水野蓉子ファンの人ごめんなさい。なSSです。
・読む前に覚えて欲しい無駄知識・
『緊急ブロー』
潜水艦の潜行や浮上にかかわる「バラストタンク」内の水を一気に排出する行為。潜水艦は基本的に、バラストタンクが水で満たされていれば潜行、空気で満たされていれば浮上します。
『パッシブソナー』
光や電波が急速に減衰してしまい役に立たない海中において、海中でも減衰の少ない音波によってレーダーの役割をこなすのがソナー。パッシブソナーとは、敵の発する音波を拾い、その位置を特定するもの。「耳を澄ます」タイプのソナー。
『アクティブソナー』
パッシブとは逆に自ら音波を発し、その音波が跳ね返ってくる「反響」で敵の位置を特定するもの。乱暴に言うと「投げたボールが跳ね返ってきたら、そこにはボールを跳ね返す“何か”がある」と判断するタイプのソナー。
『 バラストタンク内圧力、限界間近です 』
『 艦長! 緊急ブローの必要があります! 』
『 ・・・まだだ 』
『 艦長! 緊急ブローを・・・ バラストタンク内の水を排出しないと持ちません! 』
『 ・・・まだ緊急ブローを実行するわけにはいかんのだ 』
『 艦長ぉ!! 』
そんな感じで、とある女性の脳内では、脳内潜水艦のクルーたちが緊急ブローの必要性を訴えていた。
「 紅薔薇さま、この立て札はどちらに? 」
「 そうね・・・ この辺に立てれば良いかしら 」
「 紅薔薇さま、柵はどの辺に? 」
「 池から50cmほど離して。池の外周に埋めてある石の外側に設置するわ 」
夏休みのある日。暑さから水辺を求める人も増える時期ということで、山百合会は、リリアン高等部にある池に安全のための柵を設置するべく、ボランティアの有志とともに作業にいそしんでいた。
安全のための柵と言うと大げさな物を想像してしまうが、そこはお嬢さま揃いなリリアンのこと。まさか柵によじ登ってしまうようなはしたない生徒など存在しようも無い。
そのため、柵は池の周りの柔らかい土の部分に適当な間隔で杭を打ち込み、その杭に竹でできた簡単な手すりを縛り付けるだけというお手軽な物でしかなかった。
お手軽な柵であるからして作業自体は簡単であり、それほど難しいものではないのだが、有能すぎる紅薔薇さまは他の生徒たちから頼られまくっており、一息つく暇も無かった。
一息つく暇も無いということは、自由に動ける時間が無いということで。
自由に動ける時間が無いということは、自分の生理的欲求を満たす時間も無い訳で。
つまり・・・
( うぅ・・・ そろそろお手洗いに行かないとマズいかも・・・ )
彼女に内蔵されたバラストタンクは、限界近くまで水分で満たされていた。
季節は夏。冬のようにやたらとお手洗いが「近い」という訳でも無いが、物には限度というものがあり、彼女のタンク容量にも物理的限界がある。
そして、その物理的限界は間近まで迫っていた。
( 今すぐ行っても良いけど・・・ そうすると、私がいない間は指示を出せる人間がいなくなって、作業が止まってしまうし・・・ )
柵の設置作業は順調に進んでいたので、別に彼女がお手洗いに行く間くらいならば作業が止まっても問題は無いのだが、そこは完璧主義の紅薔薇さま。作業が効率良く進まないことが許せないのだ。
( 柵に使う杭さえ打ち込んでしまえば、後は手すりを組み立てるだけだから、それほど時間もかからないし、指示もいらないはずだわ。よし、杭を打ち込み終えたらそこで一度休憩にしよう )
学園でもトップレベルの頭脳は、瞬時にこの後の行動計画をはじき出した。
・・・高まったタンク内圧力の影響からか、軽く足踏みなどしながら。
( うん、杭を打ち込み終わるまでなら大丈夫 )
そんなふうに安心していた蓉子に、背後から声をかける者がいた。
「 どうしたの?蓉子。なんだか落ち着きが無いみたいに見えるけど 」
「 ・・・江利子 」
声の主は、ご存知「面白いモノ大好き」黄薔薇さま。鳥居江利子だった。
「 作業は順調なんだし、そんなに慌てなくとも大丈夫なんじゃない? 」
「 別に・・・ 慌ててなんかいないわよ? 」
頼りになる紅薔薇さまとはいえ、そこは花も恥らう女子高生。さすがに「正直、漏れそうなの」とも言えず、蓉子は本能的にそう誤魔化していた。
「 ・・・ふーん、そう 」
自分に対して興味を失ったようにつまらなそうに呟く江利子を見て、蓉子はほっと息をついた。
「 ・・・私はまたお手洗いにでも行きたいのかと思ったんだけどね 」
ぎ く ぅ !!
