それは小さな事件だった。
1つの行為がもたらしたもの
その行動は他へと波及し
いくつもの結果へ影響を及ぼす
交錯する想い
交錯する行い
人と人とが織り成す行為で
世界はどこに導かれるのか
『真・マリア転生 リリアン黙示録』 【No:2122】から続きます。
ロウの施設の一つが壊滅したとの報を受けて、志摩子は思わず腰を浮かせた。
「志摩子さん」
報告をもたらした乃梨子は慌てて志摩子を抑えた。ついこの間も自分で悪魔を討ちに動いたばかりなのだ。
「とりあえず手近の部隊を向かわせたから。今から志摩子さんが行っても仕方ないし、あまり大将が前線に出るものじゃないでしょう?」
「大将?」
乃梨子の言い様がおかしかったのか、志摩子は少し笑った。それで落ち着きを取り戻したのか、浮かせた腰を椅子に落とす。
「それで、やったのが由乃さんということなのね」
「そのようです」
「やってくれるわね」
ため息をつく志摩子を見て、乃梨子も同じようにやってくれたなと思う。志摩子さんにため息をつかせるなんて、由乃さまも本当にやってくれる。
ふと、志摩子は傍らに寝そべっている猫に視線を向けた。
「ゴロンタ」
ぴくりと反応したゴロンタは、一度まわりを見回して他の人影が無いのを確認すると二本足で立ち上がった。
「様子を見てきてもらえるかしら?」
「承知」
胸に手を当て一礼すると、ゴロンタはトンボを切って後ろの影に頭から飛び込んだ。そのまま影の中にずぶりと沈みこんでいく。
「お願いね」
ケット・シーには影から影へ渡るという特殊能力がある。それは偵察や伝令に便利な能力だった。くわえて普段は普通の猫のフリをしての情報収集。どうやら情報戦に向いている種族らしかった。
「それにしても」
ゴロンタを見送った志摩子はもう一度ため息を付く。
「不便なものね」
「仕方ないよ」
地上におけるロウの勢力の代表格となり、メシア教を導く立場になった志摩子は『メシア』、『神に捧げられし者』などとも呼ばれていた。
志摩子は御輿だ。だから自由に動けない。それは確かに仕方ないことだが。由乃が動いている。志摩子自身がけりをつけねばならないこともある。
「紅茶入れるね」
「そうね。お願い」
乃梨子の言葉に志摩子はふっと笑顔を見せた。
いざとなったら。と志摩子は思う。乃梨子は止めるだろうか。それとも………。
「やはりおかしいですよね」
「何が?」
菜々の突然の言葉に由乃は怪訝そうな顔をして振り返った。
「最初からメシア教徒ならああいう反応でも不思議はありませんが、悪魔からの庇護を願い出ただけの人達があの反応というのはやっぱり変だと思うんですよ」
強制労働をさせられているらしいと聞いて見に行ってみれば、誰もが働かされていることに不満を持つどころか、それこそが喜びなのだなどと言って由乃達を煙たがっていたのだ。
「メシア教徒と一緒にいて染まったんじゃない」
「あそこまで極端に染まるものでしょうか? いえ、そういった人間がいても不思議はありませんが、皆が皆あの反応というのはやはりおかしいですよ」
「何が言いたいのよ」
「例えば洗脳とか」
「………怖いこと言うわね」
由乃は少し考えるそぶりを見せた。
「まあ、理想の為にはどんな犠牲を払ってもかまわないっていうイカレた連中だし、ありえるか」
「……………」
由乃さまが言いますか、と思った菜々だった。
「今何か失礼なこと考えてなかった?」
「いいえ? そんなことはありませんよ」
胡散臭げに見る由乃に、にっこり笑って即答した菜々は話を戻した。
「少し調べてみましょうか」
「なんで?」
「なんでって……」
「メシア教に身を寄せるってのはそういうことでしょ。理想に身を捧げる神の下僕。洗脳なんてどうでもいいことよ」
「でも、知っていたらメシア教には行かない人も多いでしょう」
