【2192】 私達なにかが変わってゆく  (雪国カノ 2007-03-14 14:50:42)


 
『マリア様もお断り!?』シリーズ

これは[思春期未満お断り・完結編]とのクロスオーバーです。

多分に女の子同士の恋愛要素を含みますので、苦手だという方は回避して下さい。

【No:1923】→【No:1935】→【No:1946】→【No:1969】→【No:1985】→これ




しとしとと…控えめに降る雨の中、志摩子は夢中で走り続けていた。

ここがどこか、とか。誰かに見られるかもしれない、とか。そんなことはどうでも良かった。

(悔しい…悔しい………悔しいっ!!)

細かい霧雨は一瞬で志摩子をずぶ濡れにすることはなかったが、それでもすぐに髪が、制服が雨を吸って重くなってくる。

(だって…仕方ないじゃない!あの人は祐巳のことを私よりも…ずっと前から知ってるっ)

祐麒からシンディの話を聞かされた時、どす黒い感情が渦を巻いた。志摩子はそれが何なのか知っている。

(この一ヶ月だってあの人は……それなのに私はっ!…あの人の知ってる祐巳を…私は知らない……っ)

それは『嫉妬』。祥子にも瞳子にも、祐麒にすら抱いた醜い感情。

「…はぁっ……はっ………あっ!!」



――バシャッッ!!



「…つぅ……っ」

泥濘に足を取られて地面に大きく投げ出された。その際、足を挫いたようで立とうとすると右足に激痛が走る。

痛みはあるが立てないほどではないと志摩子は判断した。

(…暫く冷やしていれば大丈夫そうね)

蹲って小さく溜息をついた。何か捕まる物を…と思い辺りを見回していると。

「……志摩子っ!?」

志摩子を追いかけてきたのか、少し離れた場所にいる祐巳の悲鳴に近い声が聞こえた。

(傘もささずに…追いかけてきてくれたの?)

祐巳もこの雨の中を走ってきたのか、全身濡れていて二つに結わえた髪からは雫が滴っていた。

「…右足?捻ったの?…大丈夫?」
「…大丈夫。平気よ、これくらい……っ…きゃぁっ!」
「志摩子!?」

祐巳の手を借りて立ち上がった志摩子はそのまま歩こうとしたが、また、今度は小さく痛みが走りバランスを崩した。

幸い祐巳が抱き留めてくれたので大事には至らなかった。

「ばかっ!捻挫を甘く見ないの!…もしアキレス腱とかに何かあったらどうするの!?」

温厚な祐巳が珍しく声を荒げて怒鳴った。

祐巳は志摩子の制服に軽くついていた泥を払って――芝生の上で転んしまったのだ――から徐にしゃがみ込んだ。

「ほら、乗って」
「え?」
「おんぶ。無理するのは良くないから」
「で、でも…」
「保健室、行こう?ね?」

渋る志摩子に祐巳は穏やかな笑みを見せた。優しいその笑顔に、志摩子は頷いておずおずと祐巳の首に腕を回す。

「立つよ?ちゃんと捕まっててね」

『よっ』という掛け声と共に立ち上がって、志摩子を抱え直す。

「大丈夫?落ちそうじゃない?」
「ええ」

(祐巳…あったかい)

祐巳の背中は志摩子と同じくらいのはずなのに、なぜかとても大きくて、そして温かかった。

(この温もりを…誰よりも…私が一番知ってるのにね…)

「…ごめんなさい」
「へ?」
「たった一ヶ月すれ違っていただけなのに…何だか不安になってしまって…ばかよね」
「志摩子…」

祐巳が歩く度に伝わってくる振動が心地いい。

志摩子は祐巳の声を聞いていたくて、どうでもいい――本当は良くないが――ことを聞いていた。

「あの…今更だけど、重く…ないかしら?」
「ううん、全然。それどころか…背中の辺りがふかふかで気持ちいいよん」
「…っ……ばか!」

(もうっ!祐巳ったら…本当にお姉さまそっくりになってきたんだからっ)