「 いやぁね。そんなんじゃないわよ 」
「 そお? 」
ほっとした直後にズバリ言い当てられた内心の焦りを、蓉子は鉄壁の作り笑顔で隠しとおした。
( くっ・・・ なんだって余計な時だけ鋭いのかしら? )
あまりに鋭い江利子の感に、蓉子は舌打ちしたい気分だった。
( ・・・・・・バレてないわよね? )
そっと江利子を盗み見ると、なにやらこちらの下半身を凝視しているように見えなくも無い。
『 パッシブソナーに反応! 敵のアクティブソナーによる探知を受けています! 』
『 ・・・やりすごせ 』
『 艦長! このままでは敵に探知されます! 』
『 騒ぐな。こちらが反応しなければ探知なぞされん 』
『 しかし艦長・・・ 』
『 もう一度言う。やりすごせ 』
『 ・・・了解 』
脳内艦長の命令に従い、江利子のアクティブ“デコ”ソナーによる索敵を、「無反応」でやりすごそうと試みる蓉子。
しばらくは江利子の視線が下半身に絡みついてくるような感覚にドキドキし、色々な意味で内腿をきゅっと締め付けていたが、そのうち江利子が離れていくのを見て、蓉子は再び息をついた。
( なんとかやりすごせたみたいね・・・ )
『 敵ソナーの反応消失! 』
『 ・・・神よ、感謝します 』
『 総員、バラストタンク内圧力に留意しつつ任務を遂行せよ 』
『 了解、艦長 』
蓉子の脳内クルーもホッと一息。
蓉子は「止まっているよりも動いていたほうが尿意を耐えられる」という事実を体験的に知りつつ、人波の間を指示を出しながら歩き続けた。
( さてと、そろそろ杭を打ち終わったかしら? )
見える範囲はあらかた杭を打ち終えた頃、自分とは池を挟んだ反対側で作業をしているはずの祥子から、向こう側の作業の進行状況を聞こうと、蓉子は(無意識にモゾモゾと腿をこすり合わせながら)妹の姿を探す。
どうやら、そろそろ休憩にしないと、タンク内の圧力も限界らしい。
( ・・・・・・あれ? 祥子はどこかしら? )
妹の姿が見えないことで、蓉子は右足で小刻みにリズムを刻みながらイヤな予感に囚われていた。
( おかしい・・・ さっきまで私のそばで作業していた令までも、いつの間にかいないわ )
生真面目な蕾の2人が、蓉子の指示を無視して勝手な行動を取るとも思えない。
もし2人が蓉子の指示意外の行動を取るとすれば、それは“蓉子と同等かそれ以上の立場の誰か”の指示を受けた時くらいのものだろう。
( !! 江利子までいない?! )
猛烈に膨れ上がるイヤな予感。
蓉子が不安と生理的欲求を紛らわすかのように小刻みなステップのスピードを上げた時、不意に優しさに溢れる声がかけられた。
「 みなさん、そろそろ休憩にしませんこと? 」
笑顔で。とても良い笑顔でそう呼びかけてきたのは、江利子だった。
( 休憩?! )
江利子の声に思わず「天の助け!」とマリア様に感謝した蓉子は、ステキな笑顔で振り返った。
「 そうね、そろそろ休憩を入れても良い・・・ 」
そこまで言ったところで、蓉子の笑顔は凍りついた。
江利子の手にかかげられた、ある「モノ」を確認してしまったから。
「 さあ、みなさんアイスティーをどうぞ。蕾2人にも手伝ってもらった、薔薇の館謹製のアイスティーよ♪ 」
ウキウキとそう告げる江利子の後ろには、確かに祥子と令の姿があった。
