「よっこいしょ、っと……」
多少ガタつく台──演劇の舞台で、小道具を固定したり一段高い位置に立つ為の土台──を据えながら、松平瞳子は、掲示板の前に立った。
軽く額を拭う瞳子の左手には、7〜8本の巻いた紙が抱えられている。
瞳子は、その内一枚を残して床に置き、台の上に立って、手にした紙を掲示板上で伸ばしながら広げると、四方を押しピンで留めていく。
その紙とは、市内の公民館等で行われるボランティアイベントの一つ、すなわち演劇部の催し物のポスターだったのだ。
部員総出で、敷地内の主要ポイント──各階学年用の掲示板や、下足室、教職員用入り口の壁など──に、貼りまくっているところだ。
歪んでいないか、数歩下がって確認したが、どうやら問題は無いようで。
瞳子は、再びポスターを抱え、台を手にすると、次のポイントに移動した。
「よっこい庄一……、っと」
“当たり前田のクラッカー”や、“冗談はよし子さん”に匹敵する、若いモンはまぁ知らないであろう使い古された小ネタを披露しつつ、再び目的地で、台を据えつける。
決して重い台ではないのだが、やや非力な瞳子が割と長距離を片手で持って歩くので、やはり疲れはするものだ。
ふぅ、と深呼吸一つのあと、ポスターを手に取り、台に上がる。
巻き癖を取ろうと、必死で伸ばしていたその時。
「あら? ごきげんよう瞳子さん」
そこに現れたのは、リリアンで恐らく最も背が高い生徒、バスケット部所属の細川可南子。
「……ごきげんよう、可南子さん」
かつては犬猿の仲とまで言われたが、最近では、可南子の方が歩み寄ったせいか、以前ほどのギスギス感はない。
それでも瞳子自身は、単なる意地とは分かっていながらどうにも素直になれないようで、どうしても素っ気無い態度を取ってしまうのだ。
瞳子は、あえて「あなたなんて気にしてませんのよ」といった態度で、しかし意識は可南子に向けたまま、ポスター貼りに専念しようと努力していた。
リリアンでもどちらかと言えば背が低い瞳子は、台の上に乗っていても、可南子より若干視線が低い位置になる。
つまり、それでも可南子に見下ろされる形になるので、やはりどうしても面白くないのだ。
更に、ガタつく台のせいで、ポスターもなかなか広がろうとせず、瞳子のイライラは募るばかり。
「手伝いましょうか?」
「結構ですわ」
恐らくは素直な協力の申し出を、にべも無く断る瞳子。
可南子は、腹を立てる風でもなく、そっと近寄ると、ポスターの上を手で押さえ、瞳子が作業しやすいようにしてやった。
「べ、別にお礼なんて言いませんからね。あなたが勝手にやったことなんですから!」
「別に、お礼なんて言ってもらう気はありませんよ。私が勝手にやったことですから」
こうなったら、冷静な方が勝利を収めるのは必然。
瞳子は、返す言葉もなかった。
無事ポスターを貼り終わり、台から降りようとしたその時。
「きゃ……」
バランスを崩したのか瞳子は、台から転げ落ちそうになった。
「危……!?」
とっさに手を差し伸べたのは、もちろんそばにいた可南子。
もし彼女が助けなければ、瞳子は確実に廊下と接吻するハメに陥っただろう。
しかし、身体が大きく、体力も筋力も一般生徒より強い可南子にすれば、瞳子一人ぐらいの体重なぞ、決して軽いとは言わないが、メチャクチャ重いわけでもない。
可南子は、真正面から瞳子を抱き止めた。
「………」
「………」
転びそうになったショックで、呆然とする瞳子。
いや実は、それよりも大きなショックを、彼女は受けていた。
なにせ可南子は、単に身体が大きいだけではない。
制服では分かりづらいが、彼女は高校生らしからぬグラマーな身体つきで、出るところは出て引っ込むところは引っ込み、しかも適度に引き締まっているので、トータルバランスは非常に良い。
つまり瞳子は、大きいと噂の紅薔薇さまと互角、ややもすればそれを上回るかもしれない可南子のバストに、顔を埋めることになってしまったのだ。
しっかりと抱き止める可南子の胸から感じる、柔らかさと温もりと鼓動。
瞳子は、好きで仕方がない人や、母親に抱き締められているような、妙に安心する錯覚に陥っていた。
可南子も、抱き締めている瞳子から感じるドキドキと速い鼓動に、妹を抱いているような、なんだかとてもいとおしい気分になっていた。
「……大丈夫ですか?」
少し名残惜しい気もするが、いつまでも抱き合っているわけにはいかず、瞳子に問い掛ける。
「だ、だだだだ大丈夫ですわ!」
慌てて、可南子から身体を引き剥がす瞳子。
うつむき加減のまま大急ぎでポスターを拾い上げ、台を引っ掴むと、可南子に背を向けて、走り出した。
だが、数歩進んだところで立ち止まり、苦笑いしている可南子に顔を向けると、
「か、可南子さんのお陰で助かりましたわ。でも、私があなたにお礼を言うのは、あなたのためではなくて、自分が礼儀知らずと思われたくないからということをお忘れなく! ご、ごきげんよう!」
真っ赤な顔で瞳子は、逃げるように走り去った。
「やれやれ……」
「あら、乃梨子さん」
廊下の角から現れたのは、白薔薇のつぼみ二条乃梨子。
「や、可南子さんごきげんよう」
「ごきげんよう。……ずっと見てらっしゃったの?」
「うん、手伝ってあげようかなと思ってたら、可南子さんが先に声をかけちゃったんで。悪いけど私は見学させてもらったわ」
「まぁ、人が悪い」
「いやはっはっは。でも、良いモノが見られたわ。しかも、二つも」
「?」
「瞳子のツンデレと、可南子さんの優しい表情。結構レアな組み合わせよね」
真っ赤になる可南子を、ニシシと嫌な笑みを浮かべてからかう乃梨子。
「知りません!」
可南子は、瞳子同様、逃げるように走り去った。
ちなみに、瞳子も可南子も乃梨子も、微かに鳴ったシャッター音に気付くことは無かった。