志摩子さんが言いかけたその時。
「お待ちください!」
乃梨子の背後から、その声はあがった。
「その人は、白薔薇さまからのおメダイをいただく資格などありません」
ざわめく生徒をかき分けるようにして、声の主は前に進み出た。
「あなたは……」
乃梨子は、その顔を確認して叫ぼうとした。しかし残念なことかな乃梨子はその名前を思い出せない。
「薔薇のお姉さま方。神聖な儀式の邪魔をして、ごめんなさいっ」
名も分からぬ生徒はまず乃梨子を一瞥し、それから三色の薔薇さまに向かってペコリと頭を下げた。
「これはどういうことなの。えっと……えっと……」
「今、乃梨子さんにはおメダイを受け取る資格がない、と聞こえたようだけれど――」
「そうなんです、黄薔薇さま」
その調子で、彼女は二色の薔薇さまの注意を惹きつけることに成功した。
その時、残った白薔薇さまの顔色が変わった。
(志摩子さん……?)
志摩子さんの目は、一点に集中していた。乃梨子がその視線の先を追うと、彼女の左手に行き当たった。
(何だろう)
目を凝らしてよく見て、「げっ!」と声を出しそうになった。彼女の手が握り締めていた物には、確かに顔色を変えるだけの威力があった。
(ど、どうにかして取り返さないと……)
乃梨子が手を伸ばしかけた刹那、満を持して彼女の左手が大きく振りあがった。
「あなたには、こちらのほうがお似合いよ!」
ステンドグラスからのまぶしい光を受けた水晶の数珠は、彼女の高笑い。いや恍惚な歓声をBGMに、まるで後光のように燦然と輝いたのだった。
本当は、それどころじゃない状況だったのだけれど。
この時、お御堂の中でキラキラ光る数珠が本当にきれいで、それが彼女の手からスローモーションのように落ちる様があまりに残酷で。
不謹慎かもしれないけれど。床の上で無残に崩壊した数珠を見て。
――てめえに今日を生きる資格はねぇ!!
「これは乃梨子さんの物ね?」
彼女は地面の数珠の残骸を前に、居心地悪そうに告げた。
「これ……は?」
乃梨子は、彼女に明らかな殺意を向ける。一歩踏み出すごとに彼女は一歩後退を見せる。
「あなたは、どうしてこれを下に落として割ったのかしら?」
「それは……」
一瞬、口ごもる名もなき生徒。
「ね、どうして割ったの?」
(答えられるんなら、答えてもらおうじゃないの!)
持ち主の前で。
「それは、割る気はなかったのよ。偶然手を滑らせて」
さっきまでの威勢はどこへやら、彼女の答えは棒読みだった。
「嘘だッ!!!」
(こいつは、ここに来て言い逃れなんて。ついこの前見たアニメの真似をしちゃったじゃないの)
百歩譲ってそれが事実だとしても、乃梨子は彼女を許さない。
「どうなの、えっと……。乃梨子さんが言うように、これはあなたが割った物なの?」
「そ…そんな。 や…約束が違う!」
名もなき生徒が、紅薔薇さまに泣きつくように叫ぶ。
「マリア様に誓える?」
「もちろん。だって私は瞳子ちゃんに頼まれて」
胸を張って、彼女は答えた。
「じゃ、本人に聞いちゃってもいいわね?」
「えっ!?」
紅薔薇さまは指を差し向けると、乃梨子たちはひとりの生徒の姿に気づく。
「瞳子さん!」
乃梨子は、その顔を確認して叫んだ。
「あなたが本当に瞳子さんに頼まれたのであれば、彼女は真実を伝えてくれるはずでしょ?」
「だから、本当に事故です。だよね瞳子ちゃん」
代理人といわれた彼女は瞳子さんに視線を向ける。
「瞳子、そんなこと頼んでません」
「……らしいわ」
出た。
瞳子さん必殺、お目々うるうるの術。
その一言で、雌雄が決した。
「あなた、とんでもないことをしてくれたわね」
乃梨子は、再び彼女に向けて殺意の足を向ける。
「ひぃ! 助けてください。紅薔薇さま」
「あなたのために弁解する言葉はないわ」
「そんな!」
逃げ場を失った彼女は、壁へ向かって一歩一歩と逃げていく。
「な、なんで! どうして? そ、そうよ。たかが――」
「たかが何?」
とりあえず、雰囲気をつくるために腕を鳴らしておく。
おー、今日は一段と強くポキポキ鳴るわね。
「た、助けて……助けてぇぇーーーーーーー!!!」
この日を境に、ひとりのリリアンの生徒が退学届を提出した。
出番の欲しさ故に、瞳子さんの出番を借りたひとりの生徒はマリア様のお庭を去るまでの事態を引き起こしたのだ。
その生徒の名はかつ……いや、この伝説に合わせてリリアンでは彼女を名もなき生徒として呼ばれることになった。