【2275】 ショックショック真実と事実  (雪国カノ 2007-05-20 17:58:21)


 
『マリア様もお断り!?』シリーズ

[思春期未満お断り・完結編]とのクロスオーバーです。
同性愛要素を含みます。

【No:1923】【No:1935】【No:1946】【No:1969】【No:1985】【No:2192】→これ



足が重い。

一歩また一歩と、学校に近付く度に志摩子の足取りは重くなる一方だった。

(あ…)

正門横の白い立て看板が目についた。そこには黒々とした文字で大きくこう書かれてあった。

『私立リリアン女学園高等部卒業証書授与式』





卒業式――馴れ親しんだ高等部を離れる日。そして…

「はぁ…」

知らず、志摩子の口からは重い溜息が零れていた。

(とうとう卒業式なのね…祐巳がカナダへ行ってしまう日)

あれから祐巳とは――表面上はともかく――ろくに話もしなかった。元よりそんな暇などなかった。

ホームルーム前後の雑談時間はクラスメイトに囲まれ、休み時間や放課後も自分たちを慕ってくれる下級生に声をかけられ…と志摩子たち薔薇の名を冠する三人は慌ただしく過ごしていた。

ふと気付くと志摩子は銀杏並木の中程まで歩いてきていた。立ち止まり一本の銀杏を見上げる。

(あなたたちとは『さよならせずに済む』のね。でも、これからは…私は一人であなたたちと会うんだわ)

胸にズキンと痛みが走った。

(仕方ないわよ)

涙で視界がぼやけていたが頭(かぶり)を振って歩きだす。

(今日は祐巳からの卒業式よ)

考えてみれば次期社長だなんて凄いことだ。自分と一緒にいては、そんな大きな将来を掴むことなんて到底できない。

(きっと彼女が祐巳を支えてくれる…)

足を速めようとした時、後ろから聞き慣れた声に『志摩子』と呼び止められた。

「ごきげんよう…って嫌ね、志摩子。泣くのは式が始まってからよ」

声の主は志摩子の予想通り由乃だった。両脇には蔦子と真美がいる。

「ごきげんよう。ごめんなさい。何だか感傷的になってしまって」
「う、美しい!」
「…本当に。ああ、卒業記念号に是非!」

涙ぐみながらも淡く微笑んだ志摩子に、なぜか蔦子と真美が少し頬を染めていた。

「ばっかじゃないの」

そんな二人を、由乃は辛辣な言葉で冷ややかに一刀両断した。

「…でもまぁ、確かにブルー入るわよね。今までは“今日”がずっと続いていく感じだったのにさ」

そう言って少し目元を和らげる由乃。

「『このままでいられたらいいのに』と『このままじゃいられない』っていうのと半々な気持ち!“制服を脱ぐ”って、多分大人への第一歩なんでしょうね」

最後は少し早口になって言い切ると、『うーん』と伸びをして先に歩いて行ってしまう。

残された志摩子たちは顔を見合わせて、くすっと笑みを交わした。

「ちょっと早く来なさいよ!私を待たせる気!?」

数メートル先の由乃が語気も荒く振り返った。

「やれやれ。自分が先に行ったくせに」
「ほんと」

蔦子と真美が呆れ気味に言ったが、二人ともわかっている。それは由乃の照れ隠しだということを。

「仕方がないわね。行きましょうか」

そして志摩子にも…

三人はもう一度笑みを交わし、少し先を行く友の元へと歩みだした。


***


志摩子たちが下足室を抜けて教室へ向かおうと廊下の角を曲がりかけた、その時。後ろから慌ただしい足音が聞こえてきた。

「ああっ!白薔薇さまっ!!」
「志摩子さん!!」

瞳子と乃梨子が、およそリリアンの生徒とは思えない様で駆け寄ってくる。更にその後ろには菜々、飛鳥、和沙の姿もあった。

「の、乃梨子?」

中でも乃梨子と瞳子は取り分け険しい顔をしている。

「こーら。つぼみたちが何廊下を走ったり…」
「そんな悠長なことを言ってる場合ではありませんわっ!」

瞳子が大きな声で由乃を制した。その鋭さに、言葉を遮られた由乃だけでなく、その場にいた全員が思わず息を呑んだ。

訪れる静寂。

しかし、それも一瞬のことで集まり始めた生徒によってその静寂は破られた。

(まずいわね)

