【2277】 空を見上げる心を開けば  (素晴 2007-05-22 00:23:31)


 『がちゃSレイニー 行くべき道』篇
「譲れないもの新たな想いと共に・・【No:2204】」の続きです。


〜 最初から読まれる方 〜

・ 『筋書きのない人生の変わり目 【No:132】』が第一話です。
 くま一号さんの纏めページ。
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ピ、ピピ、ピピピ、ピピピ、ピピ。

目覚まし時計を止めた乃梨子はまだ眠い目をこすりながら着替え始めた。いつもより1時間早い。
だが今日は新学期。乃梨子が薔薇さまと呼ばれるようになる最初の日だ。もちろん、選挙に当選したときからそう呼ぶ人もいたし、3年生の卒業式の日にも、明日から薔薇さまね、と言われたりもした。だが、そこに志摩子さんがいるというのに自分が薔薇さまになった、とは到底思えなかったのだ。
今日からは志摩子さんのいない学園生活が始まる。もちろん電話だってするし、休日には会えるといっても、今までのようなわけにはいかない。会ったときに情けない報告をする事のないよう、気を引き締めていかなければ。
「いってきまーす」
まだ朝食をとっている菫子さんに言い置いて、乃梨子は家を出た。


いつもよりかなり早く来たし始業式だからまだ誰もいないかと思いきや、数こそ少ないけれど来ている人はいるものだ。
「ごきげんよう、白薔薇さま。」「ごきげんよう、早いのね」
最初に声をかけられたときにはやっぱり志摩子さんを探しそうになったけれど、校門前に来るまでにはすっかり普通に挨拶できるようになっていた。
校門を抜けてマリア像の前まで来ると、いつものように手を合わせる。まったく、2年前は悪目立ちしないようにと形ばかりのお祈りだったのに、今では素直に祈ることができる。今日も私たちをお見守りください、マリア様。

お祈りを終えて歩きだそうとしたところで、声をかけられた。
「ごきげんよう、乃梨子さま。お早いのですね」
菜々ちゃんだった。乃梨子を名前で呼んだのは、彼女なりの気遣いだろう。いや、彼女も晴れて黄薔薇さまとなったのだから、そのように呼んであげなくては。
「ごきげんよう、ロサ・フェティダ。気を使ってもらわなくても、来る途中でさんざん言われたから、もう馴れたわ」
「あら、そうでしたか。それは失礼しました。それでは改めて、ごきげんよう、ロサ・ギガンティア」
「ふふ、でもやっぱりそう呼ばれるのはまだくすぐったいわ」
「あれ乃梨子さまでもそういうものなんですか。薔薇の館一番の古株なのに」
「こら古株言うな」
でこピンしようとしたら、器用にのけぞってするりと避ける。
「はは、すみません。それにしても早いですね。何かご用でも?」
あんまり悪びれずに謝る様子を見ては苦笑するしかない。
「いいえ、別にこれといってはないんだけど、新学期だしちょっと校内を散策してみたくなったのよ。そういう菜々は?」
「私はこれですよ」
そういって左手の竹刀袋を振って見せる。
「ああ、朝練。大変ね。また試合が近いの?」
「いえいえ、試合が近かったらこんなにのんびりしていませんよ。いうなれば自主練習ですが、理由は多分、乃梨子さまと同じです」
「あら、そうなの。それじゃ頑張ってね」
「ええでも、ちょっと気が変わりました。白薔薇さまと一緒に校内散策というのも悪くありませんね。ご一緒してよろしいでしょうか。お邪魔でなければ」
「喜んで」
振り返ってみれば、この子が薔薇の館入りしてからもう1年になるというのに、由乃さまとセットで関わることばかりで、こうして2人きりで話すことなどついぞなかった。乃梨子自身も「薔薇の館メンバーと一緒にいる」⊆「志摩子さんと一緒にいる」の包含関係がほぼ成り立っていたからなおさらだ。
「どう、薔薇さまになったって実感はある?」
一緒に、といった割には特に何を話すでなく並んで歩く菜々ちゃんに、場つなぎのような質問を投げる。
「いえ、だってまだ初日ですよ?乃梨子さまだってまだ実感はないのではありませんか?」
「そんなことはないわ。菜々、あなたも薔薇さまと呼ばれる立場になったからには、一日も早く妹を作りなさいよ?」
冗談めかして言うと、これまたにやりと笑いながら
「うわ、去年あれだけすったもんだの末に年末やっと姉妹になった乃梨子さまからそんな台詞がでるとは、さすが薔薇さまともなると違いますね」
などと答えるものだから、思わず二人して笑い合う。
うん、菜々は良い薔薇さまになるだろう。これは負けていられない。
ひとしきり笑ってから、もう少し真面目にな話をする。
「まあ今のは冗談。そんなに急ぐこともないと思うわ。なるようになるものよ。私だってそうだし、瞳子みたいな例や、それこそ由乃さまと菜々ちゃんのような場合もあるんだから」
「そうですね。でも、私はできるだけ早く妹を作るつもりですよ。お姉さま――由乃さまの妹になって1年、本当に楽しい毎日でしたから、未来の妹と過ごす期間もできるだけ長くしたいんです」
菜々らしい答えだと思う。そしてまた、由乃さまにそっくりだとも思う。姉妹もやっぱり似てくるんだろうか。
「それから白薔薇さま、名前で呼ぶときには『菜々』とお呼びくださいって、また忘れていますよ」
「ああ、ごめんなさい、そうだったわね、黄薔薇さま。称号のほうはともかく、そっちはまだ慣れなくって」
選挙に当選してから、菜々は志摩子さんに、2年生の時に他の薔薇さまからどう呼ばれていたかを聞いていた。志摩子さんが「私は1年生の時からそう呼ばれていたから参考になるかどうかわからないけれど」と前置きしながら、祥子さま令さまから呼び捨てにされていたことを伝えたところ、いたく気に入ったようで「ではこれからは私のことも『菜々』と呼び捨てにしてください」と乃梨子たちに頼んだのだった。――由乃さまは気に入らない様子だったが。


