【2269】 この世で唯一人くま0号  (joker 2007-05-18 04:23:39)


 君たちは、くま0号というものを知っているだろうか?
 いや、知らないのも無理は無い。それはほんの一握りの人々しか知りえなかった事実でしか無く、伝説に残せないほどの出来事であったからだ。
 今では、その事実を知る者は誰も存在せず、その事実を伝える記録すらも残っていないのだ。
 それはまるで、森羅万象を盗むと言う王ドロボウに盗まれたかの様に。
 だから、これから語れる昔話は、単なる幻想でしかなく、それに関わる人々もまた、事実とは大きく異なるのかも知れないのだと言う事を忘れないで欲しい。




 私の名前は蓉子。とある国の賢者だ。
 私は、三賢者(通称Magi)と呼ばれる者達のうちの一人、紅の賢者(マギ・キネンシス)という名を受け継いでいる。……いや、受け継いで「いた」と言った方が正確かも知れない。何せこの日記が読まれているという事は、私達はとっくにこの世にはいないだからである。多分。……いえ、絶対に見られているなんてあり得ないわ! 何せ、2年もかけて色々罠とか仕掛けて隠したんだから。……もしこれを読んでいるのが聖であれば、すぐに自首しなさい。命だけは助けてあげるわ。
 ……話がそれたわね。とにかく、この話はあまり人に見られたくない出来事なのだ。本来ならば、燃やしてしまいたいのだが、アレの驚異を後世に伝える為に、ここに記す。


 それは、後の世でキリストと呼ばれる人物が生まれて三年後の事である。私達、三賢者は長い旅を終えて帰ったものの、どこか心に寂しいものを感じながら過ごしていた。
 あの旅はただ単にキリストの生誕を祝う為に行ったものであり、苦難続きだったが、それでも、三人だけで旅した日々は意外と面白く、楽しかった。
 国に帰り、いつもの日常に戻ったものの、どこかつまらない。弟子達の目があるせいか、聖も旅の時みたいにはっちゃけてはいない。三賢者である以上、皆の手本にならなければいけない。激務に追われているとは言え、親友達とかしこまった会話するだけの日々はどこか寂しかった。
 そんな時、三賢者のうちの一人、黄の賢者(マギ・フェティダ)から、とある事件が起きた事が知らされたのだ。

 その時、私は二年の旅路の間に溜った仕事と現在の仕事を同時にこなしている時だった。
 いつも静かな私の部屋に、いきなり激しくドアを開ける音が響きわたった。
 そんなに慌ててドアを開けるのは、私の可愛い孫弟子ぐらいなものだ。いつも一生懸命で見ていると飽きない娘だ。おそらく、その娘はいつもの様にドアを開けたまま百面相をして慌てているに違いない。そんな彼女の姿を思い浮かべつつドアの方を見ると、そこには、見事に壊れたドアと、何故か床に真正面から倒れている賢者江利子。
 ……状況を察するに、どうやらつまづいてドアごとこけたらしい。それはさておき。
「江利子、大変よ。太陽が西から昇っているわ。早くしないと見逃すわよ」
「な、なんですってーー!?」
 思ったとおり、効果抜群だ
「おはよう、江利子。そんなに慌ててどうしたの?」
「そんなにって、太陽が西から昇るなんて奇跡じゃない! ……って、あれ? どうしてここに蓉子が?」
「それは、ここが私の部屋だからよ。そして貴女はドアを突き倒して入ってきたの」
 状況を説明したあげたが、彼女はまだショックによる混乱が治まってないみたいだった。とりあえず、私は紅茶を煎れる事にした。
 そして、私が紅茶を煎れ終わり、机に並べている頃には、江利子もすっかり元通りになり、いつもの様な気だるげな様子で椅子に座っていた。
「はい、紅茶よ。それで何があったの?」
「ああ、その事なんだけどね」
 江利子はそう前置きをして
「ブリテン島にいる紅い竜がね、何者かに奪われたっぽいの」
 まるで、「明日も雨ね」と言う感じで気だるげに話江利子。まあ、いつもの事だからさすがにもう慣れた。
「…………ちっ」
 そんな冷静な私の様子に舌打ちする江利子。やはり確信犯か。
 それは置いといて。
「確かその竜は、その土地の守護神だったわよね。それを簡単に奪えるものなの?」
「普通は無理よ。あの竜は、その土地を治める人物の血となる、一種の寄生型守護神よ。今、既に土地を治めている人間からその竜を奪うなんて実際、不可能だわ」
 江利子は意外と真剣な顔をして、深刻そうに話す。だが、しかし。
「でも、奪われたところで、その土地の王が変わるだけじゃない。そんな重大な事なの?」
「……それが重大な事なのよ。本来なら奪われてはいけない筈だし……」
 その伏せた顔は、苦虫を噛み潰したように歪められている。そういう顔で話すのは、大抵「歴史」に関わる事だ。
 今の私達にはどうでもいいように見える事柄も江利子にとっては重大であり、それが周りに分かって貰えない時にする顔だ。だから、そんな親友に体して言う言葉だって決まっている。
「分かったわ。聖も呼んでくるけど、まだ人手はいるかしら?」
「……私達、三人で十分よ」
 上げられた顔は、いつもの顔に戻っており、そして邪悪そうに微笑んでいた。