ここは下足室を抜けたばかりの廊下の一角。まだ早い時間と言えど人は決して少なくはない。むしろ卒業式のためか、登校している生徒はいつもより多いくらいだ。

加えて、祐巳を除く薔薇の館の面々に蔦子たちと有名人が勢揃い。そして何よりも今の由乃に対する瞳子の態度。人が集まってくるには十分過ぎるくらいの条件だ。

「瞳子、ここじゃまずいよ。場所を変えましょう」

冷静さを取り戻したのか、先程よりかは幾分表情を和らげた乃梨子が、瞳子と後半部分を志摩子に向けて言葉を放った。

「そうね」

由乃に視線をやると頷きが返ってきた。

「皆様、お騒がせして申し訳ありませんでした」
「それではごきげんよう」

そう言って志摩子と由乃――白薔薇さまと黄薔薇さまはにっこり微笑むとその場を後にした。


***


「由乃さま。先程は申し訳ありませんでした」

人目に付かないよう薔薇の館の裏手へと回ると、そう言って瞳子が由乃に深々と頭を下げた。

「ん?…ああ。別にいいわよ」

振り返った由乃は片手をひらひら振って笑う。

瞳子が顔を上げると、笑いを納めて真剣な顔で『それより』と続けた。

「一体どうしたの?」

由乃の言葉を受けて志摩子も妹たちを見回した。

「………」

黙りこくる瞳子の顔を、乃梨子が心配そうに覗き込み『瞳子』と促す。

「ええ。白薔薇さま。お姉さま…お姉さまが…」

志摩子は嫌な予感を覚える。そして、その予感は絶対に外れないと…なぜだか志摩子にはわかった。

「式には出ないでカナダへ行く、と。もう日本には戻らずそのまま向こうで暮らす、と仰って…」

「「「ええっ!?」」」

瞳子と乃梨子…そして志摩子以外から驚きの声が上がった。菜々たちも内容は知らなかったのか、目を見開いて瞳子を見ている。

(ああ…やっぱり)

志摩子はそうであろうことを半ば予想していた。祐巳が日本を去ることを事前に知っていた志摩子にとっては、想像に難くない話だった。

「な…によ…何よそれ!どういうことなのよっ」
「由乃さま!落ち着いて下さい!」

瞳子に掴み掛かる由乃を乃梨子が押さえ込む。

「落ち着いてなんかいられないわよ!私たちは何も聞いてないのよ!?」
「瞳子だってさっき初めて祐巳さまから聞いたんですっ」
「由乃さん」

蔦子に軽く肩を掴まれて、漸く由乃は落ち着いたようだ。

「…悪かったわ」
「それで祐巳さんは?」

真美の質問に瞳子と乃梨子は少し決まり悪そうに口を開いた。

「それがほんの一瞬目を離した隙にいなくなってしまわれて」
「飛鳥たちにも手伝ってもらって今まで探していたんですが…」

乃梨子は弱々しく首を振った。

「志摩子さま?」

先程から一言も話していない志摩子を怪訝に思ったのか、瞳子が探るような声で話しかけてくる。

「…祐巳の決めたことだから」

純粋に志摩子を心配する皆の視線から目を逸らして、志摩子は言った。

「志摩子!?」
「志摩子さんっ!?」

由乃の、乃梨子の。声に、視線に…非難の色が混じる。

「祐巳自身が決めたことなのでしょう?なら、私にはどうしようもないわ」
「志摩子!アンタ本気で言ってんの!?」

由乃は今度は志摩子に掴み掛かろうとする。そんな由乃を乃梨子と菜々が必死で宥める。

志摩子は妙に冷めた気持ちでその光景を見ていた。

「志摩子さまは、お姉さまが…祐巳さまが行ってしまわれても宜しいんですか?もう二度と日本には戻ってこなくとも宜しいんですか?」

畳み掛けるような声とは裏腹に瞳子の瞳は静かだった。

「…っ」

静かなのにとても強い。その視線に気圧される。

「志摩子さま?」
「…私は」

圧倒されて声が震える。胸が苦しい。

「私では祐巳の重荷にしかならないわ」

否、瞳子に圧倒されたから声が震えるのではない。胸が苦しいのではない。

「何を…」
「祐巳は私じゃなくて彼女を選んだのよっ!」

祐巳がシンディを選んだ…その事実が声を震わせるのだ。胸を苦しませるのだ。

あの雨の日に全てわかっていた。

でも…

祐巳の出した答えに納得もしていた。

でも…

祐巳のことはもう諦めもついていた。

でもっ!!










