【2173】 譲れないものひとり  (まつのめ 2007-02-27 23:21:55)


【No:2162】【No:2165】【No:2168】『後味の悪さ』MAXです。暴力的表現こそありませんが覚悟が出来た方のみお読みください。






 間取りを広く取られた玄関から入り、乃梨子はぴかぴかに磨かれた廊下を歩いていた。
 前を歩く志摩子さんが言った。
「ごめんなさいね。家の者は立て込んでいて、お客様のお相手ができなくて」
 玄関からここまで志摩子さん以外の人は見かけていなかった。 
 乃梨子はただ黙って、志摩子さんの後を歩いていた。
 やがて、乃梨子は広い客間に通され、すすめられるがまま上座に座った。
 志摩子さんは座卓を挟んで反対側に相対して座った。
 部屋には二人きり。辺りは静まり返り、鳥の囀りさえ聞こえない。

 この数日間、実に色々なことがあって、志摩子さんに会うのは久しぶりのように思えた。
 正直、こんな風にすんなり志摩子さんに会えるとは思っていなかったのだ。
 乃梨子は改めて志摩子さんをよく観察した。
 志摩子さんの着物と髪が少しだけ乱れている。
 その乱れが、ピンと背筋の伸びた綺麗な姿勢と対称的で、乃梨子はどこか違和感を感じた。
「志摩子さん……その……」
「はい」
 志摩子さんは静かに返事をした。
(……話をしなければ。早く終わらせるんだ)
 そんな想いに突き動かされて、乃梨子は話を切り出した。
「志摩子さんは知ってるんだよね? 私が御祓いの日にあの神社の祭具殿に入ったって」
 少し間を空けて、志摩子さんは言った。
「……知ってるわ」
「その、……ごめんなさい!」
 そう言いながら頭をうな垂れて、土下座できるまで膝で後退して、頭を床につけた。
「知らなかったんです。あそこが入っちゃいけない場所だったなんて。あれから何日も経っちゃって、今更だけど、謝ります。本当にごめんなさい!」
「……」
 言い終わっても、志摩子さんは何も言わなかった。
 しばらく待って、返事が無いので乃梨子は恐る恐る頭を上げた。
「志摩子さん?」
 乃梨子が顔を上げると志摩子さんは言った。
「乃梨子」
「は、はいっ」
「あなたが悪いと思って謝ったのならそれで良いわ」
「え?」
「乃梨子は別に悪いことしていないもの」
「していないって……?」
 その時、乃梨子は志摩子さんに奇妙な違和感を感じていた。
 なんというか、『柔らかさ』が無いというか、まるで上辺だけで話しているような掴みどころの無さというか。
「祭具殿のことは気にしなくていいのよ。確かに入ってはいけない所だったけれど、それは古いしきたりが在るからなの。別に中に見られて困るものがあるわけじゃないから……」
 覇気の無い、志摩子さんの話し方を聞きながら、乃梨子は気づいた。
「志摩子さん」
「なあに?」
「どうしてさっきから私の目を見ないの?」
 最初はちゃんとまっすぐ乃梨子の目を見ていた。
 でも乃梨子が土下座して顔を上げてから志摩子は乃梨子の目を見ず、座卓の上に視線を向けていたのだ。
「……そんなことは無いわよ?」
 そういって乃梨子の方を見る志摩子さんだけど、その視線は落ち着かなかった。
 乃梨子は、そんな志摩子さんを見たくなくて自ら視線を逸らして俯いた。
「菜々ちゃんが居なくなった日、」
 俯いたまま、乃梨子は話を続けた。
「志摩子さん菜々ちゃんに会ってるよね?」
 志摩子さんは少し間を置いて返事をした。
「ええ。夜遅く訪ねて来たわ」
「何をしに?」
「……忘れ物を取りに来たの。翌日までにどうしても必要なものだからって」
「お祭りの日の?」
「ええ、課題のノートよ」
「課題の? 何日も経ってるのに?」
「忘れていたんですって。提出前になってやっと思い出したそうよ」
 それは本当なのかも知れない。祐巳さまの推理とも合致するし。
 でも。
「でも、その後何処かに出かけたよね」
 乃梨子は上目遣いに様子を伺いながらそういった。
 その時、志摩子さんは驚いたように目を見開いたのだ。
「夜中なのに、たった二人きりで」
「……」
 志摩子さんが緊張するのが判った。
 