歩き回るといっても、高等部の敷地内だけだから、すれ違う人たちに挨拶しながらゆっくり歩いてもすぐにくるりと一周してしまう。武道館はまだ鍵がかかっていたが、テニスコートでは朝練が始まっていたし、体育館では可南子の妹が3ポイントシュートの練習をしていた。あの子もこれから大変だ。

「少しの時間でしたがありがとうございました。お話楽しかったです。」
職員室には菜々もついてきた。
「3年二条乃梨子、薔薇の館の鍵お借りします」
「2年有馬菜々、武道館の鍵お借りします」
誰とはなしに先生方に声をかけて鍵棚から鍵を取り出そうとすると、奥のほうから応えがあった。
「あら有馬さん、武道館なら5分ほど前に草津さんが開けに来たわよ。」
「あちゃ、先越された」
少し悔しそうに菜々がつぶやく。草津さんといえばたしか、秋の大会で先鋒の座を菜々と争った八千代ちゃんだったか。
「それでは失礼します、ごきげんよう」
職員室から出て廊下の間は歩いていた菜々だったが、外へ出るや否や挨拶もそこそこに駆け出した。スカートのプリーツは乱れまくりである。やれやれ、黄薔薇さまねえ。
何とはなしに振り返ると、丁度見知った顔がやって来るのが見えた。
「ごきげんよう、紅薔薇さま。早いのね」
「ごきげんよう、白薔薇さま。乃梨子の方こそ、今日は山百合会の用事は特になかったはずだけれど、もしかして明日の新入生を迎える言葉でも?」
「ええ、まあそれもあるけど、ちょっとした気まぐれよ。新学期だし、校内散策をね」
「そう」
つぶやきながら、紅薔薇さま――可南子が東の空を見上げる。どこまでも続く青空を。瞳子につづく青空を。


「祐巳さまにお願いがあります。私を祐巳さまの妹にしてください」
祐巳さまはその言葉に目に涙を浮かべながら、首に掛かっていたロザリオを手に取り、そっと、そのロザリオを瞳子の首にかけた。
「ありがとう、瞳子ちゃん、いいえ、瞳子」
瞳子の肩を抱いて語りかける祐巳さまはとても威厳に満ちていて、後光が差しているようだった。
「でもね、私のために女優の夢をあきらめるなんてことはしないで。だから、貴女はやっぱりカナダに行って、女優の勉強をすべきなのよ」
「!」
祐巳さま、今「いっちゃやだ」なんていっていたどの口がそんなことを。周りを見回す余裕なんて乃梨子にはなかったけれども、志摩子さんも同じ表情を浮かべていたことだろう。
瞳子は動けない。祐巳さまががっちりと肩をつかんで放さないから。
「話は最後まで聞くものよ。……1年待って頂戴」
「それは、どういうことですの?!」
「私も、カナダの大学に行くから。私が、瞳子を追いかけるから」
「祐巳さま……!」


「ああ、でもカナダは夜よね」
「え、何?」
まるで心を読んだかのような可南子の言葉に、乃梨子は思わず聞き返した。
「瞳子さんは今ごろどうしてるかなって思ったの」
「へえ、実は私も同じこと考えてたんだ」
「あら、あんまり瞳子さんのことばかり考えていると、また貴女の妹が焼餅を焼くわよ」
そう、あれはあれで結構焼餅焼きなのだ。そこがまた可愛いのだけれど。って。
「それよりいいの?貴女の妹はもう来てたわよ」
「ええっそれを早く言いなさいよ、それじゃごきげんようっ」
長い髪を翻らせて可南子が駆け去ってゆく。

あれからも大変だった。話を聞いて気絶寸前の祥子さまを令さまが保健室に連れて行ったり(そういえば尾ひれが付いて令さまが祥子さまをお姫様抱っこで連れて行ったことになったっけ)、回復した祥子さまが「私もカナダで祐巳を待つわ」と、ご卒業後本当に一足先に行ってしまわれたり。まあ本当に大変だったのは、瞳子のせいで志望校をランクアップするはめになった祐巳さまだろうけど。なんとかという州立大学で、元から成績優秀だった祥子さまはともかく、祐巳さまにとって問題は英語だけではなかったらしい。そうそう、学園祭の劇が英語劇になったのも祐巳さまと瞳子の影響だった。フランス語圏じゃなかっただけましだけど。

物思いから我に返った乃梨子は、友人の姿がとうに視界から消えていることに気付いた。
もう一度東の空を見上げ、うーんとのびをする。
可南子にもああ言ったし、明日の入学式の言葉、もう少し練り直しておこうかな。

乃梨子は、これまでの2年間様々な思い出をくれた、そしてまたこれから1年思い出を作っていく薔薇の館に向かって歩き始めた。


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