志摩子は最初こそ悪態をついていたものの、すぐに一緒になって笑っていた。


***


ほどなくして渡り廊下が見えてきた。

どうやら志摩子は知らないうちに体育館の近くまで来ていたらしい。

「し…」
「ねぇ、見て。体育館、卒業式の用意も完全に整ってるわね」
「え?あ…うん。そうだね」

渡り廊下に上がったところで祐巳が話しかけようとしたのだが、そのことには気付かず志摩子は続けた。

「春から…春からはリリアン女子大なのよね…」

(そうよ。シスターになることは忘れなくては…私は…リリアンに進むのだから)

「…私ね、大学でも皆と一緒に過ごせるのがすごく楽しみなの」

祐巳は何も言わずに志摩子の話に耳を傾けている。

「高等部にいた頃と変わらずに皆でお弁当を食べたり遊びに出掛けたり……もちろん祐巳とずっと一緒にいられることが一番の楽しみよ」

シスターになることを忘れ『大学』というそう遠くない未来に思いを馳せるその一方で。

もし、大学での四年が経って…忘れるどころか、シスターになりたいという気持ちの方が強くなっていたら…自分はどうなるのだろうか。祐巳ではなく、シスターになることを選ぶのだろうか。

それはあまりにも自分本位な考えではないだろうか。

「…志摩子は」
「え?」

今まで黙っていた祐巳が唐突に話しだした。

「志摩子はいつも、何にでも真剣で、辛いことでも全部受け入れてしまえるくらい靭(つよ)い。だから…好きになったの」
「祐巳?」

突然何を言い出すのか…志摩子からは前を向いている祐巳の表情は見えない。

「ううん。きっと、初めて会った時から私は志摩子に恋してたんだ。…本当にマリア様みたいに綺麗だったから。だからシスターになりたいって聞いたとき、志摩子にぴったりだなって思ったの」

祐巳の言葉に頬が熱くなる。鼓動も早くなっていく。

「…志摩子が好き」

(祐巳っ…)

「私も!好きよ…祐巳」

志摩子は堪らなくなって降ろしてほしいとせがんだ。元々軽く捻っただけなので自分で歩くこともできる。

どうしても祐巳の顔が見たかったのだ。

「好き」
「…志摩子」

二人は静かに口付けを交わした。

「…あのね。実は志摩子に受け取ってほしいものがあるの」
「なぁに?」
「ちょっとここで待ってて。鞄の中に…」



「アレならココにあるワっ」










突如、響いた声に振り返ると、そこにはシンディが立っていた。その手には何か小さな箱を持っている。

「シ、シンディ…いつの間に……あっ!返してっ!!」
「イヤ!!」

シンディが手に持っていた箱を祐巳は取り返そうとする――あの小箱は祐巳の物らしい――が、一瞬早くシンディが身を躱した。

「コレを貰える権利は私にダッテ50:50(フィフティ・フィフティ)あるのヨ!…そのシマコさんの返事次第だケド」

祐巳と志摩子、交互に見て最後にもう一度志摩子を見る。

(…?……何?)

シンディは厳しい表情をして志摩子の前に立った。

「ユミが言いヅラそーダカラ私が代わりに言ってアゲル!……イイ?卒業式ガ終わっタラ、ユミはまたカナダへ行くノヨっ!ソレデ、もう二度と…日本ニハ戻って来ないノ」

(戻って…来な…い?)

志摩子は呆然と祐巳を見る。逆に祐巳は俯いて視線を合わせようとしない。

「祐巳…ど…ういうこと…なの?」
「私のパパ…ジョン・ライアンとこういう約束ナノヨ」
「あなたには聞いていませんっ!!」

志摩子の絶叫ががらんとした渡り廊下に木霊する。

「志摩子」

祐巳は漸く顔を上げた。眉根を寄せて奥歯をぐっと噛み締めているのか、シンディが祐巳を迎えに来たあの日以上に苦しそうな顔をしている。

「…私ね。リリアンには進まないんだ」
「!?」

志摩子の目をしっかりと見据えて祐巳は話しだした。

「カナダで一年間勉強して向こうの大学に入って…その後、ジョンの跡を継ぐの。これが私の決まった進路…」
「あ、跡って?…何、それ…」

話についていけない。どうして祐巳がシンディの父親の跡を継ぐのか。なぜカナダへ行かなければならないのか。志摩子には理解できない。

「夏休みに…私、カナダへ行ったよね?あれはね、去年の春頃にジョンが仕事で成功したお祝いだったの。あの時には、もうジョンは世間からも認められていて、会社も軌道に乗って大きくなる一方でね」