 でも、やがて「ふぅ」と力を抜き、言った。
「そこまで知っていたのね」
「志摩子さんが直接手を掛けるなんて……」
「乃梨子はもう知っているのね。私が藤堂の本家を取り仕切っているって」
「うん。話は聞いた」
「そう……」
 重々しく、応接室に沈黙が流れる。
「……どうして?」
 乃梨子がそう聞くと志摩子さんは
「確かに、藤堂本家は今まで人道に反したことをやって来たわ」
「その本家を志摩子さんは継いだんでしょ?」
「ええ」
 そう言って、また志摩子さんは黙った。
(志摩子さんはキリストの教えに傾倒していたんじゃないの?)
 どうして、そんな家の跡を継いだのか?
 乃梨子は志摩子に裏切られた気持ちで一杯だった。
「でも、乃梨子。これは信じて」
「なに?」
「江利子さまや山辺さん、それから蓉子さまのことは知らないのよ。藤堂家は関わっていない」
 何を言うかと思えば。
「……言い訳に聞こえるかも知れないけど菜々ちゃんだって今何処にいるか判らないのよ」
 乃梨子なら騙せるとでも?
 本家に関わりすぎて志摩子さんは頭が悪くなってしまったのだろうか?
 それとも、ここで『何か』をされたから? まさか薬?
 そう思うと、さっきからおどおとしている志摩子さんがますます遠く見えてくる。
「……どうして、そんな嘘をつくの?」
「嘘じゃないわ。信じて」
 いまさら、そんなこと信じろなんて言われても。
 どうしてこんなになっちゃったんだろう。
 こんなの志摩子さんじゃないよ……。
「……志摩子さんはもうここを離れられないの?」
「それは無理よ」
「どうしても?」
「ええ」
 弱々しくはあるけど、志摩子さんは、それだけはきっぱり言い切った。
 どんな理由で嘘を言うのか判らないけど、本家の人間で居つづけることは志摩子さんの意思に思えた。
 乃梨子は無意識に、ロザリオを握り締めていた。
「もう、終わりにしよう」
「乃梨子?」
「これ、返します」
 俯いたまま、ロザリオを外し、それを座卓の上に置いた。
「私、志摩子さんには正直に話して欲しかった……」
 そう言って乃梨子はまた俯き、制服のスカートに覆われた自分の膝を見つめた。
 志摩子さんが座を立つ気配がした。
 話は終わった。
 志摩子さんに会って話が出来て、こんな結果になって。
 もう、生きてここを出られないとか、そんなことはどうでも良くなった。


 乃梨子は客間で座ったままずっと俯いていた。
 涙も出ない。
 何で自分は存在しているのだろうって思った。
 自分の存在を跡形もなく消してしまいたいって思った。
 でも、乃梨子はここに居る。
 ここに居るだけで、何の気力も沸かない。
 顔を上げることも、立ち上がることも、鞄を取って中の物で自分の命を絶つことばかりか、志摩子さんを脅して無理やり連れ帰ることさえも。
 何もかもする気になれなかった。