「殉じる覚悟もなしに身を寄せる方が悪い。第一、メシア教に走った時点で私達にとっては敵だよ」
実は微妙にまだ怒っていたのか、思い出して腹が立ったのか、切り捨てるように言う由乃の言い分には、菜々はあえて触れなかった。
「それはそうなんですが、それによってメシア教は労働力を確保しているわけですから、手を打っておいた方がよいかと」
「ならそういう噂でも流せば? どうせ証拠なんてあっても握りつぶすか、正当化するよ。あの連中は」
「ではそうします」
即答する菜々に、由乃は少し笑顔を見せた。それから今度は少し考える表情になって呟いた。
「けど、本当にそうだとしたら志摩子さんは知ってたのかな」
「メシア教を導く立場の方ですから、知っていて当然ではないですか?」
「私だってガイア教が下の方でどんなことしてるかなんて全然知らないわよ?」
「確かに由乃さまの場合はもう少し知るべきだと思いますが……」
「あなたね」
「ガイア教はメシア教のような組織としてのまとまりがありませんから」
「カオスだものね」
そう言って、由乃は笑った。だからこそ、由乃と菜々はわりと好き勝手に動いていられるのだ。
「ここ、だよね?」
「そのはずですが」
決まった目的の無い祐巳は、瞳子と可南子を連れてあちこち見てまわりながら、いろいろトラブルに首を突っ込む結果になっていた。
悪魔に襲われている人を助けたり、過酷な労働に従事する人々を解放しようとして煙たがられたりと、志摩子や由乃が体験したのと同じような状況にも遭遇していた。
ここへはロウの施設がカオスの襲撃があったらしいと聞いて来たのだが、そこにあるのはひたすら瓦礫の山だった。
「酷いね」
祐巳はうめくように呟いた。
「祐巳さま」
可南子の警戒した声にはっとして見回せば、瓦礫の陰から蝙蝠のような羽を持つ不気味な人型が現れた。人型といっても頭部も肌の色も明らかに人とは異なるもの。
悪魔だ。
続いて姿を現したのは雪だるまだった。
「は?」
手足の生えた雪だるまがのっしのっしと歩いてくる。
「ちょっとかわいかも?」
「悪魔ですよ」
「わかってるってば」
祐巳と瞳子ののんきな会話の間にも、可南子が攻撃を開始していた。
大抵の場合、悪魔は問答無用で襲ってくるから、可南子は真っ先に自分から攻撃を仕掛けるようになっていた。番犬役と言いながら、番よりむしろ先に戦闘を仕掛けていく可南子である。
「か、可南子ちゃん」
祐巳もあわてて後を追うように戦いに参加する。可南子一人を戦わせるわけにはいかないから、やむなくの参戦ではあったが。
可南子にしてみれば、祐巳をなるべく危険な目にあわせたくない一心から自分が一人ででも先に戦って倒してしまえばいいと思っているのだが、結果的に、本来なら回避できたかもしれない戦闘に祐巳を巻き込むことになっていたりすることに、可南子は気付いていなかった。
一方で、瞳子は巻き込まれないかぎりは直接戦わず、見ていて時々口を挟むくらいだった。
瞳子は瞳子で、祐巳に戦いに慣れておいて欲しいという思いがある。それはいずれ必要になることだ。
今回もさがった位置から二人の戦いを見ていた瞳子は、ハンドヘルドコンピュータからデビルアナライズシステムを立ち上げた。堕天使ガギソン、妖精ジャックフロスト、堕天使ウコバク……さらに何体かの悪魔が現れたが、いずれも大したレベルではない。少なくとも、今の祐巳が苦戦するような相手ではないはずだった。スペック的には圧倒してしかるべきはずなのだが、問題は、祐巳自身がそれに気付いていないことだ。だからこんなザコでもいい勝負になってしまう。もういっそ強い相手ぶつけてしまった方がよいのかもしれない。それはそれでいい勝負をしてしまいそうな気がした。
「瞳子ちゃん後ろ!」
突然の叫び声に瞳子ははっとして後を振り返る。考え事をしていたせいか、それに気付くのが遅れた。
半魚人?