3人が持っているトレイの上には、この場の人数に振舞えるだけのアイスティーが、夏の陽射しを受けてキラキラと輝いていた。
暑い最中の涼しげな贈り物に、有志一同の笑顔までもが輝く中、ただ一人笑顔の引きつる人物がいた。
( ちょ・・・・・・ この状況で冷たい水分って・・・ )
引きつる蓉子目がけ、江利子は実に嬉しそうな笑顔でグラスの並ぶトレイを持って近付いてくる。
『 アイスティー型魚雷接近!! 』
『 直撃コースです! 』
『 回避! 緊急回避運動に移れ!! 』
脳内艦長の叫びに従い、蓉子が人波に紛れ逃げるべく踵を返そうとすると、江利子は大声で呼びかけてきた。
「 ほらほら紅薔薇さま、まずあなたが飲み物を受け取ってくれなければ、他の人たちも休みづらいでしょう? 」
一見優しげな、実は悪魔の微笑みをたたえ、江利子はゆっくりと蓉子へと近付いてくる。
( やっぱりバレてたの?! )
退路を絶たれ、蓉子は絶望感に囚われる。
『 回避不能!! 回り込まれました!! 』
『 くっ・・・ やるな、イエローサブマリンめ 』
『 アイスティー型魚雷、自動追尾してきます!! 』
『 直撃まで5秒です! 艦長!! 』
『 ・・・・・・まだだ 』
『 艦長? 』
『 まだ策はある! 』
一瞬のためらいの後、江利子が期待に満ちた笑顔で差し出すグラスを、蓉子もまた笑顔で受け取った。
「 ありがとう、いただくわ 」
蓉子がごく自然にグラスを受け取るのを見て、江利子は自分の予想が外れたのかと拍子抜けした顔をする。
( チッ・・・ 受け取るのを拒否したら『まあ、やっぱりお手洗いを我慢してたのね? どおりでさっきから奇妙なステップを踏んでいると思ったわ♪』って指摘してやろうと思ったのに )
やはり江利子は蓉子の“緊急事態”を指摘して晒し者にして楽しむつもりだったようだ。
( ・・・私の勘違いだったのかしら? いえ、あの小刻みな下半身の動きは、間違いなく尿意を我慢している証のはず。蓉子はどうする気なのかしら・・・ )
江利子の予想どおり、蓉子のバラストタンクは確かに限界に近付きつつあった。
「 さあみなさん、休憩にしましょう 」
蓉子は笑顔でそう言うと、有志一同たちににもグラスを取るように勧める。
( 問題はこの後よ・・・ )
冷徹な策士の顔を笑顔で隠し、蓉子は次の行動に移るための立ち位置を探る。
ひととおりグラスが行き渡ると、蓉子は有志一同たちと雑談を始めた。
普段は薔薇さまと雑談などする機会の無い生徒たちは、こぞって紅薔薇さまを取り囲む。
( 要はアイスティーに口をつけなければ良いのよ )
一見すると、他の生徒たちとアイスティー片手ににこやかに歓談する紅薔薇さま。
だが、良く見てみれば、そのグラスのアイスティーは一滴たりとも減ってはいなかった。
( このまま雑談し続けて、後はタイミングを見計らって・・・ )
そっと雑談の輪を抜け、お手洗いに行けば良い。
江利子の監視の目があるが、それについても問題は無い。何故なら、彼女もまた「憧れの薔薇さま」と雑談する機会を望む生徒達に取り囲まれているから。
( ふふふ。江利子、焦っているわね? )
一見すると和やかに歓談する黄薔薇さまだったが、時折そっと人のいない方向へ顔を向け、「・・・ウザい」という表情をしていた。
( くっ・・・ あと一歩のところで、“蓉子が慌ててお手洗いに駆け込む姿”を拝めるのに! )
蓉子の予想どおり、江利子は焦っていた。