「……本当なの?」
「はい、どういう訳か外の連中が邪魔をしていまして、まだ二人しか……」
「私服じゃなかったの?」
 なにやら緊迫したやり取りが聞こえてきた。
 志摩子さんの声も、さっきと違って、張りがある。
 ゆっくりと顔を上げると、話している相手は見えないが廊下の所に志摩子さんの和服と髪の毛が見えた。
「……対応はしてる?」
「何とか引き伸ばしてますが、時間の問題です」
「判ったわ。紳士的に対応して。変に妨害するとそれを理由に突入されるから。準備は大丈夫?」
「それは、前々からしてますので問題ないかと」
「幹部は中に何人?」
「葛西を含めて五人かと」
「葛西は出せない。立会いは四人。捜索はその四人の目の届く所って交渉。すぐ行って!」
「はい」
「あ、待って、若い衆にはくれぐれも手を出すなって徹底して」
「承知しました」
 よくわからないが、何か起こっているようだ。
 それに志摩子さんの毅然とした対応。
 話に聞いていたけれど、本当に本家のトップなんだって思って、嫌になった。
 と同時に、そんなことを考える気力が残っていた自分に驚いた。
「乃梨子」
「……はい?」
 話が終わって志摩子さんは廊下から乃梨子に向かって言った。
「そのロザリオは保留にしてもらえる? ちょっと立て込んでしまったから」
 さっきまでの志摩子さんと全然違ってた。
 これが、志摩子さんの『頭首としての顔』なのだろうか。
「あなたも巻き込まれるといけないから、一緒に来て」
「うん……」
 乃梨子を始末するの?
 でも、どこか遠いところで起こっていることのようで、全然実感が無かった。
 乃梨子は殆ど事務的に座卓の上に置いたロザリオを取ってポケットに仕舞い、志摩子さんに付いていった。
 でも。
(……違う)
 身体から浮遊した意識が乃梨子と一緒に歩く志摩子さんを観察していた。
 和服を着て、ふわふわの巻き毛で、西洋人形のような容姿。
 でも歩き方が違う。立ち振る舞いが違う。
(これは志摩子さんじゃない)
「……誰」
 口をついて言葉が漏れ出した。
「なに?」
 『その志摩子さん』は立ち止まらずに返事をした。
「あなたは志摩子さんじゃない」
 そういうと、『それ』は平然と言った。
「……あら? 判っちゃった?」
 ……誰だ、こいつは?
 さっきまでは様子が変でも『まだ志摩子さんだった』。
 少なくとも乃梨子がロザリオを差し出す前までは。
 浮遊していた意識が急激に体に戻ってきた。
 乃梨子はそいつに向かって言った。
「おまえが志摩子さんをこんなにしたのか!」
「こんな? どんなよ?」
「私にあんな嘘をつくような……あんな風にっ……!」
「……」
 乃梨子を観察するような視線。
 志摩子さんでも朝姫さんでもない誰かがそこに居た。
「……ここで立ち話してたら不味いわ。来て」
 そう言って、『そいつ』は壁の一部に見える細い隠し扉を開いた。
「おまえは誰だ! 志摩子さんを何処へやった!」
「早くして! 警察が来るわ。志摩子なら『ここ』に居る」
 『ここ』に?
 どういうこと?


 体を横にしないと入れないような、細い階段を降りて乃梨子は地下室のような場所に案内された。
 そこは畳敷きの結構広い部屋で、床の間があるのに、なぜか大型のテレビやゲーム機、漫画や週刊誌、そしてお菓子袋まで散らばっていた。
(誰かを軟禁していたの?)
 それはついさっきまで誰かがいたような有様だった。
(まさか、菜々ちゃん!?)
 部屋の隅には背広を着て、室内だというのにサングラスを掛けた長身の大男が携帯電話で何か話していた。
 男はがっちりした体格で口髭を生やし、いかにも『その道の人』という雰囲気だった。
「葛西」
 長身の男のことを、志摩子さんの姿をしたそいつはそう呼んだ。
「『お嬢』は先に逃がしました」
 男は低い声でそう言った。応接室の前で聞いたのとは違う声だった。
「そう。容疑は聞いた?」
「誘拐です。容疑者は実行犯複数。不特定です」
 見た目と違って話し方はとても丁寧だ。
「じゃあ、私が引っ張られるわけね」
「まさか。させません。あなたは無関係です」
「私は構わないわ。時間は稼げるでしょう?」
 男はやれやれという表情をして言った。
「あなたという人は。うちの若いもんに見習わせたいですよ」
 そんな会話を乃梨子の目の前でした。
 全然話が見えなかった。
「……説明して。どういうことなの?」
 志摩子さんの顔をして『そいつ』は乃梨子に言った。
「乃梨子ちゃん。今は説明している暇は無いの。あなたは葛西と一緒にここから脱出してもらいます」
「嫌だ!」
「どうして?」
「志摩子さんを返して!」

 そう。思い出した。乃梨子は志摩子さんに会いにきたのだ。
 嘘つきじゃない、偽者なんかじゃない、親友で姉で、乃梨子が一番大好きな志摩子さんに、ただ会いたかったのだ。
 涙があふれてきた。
「あなたが誰だかなんてもうどうでもいい。 志摩子さんを返して! 志摩子さんに会わせて!」

 そう叫んだ直後、乃梨子は志摩子さんと同じ匂いに包まれた。
「……乃梨子」
 彼女が抱きしめたのだ。
「辛かったでしょう?」
 乃梨子の背中を抱き、頭を撫でながら、彼女は優しい声でそう言った。
(……志摩子さんなの?)
「……もう、大丈夫だから。心配しなくていいから」
「志摩子さん、志摩子さん……」
 額を彼女の肩に押し付けながら、乃梨子はその名を呼び続けた。