見た目はそのままのそれが右腕を振り上げたところだった。だが動き自体は早くない。むしろ緩慢といってよく、充分よけられるタイミングだった。
魚が陸に上がるから。見た目に一瞬固まったものの、瞳子は落ちついてひょいと一歩飛び退いた。
その目の前を、もの凄い勢いで何かが通り過ぎた。
「え?」
祐巳だった。
戦いについては相変わらずのド素人の祐巳は、突っ込んできた勢いをそのままにその悪魔に体当たりをかけた。見事なぶちかましに地面に叩きつけられ、もんどりうって転がる半魚人。祐巳もそのまま顔から地面に突っ込んだのはご愛嬌だ。
と、やにわにがばっと両手をついて顔上げた祐巳がその顔を瞳子に向けた。
「瞳子ちゃん、大丈夫?」
「え、ええ、私はなんともありませんが」
祐巳さまの方が余程ひどい有様です。と言うのはさすがに酷に思えた。
「よかったあ」
ほっとした表情の祐巳に近づきながら、瞳子は表情を引き締める。
「祐巳さま、まだです」
「え?」
いつの間にか瞳子の手には拳銃が握られていた。それを両手でしっかりとホールドして2度トリガーを引き絞る。
祐巳が突き飛ばした悪魔は、それだけで倒されたわけではもちろんなく、立ち上がりかけていたところに銃撃を浴びてのたうった。
「と、瞳子ちゃん? それって何?」
「ベレッタM92Fです。ちなみにあの半魚人は妖鬼アズミですね」
「そうじゃなくて、なんでそんなもの持ってるの?」
「護身用にですが?」
当たり前のようにいわれて祐巳は絶句した。お嬢様ってそういうものなの?
あわてて近づいてきた可南子が、祐巳の代わりにというわけでもないのだろうが瞳子にかみついた。
「そんなものがあるなら何故さっさと使わないのよ!」
「あまり得意ではありませんので。距離が開いたり相手が動いていたら当たりませんし、間違って味方に当たったら大変でしょう」
「それは……」
「……使えないわね」
思わず射線から大きく横にずれる祐巳と毒づく可南子。
「だからあまり使いたくないのです。どうせ悪魔に銃は効きにくいですし」
そう言うと、今度は続けて3発撃った。そのうちの1発が外れて地面を抉る。これだけ撃ち込まれてもまだその悪魔は立ち上がろうとしていた。
「祐巳さま、早くトドメを。倒すまで気を抜かないようにといつも言っているでしょう」
「うぇ、はい」
祐巳が手にした鉄パイプを握り直してフルスウィングした。
ちなみに、可南子は悪魔が落とした剣を使っていたが、いまだに祐巳が鉄パイプ装備なのは祐巳に刃物を持たせるのがなんとなく不安だったからだ。その点については、めずらしく瞳子と可南子の意見は一致していた。
「拳銃より鉄パイプの方が効くって、なんか変な感じだよね」
「理由はわかりませんが、そういうものだと納得してください。悪魔との戦いに剣が主体なのはその為です。種族にもよるようですし、ザコにはそれなりに有効ではありますけれども」
そこで瞳子は苦笑する。
「先程も言いましたが、私はあまり使う気はありません」
「まあ、使わなくて正解ね」
「うん、そうかも」
可南子の言葉に、祐巳は深く頷いていた。
「優お兄さまはお上手なんですけどね」
「え、柏木さんが?」
それは、ちょっと意外だった。
「荒事には無縁そうに見えるけど」
「荒事というか、銃に関しては技術の問題だと思いますけど、優お兄さま、お強いですよ」
「ええ!? そうなの?」
それは、かなり意外だった。
「ええ。そういえば、柏木の家には鬼の血が流れているという言い伝えがあるんです」
「おにって、あの鬼?」
「……どの鬼だかわかりませんが、旧家にはよくある話ですよ。貴族とか将軍家の傍系とか」
「鬼と貴族って全然違うんじゃ……」
「ようするに、自分達は普通ではない、特別な存在なんだと言いたいんでしょう?」
横から口を挟んできた可南子に、瞳子は一瞬だけ視線を向けると、特に否定もせずに頷いた。
「ええ、そういうことでしょうね。バカバカしいと思っていましたけど、こういう状況になってみると、ひょっとしたらと思わないこともないですね」
「えええ? まさかぁ」
「さあ、どうでしょうね」
そう言って、瞳子は笑った。
「可南子ちゃんはどう思う?」
「さあ、どうでしょうね」
「ええええ」
あいかわらずのんきな3人だった。