そっちがその気だってんなら、こっちも徹底抗戦で行くわ。祥子さまも祐巳さんも、一度は断られているんだし、二人に乗り越えることが出来たのなら、私に出来ないはずがないもの」
 ただでさえ、“リリアンの火薬庫”、“山百合会の起爆剤”と密かにあだ名される由乃の背後には、燃え盛らんばかりのオーラが立ち昇って、今にも引火しそうな勢いだ。
「見てて、祐巳さん志摩子さん。私、絶対に諦めないから」
 堂々と宣言する由乃に、何が何だかよく分からないながらも、立ち上がって惜しみない拍手を送る一同だった。


 それからと言うもの、由乃は最低一日一回、多い日は一日五回ぐらい、

「私の妹になりなさい」

「私の妹になるのよ」

 と、しつこいぐらいにアピールしまくった。
 しかし、その都度「ごめんなさい」「お断りします」が返ってくる。
 だが、そう簡単に諦める我等が由乃さんではない。
 まさしくイタチゴッコを地で行きながら、その様は、時も経ったり一ヵ月半に及ぼうとしていた。
 当然ながら、これだけあからさまに行動していれば、生徒たちの噂に上るのは時間の問題。
 恐れ多くも黄薔薇さまの申し出を断り続ける生意気な一年坊…いや、一年嬢。
 新入生に情けなくも断られ続ける山百合会幹部黄薔薇さま。
 直接ではないものの、間接的にはかなりの陰口が囁かれている。
 新聞部も、だいぶ初期の頃から二人の動向に注目してきたが、事は生徒会の問題になりかねないため、かわら版に取り上げるのは控えてきた。
 そんな状況を打開するべく由乃は、常に持ち前の“青信号”を発揮して、菜々を妹にしようと躍起になっているのだ。

「さぁ今日こそは、いい返事を聞かせて貰うわ。菜々、私の妹になりなさい」

 菜々のクラスに赴いた由乃は、周りの視線もものかは、朗々たる声でロザリオを突きつけた。

「……まったく、しつこいお方ですね。その話はきっぱりとお断りしたはずですが」
「だからといって、ハイそ−ですかとあっさり引き下がるわけには行かないのよ」
「それは、由乃さまの都合であって、私には関係のないことです」
「断られるにしても、ハッキリした理由を教えて貰いたいわね」
「……分かりました。場所を変えましょう」
 席を立った菜々は、スタスタと先を進み、由乃は慌ててその後を追う。
 人気のない所で菜々は、クルリと振り返った。
「理由を知りたい、そう仰いましたね」
「ええ」
「では言いましょう。何も無理に私が妹になる必要はない、そう思っているだけです。由乃さまには、現二年生及び私以外の一年生から、自由に妹を選ぶ権利があるのに、どうして私が選ばれないといけないのでしょう? 私にも、現二年生及び由乃さま以外の三年生から、姉を選ぶ権利だってあるはずです」
「それはそうでしょうね。でも私には、あなた以外で妹にしたい人が居ないの」
「ではお聞きしますが、由乃さまは、どこまで積極的に妹を探されたのでしょう? 茶話会のお話は聞き及んでいますが、それ以外では、禄に妹候補を探していなかったようですが。まさか、私が由乃さまからの申し出を、二つ返事で受け入れるなんて、都合の良いことを考えていたのじゃないでしょうね」
「ぐ……」
 図星だったので、絶句せざるを得なかった。
 市民体育館で菜々と会ってから、他の妹候補なんて、考えてもいなかった。
 それ以前はどうだと聞かれても、茶話会以外でもまったくと言っていいほど行動していない。
 希望的観測だけで、菜々が妹になると決め付けていた由乃の考えは、非常に甘いと言うほかないだろう。
「それに……」
 ポツリと、もう少しで聞き逃してしまいそうな小さな声で呟く菜々。
「……今の由乃さまでは、ダメなんです」
「……え?」
「失礼します」
 頭を下げた菜々は、そのまま振り返ることなく立ち去った。
 由乃は、菜々が残した言葉に首を傾げつつ、その背中を見送ることしか出来なかった。


 それから更に一週間あまり。
 相変わらず、回数は少し減ったものの、由乃のアプローチは続いていた。
 しかし、以前ほどの覇気はなく、むしろ消沈しているような雰囲気だ。
 当然その間も、菜々からは断られ続けている。
 幾ら考えても、断られる理由は思いつかない。
 廊下ですれ違っても、キチンと挨拶はしてくるし、剣道部での練習でも、お互いに声を掛け合うことはある。
 嫌われているわけではないようだが、だから尚更、菜々の考えが分からないのだ。
 だが、このままではやはり拙い、そろそろ諦めるしかないのか。
 生徒の代表たる立場にある手前、どっちに転ぶにせよ、早々に決断する必要に迫られているのを、由乃は実感していた。