「葛西、乃梨子ちゃんをお願い」
「お任せください」
 乃梨子は判らなくなっていた。
 この人は志摩子さんなのか、志摩子さんの体に宿った別の人格なのか、それとも志摩子さんは他に居るのか。
「あ、あの!」
「なあに?」
「その、また会えますよね?」
 そういうと彼女は『にぱっ』と今までで一番『良い笑顔』を見せて親指を立てた。
「私も志摩子も大丈夫さっ! ノリっちは心配しないっ!」
(やめてー)
 志摩子さんの姿でそう言われて、眩暈がした。
「では。姉(あね)さんもご無事で!」
「グッドラック!」
 その『姉さん』に見送られて、地下室の奥にある隠し扉から更に地下道に降りた。
 そして、葛西と呼ばれた男の人の掲げる懐中電灯を頼りにそこを歩いていった。
 地下道は下がむき出しの地面であまり平坦ではなかった。
 しばらく無言で歩いていた男の人が言った。
「……姉さんは容疑者じゃありません。事情聴取はされても逮捕は無いでしょう」
「……?」
 顔を上げて頭二つ分くらい上にあるその横顔を見上げたけど、ただ前を向いて歩いているだけでサングラスの奥の表情は判らなかった。
 でも、どうやら乃梨子を安心させる為に言ってくれたことだけは判った。
 また暫く黙々と歩き続けたが、乃梨子は思い切って聞いてみた。
「……あの、聞いていいですか?」
「話せることと話せないことがありますがそれで良ろしければ」
 聞いてみたのは恐る恐るだったが、男はとても丁寧で紳士的だった。
「『姉さん』って何者ですか? 志摩子さんじゃ無いんですか?」
「それは私よりもお嬢ちゃんの方が良くご存知の筈です」
 よく判らない。
「……それしか教えてくれないんですか」
「はい。私が姉さんに叱られてしまいます。ここを出てから『お嬢』に聞いてください」
「え? お嬢って?」
「……着きました」


 そこは地下道の行き止まりだった。行き止まりは来た反対側と同じ隠し扉になっていた。
 扉を出ると、ちょっと先に外の光が見えた。
「こんな所に繋がってるんだ」
「ここは抜け道の一つです」
 そこには木々が生い茂った斜面で、山腹の自然の洞穴のようだった。
 洞穴から出てすぐの所に誰か人が居た。
 和服を着た女の人。
 ……いや、
「お嬢」
 『お嬢』と呼ばれた彼女は顔を上げた。
「葛西さん」
「お待たせしてすみません。『姉さん』は残りました」
「そう……」
 そして、彼女は乃梨子の方へ目を向けた。
「……乃梨子」
「志摩子さん……」
 ゆっくりと頷く彼女は髪が乱れ、着ている着物も土で汚れていた。
 でも志摩子さんだった。
「葛西さん、乃梨子と二人きりで話がしたいの」
「判りました。が、あまり時間を取れません。連絡が取れるところに行きませんと」
「五分で良いわ」
「判りました」
 葛西さんは洞窟の中に戻っていった。

「あの、志摩子さん? だよね?」
「ええ」
「なんで?」
「……ごめんなさい」
 まただ。『この』志摩子さんも、そんな顔をする。
「謝って欲しくない」
「ううん、私は乃梨子を追い詰めてしまった。私が悪いのよ。私の責任なの、私が……」
 志摩子さんの顔が悲痛に歪む。
「志摩子さん!!」
「……ごめんなさい」
 乃梨子は志摩子さんの肩を掴んで言った。
「どうしてなの? なんで謝るの? 私わからないよ! 志摩子さんなんでしょ? 本物の志摩子さんならそんな顔しないでよ!」
「……」
 俯いたまま、志摩子さんは返事をしてくれなかった。
「ねえ、志摩子さん。私、志摩子さんを責めに来たんじゃ無いんだよ。本当のことを知りたかったから。志摩子さんがどうなっちゃてるのか知りたかったから」
「……して」
「え?」
「どうして?」
「どうしてって?」
「身の危険があるかもしれないのに」
「そんなの関係ないよ」
「私が乃梨子に危害を加えるって思わなかったの?」
「それは……」
 そう思ってた。まだ信用しきれない要素はある。蓉子さまや菜々ちゃん、そして江利子さま……。
「そうよね。そういう風に追い詰めてしまったのは私なのだから……」
「でも! 違ったんでしょ? 私は何もされなかった。警察が来たら私をここまで逃がしてくれた! 何か事情があるんでしょ? 話してよ、それを私に教えてよ!」
 志摩子さんは俯いたまま顔を横に振った。
「志摩子さん!」
「嬢ちゃん、そのくらいにしてやってくれませんか?」
 葛西さんが戻ってきていた。
 もう5分経ったらしい。