小刻みに動く蓉子の足元を見るに、自分の予想はやはり外れていないことが解かった。なのに、自分を取り囲む生徒たちのせいで、あと一歩のところで「蓉子にアイスティーを飲ませて、彼女の下半身に緊急事態を招く」というトドメを刺すタイミングを邪魔された形になっていたから。
しかも、普段あまり社交的でない性格が災いしてか、「普段はどこか神秘的な黄薔薇さまとお近づきになりたい」生徒は思いのほか多かったらしく、時間が経つにつれ、紅薔薇さまを囲む生徒までもが黄薔薇さまを囲む輪に加わり始めた。
『 イエローサブマリンの進路上に障害物! 』
『 イエローサブマリンの航行、完全に止まりました! 』
『 ・・・よし。後は脱出のタイミングを計るだけだ 』
有志一同に囲まれる江利子の姿に、蓉子の脳内クルーたちも安堵の息をつく。
( くっくっくっ・・・ そこで人波に埋もれていなさい )
もはや勝利を確信した紅薔薇さまは、余裕の微笑みで江利子を見ていた。
そんな蓉子の微笑みに、江利子の苛立ちは益々つのる。
( ・・・・・・・・・ウザいわねコイツら。この真正面に立ってる子に飛び膝蹴りでもブチかましたら散ってくれるかしら? )
もはや蓉子へのトドメ云々ではなく、苛立ちが最高潮に達し「純粋に人波がうっとおしい」と感じ始めた江利子は、そんな物騒なことを考え始めた。
( フ・・・勝ったわね )
苛立ちに鈍く輝く江利子のデコを見つつ、蓉子は勝利を噛みしめ・・・
ゴ ク リ
『 あ 』
蓉子と江利子の、間の抜けた呟きが重なる。
『 タンク内に浸水!! 』
『 だめです艦長! もう持ちません!! 』
『 な、何が起こったというのだ! 』
江利子の脅威が去ったと油断した蓉子は、ここで痛恨のミスを犯した。
夏の暑さと雑談で渇いた喉を潤そうと、思わず手に持っていたアイスティーを飲んでしまったのだ。
( しまったぁ!! 何してんのよ私?! )
人体の構造上、飲んだ水分がすぐに尿に変換される訳ではない。だが、「水分を飲んだ」という事実は、バラストタンク内の圧力が限界に達していた蓉子の精神を直撃した。
( ヤバ・・・ も、漏れ・・・ )
途端に腰の砕ける紅薔薇さま。
内股で刻む奇妙なステップが、ギャラリーたちに気付かれるのも時間の問題と思われる。
もはや恥も外聞も無くお手洗い目がけて駆け出そうかと思うが、時すでに遅く・・・
( くっ! 一歩も動けない?! )
『 圧力限界!! 』
『 艦長! もはや緊急ブローしかありません!! 』
『 いかん! こんなところで緊急ブローなどしたら・・・ 』
急に表情が緊迫し始めた紅薔薇さまに、周囲も何かおかしいと感じ始める。
『 緊急ブローを!! 』
( ちょ・・・ 待・・・ )
『 待て!! ここでそんなことをしたら・・・ 』
( そうよ、こんなトコで・・・・・・いやでも限界・・・ )
『 バラストタンク圧力限界です! このままでは圧力に負けて・・・ 』
( ・・・出・・・・・・誰か・・・助・・・・・・ )
もう走り出す余力も無い紅薔薇さまの脳内では、本人と脳内クルーの会話が混ざり始めていた。
このままでは、衆人環視の中「紅薔薇緊急ブロー」を実行せざるをえないと思われたその時、天使は舞い降りた。
「 やぁやぁ、遅くなってゴメンね 」
そんなセリフとともに、緊張感などまるで纏わず現れたのは、「子羊たちのアイドル白薔薇さま」こと佐藤聖だった。