 道場の掃除、片付けを終えた菜々は一人、日も暮れ、薄暗くなった並木道を歩いていた。もう少しでマリア像の分かれ道といった所で、そこに見慣れた人影が立っている。
 その人影は、菜々の姿に気が付くと、いつもとは違った弱弱しい笑みを浮かべ、遮るように立ちはだかった。
「ごきげんよう、菜々」
「ごきげんよう、由乃さま」
「あなたを待っていたの」
「……そうですか。でも私は、今の由乃さまには用はありません」
 “今の”という意味深な言葉を含めて言ってはみたが、由乃はそこに気付いているのかいないのか。
「分かってる。でも聞いて欲しいの。私、あれからずっと考えてた。どうして菜々は、私の申し出を受けてくれないのか。でも、いくら考えても答えは出なかった」
 菜々の目を見ながら、訥々と語る由乃。
「答えは出るわけないわよね。それは、私だけで導けるものでは無いのだから」
 はっと小さく息を飲んで菜々は、由乃の目を、真っ向から見つめ返した。
「私、ずっと菜々に押し付けてた。あなたの意向を無視して、自分だけが盛り上がってた。そんな自分勝手な相手なんか、姉にしたいなんて思わないわよね」
 静かに目を伏せる由乃の目は、街路灯の光を揺らめきながら反射させていた。
「でも、妹にしたいのはあなたしか居ないっていうのは本当。それは、私にとって揺ぎ無い事実なの。でも、あなたは私を受け入れてくれないのよね。だから、これが……。これが最後」
 由乃は、諦観に似た、これまでついぞ見せたことの無い、今にも泣き出しそうな切ない表情でロザリオを取り出し、輪にした鎖を差し出しながら言った。

「これ、菜々の首にかけてもいい?」

 それは奇しくも、この場所で親友が姉からかけられたのとまったく同じ言葉。
 これで断られれば、キッパリと諦めようと思っていたが、返ってきたのは意外な答え。

「お受けします」

 菜々は、はっきりと頷いた。


「……え?」
 困惑の表情で、戸惑う由乃。
「あれ、聞こえなかったですか? お受けすると言ったんですよ」
「え? あれ? 私、てっきり断られると思って、相当の覚悟をしていたんだけど。お陰で、昨夜眠れなかったのよ。でも、なんで?」
 予想しなかった答えに、あたふたしている。
「それはですね、やっと気付いて下さったからです」
 菜々には、人と人との付き合いは、基本的に同等でなければならないという信念があった。
 それは姉妹関係でも同じことで、先輩だから姉だからと言って、一方的に自分の考えを押し付けていい理由にはならない。
 菜々にとって姉妹関係とは、『姉→妹』の一方通行ではなく、それぞれが時には姉であり、時には友であり、時には妹であるべきだというもの。
 その信念があるがため、由乃の姉である支倉令と手合わせ願ったとき、不利を承知で互角稽古を望んだのだ。
 手加減されたり、見下されたり、舐められるのは我慢ならない。
 よく知らない相手を過大評価または過小評価するのは、人付き合いの上では邪魔なものでしかないのだ。
「今までずっと仰ってました。『私の妹になりなさい』と。でも、それではダメだったんです。そんな押し付けで、姉妹になりたくなかったんです。でも、やっと言って下さった。『菜々の首にかけてもいい?』と。それはつまり、『妹になってくれる?』という、私の意志を尊重して下さった上での問い掛けなんですよね。だから私は……」
 そう言いつつ菜々は、いまだ由乃が広げたままの鎖の輪に、自ら頭を通した。
「だから私は、由乃さま……いえ、『お姉さま』の申し出を、やっと受けることが出来るのです」
「菜々……」
 病床で姉から渡された由乃の緑のロザリオが、菜々の胸元で揺れながら輝いている。
 由乃は、目尻から一滴の涙を流すと、そのまま菜々に抱き付いた。
 初めて会った時の菜々は、由乃の目の高さぐらいの身長しかなかったが、あれから約半年、既に由乃を数センチながらも抜いていた。
 耳元で聞こえる、小さな嗚咽。
 『青信号』という仮面の下に隠れた、本当の由乃。
 姉でありながら、妹のような素顔の由乃。
 菜々は、由乃の背中を、慰めるように軽く叩いてやった。


 こうして正式に由乃の妹、つまり黄薔薇のつぼみになった菜々は、時には姉と一緒に暴走し、時には暴走しがちな姉を抑えながら、静寂の白薔薇、中立の紅薔薇と共に、騒動の黄薔薇として、山百合会の一翼を、良い意味でも悪い意味でも担い続けるのだった……。


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