 志摩子さんとの話は中断して、山を降りることになった。
「ここは手入れがなされていないので移動に時間が掛かります」
 辺りは鬱蒼と茂った森林で、洞穴の周りの岩が露出した狭い空間以外は、蔦やら枝やら倒木やらに阻まれて道らしきものが見えなった。
「何か切り払う道具があれば良いのですが、生憎なにも……」
「あ、あります!」
 乃梨子はここまで抱えてきた鞄のロックを解いて蓋を開けた。
「これは?」
 サングラスで表情は判らないが、乃梨子の鞄の中を見た葛西さんがそう聞いた。
「み、見ての通りですけど……」
 志摩子さんがまた悲しそうな顔をした。
 葛西さんも、こんなものを隠し持って、何をしに来たと思ったであろう。
 でもこう言われた。
「……流石、お嬢の見込んだお方だ。単身で乗り込んでくるだけでも肝の据わった良い娘さんだと皆で話していたのに、これ程とは」
「あ、あの?」
 これ程って?
 葛西さんは折り畳まれた鉈を広げ、刃を確認するように目の高さに掲げて言った。
「藤堂本家に乗り込むならこれくらい用意しませんと」
 あろう事か、感心されてしまった。
「いやはや、将来が楽しみですな」
 というか気に入られてしまったようだ。

 葛西さんが前を歩き、鉈を振り回して道を切り開いていった。
「志摩子さん」
「……」
 乃梨子は志摩子さんとしっかり手を繋ぎ、葛西さんが切り開く道を歩いていった。
 志摩子さんは俯いたままだったけど、手だけは握り返してくれていた。
「よっ! はっ!」
 でも、両手で鉈を持ち、ブンと空気を切る音を響かせて鉈を振るう葛西さんはどこか楽しげで、乃梨子は引き気味だった。