彼女はヘラヘラと笑いながら蓉子たちに近付いてくる。
「 あれぇ? あらかた終わっちゃったかな? 」
そう蓉子に問い掛けるが、「緊急ブロー」間近な紅薔薇さまは、それどころではなく・・・
無言になっているばかりか、もはや小刻みなステップすら止まっていた。
・・・すでに事態は、わずかな振動すら許容できないところまで来ているらしい。
蓉子の額には、明らかに暑さからくるものではないイヤな汗が噴き出していた。
「 蓉子? どうし・・・ ( くきっ )おわっ?! 」
舞い降りたのは、救いの天使だったのか。それとも、笑いの神だったのか。
蓉子の2m手前で、地面に転がる杭につまづいた白薔薇さまは、予想外に派手にコケて・・・
コケた先には、まるで測ったかのようにテンパった紅薔薇さまがいて・・・
ど ん !!
「 へ? 」
ど ぼ ー ん !!
予想外の勢いで聖に突き飛ばされた蓉子は、マヌケな声とともに、池の中へと見事なダイブをキメたのだった。
「 よ・よ・よ・よ・蓉子ぉ?! 」
自分のしでかした事の重大さに青ざめ、池を見つめ叫ぶ聖。
( こ、殺される・・・ )
死を覚悟した聖の前で、池の中から「ざばぁ」と蓉子が立ち上がろうとしていた。
『 ・・・緊急ブロー終了 』
『 バラストタンク内圧力、正常に戻りました 』
『 善し。レッドオクトーバー、浮上 』
『 了解、レッドオクトーバー浮上します艦長 』
後に、江利子は当時の蓉子の様子をこう語る。
『 あの時の蓉子はそうね・・・ まるで“何か”を悟った女神さまみたいな表情をしていたわ 』
なんかふっきれた笑顔で立ち上がる蓉子に、聖はガクガクと震え出す。
「 よ、蓉子、あ、あのそのあの、私別に悪気があってこんな『 聖? 』はいっ!! 」
蓉子の呼びかけに、直立不動で答える聖。すでに抵抗や反論をしようという気力は根こそぎ奪われていた。
「 何をそんなに脅えているの? 」
「 ・・・へ? 」
笑顔で優しく問い掛ける蓉子を、聖は信じられないものを見る目で見つめる。
「 ・・・蓉子? 」
「 なあに? 」
「 怒ってる・・・ よね? 」
「 いやぁね、怒ってなんかいないわよ? 」
「 ・・・はい? 」
「 だって、これは聖が転んでしまっただけの・・・ いわば事故でしょう? 」
「 いや、そうなんだけど・・・ 」
普段なら鬼のような表情で怒るであろう蓉子が、ヤケに慈愛に満ちた言葉を投げかけてくるので、聖は訳が解からなかった。
まるで聖母のような笑顔で聖に微笑む蓉子を見て、江利子はある推測を立てていた。
( あれは・・・ もしかして池の中で出・・・ )
「 江利子 」
「 な、何? 蓉子 」
自分の思考をさえぎるかのようなタイミングで掛けられた蓉子の言葉に、江利子はギクリと身をすくめる。
「 私はちょっと着替えてくるから、後のことは聖と一緒にお願いしても良いかしら? 」
「 え、ええ。まかせて 」
聖母のような微笑の向こう側に有無を言わせぬ圧力を感じ、江利子は思わず素直にうなずいていた。
( これは・・・ さすがにこれ以上はヘタにイジらないほいが身のためね )
本能的恐怖から蓉子イジりを諦めた江利子を置き去りに、蓉子は心配する有志一同に「 大丈夫よ 」と告げながら、にこやかに去っていったのだった。