膝が震える。気を抜けばその場に崩れ落ちてしまいそうだ。

「重役とかと、会議とか話し合いとか色々あって。それで…それで先月、私がジョンの後継者に指名されたの」
「ソウ…つまりユミは次期社長ナノ!輝かしい未来ってやつネ」

シンディが祐巳の言葉を引き継いでそう言った。

「……嘘、でしょう?」

祐巳は何も答えない。

(どうして…嘘だよって、冗談だよって…言ってくれないの……あの『約束』は…?)

しかし、祐巳の志摩子を映すその瞳は、ほんの少しさえも揺らぐことはない。それが真実だということを痛いほど物語っていた。

「……ジョンはネ」

シンディが押し黙った二人を横目に口を開いた。

「ユミをライアン家の跡取りに…つまり“私と結婚サセタイ”って言ってるノ。どうしてユミなのかは、難しい問題らシーから私ハ知らないケド。まぁカナダは同性婚が認められてるシネ」
「…結婚……」

志摩子がぽつりと呟く。刺激が強すぎたのか、どこか朦朧としていてシンディの声が耳の中で反響している。それでもしっかりと言葉は理解できた。

「私ハその気ヨ…ユミが好きダカラ!何ヨリ彼女の将来ニとってコンナ、イイ話ないデショ?」

(祐巳の…将来…)

シンディは微笑んだ。彼女はただ微笑んだだけなのに、その姿はマリア様のように美しく神々しい。

(この人は本当に祐巳を…祐巳の将来を考えているのね。自分のことしか考えていない私とは違って…)

シンディが祐巳を見る目は常に愛情に満ち溢れている。志摩子は今更ながらにそのことに気付いた。

だから、祐巳もこんな自分ではなく彼女を選んだのだろうか。

先ほどの愛の言葉も、口付けも…今から捨てられる自分への、せめてもの哀れみだったのだろうか。

「違うの、志摩子!私は…」
「そ…うね……そうよね」

祐巳が何か言いかけたが多分、謝罪の言葉だろう。そんなもの聞きたくなかった。自分の惨めさをより大きくするだけ…志摩子はそう思った。

「…わかったわ」
「え…」
「まだシスターを諦めきれていない…私なんかと一緒にいるより…」

涙が込み上げてきた。思わず鳴咽を漏らしてしまいそうになったが、ぐっと堪える。

(泣いてはダメ…よ…)

「祐巳の将来や幸せを一番に考えている…その方と一緒にいる方が…きっと…きっと!祐巳は幸せになれる…わ…っ!」

言い終わらないうちに志摩子は走りだした。右足が僅かに痛んだが、もう限界だった。

(さよなら…祐巳っ…)


***


どれくらい時間が経っただろうか。祐巳はぼんやりと、志摩子が走り去って行った方を眺めて立ち尽くしていた。

「…Why?」

シンディが眉間に皺を寄せている。まるで痛みに堪えるようにその顔は歪んでいた。










『ナゼ』?










――なぜ、彼女がそんな顔をする。

感覚か感情か、とにかくどこかが麻痺している。祐巳はただ億劫そうにシンディを見ているだけだった。

「ナゼ黙ってたノ?ナゼ彼女に言わなかったノ!?……何のタメに卒業式が終わるマデ延ばしたノカ…」
「いいの」

矢継ぎ早に問い質すシンディを遮る。聞いているうちに祐巳の胸に鈍い痛みが疼いてきた。

「…やっぱり私…志摩子を困らせたくないから」
「ユミ……コレ、私が貰っちゃうワヨ?イイノ?」

シンディが小箱を突き出して聞いてくる。祐巳はそれには視線をやらず、目を閉じた。

(…志摩子……)










「好きにしていいよ…」










雨が激しさを増す。全てを押し流すように激しく。

この胸の痛みを悲しみを、押し流してくれればどんなにいいだろうか…

To be continued...


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