 森を抜けると車が通れる程の山道に出た。でも道は両側森でまだ山の中だった。
 葛西さんは森を抜けたところ鉈を乃梨子返してくれた。もういらないのに、とも思ったが、学校の備品なので元通り鞄の中に収めた。
「志摩子さん、大丈夫? 疲れてない?」
「……ええ」
 元気が無い志摩子さんだけど、足取りはしっかりしていた。
 道に出てから、葛西さんは携帯電話を取り出して何処かに電話をした。
「もしもし……葛西です。……はい、はい。……ええ!?」
 どうやら、電話が通じないのはあの洞穴の周辺だけのようだった。おそらく山の影になっているとかであろう。
 電話を終えて、葛西さんは志摩子さんに言った。
「お嬢、捜索は中止されたそうです」
「中止?」
「はい、捜索が始まる前に本署から連絡があったようで、お客さんは敷居を跨がず終いだそうです」
「そうだったの……」
 なにやら目まぐるしい展開だったけど、情報を整理すると、さっき警察が誘拐の容疑で藤堂本家に強制捜索に来て、今、それが急に中止になったってことらしい。
「ただ、ちょっと良くないことも判りました」
「良くないことって?」
「数日前から本家の前に張ってた連中、ありゃ、小笠原です」
「小笠原?」
 小笠原って言ったら祥子さまの?
 前に張っていたというのは、来る時に見た、表に停まってた黒塗りの車?
「はい、捜索の中止は小笠原融の仕業のようです」
「……もしかして、祥子さまのお父様?」
 思わず乃梨子はそう口を挟んだ。
「ええ、そうよ」
「おや、小笠原の一人娘をご存知で?」
「ええ、乃梨子も私も学校ではとてもお世話になってます」
「そうでしたか……しかし今回の件で藤堂本家は小笠原に大きな借りが出来てしまいました。今までは藤堂は裏の世界、小笠原は表の世界と住み分けて互いに干渉しないのが暗黙の了解でしたが、これからはそうも言ってられなくなります」
「ええと、そんなに大きな借りなんですか?」
 何も知らない乃梨子は思わずまた聞いてしまった。
「それはそうです。今まで一度たりとも権力の介入を許さなかった藤堂本家の始まって以来の危機ですから」
「ええと、誰かが捕まって『お勤め』してきて『ご苦労さん』って話じゃないんですか?」
 詳しいわけではないが、そっちの世界ではそういうものだという話をよく聞く。
「いいえ、今回警察は本家潰しを目論んでいました。捜査員の数が半端じゃない。おそらく今回を切欠に世論を誘導して、なし崩しに幹部から頭首まで全員逮捕を狙っていたのでしょう。連中はその辺のヤクザよりたちが悪いんですよ」
「そんなに……」
 なんか凄まじい世界だ。
「今回で小笠原は貸しを作っただけでなく、さじ加減一つでいつでも藤堂を潰せることえを明示してきました」
「じゃあ、事あるごとに干渉してくる?」
「これからはやりにくくなります……」
 そこで、志摩子さんが割り込んで言った。
「葛西さん止めてください。乃梨子もこれ以上藤堂に関わらないで」
「志摩子さん……」
「いや、すみません。出すぎた真似をしました」
 屈強な大の男が志摩子さんにぺこぺこしている。
 この男の話を聞いて、なんとなく志摩子さんの背負っているものの大きさが見えた気がした。
 志摩子さんは言った。
「迎えは?」
「向かっているそうです」
「そう……」
 まだ時間はありそうだ。
 乃梨子は言った。
「志摩子さん」
「はい」
「まだ、答えを聞いていないよ?」
「そうだったわね……」
 また、志摩子さんは悲しそうな辛そうな顔をした。
 でも聞かないわけにはいかなかった。ここで聞かなければ先に進めない。
 志摩子さんに辿りつけない。志摩子さんはここに居るのに、そんな気がしていた。
「……江利子さんと山辺さんを殺したの? 蓉子さま何処かに隠したのは? 菜々ちゃんは?」
 志摩子さんは俯き、黙って首を横に振った。
「じゃあ誰が!」
 ここで葛西さんが口を挟んだ。
「お嬢、これは私の考えですが……」
「葛西さん、それは言わないで」
 志摩子さんは強い口調で制止した。
「はい、じゃあお嬢も、そう思ってるんですね」
「葛西さん!」
「いや、失礼しました」
「なに?」
 乃梨子には話が見えない。
「乃梨子は知らなくても良い事よ」
「どうして! なんで志摩子さんは私に隠し事をするの?」
 志摩子さんは辛そうな顔をした。
 でも言ってくれなきゃ判らないよ。
「私、志摩子さんと親友だよね? 姉妹(スール)だよね?」
 志摩子さんから返事は無かった。
 そんな泣きそうな顔をしているのになんで?
「隠し事なんてよそうよ。私のこともっと信用してよ!」
「……親友だから。私は乃梨子の姉だからよ」
「判らないよ。私、志摩子さんがわからない!!」
 やっぱり、もう駄目なの?
 乃梨子は走り出した。


 誰も居ない、全然車も通らなかった道だったけど、乃梨子の走る前方からに濃いグレーの車がやってきて、乃梨子のすぐ側で停まった。
 乃梨子は車の横を駆け抜けようとして、
「乃梨子ちゃん」
 車の中から声をかけられ立ち止まった。
「聖さま……」
 聖さまは乃梨子の泣き顔を見て言った。 
「伝言は、伝えられなかったみたいね」
「……直接伝えてください。すぐそこに居ますから」
「乗って」
「……はい」
 スモークがかかってよく見えなかったが車には聖さまの他にも人が乗っていた。
 後部座席は満員のようなので、乃梨子は聖さまの車の助手席に乗り込んだ。
 興味も無かったので、乃梨子は後ろの人物には注意を払わなかった。
 何もかもが嫌になった。
 このまま消えてなくなりたい。そんな気持ちがまた沸き起こっていた。
「志摩子に何か言わなくて良いの?」
 志摩子さんは道の向こうでこちらを見つめていた。
「聖さまは伝言がありますよね」
「私は良いわ」
 そして、車が徐行して、葛西さんと志摩子さんの前を通過する時、志摩子さんは聖さまに向かって深々と頭を下げていた。





   † † †





 一日目、某年、御払いの法要の日。
 鳥居江利子・山辺氏

 二日目、法要の翌日、時刻不明。
 藤沢朝姫

 同日、夜。
 水野蓉子

 三日目、同じく夜。
 有馬菜々
 
 五日目、正午過ぎ。
 二条乃梨子
 










(乃梨子編 完)


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