――本当は信じたくなかった










「バカ!!」

自分の世界に沈み込んでいた志摩子は、その聞き覚えのある声に現実に引き戻された。

顔を上げると、金髪の美女――シンディ・ライアンがそこにいた。

「アンタ!ユミの気持ちマダわかんナイノ!?」
「え…?」

シンディは皆の横を摺り抜けて志摩子の前に立つ。

「ユミはネ。アナタに本当はこう言いたかったノヨ!!『一緒にカナダに行ってクレナイカ』って!!」

呆然とする志摩子や皆に構わず、シンディ更に大声で捲し立てた。

「ダカラ、彼女は今日マデ日本に残ってたノヨ!」

(カナダに?私と…一緒に?)

「祐巳は…そんなこと何も…」

そこまで口にしたところで、不意に祐巳の言葉が思い出された。



――『まだシスターになりたいんじゃないの?』
『だったらなるべきだよ』
『ずっと心に決めていた夢なんでしょう?』――



「あ…」

祐巳が本当のことを言わなかったのは…





(私の…ため?私が迷っていたから…)





「自分の気持ちを抑えて?…ばかじゃないの!」
「ばかなのは私の方よっ!!」

自分のばかさ加減に思わず涙が滲む。祐巳の気持ちをわかろうともしないで、祐巳はシンディを選んだのだと、自分は捨てられたのだと、勝手に卑屈になっていた。

(…泣いてる場合じゃない)

志摩子は毅然と顔を上げ、シンディに詰め寄った。

「シンディさん!祐巳は今どこ!?あなたの泊まってるホテルにいるの!?」
「…モウ、チェックアウト済みヨ。今頃先に空港ヘ向かってるワ」

その答えに世界から全ての音が消えた。小鳥が囀る声も、風が木々を揺らす音も、校舎の方から聞こえる騒がしさも、全て…









――ピピピピッ!ピピピピッ!ピピピ……

世界に再び音を取り戻させたのは、乃梨子の手首に巻かれた腕時計のアラーム音だった。

「あ…8時20分…」
「…ああ。今日はチャイムは鳴らないんだったね」

ぼうっと時計を見つめる乃梨子に、こちらもどこか呆けたような蔦子。

「行きナサイよ。“大事な門出”なんデショ。私はユミと一緒に行くワ」

言い終わらない内にシンディは踵を返す。

「待っ…」
「追いかけるナンテしないでよ!アナタ何もかも捨てて行くコトできルノ!?」
「……っ」

シンディは志摩子の言葉を待たずに歩きだした。

志摩子はその背中をただ見送ることしかできなかった。


***


前方に見える赤信号に車が速度を緩めた。

祐巳は、父祐一郎の運転する車で成田空港へと向かっていた。母みきも、祐麒も――花寺の卒業式はリリアンの翌日なのだ――同乗している。

「祐巳ちゃん」
「なぁに?」

完全に停車してから、バックミラー越しにちらっと視線を寄越した祐一郎は少し躊躇って、また口を開く。

「本当にいいのかい?お父さんのことは心配しなくてもいいんだよ?」
「やだな〜まだ言ってるの?いいんだって!」
「だけどね。もう、いつ…いつ日本に戻って来れるかわからないんだよ!!」

絶叫が車内に響く。

「父さん」
「ああ…すまない」

祐麒に宥められて、祐一郎は小さく肩を落とした。

「お父さん、ありがとう。でも本当にいいの」

微かに肩を震わせている父と母に。すぐ側で優しい温もりをくれる弟に。今持っている全ての気持ちを込めて、祐巳は『ありがとう』ともう一度微笑んだ。

信号が青に変わり車が静かに発進する。









「その方が…吹っ切れるしね」

その小さな呟きは、隣りでずっと手を握ってくれていた祐麒だけが聞いていた。










青い空。

それは、大切なあの人を送り出した、あの日と同じ青。

悲しいくらい綺麗な青…

To be continued...


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