「ああ、美しい乙女よ。私とブリテンの夜景を共に眺めませんか?」

「いい、貴方達! このかなとこは後に、抜けない剣を刺すんだから綺麗に作ってちょうだい」

 ……いや、また旅に出るのだから覚悟はしていたが、このはっちゃけ振りはどうなのだろうか?
 聖は鎧まで着込んで女性を口説いてるし、江利子はまた何か作業をしている。まあ、江利子の作業には何らかの歴史的要素があるので、まだマシな方だ。
 と、作業に没頭していた江利子は、いきなり立ち上がり聖の方に向かって行く。
「もし貴女さえ良ければ、私の永遠の剣となり盾となることを――」
「聖、この剣貰うわよ」
 聖の必殺の口説き文句を遮り、聖の剣を奪うと、また作業に戻って行く。そんな聖の様子に口説かれていた女性も幻滅したのか、その場から立ち去ってしまった。
「…………」
 残された聖はと言えば、去っていく女性と江利子、どちらを追いかけるか迷っているようだった。
「聖、諦めなさい」
 色々と。
「ええーっ!? だってあの娘、めちゃくちゃ美人だったんだよ!? それに私の『ロサ・ギガンティア』まで奪われたんだよ?」
「なんで女性の方だけに!がついているのかは、追求しないであげるけど。貴女、あの剣に白薔薇なんて名前付けてるの?」
 確かに聖がいつも身に付けていた剣には、『白い鋼』が芯に使われていたはずだが、まさか、そんな名前を付けているとは。
「あ、ちなみに蓉子の槍には『ロサ・キネンシス』。江利子の杖には『ロサ・フェティダ』って名前を付けてるよ」
「どうでもいいわよ、そんな事。というより、勝手に名前を付けないで!」
「ええー、いいじゃない抱きつくくらい」
「話が変わってる!」
 抱きつこうとしてくる聖を殴り止めていると、作業を終えたらしい江利子が「貴女達仲が良いわねー」とか言いながら戻ってきた。
「江利子! 笑って無いで助けてなさいよ! これの原因は貴女にもあるんだから。早く聖に剣を返すなりしてよ」
「ああ、あの剣ね。500年くらいしたら返すわ」
「「ご、500年?」」
 あまりの長さに絶句する私達。さすがに私達は死んでいるだろう。江利子はどうかは知らないが。
「やい、デコチン。いくら私でも500年後は生きてないわよ。いますぐ返せ!」
「煩いわよ、漂泊剤」
 そう言って、睨みあう二人。日頃の衝突は少ない二人だが、沸点は意外と低い。というより、漂泊剤って何なのだろうか。
「ふざけた事を言ってないで早く返せ。あれは私が造った中でも最高作品なんだから」
「無理よ。ていうか察しなさいよ。だから鈍感なんて言われるのよ」
 そう言った江利子の顔は、あの苦い顔になっている。つまりはそういう事だ。それに気付いた聖は、まだ少し不満げな顔だったものの、諦めて私に抱きついてきた。てか抱きつくな。
「ええー、酷いよ蓉子ー。私、二つの物を同時に失って傷心してるのにー」
「人の心を読むな! それと離れなさい!」
すっかり元に戻った聖。そして、それを吹っ飛ばす私。その様子を眺める江利子。これが旅での日常の光景だった。




「それで、本題に戻るけど、竜を奪った人物は何処にいるの?」
 その日の夜、江利子の用事が終わって、宿をとった私達は、今後の計画を練っていた。
「それが全然分からないのよ。何せイレギュラーだし、探知が出来ないわ」
 何故か楽しそうに言う江利子。さすが天邪鬼。困難な出来事を前に生き生きとしている。
「しかし、困ったわね。今まで私達は江利子の導きについて行ってただけだったし、手がかりがゼロだと動きようが無いわね」
 いくら、ブリテンが島だとは言え、その広さは広大だ。
「……ねえ、ちょっと良い?」
 そんな悩んでいる私達に、顔に痣を作った聖がベッドから起き上がって声をかけてきた。
「あ、聖。おはよう。顔は大丈夫?」
 おはようも、大丈夫も私だ。ちなみに痣を付けたの私。
「うん、蓉子の手加減の無さは身にしみて分かった。それより手掛りだけど、あるにはあるわよ」
「「あるの?」」
「うん、今日口説いていた女の子にそれとなく聞いてみたんだけど、どうやらそいつは西に行ったらしいよ」
「西……」
 西という単語を聞いて、考え込む江利子。ときおり、理想郷だの、林檎の木だのと言う単語が聞こえてくる。
 それにしても、ただナンパをしていた訳では無かったのか。さすがに三賢者の一人というわけだ。
「じゃあ、その竜を奪ったっていう人物の名前も分かったの?」
 私がそう聞くと、聖は何やら言いに難そうな顔をして「一応、ね」と言った。
「一応でも良いわ。教えて」
 いつの間にか、考え事から戻ってきていた江利子が聖に詰め寄る。
「わ、分かったよ。そいつの名前は――」


「くま0号よ」


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