激戦をともに戦い抜いた、脳内クルーとともに。
〜後日、薔薇の館にて〜
「 ・・・ねぇ、江利子 」
「 何よ聖 」
「 ・・・・・・どう思う? 」
「 何が? 」
「 蓉子よ蓉子。この前、私が池の中に突き落としたのに、笑って許したじゃない! 」
「 ・・・ああ、アレ 」
正直、あの話はもう引っ張りたくない江利子だったが、聖の真剣な表情に負けて話を聞き始めると、聖は心に秘めていたことを語り出した。
あの時、蓉子が優しく聖を許したのは、他の生徒たちの目があったからだと考えたこと。
聖はあの後、蓉子がいつあの時のことを怒り出すのかと、脅えながら生活していたということ。
そして、そんな誤解をしたまま生活していた聖には、蓉子の笑顔が「破滅へのカウントダウン」に思えて仕方なかったということ。
事実は大幅に違うのだが、江利子はその「事実」を素直に吐くほど命知らずでは無かった。
( あれは蓉子が聖に助けられた形になっただけなんだけどなぁ・・・ )
あの時の蓉子の笑顔を思い出したのか、聖が青ざめた顔でプルプルと震え出す様を見て、江利子は少し考え込む。
( フム・・・ 聖にはどう言ったものかしら? )
更に少し考えた末、江利子は聖に話しかけた。
「 ねぇ聖 」
「 うん? 」
「 マフィアって知ってる? 」
「 えっと・・・ ゴッドファーザーとかの? 」
「 そう 」
「 そのマフィアがどうしたのよ? 」
「 マフィアはね 」
「 うん 」
「 殺そうとする相手に殺意を気付かれないために、贈り物をしたりして、わざと友好的なフリをするそうよ 」
「 ・・・・・・ 」
言われたことが瞬時に理解できない聖を置き去りに、江利子は紅茶を飲み始める。
「 ・・・・・・・・・!! そ、それって蓉子が私を殺そうとしてるってこと?! 」
「 さあ? 」
「 “さあ?”ってアンタ! アンタが今言ったんじゃないのよ!! 」
「 私はマフィアはそうだって言っただけで、蓉子もそうだとは言ってないわよ? 」
「 うわ、ど・ど・ど・どうしたら良いの?! 」
「 知らなーい 」
「 江利子ぉぉぉ!! 」
「 私、関係無いもん 」
「 そんな!? 幼稚舎からの仲じゃない!! 」
「 え〜? でも、私死にたくないし・・・ 」
「 イヤァァァァァ!! し、死ぬの?! 私やっぱり死ぬの?! ねぇ!! 」
錯乱する聖を無視して、江利子は優雅に小説など読み始める。
どうやら、蓉子をイジれなかった欲求不満を、聖をイジることで補うことにしたらしい。
「 ちょっと江利子! どうすれば良いか一緒に考えて・・・ 」
「 令〜、紅茶おかわり〜 」
「 江利子ー!! 」
もう泣き出す寸前の聖。
そこへタイミング良く登場したのは・・・
「 何を騒いでいるの? 」
「 よ、蓉子! 」
「 どうしたの?聖。そんなに脅えた顔して 」
「 ・・・いや 」
「 何か悩みでもあるの? 私で良ければ相談にのるわよ? 」
「 イヤァァァ!! 私に優しくしないでぇぇぇ!! 」
泣きながら壁際まで後ずさる聖。
蓉子は、聖の行動の意味が解からず、不思議そうな顔をするばかりだった。
「 ・・・ちょっと江利子。聖は何を脅えているの? 」
「 さあ? 私にも解からないわ 」
すっとぼける黄薔薇さま。
事情の理解できない紅薔薇さま。
そして、死の恐怖に脅える白薔薇さま。
薔薇の館は、今日もおおむね平和なようだ。